2006年10月14日土曜日

運とは?

時まさに秋の運動会シーズンですが、中高年、かつ日頃の運動不足の各位にあっては記憶の中の運動能力と現状のそれの格差がはなはだ激しいため、いかなる競技においても参加のための必須条件は無理は禁物ということになります。

毎年、この時期の休日明けには運動会での無理な活躍が仇となり、やれ靭帯が伸びた、切れた、骨折した、肉離れで動けない等などの、故障に至る実話の在庫が多いせいか、くれぐれも油断大敵、全力投球でない挑戦をお薦めしたいと思います。その運動会やら様々な競技会の結果はもとより、人生の様々な局面でもよく『運が良かっただけ』とか、『運に見放された』とか、『運も実力の内!』などと申しますが、そもそも『運』とはどういう意味なのでしょうか?

早速、辞書を引いてみますと【移動・回転する】【めぐる・はたらかせる・はこぶ】あるいは【人知では計り知れない身の上の成り行き】とか、【人の身に降りかかる幸、不幸を支配する人間の意志を超えた働き】とあります。何かわかったようで、わからなくはありませんか?

吉田兼好こと兼好法師が徒然草の中で、【運は日にあらず、人なり】と綴られた意味に照らして、しばし考え深めて見ますと、、、、。

『運命』とは、運ばれる命のこと。では何によって運ばれるのかというと、これは時によって運ばれます。つまり運命とは時のこと。
では『運勢』とは?すなわち、時の勢いの良し悪しをいいます。
そこで『幸運』とは幸せな時が続いている状態。ちなみに幸せに対して不幸といいますが、幸運に対して不幸運とは言わず、不運といいます。『不運』とは幸せな時がないということになります。
つまり、『運』はそれ自体が【時】をあらわしているが故に、時の集まりである日の中で左右されるものではないということを兼好法師は看破しておられたことになります。

運の良し悪しはその日の気分や時間によるものではなく、どのような人と関わるかによるという次第。良い対人関係が望まれる訳はここにもありました。

2006年10月13日金曜日

1:29:300の法則

昨日は日帰りで山口県防府市まで出張してまいりました。防府信用金庫さん本店の会議室を拝借して、地元企業の方々の勉強会で90分の講演を行うためです。午後、2時35分京都駅発ののぞみで新山口まで、そこから山陽本線に乗り換えて、防府まで約15分。同じルートで京都駅に帰り着いたのは夜の23時30分。久々に長時間、JRの中で過ごしました。おかげさまで本を読んだり、気になっていることをゆっくりと考えたり、一見、もてあましそうな時間が結果的にはとても有意義なひと時となりました。

実は昨今、トラブルとまでは言えないまでも、何やら納得がゆかない事柄がざわざわと心の片隅にいくつか、居座っております。表面的な現象は異なりますが、どうも同じメッセージを内包している気配を感じつつ、思考の限界と時間不足でしばし棚上げ状態の案件にわずかながら整理の目処が立ってきました。

労働災害事例の統計分析の結果、導き出された【ハインリッヒの法則】というのがあります。【1:29:300】の法則としてご存知の方も多いと思いますが、いわく、【1件の事故(アクシデント)が起きるまでには、29件の出来事(インシデント)とさらにその影には300件の異常(イレギュラリティー)がある】といわれるものです。現実的な1件のクレームにはそれ以前に29件の何某かの苦情や不満があり、その前提として各担当者が一瞬、ヒヤリとしたり、ハットした300の出来事があると分析するものです。ゆえにともすれば、ありがちな『たまたま不注意で、、、』という事故との向き合い方は大間違いということになります。なるべくしてなった事態ならば、目の前の事の処理だけでは足りず、根本の仕組みに目を向ける瀬戸際のチャンスという受け止め方が問われます。

個人的な局面での気づきではありますが、フロイトのいう、超意識が人類共通ならば、何某かのヒントになればと思います。クレームの現場でよく使われる『ピンチはチャンス』という言葉は手前味噌すぎて、賛同しがたい点もありますが、この法則に照らせば、さらなる災い回避のラッキーチャンスかもしれません。『手間隙惜しむと手がかかる』は数多い、座右の銘のひとつですが、面倒な何かを丁寧に片付ける癖付けが重要とあらためて自らに種蒔きの出張でした。

2006年10月12日木曜日

可動域のフル活用

ここ数年来、そこかしこで日本古来の歩き方として【なんば歩き】が注目されています。その昔、飛脚はこの歩き方で1日、百キロ以上を歩いたといわれています。この歩き方はご存知のように同じ側の手と足を動かす歩き方で、実に日本人の生活に適した歩き方であったといえます。右手、右足が前に出て、次に左手、左足。実は研修などであらためて日頃の歩き方の点検のため、VTRを撮影しましょう!となると緊張してこの【なんば歩き】になる方が少なからずいらっしゃいます。思わず、ご本人も苦笑いの一場面なのですが、これももしかして日本人ならではのDNAのなせる業かもしれません。

現代歩行法が義務教育の一環として、明治時代の西洋式軍隊の歩行練習からスタートしていることを考えてみれば、歴史的なキャリアは比較するまでもなく【なんば歩き】に傾きます。いわく腰が捻じれない分、着物が乱れないという理に適っていましたし、武士が刀を扱うときも右手、右足が前、そうでなければ振り下ろした刀で自分の左足を傷つける危険性があります。同様に農民が鍬で土を耕すときもこの姿勢。なるほど!と思わず感心してしまいませんか?

さて、私達の身体にある関節にもなるほど!と感心したくなる課題があります。それは関節の可動域です。可動域とはどこまで動かすことが可能かという範囲のことになります。たとえば腕の可動域は手をどの方向に動かすかによっても当然異なります。たとえば、身体の前方に手を上げてゆくと耳の横くらいまで上がります。すなわち180度は動きます。では身体の側面、つまり横に上げてゆくとどうか。この時も、最終は耳の横まであがりますが、腕の可動域は実は横の場合は120度、そこから先は背中にある肩甲骨がグルッと回ることで残り60度を上げられることになります。では、腕を後方に上げてみるとどうでしょうか。かなり柔らかい方でも90度は難しいですね。後ろへは45度あがれば、それが十分な可動域ということになります。ところが歩く練習を実際に行ってみて、手を振りましょう!と言うと、概ね前方にのみ手が出ます。これはどうも【なんば歩き】の名残ではないでしょうか?

そこで正しい歩き方で歩くときに、あらためて肘を中心に腕を後ろに引くと強く意識してみてください。こうすることで胸をはりやすく、自然に背筋が伸びてくる!颯爽とした歩き方のコツは腕の可動域をフル活用した振り方にもあるようです。

2006年10月11日水曜日

足音も歩き方の課題

社会人になって間もない頃は仕事の大半が会議資料のコピーであり、その会議室にお茶を運ぶことでした。今にして思えば、そうした仕事にもいくつもの大きな意義があるのですが、当時はそんなことに気付けるはずもなく、ただのつまらない仕事として受け止め、その分、実に可愛くない態度で事に当たっていたはずです。

そんなある日、午後からの会議開始直後、いつもと同じようにお茶を運んでいた折、突然、会議に参加されていた、ある方から『足音がうるさい!』と小声でしたが、とても厳しく注意をされました。ところがあまりにも突然の事態に一瞬、何を言われたのかがよくわからないまま、恐らく『はあ?』と聞き返したのだと思います。これに対して、その方からは『あなたのヒールの足音がうるさい。気をつけなさい!』と再度、ピシャリと叱責されました。
めんどくさそうにいやいやお茶を運んでいるせいだったのでしょうか、静かな会議室の中で議長挨拶が行われていて、数十人の参加者がそれに熱心に聞き入る中、お茶を配る新人の足元からカツンカツンと遠慮のない靴音が邪魔をする。きっと耳障りなその足音に誰もが厳しい叱責の目配せを送られていたかもしれません。でもそんなことに気付くはずもない全身丸ごとの不出来さをその方の一言がなんとか救ってくださった一幕でした。もちろん、そんな風に思えたのはしばらく後のことで、その瞬間は生意気盛りそのままに、ムッとしたはずですが、ひょいと視線をあげてみると、そこには実に多くの同感!の迷惑顔が飛び込んできて、さすがにさっと顔から血の気が引く!という生体験をさせて頂きました。言われてみれば反論しようのない場の空気にいかに愚かといえども、気付かされた顛末は今でもありありと情景の浮かぶ不始末のひとつです。

『他者配慮がないと私達の動作は思いのほか、大きな音を伴います。』ここに気付く原体験があの遠い会議室の出来事でした。ご自身の歩き方にはどんな足音が伴っていますか?駅の階段の昇り降りでカンカンと甲高いミュールの足音に思わず顔をしかめた経験はありませんか?あるいはドスン、ドスンと威嚇するような足音にどこのプロレスラー?と振り返ってしまったことはありませんか?歩き方の完成度向上をめざして、足音に気配りを!

2006年10月10日火曜日

ミルキングアクション

私達の体の中を絶え間なく流れ続ける血液の量は体重の10分の1と言われますが、その時々によって必要なところに多く配給する【重点配給】ということが常時、自然に行われています。

本人はまったく気付いていませんが、たとえば食後は胃の中の食物の分解のため、胃の蠕動運動(ゼンドウウンドウ)支援に多くの血液が配給されます。
ちなみにこの蠕動運動は20秒に1回、すなわち1分間に3回行われるそうで、大人も子供も日本人も外国人も皆、同じだそうです。なんか、凄くないですか。
この時、身体の中の血液は内臓に多く配給されるため、位置的に上になる頭、すなわち脳の血液量はかなり少なくなり、故に活動休止状態を余儀なくされます。これが食後に眠くなる理由です。心臓から送り出された血液が全身をめぐるとき、地球上の引力も手伝って、下半身に向かう流れは滑らかですが最下点の足の裏まで到達して、そこから頭のてっぺんまで上り詰めるのはそれなりに大変だろうと予測されます。この大変さの克服に大きく貢献するのが筋肉です。

足から上に順調に血液が流れていくためには血管のまわりの筋肉の動きが不可欠です。しかも血液が逆流することがないように設計されている血管の中の蓋のようなものを下から上に押し開けながら血液を送り出さなければならないため、かなり勢い良い状態が求められます。これを歩く動作の内側で黙々と実践してくれているのがふくらはぎの筋肉になります。それはちょうど雑巾を絞るようにぎゅっ、ぎゅっと収縮します。この収縮運動こそが血液運搬の立役者。たとえて言うなら、牛の乳搾りを思い浮かべてみてください。牛の乳房を手のひらで握り、小指から順に上の指へと絞り込んでゆきます。こうすることでびゅーと乳が搾り出されます。この手の動かし方をミルキングアクションといいますが、これと同じ現象がふくらはぎの筋肉をして血液を元気良く送り出す仕組みとなっています。

ゆえに歩くことを通して、沢山の血液が安定して全身を巡るため、頭が冴えてくる!というのもなるほど筋が通っている話といえます。
ミルキングアクションの活性化のため、歩きましょう!胸を張って。

2006年10月9日月曜日

歩幅を意識して、歩く!

人間の身体を構成している筋肉は実は上半身にはあまりなくて、ナント腰から下の下半身で70%を占めています。中でも大きい筋肉といえば、太ももの裏側のハムストリングという部位になりますが、ここがしっかり鍛えられていないと座った姿勢からまっすぐ上に立ち上がることが出来ません。( 以前、正しい座り方の中で触れたように頭の重さを利用して斜め前方に身体が出て行く格好になります。)

つまり下半身をしっかり鍛えることは大きな筋肉を鍛えて基礎代謝をあげることにも直結する課題であり、その意味からも【歩く】ことはとても大切なテーマと言えます。颯爽と歩きながら、筋肉を鍛えるために意識したいのは【歩幅】になります。すでに万歩計を肌身離さず携帯されておられる方なら、ご自身の基本の歩幅もご存知かと思いますが、そうでない場合は1度計ってみることをお薦めします?女性の場合は履く靴によっても結構、違いますね。しかも歩きやすい靴とそうでない靴の場合、ここにもわずかながら差が出ます。

昨今、流行の巨大ショッピングモールなどで今、どこにいるのだろう?という不安や悩みにしっかり答えてくれる【現在地の表示】と同じように、何事によらず実態把握は課題解決の重要な出発点です。基本の歩幅がわかったらその数字より数センチだけ広めの歩幅で歩くとイメージしましょう。さらにこのときには腰からが足!と意識して足を振り出すことがポイントです。

特に横断歩道は絶好のチャンス、白黒の幅が90センチなのでここぞとばかり広めの歩幅に挑戦してみてください。白から白に足を置いてゆく感じで、自然と腰から足を運ぶ感覚が磨かれてゆきます。しかもゴルフをなさる方なら、90センチは1ヤードなので、アプローチやパターの歩測時にも持って来いの身体感覚強化策となります。

家庭の主婦がごく普通の日常生活で、約4000歩は歩いているそうですから、ほんの少し、意識することで何かが大きく変わるかもしれません。毎日をどう歩いて行くのか、この延長線上に人生をどう歩くのか?というテーマが見えます。1歩1歩を大切に意識して歩く!に挑戦したいですね。

2006年10月8日日曜日

お坊さんだって悩んでる(著者:玄侑宗久)

タイトル:お坊さんだって悩んでる
著者:玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)
出版社:文芸春秋新書
820円(税抜)

我が家にはまもなく満8歳を迎える愛犬がおります。人間の年齢にすれば50代後半あたりになるのでしょうか。いつの間にか飼い主の年齢を追い越し、これからは年々歳々、足早にその差を広げてゆくことになるのかと思うとしみじみ胸がキュン!と締め付けられる秋の夕暮れです。だいたい我が家では愛犬のお散歩がいつのまにか夕暮れ時の1日1回になり、春から夏にかけては日に日に遅くなる日暮れが勢い、生命力に活力らしきものを与えてくれる気がします。ところが昨今はまさにその反対です。秋の陽のつるべ落としの夕暮れが、これからどんどん早くなる冬場の夜の訪れの切なさに拍車をかけ、まだ夕方5時なのに星空を仰ぎ見る季節ならではの寂しさといいますか、えもいわれぬ感慨にこころなしか愛犬の足取りもトボトボと老い始めたかのような錯覚に囚われたり致します。そんな飼い主の思惑とは裏腹に幸い我が家の愛犬は寒いところでその原種が誕生した犬種のため、ここからこそが暮らしやすい季節の到来と気温が下がるに従って体調万全のようですが、本当に人というのは考えなくてもよいことに思い煩う生き物なのですね。

考えてみれば明日の朝ごはんの心配をするわけでもなく、星空を眺めて今日の失敗にくよくよ悩むわけでもなく、人間に比べたらなんともうらやましいほど動物たちはただその日その瞬間を生きていることになります。もちろん、本当のところはわかりませんが、、、、そういえば、発売当初大ヒットしたバイリンガルならぬ、犬の気持ちの翻訳機、バウリンガルとやらはさらに進化しているのでしょうか?

ちなみに犬や猫などの動物が1日中寝ている訳をご存知ですか?実は人間以外の動物は原則、熟睡することはないそうです。野生であればごもっともですよね。よほど身の安全が確保されない限り、熟睡は襲われて即、死を意味します。
ゆえに四六時中、うつらうつらと熟睡できない分、仮眠しているそうです。たしかに我が家の愛犬も熟睡しているようでいて、かすかな物音にも敏感です。

死ぬほど悩んで眠れないと言っても、丸2日も起き続けていれば、さすがに3日めには熟睡できるが故の人間ならではのややこしい人生の悩みに、お坊さんという職業の視点から答えてくれる1冊をご紹介いたします。