2007年6月14日木曜日

言ってもしょうがないこと。

今日の京都はようやく梅雨の気配が漂う朝からの雨、しかも1日中雨でした。

せっかくオフのこんな日は<晴耕雨読>がもってこいなのでしょうが、たまたま、あるブランドのゴルフコンペの予定が入っておりました。
もちろん、あいにくの天候にもめげず、元気に参加してまいりました。

ご一緒したメンバーのお一人は齡60歳で会社経営の傍ら、なんと年間100ラウンドをここ10年以上、継続達成されている強者です。

これって、バクッと大まかに考えたら、3日に1度の割合でゴルフをしている勘定になりますね。ということは、当然のことながら、天気の良い日も有れば、雨の日も有って当たり前ということになります。

故に本日のような悪天候であっても一切、文句を言わないスタイルが完璧に徹底されていて、それって最高にかっこいいよな!と憧れております。

なぜならば、今日のような悪天候は誰のせいでもないのに、そういう如何ともしがたい状況においてぶつぶつと文句を言ったり、不平不満を並べたり、挙句はスコアの悪さをそのせいにするような往生際の悪さは責任転嫁の逃げ口上に他ならず、聞き苦しいことこの上ないからです。

少なくとも<大人の話し方>には存在しない課題のひとつと自覚しております。

が、しかし相当、意識して注意をしなければ、内心ではつい弱音を吐いたり、愚痴ったり、文句をつけたりしてしまいがちです。

<言ってもしょうがないことを言わない>ということは簡単なように見えて実に難しく、だからこそ<大人の話し方>のひとつの要素として、「断じて言わない」と肝に銘じておきたい課題といえます。

「ついつい」という誘惑に負けない<強い自覚と決意>が決め手です。

2007年6月13日水曜日

バランス感覚

<大人の話し方>を獲得するためにぜひ意識しておきたいことのひとつは、会話のバランスに対する意識とその実践力ではないでしょうか。

つまり1対1であっても、3名以上の複数であっても、自分が話している時間と人の話を聞く時間のバランス感覚があるかどうかと、それを気にしつつ互角に話したり聞いたりの実践が伴っているかどうかという話です。

これって立派な<自己コントロール>能力のひとつであり、そこがしっかりしていなければ<大人の会話>はなかなかどうして成立しにくいものがあります。

たとえば、困ったちゃんの代表選手は、一方的に自分ばかりが話し続けるというタイプ。聞いているほうの呆れ顔に気付けない鈍感さは見事としか言いようが無く、バランス感覚欠落の代表選手として企業にも実は数多く存在します。

本人が話し上手と錯覚している場合や、話題が豊富と思い込んでいるケースはなかなか処方にてこずりますが、つける薬は今のところありません。

反対に今時の子どものような反応で<別に>とか<特に>という一言で会話を放棄しちゃうような反応もバランス感覚欠落のひとつです。

元来、お互い様の意思疎通のための会話であるならば、できるだけ均等に<話す>と<聞く>の選手交代を行うことが理想であり、それをいつも意識することがバランス感覚獲得のための出発点になります。

すなわち<大人度>が高いということは、いつもどこかで自分を客観的に眺められる習慣が身についているということに他なりませんね。

さて、何かの心配りに対して「有難く頂戴いたします」とさわやかなお礼の言葉を受け止めたら、こちらもさわやかな言葉でバランスを取りたい所。

<大人の話し方>として活用したいのは<どういたしまして!>という表現です。<どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく>という気持ちを込めて言います。
あるいは<ニッコリ微笑んで無言でうなづく>のもナイスな返球です。

2007年6月12日火曜日

準備不足の光景

昨日、視聴者参加型のあるイベントで実に考えさせられるサプライズ体験をいたしました。それは某放送局の番組宣伝のためのPRイベントでのこと。

イベントの基本構成は、その放送局の様々な番組の紹介をトークスタイルで、ゲストとともに掘り下げ、見所や今後の展開に期待を集めたいという趣向です。

構成そのものはまあ、よくある販促企画のパターンであり、たまたまゲストがちょっと人気の若手お笑いコンビということで気楽に楽しむつもりで参加しましたが、全体の司会進行役のアナウンサーのあまりの下手さ加減に正直、ビックリを通り越して、久々に不愉快な気分で途中退席をしてしまいました。

<大人の話し方>のお手本ともいうべきプロのアナウンサーにあるまじき失態の数々はどう考えても準備不足が最大の原因と思われます。

たとえば、ゲストに対する質問が今しがた漫才のネタで披露されていたものにだぶる。あるいは番組PRのために用意されたクイズの答えが、直前の話題の中で周知の事実になる。ゆえに会場は激しくしらけることになる。

あるいはゲストが問いかけた番組への素朴な疑問や質問への答えがまったく用意されておらず、その都度、巧みなゲストの突っ込みや切り返しで辛うじて、その失態が笑いに転化されるものの、お粗末さは隠し切れない有様でした。
これではPRイベントどころか、逆効果の危険性大とご案じ申し上げます。
アナウンサーの稚拙な失態の挙句、企業の信頼失墜にならねばよいのですが。

台本もリハーサルもまったくなしのぶっつけ本番で視聴者を馬鹿にするのもいい加減にしなさい!という怒りをアンケートに書きしるすしか手だてはなく、人様に向かって話す仕事に従事する端くれとして実に情けない思いです。

きちんと何かを話すためには、言葉やその言い方のトレーニング以前に、相手に向き合う真摯な姿勢がいつも問われます。

慣れに任せてその大切な姿勢を見失うことのないよう肝に銘じます。

2007年6月11日月曜日

<いただく>と<頂戴>

唐突ですが、<大人の話し方>だな!と思える人が社内及びご近所、あるいは友人、知人の中にいらっしゃいますか?もしいらっしゃるならば、その方の真似をするのが上達への近道です。

しかしそうは問屋が卸さずで、そんなに都合よくお手本が見当たらない場合はテレビのドラマやニュースキャスターの話し方の中で素敵!と思える方の言い方を真似てみるのも結構楽しいやり方です。

かなりの長寿番組で現在は休憩中のドラマ<渡る世間は鬼ばかり>は、<言葉使いにおいてはとても意識の高い>ものと個人的には評価していますが、そういうつもりで眺めてみれば、身近なところに教師は沢山存在しています。

さて、<どうぞ>と気持ちよくすすめられたり、助けてもらったり、あるいはもてなされたときには受け取る側としてもきちんと誠意をこめて言葉を返したいものです。こんなときに便利な言葉の代表選手が<いただきます>

眼に見える物を頂いたときだけでなく、見えない気持ちや心使いに対してもそれを受け止め、感謝する言葉として使いこなしたい言い方です。

一般的には<ありがとうございます>や<おそれいります>とセットで使い、「あ、どうも」や「どうも、すみません」からの卒業を目指しましょう。

たとえば、職場の仲間からお土産を貰ったときには「ありがとう!頂きます」といいます。これがお客様からのお土産ならば、「ありがとうございます、頂戴いたします」となります。それが物でなく、いたわりの言葉やねぎらいの気持ちを頂いたのならば、「お気持ち有難く頂戴いたします」と言います。

そういえば、<いただく>という字を二つ重ねて<頂戴>となります。
つまり丁寧で大切に敬う気持ちがより強いと言う意味合いです。使い分けに対して明解な線引きがあるわけではありませんが、上司や先輩、あるいはお客様などを意識して、使いこなすことで<大人の話し方>度がアップします。

2007年6月10日日曜日

マズい日本語レストラン(著者:樋口裕一)

タイトル:マズい日本語レストラン
著者:樋口裕一
出版社:雑誌オレンジページに連載中の単行本化
1、260円(税抜)

京都を拠点にしながら東京でも<料理教室>を主宰されている郷土料理研究家の先生に初めてお会いしたのは、たしか昨年の秋の初めの頃でした。

名刺交換とほんの数分の立ち話程度の出会いでしたが、別れ際に「いつでも遊びにいらしてくださいね!」と掛けて頂いた言葉が実にスンナリと耳に響き、その折を楽しみにしつつ、あっという間に半年以上が経過しました。

さて、ひょんなことから、先週唐突に事態がバタバタと急展開して、その先生のご自宅兼お料理教室に初めてお邪魔する機会を頂きました。

お邪魔する名目はむろん、<お料理教室の見学>ということですが、とにかく<美味しい>というお番菜を何はともあれ頂けるチャンスに対して、ここぞとばかりに積極的に飛びついたというのが本音です。

約束のお昼時間にお訪ねするとそこには先生のご指導の下に10名を越す生徒さんたちが手際よく作られたお料理がいくつもテーブルに並び、それをちゃっかりご馳走になりますという舞台装置がしっかり整っておりました。

さらに、そんなお得な役どころの御仁が他にも数名いらっしゃり、思いがけず新たな出会いも頂きながらやけに楽しいランチタイムがスタート。

どうやらこの席には毎回様々なゲストがお越しになるようで、その顔ぶれは名前を聞いてビックリ仰天!というような方々ばかりでした。

場違いもはなはだしいとは思いつつ、うわさに違わぬ美味しい料理に感心することしきり。月初めのお朔日の食物はまさに身体のことを慈しみ、身体を養うための知恵と工夫に彩られたものばかりで、素直に感動いたしました。

そこで本日は<食>を舞台にしながら<言葉使い>の課題を問う1冊をご紹介いたします。

2007年6月9日土曜日

盧山寺さんの桔梗

灯台もと暗しの言葉通り、京都に住んでいるがゆえに環境に胡坐を掻いて、かえってめったに出向かないところが実に沢山あります。

お恥ずかしい話ですが、サラリーマン時代も京都に本社があって、その中で京都通の方に沢山囲まれていたおかげで、さらには人事部勤務のおかげでなんとか人並みに対応が出来ていたものの、そうでなかったらトンチンカンな受け答えをしてしまいそうだったことは枚挙に暇がありません。

たとえば、お土産物のお菓子や食品なども日頃はついついデパートで購入することが可能なため、もっぱらお手軽な調達専門で慣れてしまい、あらためて本店の所在地を問われたり、ご案内することになったりしたら大慌てで、聞きまわること、調べ直すようなことがしばしばありました。

実は昨日、花菖蒲の無料公開で訪ねた平安神宮の神苑にしても、よくよく考えてみれば、10年近く前に会社の仲間とこれまた恒例になっている<紅枝垂れコンサート>の折に夜桜見物で出掛けて以来、とんとご縁が無くて本当にご無沙汰をしておりました。

うす曇の陽射しの中であっても境内の見事な白砂の照り返しのせいで、目がまともにあけていられないような眩しさは平安神宮ならではの体感のひとつとして、遠い記憶の扉がなつかしくノックされた気分でした。

この季節ならではのここから見頃を迎える紫陽花にしても、桔梗にしても名所旧跡が近くに沢山ありながら、まったく持って不届き至極の有様をおかげさまでしみじみ反省しております。言葉を鍛えてゆくためのひとつの大きな源は感動にあり、それを求めれば、美しいもの、今しかないものは一層貴重です。

ちなみに町内にある盧山寺さんはこの冬、節分の鬼さんの行事でもご紹介しましたが、実は桔梗が美しいお庭でも有名です。白砂に点在しての桔梗がほの暗い廊下の先にパッと開ける演出が実に見事な紫式部ゆかりのお寺に休日足を運んでみませんか?おそらく中旬以降が見頃かと思われます。

2007年6月8日金曜日

辞書の中の出会い

午後になって、天気予報通りに雨が降り出し、雷様もゴロゴロと賑やかな入梅モードの京都市内の様子でしたが数時間経過して今はうす曇の空模様です。

さて、本日は恒例の平安神宮、神苑の無料公開日でした。
今が見頃の花菖蒲と睡蓮の競演をたのしみに運良くオフの午前中にいそいそとウォーキングでお出かけをしてまいりました。

観光バスもすでに何台か到着しており、当然京都市民の皆さんも恒例行事として楽しみにされている方も多く、さすがに朝早くから、かなりの人出の中、久しぶりにゆっくりと艶やかな庭園の花たちに囲まれて初夏の気分を満喫。

ただ、花菖蒲はどうやらピークを過ぎた様子がちょっと残念ではありましたが、日頃はなかなか味わえない季節の醍醐味とその雰囲気を無料で堪能させて頂き、ひたすら感謝しております。

そう言えば、ちょうど1週間前の金曜日の午前中には最後の平日にあたるタイミングで見事としか言いようの無い若冲展を拝ませて頂き、今週はまた自然の見事さに向き合えるなんて、やけに贅沢な初夏ではないかとひとりほくそ笑んでおります。

この調子で行けば、来週も何かいいことがありそうです。

ちなみに個人的に大好きな同音異義語で申せば、先週は芸術作品を楽しみに味わうことなので、美術鑑賞や映画鑑賞、音楽鑑賞という<鑑賞>
本日は自然を観て楽しむことから<観賞>と使い分けることになります。

ほっといてくださいと言いたくなる<干渉>もあれば、やけに<感傷的>もあって、言葉は奥が深い。特に<かんしょう>って言葉はあらためて辞書で引いてみて、ビックリ。驚くほど沢山の種類があります。

<感賞>は感心してほめること!とありましたが、おかげさまで使ったことの無い言葉に出会えました。辞書には思いがけないラッキーの種が潜んでいます。