2009年9月30日水曜日

空腹を満たせば、ケンカの半分は回避できる


ハーバード大学のお偉い先生のご意見ですが、続きは<ケンカすべき相手は実は血糖値なのだ>となるそうです。どうやら私たちはお腹がすいていると、無性に怒りっぽくなる。たしかにそうだと思い当たるフシはありませんか?空腹感は思いがけず、人間関係に大きく関与する課題と認識したい食欲の秋!

2009年9月28日月曜日

ニュートンだけでなく、多くの人が見ていた


コロンブスの卵と同じで、誰かの所業をみたら、なあーんだ!といとも簡単そうに思えることは沢山あります。そこには眺める側の視点の次元が問われますが、謙虚さが失しなわれた状況では、概ね感動が少なく、上から目線で知ったかぶりモードに染まりやすいということをくれぐれもお忘れなく。

2009年9月25日金曜日

空き缶も人生も投げたらアカン


公共広告機構のCM、あるいはどこかののど飴のCMもどきですが、アカンものはアカン。四の五の言わずに理屈なんぞは抜きにして、しかと思考の根幹に躾けの根を張らせたいモノの見方のひとつのパターンです。投げてしまったら取り返しがつかないもの空き缶と人生以外にもいっぱいありますが、、、。

2009年9月23日水曜日

メモもとらずに、機会を逃す


大切な話や、重要な内容に限らず、できる限り、人の話はメモを取って聞きたいもの。せっかくの貴重なアイデアやヒントやアドバイスを聞き漏らして、忘れる愚行だけでなく、メモを取る姿勢を通して形成される謙虚さ、熱心さ、それらが話し手に与える計り知れない好感度の喪失は悔やんでも悔やみきれない。

2009年9月21日月曜日

答えると応るえの大きな違い


同音異義語の多い日本語ですが、答えるの方は呼びかけに返事をするとか、質問に答えるという意味。ところが応えるの方は何某かの要望に対して報いるという意味になり、受け止め方の幅や奥行きがグーッと広くなります。さらに英語のソリューション・解決までも視野に入れて顧客満足を目指す次第。

2009年9月18日金曜日

友達をみれば、わかること


ヤドカリは自分の体に合わせて貝殻を選ぶといいますが、人間関係も同じようなもの。だいたい、その人のまわりにどんな人がいるかで、その当人の値打ちも決まるようです。どうやら私たちは自分と似た相手とつるみたがるもの。最近近づいてきた人、離れていった誰か。自身の価値の点検に一役買いそうな話です。

2009年9月14日月曜日

顔色かえずに、顔つきを変える


赤くなったり、青くなったり、事あるごとにオタオタと顔色を変えて右往左往したくないですね。いかなる状況にも凛とした態度で向き合う自分設計の基礎はなんといっても日頃からの顔つき。怠惰な生活がメタボな身体を育むように意思なき顔つきは成長ラインにのりませんよ。

2009年9月11日金曜日

あきらめない、あきらめない、絶対にあきらめない


スポーツの世界のみならず、実業界にあっても多くの成功者が一様に口にする台詞のひとつがこれではないでしょうか。ネバーギブアップ!何度、失敗してもあきらめない限り、その挑戦は継続中という事実。不思議なもので誰かに止められてあきらめるのではなく、限界を決めるのは自分みたいですから。

2009年9月9日水曜日

善とは後味の良いこと、悪とは後味のわるいこと


たしか、ヘミングウェイのお言葉です。なんとはなしに胸を去来する後味がさわやかで柑橘系である場合は誰が見ていなくとも天に向かって、どうだ!と清々しくニンマリしたいもの。反対にどれほど理路整然と正論を振りかざしてみても、口の中が粘つくような後味はやがて体内を蝕む悪の始まり、はじまり。

2009年9月7日月曜日

上手くいったら、おかげさま。失敗したらお互い様


その昔、職場の中に<成功したら自分の力、失敗したらあんたのせい!>を豪語する兵がいらっしゃいました。よくしたもので早々に組織を離脱されましたが、口先や上辺はともかく、本音の底の底で、こういうものの見方が毅然と胸を張っていないと、墓穴を掘ることになるということを痛感する秋の世代です。

2009年9月4日金曜日

見知らぬ天国より、住み慣れた地獄


とかく、知らないことはご遠慮したいと思うのが人情というもの。行った事も見たことも無い天国なんか、恐ろしくて恐ろしくて。それに比べたら、長年慣れ親しんだ現在の環境はたとえ、それが地獄であろうとも勝手知ったるが故の安堵感がたまりません。ってなことになっていないか、点検の視点をお忘れなく。

2009年9月2日水曜日

百年、止まない雨は無い


人生良いときもあれば、集中豪雨のような時期もあります。しかし、過去の歴史を紐解いてもこの地球上の歴史の中で百年、降り続いた雨はないように、いかなる苦境の厳しい雨も必ず、穏やかな日差しの朝や午後のまぶしさ、満点の夜空の星にひと繋がっています。希望を捨てるな、ということです。

在りての厭い、亡くての偲び<アリテノイトイ、ナクテノシノビ>


水や空気が当たり前のように、家族や職場の仲間も、あるいはペットだって、長年生活空間を共にしているとその存在自体がいつのまにか至極当たり前となり、時に疎ましかったり、面倒だったり。ところがそんな誰かがいなくなってみると、初めてその価値の重大さに気づくのが凡人の凡人たるゆえん。