2010年9月20日月曜日

人、そこ、意味<コーチ>

かねてから興味はあったものの、なかなか敷居が高かった<加圧トレーニング>を本日、初めて体験してきました。まずは問診表みたいなアンケート記入からでしたが、これをよく見ると、そもそもそれなりに健康状態が良くなければ、やらせてもらえないということが判明しました。

おかげさまで年齢的な側面以外は大きな問題もなくクリア出来ましたが、今年の初めに味わった、50肩の苦しみの最中なら、到底不可能でした。
さて、約1時間のコースは完全にマンツーマンスタイル。まずは身体や姿勢の点検からスタート。
その中で当方の様々な課題を指摘して頂きながら、徐々にトレーニング開始

手始めの腹式呼吸や腹筋の仕方などは、わかっているようで案外、いい加減なあたりを丁寧に実習。
しかもわかりやすいお手本つき、その上、当方のやる気が出るような実に上手で温かい励ましのフレーズつき。

そしていよいよ、加圧。まずは腕にベルトを巻いて、圧力調整。じんわりと指先がしびれるような感覚のまま、コーチの励ましに支えられて、指示された動きを実践すること約7分。これでおしまい。二の腕対策という過酷なオーダーなのに、こんなに短時間でいいの?とビックリです。ベルトを外して、肩や腕のリラックスのためのストレッチや軽いほぐし技を施して頂き、あっという間に上半身修了。

続けて足の付け根にベルト装着。こちらはかなり強く感じる圧力で、下半身強化メニュー。こちらも時間的にはほぼ同じ。
たしかに難しい動きもありますが、思っていたよりかなりラク。

これでそれなりの効果を得られるならば、プロのアスリートならずともトライしたい気持ちは十分理解できます。
しかも、こちらの状態や様子に細かく眼を配りながらのレッスンならば、マンツーマンスタイルは必須!と体験して強く実感した次第。

目の前の相手の願う何かを叶えるために智恵と技と仕掛けを操作し、巧みに励まし、ほめてくれるコーチは人がそこにいる意味をもっともわかりやすく語ってくれる存在なのかもしれません。
スポーツの秋に向けて、なにやら良いスタートがきれそうな予感がします。

2010年9月15日水曜日

人がそこにいる意味!キャディさんの場合

一気に秋の到来です。その嬉しさをかみ締めるように、京都の南に位置し、先般、関西オープンの舞台となった名門ゴルフコースに行ってきました。
昨今のゴルフはホームコースを含め、ほとんどセルフプレイですが、こちらは当然、キャディさんつき。お連れ下さったメンバーさんともかなり親しいベテランキャディさんがお世話くださいました。おかげさまでセルフとは異なる醍醐味満喫!と言いたかったのですが。そうはいかないのがおもしろいところでしょうか。
この、キャディさん、実にいい人なのですが、動きが全般的に緩慢かつ、消極的。
ティーショットの行方はしっかり見届けてくれますが、2打め以降のクラブはほとんど持ってきてはくれません。幸い、自分のクラブは自分で何本かを持って移動するクセが身についているため、何ら支障はないものの、時折ふと、疑問がよぎります。
このキャディさんの役割は何なのかと?
強いて申せば、グリーン上の的確なアドバイスは確かにありがたく、スコアの向上には大いにお力添え頂きました。
うーーん、でもそれだけでいいのだろうか。もちろん、バンカーの砂を直したり、打ち終えたクラブを拭いて戻したり、、OBの折に声を張り上げたり、、、ってなことをやってないわけじゃないけれど、さすがにキャディさんがいると違う!とつくづく思えるような瞬間は残念ながら1度も訪れませんでした。
たまにしか伺えない名門コースは当然、料金もお高くて、キャディフィーもお高い。その高いなりの金額に見合うサービスなり、情報や技術の提供がなければ、需要が低下するのは当然の成り行き。
間口の狭さ、敷居の高さが『やっぱり違うな』という格式の差として真に評価されるためには、さらにはキャディという仕事がプロのポジションとして正しく評価されるためにはキャディさんの知識や技やもてなし力とその発揮の仕方が重要なカギを握っているはず。
人がそこに存在するのはそこに人が必要だから!という至極当たり前の意味を真摯に受け止め、実践出来なくなったとき、そこに人は不要という未来が拓けてしまうのは当たり前すぎて悲しい。

2010年8月30日月曜日

残暑つれづれ

残暑お見舞い、申し上げます。お盆が過ぎ、8月ももう月末と言うのに猛暑日は全く衰えを知りませんが、朝夕、さらにゴルフ場に吹く風には若干、秋の気配が混ざるようになって来ました。非常に喜ばしい限りです。炎天下のラウンドで鍛えた体力をなんとか技に転化して一気に上手になりたいと願う日々ですが、なかなかそうは問屋が卸さない、ゴルフ事情。昨日の月例競技も万全の体制で臨んだにもかかわらず、ナント言うことのない、いつも通りの成績。まもなく迎える企業対抗の決勝戦への闘志も萎えそうな有様です。とはいえ、足掛け9年。毎年、夏の恒例行事となった競技会に向け、今週は最後のあがきを試みたいと思っております。でもって、それが終わりましたら、ちゃんと仕事モードに切り替わりますからと、関係各位に頭を下げる日々。そういえば、シャネルのビューラーの件、以来のブログとなれば、その顛末もご報告せねばなりませんね。さる、8月13日、開店と同時に駆け込んだ、高島屋1階化粧品コーナーのシャネルの売り場には、その段階でおよそ30名強の行列が出来ていました。いささかビックリしましたが、並んで待つこと30分。その間にも当然、行列は増えていきますが、おかげさまで、お一人様限定3個の話題商品をしっかりゲット。そして、またもやそのビューラーはその日のうちに完売とのこと。食べるラー油しかり。日清のカップヌードルライスしかり。ワコールの小さく見せるブラしかり。顧客の望みに応えるヒット商品がそこかしこで元気な消費の産声を聞かせ始めています。と言うわけで、元気な秋に期待しつつ、元気よく残暑と戦いましょう。

2010年7月29日木曜日

シャネルのビューラー

昨日は年に1度の健康診断。結果は約2週間先に届きますが、その間はそれなりにドキドキしつつの日々です。どうぞ、大きな衝撃もなくクリアできますように!と願うばかりです。さらに立派な更年期世代としては【老けない、太らない、ふてくされない】の3Fを合言葉に、元気な50代を全うしたいと願っておりますので、アンチエイジングの時流にしっかり乗っかりながらできる努力は惜しまない覚悟で臨む所存です。そんな訳で、半日ドッグの検査の合間に手にした女性誌の記事で見つけたのがシャネルのビューラー。この6月、アジア人向けに開発された優れものらしく、そこらのビューラーでは言うことを効かなくなった中高年のまつげもバッチリともちあげてくれるらしい。これは良い!と早速、高島屋さん1階の化粧品コーナーへ直行致しました。が、しかし、なんとこの品、只今品切れ中。ビューティアドバイザーのオネエさんに詳しく教えてもらったところ、発売初日にして完売。次の入荷は8月中旬で、人気商品のため予約も不可とのこと。それにしても恐るべし。情報はかくして行き渡っているものかと痛感しつつ、世の中にはまだまだ未解決ニーズのいかに多いかを感じさせてくれる一幕でした。ちなみに8月中旬はいつなのか。実は売り場には告知POPがありましたが、これは秘密。なんとしても売り切れる前にゲットしたいという魂胆が見え見えですが、切羽詰っていない場合には参戦をご遠慮頂きたいというきっぱりした決意も込めて、でもヒット商品のことは話したい!という、これぞ、立派な中高年の証かと自負しております。

2010年7月20日火曜日

大人の責任

当たり前すぎて、大人が気にしない大きな課題のひとつは【返事】です。ブログのみならず、ありとあらゆる場面でこのことを問い続けておりますが、自分自身の実践という課題も含めて、さわやかな良い返事の重要性はまだまだしっかりと認識されていないのが実情です。ちなみに相手の問いかけ等に反応することを英語では<レスポンス>と言います。その反応の基本が返事であることは言うまでもありません。また、実行レベルにおける能力のことを<アビリティ>と言います。そして反応する能力=すなわち二つの言葉があわさって<レスポンシビリティ>となります。この意味はご承知の通リ、<責任>です。つまり、相手に対してきちんと反応を返せることが大人の責任ということになります。出来すぎや!っと思ったのは、何より私自身ですが、この小さな責任を全うする覚悟を示すのが返事だと考えるならば、どんな場面のどの返事も疎かには出来ないと決意することになるはずです。夏本番を迎えて、体温を上回る気温に意識も朦朧としそうな気配ですが、こんなときこそ、基本が大事。心の背筋を伸ばすためにも気持ちの良いさわやかな返事の実践をおすすめします。

2010年7月14日水曜日

ちゃんと返事、していますか?

昨日、南座でOSK日本歌劇団のレビューを鑑賞してきました。トップの桜花昇ぼるさん、カッコ良かったです。アンコールのご挨拶で京都南座はナント、52年ぶりと仰っていました。ってことは、おそらくご本人はまだ、この世に生を受けておられないくらい昔ですね。おかげさまで私は物心のつく頃あいですが。さて、その物心のつく3歳くらいまでの間に徹底しておかなければならないのが、返事の習慣です。いつ誰にどこで呼ばれても「はい!」と気持ちよい返事が出来るかどうかは、幼い頃の躾けの精度に大きく関わります。如何せん、今頃そんなこと言われてもという各位に置かれましては、今日から固く心に決めてしっかりと感じの良い返事をする。上も下も役職何ぞ関係なく、厳しさの原点はこうした基本の徹底からしか身につかないと私的には思っております。たまたま、昨日は幕間の小腹対策にミスドのドーナッツを購入して持参しました。さて、その際に、ドーナツとアイスコーヒーをひとつの袋に入れて貰えないか尋ねましたが、カウンターの向こうからは返事がない。たしかに担当のお姉さんはレジでお釣りの算段中なのでしばし待つ。お釣りを受け取った際に何か言ってくれるかと思いましたが、またもや反応なし。そっか、そんな袋はないのかとあきらめかけたら、いきなりフタをしたドーナツのパッケージを開けはじめました。あれ、入れ替え?、いや、そんなに時間ないし、いいよもう!と内心イライラしつつ言いかけたら。どうやら、、フタを平たく折りなおしてその上にアイスコーヒーを載せて、ひとまとめにしてくださる!という作業でした。結果、めでたく袋ひとつにまとめてくださいましたが、その間、反応がないのでかなり不愉快なひとときでもありました。思えば、はじめの問い掛けに「はい」と反応さえしてくれていれば、こちらは安心できたものを!惜しい。返事ひとつとあなどるなかれ。こんな簡単なことも出来ないのにその先が出来るはずがないのです。

2010年7月9日金曜日

テンションダウンの悩める現場

入梅からしばし、、、、ご無沙汰しておりました。実は先月末に13年間、生活を共にした我が家の愛犬バレンが逝き、その看病やらお別れやら、なんやかやで忙殺されておりました。そして、とにもかくにも悲しい6月が終わり、7月の声と共に世間はサマーセールの始まり始まり。気分転換も含め、既にかなりのショップを回遊しておりますが、本日は久々に京都駅界隈に出没してまいりました。で、もって立派な某店舗の某メンズコーナーでダンナと2人でベルトをチェック!お手頃でかなり気に入った一品をほとんど買う気で試しておりましたら、ほんのちょっと汚れ?を発見。ちょうどタイミングよく声をかけてくれた女子販売員さんにこの旨、質問してみたところ、、、、。「ああ、そうですね、、、」とうなづいたきり、それ以上、何も語らずに質問のためにお渡ししたベルトをくるくると巻きながら元に戻しつつ、一切こちらのほうをご覧にならなくなりました。何なの、この空気。セール商品に文句つけてはいけませんか?という空気。それとも、面倒くさい客って意思表示?それとも、汚れてるから買わないんでしょ!って決め付け。この展開には正直ビックリしてしまい、2人で顔を見合わてしばし、ボーゼン。おかげさまでどんどん買い物のテンションはダウンして、何も買わずに不満だけ背負い込んで戻りました。売り上げ低迷の打開策に頭を悩ます各位におかれましては、何卒、こうした現実を如何に吸い上げるか、更なる智恵の搾り出しが急務です。あらためて現場課題のマジ!?に直面した本日、やっぱり原因も答えも現場に有りを痛感した次第です。

2010年6月21日月曜日

個人的な、ちょっとした奇跡体験

6月19日は我が家の第31回目の結婚記念日。このおめでたい日にいつか、水谷カップという名称のプライベートコンペを実現したいとかねてより願っておりましたが、一昨日、それが叶い、無事開催することが出来ました。おかげさまで梅雨の最中ながら、当日はまさかの好天に恵まれ、主催者はじめ参者各位の強い願いが天に届いたとしか思えない奇跡のような1日でした。とにかく何をどう調べても、最悪の予報が繰り返される前日までの数日間。まさか、予報が土壇場で覆されることになるとは。しかもそれが嬉しい的中になるとは。全く持って個人的な事態ではありますが、こんな奇跡体験にただただ感謝している次第です。当日は顔を会わせるなり、晴れ男、晴れ女を自慢する輩ばかりでしたが、嬉しさのあまり誰もがお互いの能力を称えあう始末で、さながら超能力者の集会という有様もきっと貴重な思い出の語り草、間違いなし。もし、当初の予報通りの激しい雨であれば、きっと誰もが無口になったであろうことを痛いほど予測できるだけに嬉しさもひとしお。本当に感謝しかありませんでした。さて、楽しく、賑やかなゴルフと成績発表で盛り上がった茶話会が終了したのは、午後6時過ぎ。それぞれに荷物を積み込み、気分良く家路に着こうと段取りを始めた頃、まるでその時間までグッとこらえていたものを吐き出すように、突然、雨が降り出しました。これにはさすがに全員が一瞬、無言で顔を見合わせて、静かにビックリ。雨が降らなかった奇跡と降った奇跡のダブル体験にしばし、言葉にならない何か感じたひと時でした。まさに【何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙溢るる】

2010年6月14日月曜日

イカリガタの五十肩

【怒らないこと】という本をただ今、読んでおります。著者はスリランカのアルボムッツレ・スマナサーラという方。結構、売れている本のようですが、今のところ、ごもっとも、、、と頭を垂れつつ素直に読み進んでおります。この本を手にした理由はやはり自分自身の課題として、かねてより、薄々、怒りっぽいのではないかと危惧していたからですが、さらに加えて、年々その度合いが色濃くなるようで、、、。このまま放置してよいものか。いや、良いはずがなかろう!という次第です。しかも怒りに関しては、なんとなく、あんまり怒らないほうが良いのだろうなと感じてはいるものの、怒ることがなぜ、そんなにも不都合なのか。と問われれば、声高に!と明言できる根拠を持っていないからです。たとえば、怒ると血液中の酸性濃度が高くなるからイカンのだとか。怒ると息が毒性を持つものに変化して、自身の身体に悪影響を及ぼすからというエルマーケイツの説だとか。若干の気づきはあるもののいずれも決定打になっていなのが現状です。たしかに世の中にはあんまり怒らない人も大勢いらっしゃれば、ちょっとしたことなのにすぐ怒る人も沢山!だいたい、人間、年をとれば自然に角が取れて丸くなるものと信じておりましたので、怒るということもごく自然に減ってゆくものと考えていたのですが、、、あにはからんや私及びその近しい周辺関係者はなぜか、年年歳歳、怒りっぽくなっている気がいたします。イカリガタという状態が怒りのために肩が上がった状態を表わす言葉であることに気づいたとき、そうか、だから肩が必要以上に上がらないように動きを封じるが如く、四十肩、五十肩になるのでは?という仮説を思いつきましたが、、、見事に五十肩に悩まされた今年前半。果たして因果関係は有るのでしょうか?

2010年6月13日日曜日

貴重な学びのご報告

思いがけず疾病自慢になった前回ですが、おかげさまで丸1年の歳月を要した歯医者さん通いが昨日を持って、やっとピリオドとなりました。思い起こせば1年前の6月初旬、治療直後の歯の痛みに耐え切れず、処置した若い歯医者さんも首を傾げるばかりで、不安感渦巻く中、とうとう我慢の限界からあちこちの伝手を頼って今の歯科医を紹介頂き、遠く離れた中書島まで京阪で通い続けた日々でした。うらみつらみや感情論はさておき、結論だけ申せば、根幹治療ミスでしたが、当時は治療が終わったばかりの歯がなぜ、痛むのかわからず、眠れぬままにネットの【歯チャンネル】の常連さんと化しておりました。それにしても、実に多くの患者さんが似たような症状や悩みを訴えておられ、本当に我が身も皆々様も気の毒至極、しかし、その悩みの多さが救いでもありました。自分だけじゃない!という安心感はロキソニンという痛み止めの薬以上の効果を持っていたやも知れません。もっと重大且つ深刻な病に比べれば、かすり傷みたいな事態かもしれませんが、当の本人からすれば、明日をも知れぬ病さながらの非常事態ど真ん中の実感でした。尊敬する御仁の名言である【罹病はしても病気になるな】の実践がいかに難しいかということも身を持って知りました。とにかく、どこかちょっとでも身体の具合が悪いと、すぐに気持ちまで弱るのが凡人の為せる業。そして絵に描いたように見事に凡人の私。そのクセ、【ノドもと過ぎれば熱さを忘れる】のたとえ通リ、調子が良くなると掌返したように図に乗って偉そうなことを言いふらしたりします。貴重な学びをどうか、忘れませんように、願いを込めてここに懺悔します。

2010年6月6日日曜日

不具合のご報告

本日はまず、【ラッキィ水谷さまへ!というメッセージ】へのお答えなのですが、実はこの1年強の事態にはほとんど関知しておらず、誠に恥ずかしながら何も申し上げる素材がありません。初期のころは確かに仕事のせいもあり、それを理由にブログ休眠をやむを得ず!なんて胸を張っておりましたが、、、、その実態は、なんとも体調がたがたの更年期、真っ只中の1年を過ごしておりました。何かの雑誌で<なんだかんだの病気自慢>という連載がありますが、まさにあの実写版状態。手帳を手繰れば克明な記録がありますが、振り返るのもおぞましい限り。まさに身体不具合報告で恐縮ですが、でもせっかくのなので思い切って白状しますと、まず初めは右肩の石化性沈着という五十肩のような症状。安静時に激痛が生じる厄介な事態で眠れない日々。病院やら整体やらに通いつめて最近ようやく回復の兆し。その一方では歯の痛み。しかも歯医者さんに通う度に事態が悪化し、歯の痛みで眠れない苦しみを何十年ぶりかで体験いたしました。我慢の限界を越えて、医者を変更。ようやく原因究明に至って、あれからすでに1年。未だに歯医者さんに通う日々です。さらに抗生物質で腫れをひかせては再発を繰り返す、粉溜<フンリュウ>という呼び名の皮膚疾患。さらには講演や研修が近づくとなぜか、具合が悪くなるノドの調子。究めつけは昨秋に見舞われた<めまい>でしょうか。幸い、症状は2日間の休養とある漢方薬の服用で劇的に回復し、その後、症状が出ておりませんが、なんとも不気味で油断大敵です。という訳でかつて経験したことのない額の医療費控除も体験致しました。しかし、こんな状況下でも<きらきら!>をあきらめない姿勢には何卒、ご声援を!というのは、いかにも同情票集めの手合いですね。心から反省します。

2010年6月3日木曜日

敬語の常識

いっぱしの社会人として、組織の中で働いているときには常識の筆頭だった敬語。相手に敬意を表わすための言葉使いや話し方はこの時期、新人さんたちには頭の痛い課題のひとつではありますが、少し見方を変えれば敬語ほど有り難いものもありません。なぜならお互いの関係性が敬語のおかげで常にクリアに反映され、誰とどう向き合えば良いのか、自ずと見えてくるからです。ところが世の中にはその敬語がほとんど通用しない環境もあるのですね、、、。結論から申せば、ごく普通の暮らしの中では敬語はどうも不便な代物らしい、ということが最近わかってきました。たとえば、ご近所さんとの会話を筆頭にゴルフ場でご一緒する方々やスポーツクラブの顔馴染み。スーパーのおばちゃんに、酒屋のおかみさん。若そうに見えてもそこそこの年齢だったり、逆に年下なのにやたら貫禄があったり。つまり、相手の情報が十分に得られない環境下で、敬語を駆使することは非常に難易度の高い課題なのです。なので、いつのまにか誰に対しても対等な口の利き方なるものが育まれるようです。故に徹底して距離をおきたい相手ならば、敬語を貫けばそれで事足りますが、親しくなってみたい。あるいはもっとフランクに会話したい。でも失礼では有りたくない、、、と考えれば、考えるほど、敬語レスの状況へと向かう次第。ところがその一方で敬語体質に慣れ親しんだ耳には、フランクな話し方の獲得以前に敬語ではない話し方への受身の獲得が急務でもあります。なぜならば、どうみても年下の誰かにメチャ、馴れ馴れしくタメ口で迫られると、悲しいかな、ムッとしてしまうからです。こうして考えてみると、社会的な地位や肩書き、年齢、立場、顔色?などで相手を分別し、敬語を使うことで穏やかな対人関係が築けるなんて、どれほど容易く有り難い事か。敬語の常識、見方ひとつでずい分、変わりますね。

2010年6月1日火曜日

きらきらスタイル研究所

京都流がリニュアールされて、すでに1ヶ月?そろそろ、復活させて頂くつもりが伸ばし伸ばしで、とうとう6月と相成りました。元々、気になることを先延ばしに出来ない性質なのですが、、。不思議なことに最近は気になることを先延ばしにしている事実を見逃すことが得意になってしまったようで、どうもいけません。これを年のせいにするようではもっといけませんし、やがては誰かのせいや、状況のせいにするのが非常に上手になりそうで、どうにも悩みは尽きません。おそらく、長女、A型、という観点からすれば、きちんとしていたい度が高いはずなのですが、みずがめ座、九紫火星、と来ると多少は大胆且つ大雑把でありたい度が微妙に巾を利かせ、状況に応じて都合よく、双方の性質がせめぎ合う昨今です。そもそも占い師になりたかった過去からしても人間観察、洞察への興味関心と統計学的分析やそこから生じる未来予測には今もって深い関心があります。幸い、この春、やっとホームページを開設し、その中で【きらきらスタイル研究所】を創設いたしましたので、いつもきらきらと輝いて今を生きるために、あるいはそのスタイルを確立するためには何が大事なのか!あらゆる観点から、それを考え、掘り下げ、時に提案してみたいと思っております。究極の狙いは、はっきり言って自分の輝きのためにこそ、かく有りたいと願うことを明文化する!という決意表明グラウンドでもあります。今出来ることを先延ばしにせず、コツコツと!を出発点にトライいたします。どうぞ、時々、覗いてみて下さい。