2007年6月30日土曜日

まるでダメなら、、、。

現在、インドネシアでお仕事中、しかも単身赴任中の先輩が出張兼休暇で
日本に戻ってこられ、先日ゴルフをご一緒いたしました。

この4月で齢62歳を迎えられたそうですが、とてもそうは見えず、毎週の休日には「することがないから必ずゴルフ場にいるよ!」とおっしゃるだけあって、日焼けした肌が若々しさに一層拍車をかけているのかもしれません。

さすがに往年の切れ味鋭いショットは今回はあまりは拝見できませんでしたが、
かの地の仕事が契約更新で継続決定!とのことらしく、ゴルフ仲間で年内にはお邪魔しようという話で大いに盛り上がった1日となりました。

それにしても若い頃から世界中を飛び回ってこられた強みはなんと言っても語学力。英語と中国語を軸にいくつかの国の言葉が話せるのはうらやましい限り。

加えて、生来のおしゃべり好き。さらに久々の日本で日本語トーク。
朝からラウンド終了後のティータイムまで続いた<機関銃トーク>は
一切の疲れを見せないハイテンションで、これもまた若さの秘訣でしょうか。

おかげさまでゴルフは4人一組のため、1対3の聞き役分担が可能となり、
なんとか3人がかりで元気溢れる楽しい会話に付き合えた次第です。

それにしても、この先輩は昔から変わりなく楽天的でいつも上機嫌です。
冷静に考えてみれば、この年齢の日本人男性にあっては非常に稀な存在かも。
あらためて、素直にその底抜けの明るさの徹底力に尊敬の念を抱きました。

ミスショットをした先輩が「今のショットはまるでダメだね!」と明るく
反省されたので「めずらしいですよね」とまともに返答したら、「まるでダメなら三角はどうよ!って突っ込んでくれなきゃつまんなーい」と諭される始末。

実年齢より精神年齢!不機嫌より上機嫌。ローよりハイテンション!
いろいろな嬉しいガツン!を頂いて、元気な7月を迎えられそうです。

2007年6月29日金曜日

希望に添えないとき

世の中には間違いなく意思決定の素早い人とそうでない人がいらしゃいます。

良いとか悪いではなく、タイプの違いと申しますか、先送りが苦手なタイプと
それが苦にならず、棚上げのままで過ごせるタイプに大別できるようです。

しかもそれは判断材料の量や質に左右されず、早い人はいつも早い。
遅い人はいつも遅いと言う傾向を強く保有しているように思えました。
この見解はかつてのサラリーマン時代の個人的体験に基づくものなので
あえて過去形表現に拘りましたが、世間一般はいかがなものでしょうか?

だいたい<巧遅拙速>という言葉があるように、取り繕った分、遅くなるよりは、稚拙であっても速い情報の方が重要ということだと思いますが、その流れで即決即断なんてことはめったになかったように思い出します。

たしかに正直どうしたらよいのか、本当に悩んでしまうことも多く、
いっそ<好き嫌い>で決められたらラクなのにと誰もがしばしば思います。

そして、これが案外まぎれもないひとつの<意思決定の本質>だったりします。

となれば、意思決定が早いということは見方を変えれば、日頃から好き嫌いがはっきりしているってことになるのかもしれませんね。
故にグズグズ悩むことなく、即座に選択可能ということなのでしょうか。

自身に照らせば、かなりの確率でうなずかざるを得ない仮説ではあります。

さて、残念ながら相手の希望には添えないという意向を込めて断る場合、
「ご希望に添えず、申し訳ございません」や
「ご要望通りにはいたしかねます、申し訳ございません」と言いたいですね。

ハナから不可!であっても、「できません」「無理です」「ダメです」「やってません」「ありません」とぶっきらぼうに言われたら人間関係にひびが入ります。
ちょっとしたい言い方の中にラッキーの種を育む肥料が隠れていそうです。

2007年6月28日木曜日

即答できないときのフレーズ

昔から<急ぐ仕事は忙しい人に頼め>と申します。
一見、無茶な注文のようですが、不思議と真理をついた視点で
実際、合点のゆくことが多くあります。

たしかに忙しい人ほど要領が良いからなのでしょうか。
<イエス、ノー>のジャッジも含めて反応が素早いことは確かです。
グズグズ、モタモタと悩まない分、結果としてその仕事にかけられる
時間の総量が多くなることも幸いするのかもしれません。

即断即決、パッパと決めることはひとつの才能のようですが、もしかすると
決して先天的なものではなく、ある意味、習慣の産物ともいえそうです。

そういえば、サラリーマン時代に<誘われたら断らない>という黄金律を
実践している先輩がいらっしゃいました。
それはそれで凄いものがありまして、ありとあらゆるお誘いに対して
この基本姿勢が決まっていれば案外、ラクかもしれません。

いついかなる案件も予定が入っていなければ、答えはイエス。
先約があればノー。単純明快にしてなかなか見事なスタンスです。

<ウーン、どうしようかな?>という気分をハナから排除する姿勢の徹底は
潔く清々しさすら感じたものですが、体力的には相当厳しいものがあります。

さらにビジネスにおいては、我が身の体力やスケジュールだけを考えて、
その場で判断できることは少なく、即答出来ないことも多々あります。

誠実に対処したいと思えば思うほど、慎重にならざるを得ないこともあります

そんな状況下で中途半端な即答はむしろ無責任とも言えます。
そこで、そんな場合に使いたい定番フレーズは誠意を込めて
「いつまでにお返事を差し上げればよろしいでしょうか」あるいは
「お返事は今でなければ、いけませんでしょうか?」と問いかけます。

2007年6月27日水曜日

立派な理由のない時の断り方

だいたい何事に関しても文句が多い!ということは、よく言えば、
度胸があって、気付きのアンテナがしっかりしている証拠です。

そもそも何某かのしっかりした見識とか、判断基準が確立されていない場合は
文句の種が見つけられるはずもなく、言いたくても言えないのが普通。

極論すれば、重箱の隅をつつくようなクレームは、出来れば御免こうむりたいものの、
かなりの見識がなければつつけないコーナーともいえます。

そうは言いつつ、逆に悪く言えば、ただの文句好きという場合も往々にして見受けられます。
好き嫌いが激しくて、わがままというだけかもしれません。

日頃、どちらのウエイトが高いのかという微妙なバランスで
その人物評価は天地ほども変わってしまうだけに大いに気をつけたい処です。

日々、立派な大人を標榜される方々はおそらく文句の言い方ひとつも
ただ、言えばよいのではないことを熟知なさっているが故に、
喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、そのたびにストレスが溜まる図式です。

そして何かをピシャリと断ることもまた然り。決して容易ではありません。
とはいえ、断らなければ、また別のストレスを抱え込むことになります。

そこで立派な理由はないけれども、なんやかやの雑事に追われているために、
お断りしたい時には、「今、取り込んでおりまして」や「今、ちょっと手が離せなくて」や
「今、忙しいので」という言い方が一般的に便利です。

この場合にもクッションフレーズとして<申し訳ない>を先に添えれば、
今は勘弁して欲しいという低姿勢のニュアンスが伝わりやすくなります。

但し<その場しのぎの方便>と絶対に取られたくない場合には、<今はダメ>だがいつならば可能という意味で別の提案を添えておけば誠意が伝わります。
「いま、バタバタしていますので、夕方にお願いします」という具合です。

2007年6月26日火曜日

上手にNOを言う練習

<大人の話し方>として土台に問われる認識のひとつは
間違いなく<お互い様に平等、対等>という視点ではないかと思っています。

そしてそれは<もてなす側>と<もてなされる側>の関係しかり。
上司と部下然り。医者と患者においても何ら変わらない根本の認識です。

ところが現実問題としてはその瞬間毎のお互いの立場が最優先され、
妙に偉そうぶったり、卑屈になったりと我身の周辺も忙しい限りの難題です。

特にビジネスにおいてはさまざまな要因から否が応でも力関係が決まってしまいがちですが、それはそれで尊重しつつ、内心は上辺の上下関係に振り回されることなく、微動だにしない自己の視点と姿勢確立に努めたいものです

その揺ぎ無い姿勢が<大人の話し方>の土台として言葉の端々に
品性を漂わせてくれる頂をお互い様の快適のために目指したいものです。

しかもその快適さを損なわず、言いたいことをきちんと言うためには
度胸だけでなく問われるものがあります。
そこで相互の関係性や職場の人間関係等から見て、結構、
難易度の高い課題として<NO>の言い方に注目したいと思います。

ずいぶん以前に<NOと言えない日本人>という本がベストセラーになりましたが、<嫌なことをイヤ!>とはっきり言えない体質を相変わらず引きずる中、
言いにくいお断りフレーズを<大人の話し方>という視点で
媚びず、甘えず、へつらわず、さりとて不快感を与えずに言えたら素敵です。

日常的に活用頻度が高く、便利なお断りのためのクッションフレーズとしては「残念ですが、、、」という言い方があります。

主としてお誘いや依頼事項に対して、何らかの理由で無理だということが
ハッキリしている場合に、この言葉を添えます。
たとえば先約がある場合。時間が取れない場合等、「予定があるからダメです」という前にひと言、「残念ですが、、」と添えるだけで言い方が和らぎます。

2007年6月25日月曜日

グルグル渦巻く疑問

過去に治療した歯に不具合が生じ、そのメンテナンスが契機となって、
この際、そこかしこの気になるところに順次、手を入れるための歯医者さん
通いがここ1年近く、断続的に続いております。

いわゆる<きちんとケアしましょう!>という視点と思い切って
<きれいにしましょう!>の二大路線のため、当然のことながら保険外価格とも向き合わざるを得ず、財布と相談しつつ慎重にお世話になっています。

それにしても歯医者さんのスタイルは環境的にも技術的にも飛躍的に進歩しましたが、<まな板の上の鯉>の気分は正直、何度通っても苦手です。

「大丈夫ですよ!」とどれほど優しい声で言われても、
潜在的な恐怖心には効果はなく、目隠しタオルが顔に乗せられた途端に
ドキドキと心臓が鳴り出しそうな気分は子どものときのまま。

もしかして、そのせいでしょうか?

お医者さんも歯科衛生士さんもいい年をした患者に向かって
どこか話し方が<子ども扱い>に思えてしまうのは。まさか、私に対してだけ?

そう思って、耳を澄ませば、他の患者さんも似たような話しかたです。

お世話になっているとはいえ、それとこれとは別!と考えるのは私だけなのでしょうか。それとも他の人は何も気にならないのでしょうか。
だから誰も何も言わないのか。言えないのか。言っちゃいけないのか。

歯医者さんに行くたびにそんな疑問がグルグル渦巻く体験が待っています。

いずれにしても、そういうことを<文句>ではなく、
きちんと<意見>としてやり取りしにくい<何か>があると思いませんか?
そしてその<何か>と向き合うことが、
<大人の話し方>のひとつの入り口なのかも知れませんが。

2007年6月24日日曜日

犬と話をつけるには(著者:多和田悟)

タイトル:犬と話をつけるには
著者:多和田悟
出版社:文春新書
680円(税抜)

ずい分若い頃から「いつかはきっと!」と願い続けて
密かに憧れていた某老舗エステサロンのメンバーになって早や、3年。

おかげさまでサロンの店長やスタッフともずい分親しくなり、勢い
様々なイベントや会合へのお誘いも多く、たのしい出会いに恵まれています。
もちろん、生来の出たがり気質もあってのことですが、大規模な会で乾杯の発声などの大役も根が好きなので苦にはならず、結構重宝されております。

さて、そうした会合で知り合った、ある素敵なメンバーさんとは
初対面から気が合いそう!と直感し、今では楽しいメール友達です。

この春に出会いがあって、その後、隔週ペースでのやり取りを重ねる中、
あらためて世の中には凄い方がいらっしゃるものと感心させられてばかり。

ちなみに個人情報保護法に触れない程度に、ご紹介してみると
① 妙齢のスタイル抜群の美人の上、気取りない明るい人柄であること。
② この某有名サロンが京都に出店した当初からのメンバーであること
③ 国内に別荘がいくつかあり、季節で暮らし分けておられること
④ご自宅に数百本収納のワインセラーがあること
⑤ ワンコ3匹の食事を栄養バランスを考えて、すべて手作りされていること

まだまだ、挙げればキリがありませんが、
なんと言っても個人的にビックリするのは③と⑤でしょうか?⑤に至ってはそういう資格も取得されているらしく、子犬のときにアトピーだったワンコ達を食事療法で完治させた実績をお持ちですから、素晴らしいとしか申せません。

ペットフード育ちの我が家の愛犬には絶対、聞かせられない話です。

さて、些少の反省を込め、近未来の愛犬の老いに向き合う姿勢構築のため、
あるいはペットと上手に向き合うための学習本としての1冊が今日のお薦め。

<盲導犬クイール>といえばこの方ですね。

2007年6月23日土曜日

後悔ではなく反省

昔から<2度あることは3度ある>と申します。

そこで今でも2度続けて、どこかに手や身体をぶつけたときなどは、
転ばぬ先の杖がわりにわざとどこかにコツンと手を当てて、
3度めの災いを避けるおまじない!みたいなことを致します。

ところが、なるべくしてなる!という昨日のロジックで言えば、だからそうなることは自明の理ってことに気付くことこそが災い回避の王道といえます。

つまり急いでいてもあわてて、いい加減に扱うな!ということだったり。
最後まで手を抜かずにきちんと見ながら片付けなさい!という意味だったり。

そうでなければ、3度目は目先のごまかしで一旦回避できても、
またぞろ似たり寄ったりの出来事に遭遇しますよということのようです。

これって、たとえば何十年も野菜嫌いでお肉しか食べなかったら、中性脂肪で血液ドロドロになります!みたいなことだと考えたら、至極当たり前な話。
だから3度どころか、4回も5回も起こることがむしろ自然です。

おかげさまでこんなふうにいろいろなことが
どんどんはっきりとわかってくるというのも人生キャリアの醍醐味です。

そしてそれは多くの人類の歴史に学ぶことと同様に
一人ひとりの日々の体験こそが教師であるようにも思えてきます。

そういえばお医者様の石原結實氏がシグネチャーという冊子の中で書いておられましたが、<ゆっくり歩く人ほど転びやすく、1度転んだらまた転ぶ>のも足腰の筋力低下の結果に他なりません。

起きてしまった何かをグズグズと<後悔>するのではなく、
2度と繰返さないために原因を見定める<反省>の先に別の未来が広がります。

2007年6月22日金曜日

反省の関所

何事によらず、冷静にじっくり観察をしていると、たまたまそうなったのではなく、なるべくしてなったということがはっきりと認識できることがあります。

これをジェームズ・アレンやオグ・マンディーノなどの人生哲学の大家の言葉を拝借して申せば、目の前の結果は原因があればこその必然であり、平たく申せば、なるようにしてそうなった以外の何物でもない!ってことになります。

どれほど地団太を踏んでも自身の蒔いた種に他ならないと言うこと。

たとえば、約束の時間に遅れる人ってかなりの確率でいつも遅れませんか?

何を隠そう、かつての私自身がまさにそのパターンでした。
そして遅れてしまう事情や理由は、いつも驚くほど沢山ありました。

出ようとした瞬間に電話が掛かってきたこともあれば、予定していた時間にバスが来なかったり、タクシーに飛び乗ったのに道が混んでいたり、電車の故障もあれば、待ち合わせ場所の勘違いもありました。

仕事の時には打ち合わせや会議が長引いたせい、いつも必ず、「だからしょうがなかったのよ!」という何かがちゃんとそこにありました。

待たせた相手に「ごめんなさい!」と詫びつつ、その一方では性懲りもなく
繰返した自己正当化のための責任転嫁は今にして思えば百害あって一利なし。

若気の至りの頃ならいざ知らず、いい年をした<言い訳け上手>なんて、
カッコイイはずがなく、気の毒でしかありません。

何かを謝罪しなければならないときは、ここが肝心要の関所。
何がいけなかったのか、しっかりと自らに反省点を見つけることがとても重要です。口先だけの反省ではなく、「この点がいけなかった」と明解に反省できたとき、「反省しています」という言葉にラッキーの種が宿ります。

それが出来ない間は、似たような過ちが何度も繰返されることになります。

2007年6月21日木曜日

加齢に比例する実感

昨日、放映されていたNHKの生活ホットモーニングの特集は
<愛犬の老いに向き合う>という、なんとも時代を象徴する内容でした。

人間社会のみならずペットの世界にも押し寄せる高齢化現象。

飼い主としてこれにどう向き合うかという様々な取り組みは、飼い主の端くれとしては大いに参考にさせて頂きたい為になる内容でありつつも、一方でここまで平和の究極に突っ走っていいのかという気分も芽生える複雑さ。

何はともあれ、我が家の愛犬ラブラドールレトリバーも
この年末に満10歳を迎える以上、立派な老犬の域に到達しております。
飼い主及び、ご近所さんの間では通称「バレンちゃん」と呼ばれていますが
血統書上の正式な名前はバレンタインと申します。

普段はこの正式名できちんと呼ぶことはめったにありませんが、
唯一、かかりつけの獣医さんにおいてのみ、それで呼んで頂けます。

ちなみにこの獣医さんのスタッフの電話応対は毎回、凄くて驚かされます。

何が凄いかと申しますと、時々、電話をして「水谷です」というだけで
即、「バレンタインちゃんはお元気ですか?」と反応が返ってくることです。
たまたま、水谷という患者は我が家だけなのでしょうか?

仮にそうだとしても、飼い主はともかく、そのペットの名前まで
きちんと諳んじているなんて、凄くありませんか?
いったいどんな工夫があるのか教えてもらいたいくらいです。
もしかすると携帯電話のアドレス登録のような感じで、ペットの名前が
電話機のディスプレイに表示される仕組みになっているのでしょうか?

それならば、どこかの不行き届きな美容院にもぜひ、教えて上げたいものです。

かくして、日々の努力や創意工夫は必ずどこかで評価され、確実に信頼の芽を育むものであることは加齢に比例して濃くなる実感のひとつでしょうか。

2007年6月20日水曜日

誠実に決意をこめて!

梅雨の晴れ間の真夏日モードの本日はオフ!

そこで平日の醍醐味を満喫すべく、行きつけの美容院に予約電話を入れました。
「こんにちは、水谷です。1時からカットとカラー、いけるかな?」

普段なら、これでスイスイとことが運ぶはずなのに
今日は「すみません、下のお名前は?」と聞かれてしまいました。

新人さんかな?と思いつつ、フルネームを名乗って待つことしばし。
すごく久しぶりに保留音を聞かされました。
その挙句、指定した時間に対して「その時間は大丈夫ですけど、、」とのお返事。
悪気ないのはわかりますが、本来は「お待ちしております」と言うべきところ。

長年の固定客に対して、こういう対応ってかなり具合が悪いのですが、
この程度をわざわざ店長に注意するのは、はっきり言って面倒くさい。

とは言え、気持ちの底にうっすらと埃が積もるような不快感は拭えません。
やがて、そのうっすらが何層かになったとき、ドカンと落ちる雷になるのか。
何も言わず、見切りをつけることになるのかはわかりませんが、ちょっとしたことが信頼失墜の契機となることを肝に銘じたいと痛感する瞬間です。

そう考えたら、大小を問わず、クレームを言ってくださるってことは本当に
有難いことですが本気でそう思っていない、気付いていない経営者、管理者、そして当事者も実際はビックリするほど沢山いらっしゃいます。

ピシャリ!と耳の痛いご意見に対して、あろうことか露骨にいやな顔をする!なんてことが朝飯前技にならないようにくれぐれも注意したいものです。

もしこうしたご指摘やお叱りを受けたら、不愉快さへのお詫びの言葉に続けて
誠実に言葉に決意を込めて、「二度と起こさないように気をつけます」
あるいは「今後このようなことのないよう、気をつけます」と言います。

2007年6月19日火曜日

潔く認める言葉

最近、ヒヤッ!とすることの代表選手はまちがいなく自転車の存在です。
以前にも書きましたが、どんどん走行マナーが悪くなる一方のようですね。

歩道を歩いていてスッと後ろから追い越されるときに、
あわや接触!みたいなことが日常茶飯事なので、結構恐いし、危ないし。

さすがに犬を連れていて、歩道を占領して歩いているときには
何らかの合図をしていただけますが、
なんとかならないものかと思案の深まる課題です。

運動神経の塊のような若さゆえの自信過剰の強引な走行は
正直、いつ事故につながっても自業自得といいたくなるほど乱暴でもあります。

反対に見ているこちらがドキドキするようなお年寄りの走行も恐ろしい。

さて、そんな事故につながりそうな<不注意>の種は
自転車走行のみならず、職場でも大小さまざまに存在します。

悪気なく、ちょっとした油断が重なった不注意が原因となるトラブルが
どれほどの大事件になるかは時の運、不運みたいなものかもしれませんが、
「やってしまった!」と気付いたときには潔く非を認める体質が得策です。

自分自身の準備不足や配慮不足、あるいは注意不足のみならず、もう一歩念を押しておけば防げたような点検不足も含めて、そこから生じたミスに対しては「不注意でした、申し訳ありません」と頭を下げるしかありません。

事態の深刻さによっては「私の不注意からどんでもないご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」と謝罪して、最敬礼の90度まで頭を下げます。

「明らかに私どもの不用意でした」や「私の点検が不十分でした」等など。
背筋の伸びた敬礼動作とともにしっかりと謝意を表わします。

2007年6月18日月曜日

咄嗟の醍醐味

<いつでも、どこでも、誰に対しても>サラリと使えるようになりたい
<大人の話し方>は実はコミュニケーション・ストレスの軽減にも効果的です。

なぜなら<自分の意思や感情>をできるだけ正確にわかりやすく、そして上手に、相手に伝えることが出来れば、それだけで話す側としてのイライラ感はゼロに近づき、もどかしさストレスからは脱却しやすくなります。

ところが実際には言いたくても上手く言えない。
あるいはどう言えば良いのか、わからない。適切な言葉が見当たらない。
さらにはこの言い方で間違っていないのか自信がない、等など。

そんな各人各様のもどかしさや気持ちの葛藤が困った表情や額ににじむ汗で
相手に伝われば良いのですが、懸命にうつむいて言葉を模索する態度が
ただ反抗しているかのように見て取られることも残念ながら有り得ます。

こう考えてみると<大人の話し方>の醍醐味は咄嗟の反射神経フレーズで、
まずは揺ぎ無い【誠意】を見せることにあるのではないかと思い至ります。

となれば、困った事態のときほど有効という見方も出来ます。

そこで困った事態に直面した想定で、言葉とその言い方で、
誠意ある<大人度アップ>を目指したいと思います。

たとえば、職場で先輩や上司から、何某かのミスを指摘された場合に
よくある光景は「あれ、おかしいな」や「えっーとこれはですね」と
しどろもどろでゴチャゴチャ言い始めるパターンです。

指摘された通りのミスならば、四の五のいわずにスパッと一言。
「気がつきませんでした」と素直に謝るのが好感度大です。
「気がつかなくてすみません」や「気がつかず、失礼しました」等

さんざん言い訳や弁明をした挙句、最後にこの表現に辿り着くのでは
効果はゼロに等しいと心得たいくらい順番が大切です。

2007年6月17日日曜日

ひらめき脳!(著者:茂木健一郎)

タイトル:ひらめき脳<0.1秒で人生が変わる!>
著者:茂木健一郎(脳科学者)
出版社:新潮新書
680円(税抜)

<大人の話し方>が目指しているものは、結果としての良好な対人関係です。
その良好さがもたらす相互の居心地の良さや
その集積としての快適環境の創造こそが心底、目指しているものといえます。

それだけに初対面の相手以上に身近な職場の仲間や
長いおつきあいの相手とのごく日常的な会話の中でこそ、
鍛えたい課題でもあります。

めったにおめにかからないような遠方からのお客様やご新規様に向けては
出来るけれども、毎日お顔をみるようなご贔屓様には出来ないという
<よそ行き発想>ではなく<いつでもどこでも誰にでも>が至上命題です。

そのための言葉と動作とそして身体の雰囲気。存在そのものが問われます。

考えてみれば、長い時間をかけて連綿と引き継いできた人間育成の根本課題としての<躾>への見直しこそが、お互い様の<快適>創造のために早急に着手せねばならない最重要課題に相違ないという次第です。

どこかのタイミングで受け損ねたバトンを完全に見失ってしまう前に、何も持たぬまま走ってきた距離を勇気を持って後戻りし、そこから拾い上げてしっかり握りなおして、もう1度走り始めることがいま、必要なことです。
やり直す勇気さえあれば、きっと出来ると信じています。

それにしてもグングンと不快指数が高くなるこれからの季節に向けて、
対人関係の不快指数軽減のためには勢い、即効性の高い荒技へのニーズも強まります。そこで本日お薦めしたいのは、不快モードの他人はさておき、まずは自分の殻を自分のために打ち破るための手掛りとなる1冊。

2007年6月16日土曜日

身構えないための心構え

<大人の話し方>を意識するとそれだけで、
いつもよりちょっと背筋が伸びるような感覚が伴いませんか?

ほんのすこしよそ行きの雰囲気で、わずかに背伸びして、
爪先立ちのようなイメージとでもいいましょうか。
やがていつの日か、それが上手に出来るようになるために
誰もが通らなければならないレッスンのプロセスがそこにはあります。

但し、妙に<身構えて>しまわないようによくよく注意したいものです。

それって微妙な違いなのですが、相手に与える印象はずい分異なります。

たとえば、とても偉い方にご挨拶する場合に決して粗相があってはならないからと緊張しすぎると、反ってギクシャクした動きになるようなものです。

真面目に真剣に向き合うことはとても大切ですが、
普段以上のことは俄か繕いで挑戦しても出来るはずがありません。
この前提に素直に向き合えれば、自然体ながらも
精一杯背筋を伸ばした、好感度な身体モードが完成されます。

反対に何とか実物以上に良く見せようとか、虚勢を張ろうとすると、
途端に余計な力が加わって、見事に<身構えた姿勢>が出来上がります。

ちなみに<身構える>という身体には明らかに戦いのモードが存在します。
つまり敵対的交渉の雰囲気を無意識の内に纏っていることになります。

その<身構えた>状態で、心を開いた良いコミュニケーションが
はかれるはずもなく、事態は決してよい方向には向かいません。

相手との良好な関係を真に願うならば、お互い様に<構える>のではなく、
目下に対しては<受け入れる>と思うことがポイント。
目上に対しては<懐に飛び込む>つもりで接する練習が必要です。

2007年6月15日金曜日

言い訳は<百害あって一利なし>

今月も今日で半分経過、折り返しです。

しかも週末の金曜日なのでいっそうキリの良い気分を覚えるのは、おそらく完全週休2日制のサラリーマン時代の記憶の為せる業ですね。

かつ至って個人的な事情ではありますが、来週早々に<ちょっとした記念日>が迫っていることもあり、なんだか勢い背筋が伸びてきそうな週末です。

さて、すっと伸びた背筋は実に美しいものですが、自然体で常時これが実践できるようになるためには、やはり日々の鍛錬が必要です。
同様に<大人の話し方>もよそ行きモードのときだけ使用可ではなく、ごく日常的な場面での実践を心がけてこそ上達も早くなるというもの。

そこで昨日の<言ってもしょうがないこと>の代表選手として、何らかのトラブル発生時の<言い訳>に注目いたします。
<大人の話し方>では原則として<言い訳はいかなる場合も厳禁>です。

「えー、なんで!」とか、「そんなー」とか一切なしで、ダメなものはダメ。
「いえ、それは、、」も「そうじゃなくてですね、、、」も百害あって一利なし。

たとえば遅刻した場合も、何かミスをしてお叱りを受ける場合も、お客様からのクレームも、とにかく何某かの事情で相手から注意されたり、叱られたり、意見される状況に立たされた場合、<言い訳>ほど事態を悪化及び複雑化させるものはないと心得ておきたいものです。

<大人の話し方>としては何はともあれ、相手に迷惑をかけた、不愉快にさせたことに対して、まず素直に謝ることを優先させます。
基本の言葉は「失礼しました」もしくは「失礼致しました」です。

潔く、素直に非を認められる謙虚さは成長のための必須能力であり、最大の栄養素でもあります。ラッキーな体質獲得のためにこれは絶対、早期獲得を!

2007年6月14日木曜日

言ってもしょうがないこと。

今日の京都はようやく梅雨の気配が漂う朝からの雨、しかも1日中雨でした。

せっかくオフのこんな日は<晴耕雨読>がもってこいなのでしょうが、たまたま、あるブランドのゴルフコンペの予定が入っておりました。
もちろん、あいにくの天候にもめげず、元気に参加してまいりました。

ご一緒したメンバーのお一人は齡60歳で会社経営の傍ら、なんと年間100ラウンドをここ10年以上、継続達成されている強者です。

これって、バクッと大まかに考えたら、3日に1度の割合でゴルフをしている勘定になりますね。ということは、当然のことながら、天気の良い日も有れば、雨の日も有って当たり前ということになります。

故に本日のような悪天候であっても一切、文句を言わないスタイルが完璧に徹底されていて、それって最高にかっこいいよな!と憧れております。

なぜならば、今日のような悪天候は誰のせいでもないのに、そういう如何ともしがたい状況においてぶつぶつと文句を言ったり、不平不満を並べたり、挙句はスコアの悪さをそのせいにするような往生際の悪さは責任転嫁の逃げ口上に他ならず、聞き苦しいことこの上ないからです。

少なくとも<大人の話し方>には存在しない課題のひとつと自覚しております。

が、しかし相当、意識して注意をしなければ、内心ではつい弱音を吐いたり、愚痴ったり、文句をつけたりしてしまいがちです。

<言ってもしょうがないことを言わない>ということは簡単なように見えて実に難しく、だからこそ<大人の話し方>のひとつの要素として、「断じて言わない」と肝に銘じておきたい課題といえます。

「ついつい」という誘惑に負けない<強い自覚と決意>が決め手です。

2007年6月13日水曜日

バランス感覚

<大人の話し方>を獲得するためにぜひ意識しておきたいことのひとつは、会話のバランスに対する意識とその実践力ではないでしょうか。

つまり1対1であっても、3名以上の複数であっても、自分が話している時間と人の話を聞く時間のバランス感覚があるかどうかと、それを気にしつつ互角に話したり聞いたりの実践が伴っているかどうかという話です。

これって立派な<自己コントロール>能力のひとつであり、そこがしっかりしていなければ<大人の会話>はなかなかどうして成立しにくいものがあります。

たとえば、困ったちゃんの代表選手は、一方的に自分ばかりが話し続けるというタイプ。聞いているほうの呆れ顔に気付けない鈍感さは見事としか言いようが無く、バランス感覚欠落の代表選手として企業にも実は数多く存在します。

本人が話し上手と錯覚している場合や、話題が豊富と思い込んでいるケースはなかなか処方にてこずりますが、つける薬は今のところありません。

反対に今時の子どものような反応で<別に>とか<特に>という一言で会話を放棄しちゃうような反応もバランス感覚欠落のひとつです。

元来、お互い様の意思疎通のための会話であるならば、できるだけ均等に<話す>と<聞く>の選手交代を行うことが理想であり、それをいつも意識することがバランス感覚獲得のための出発点になります。

すなわち<大人度>が高いということは、いつもどこかで自分を客観的に眺められる習慣が身についているということに他なりませんね。

さて、何かの心配りに対して「有難く頂戴いたします」とさわやかなお礼の言葉を受け止めたら、こちらもさわやかな言葉でバランスを取りたい所。

<大人の話し方>として活用したいのは<どういたしまして!>という表現です。<どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく>という気持ちを込めて言います。
あるいは<ニッコリ微笑んで無言でうなづく>のもナイスな返球です。

2007年6月12日火曜日

準備不足の光景

昨日、視聴者参加型のあるイベントで実に考えさせられるサプライズ体験をいたしました。それは某放送局の番組宣伝のためのPRイベントでのこと。

イベントの基本構成は、その放送局の様々な番組の紹介をトークスタイルで、ゲストとともに掘り下げ、見所や今後の展開に期待を集めたいという趣向です。

構成そのものはまあ、よくある販促企画のパターンであり、たまたまゲストがちょっと人気の若手お笑いコンビということで気楽に楽しむつもりで参加しましたが、全体の司会進行役のアナウンサーのあまりの下手さ加減に正直、ビックリを通り越して、久々に不愉快な気分で途中退席をしてしまいました。

<大人の話し方>のお手本ともいうべきプロのアナウンサーにあるまじき失態の数々はどう考えても準備不足が最大の原因と思われます。

たとえば、ゲストに対する質問が今しがた漫才のネタで披露されていたものにだぶる。あるいは番組PRのために用意されたクイズの答えが、直前の話題の中で周知の事実になる。ゆえに会場は激しくしらけることになる。

あるいはゲストが問いかけた番組への素朴な疑問や質問への答えがまったく用意されておらず、その都度、巧みなゲストの突っ込みや切り返しで辛うじて、その失態が笑いに転化されるものの、お粗末さは隠し切れない有様でした。
これではPRイベントどころか、逆効果の危険性大とご案じ申し上げます。
アナウンサーの稚拙な失態の挙句、企業の信頼失墜にならねばよいのですが。

台本もリハーサルもまったくなしのぶっつけ本番で視聴者を馬鹿にするのもいい加減にしなさい!という怒りをアンケートに書きしるすしか手だてはなく、人様に向かって話す仕事に従事する端くれとして実に情けない思いです。

きちんと何かを話すためには、言葉やその言い方のトレーニング以前に、相手に向き合う真摯な姿勢がいつも問われます。

慣れに任せてその大切な姿勢を見失うことのないよう肝に銘じます。

2007年6月11日月曜日

<いただく>と<頂戴>

唐突ですが、<大人の話し方>だな!と思える人が社内及びご近所、あるいは友人、知人の中にいらっしゃいますか?もしいらっしゃるならば、その方の真似をするのが上達への近道です。

しかしそうは問屋が卸さずで、そんなに都合よくお手本が見当たらない場合はテレビのドラマやニュースキャスターの話し方の中で素敵!と思える方の言い方を真似てみるのも結構楽しいやり方です。

かなりの長寿番組で現在は休憩中のドラマ<渡る世間は鬼ばかり>は、<言葉使いにおいてはとても意識の高い>ものと個人的には評価していますが、そういうつもりで眺めてみれば、身近なところに教師は沢山存在しています。

さて、<どうぞ>と気持ちよくすすめられたり、助けてもらったり、あるいはもてなされたときには受け取る側としてもきちんと誠意をこめて言葉を返したいものです。こんなときに便利な言葉の代表選手が<いただきます>

眼に見える物を頂いたときだけでなく、見えない気持ちや心使いに対してもそれを受け止め、感謝する言葉として使いこなしたい言い方です。

一般的には<ありがとうございます>や<おそれいります>とセットで使い、「あ、どうも」や「どうも、すみません」からの卒業を目指しましょう。

たとえば、職場の仲間からお土産を貰ったときには「ありがとう!頂きます」といいます。これがお客様からのお土産ならば、「ありがとうございます、頂戴いたします」となります。それが物でなく、いたわりの言葉やねぎらいの気持ちを頂いたのならば、「お気持ち有難く頂戴いたします」と言います。

そういえば、<いただく>という字を二つ重ねて<頂戴>となります。
つまり丁寧で大切に敬う気持ちがより強いと言う意味合いです。使い分けに対して明解な線引きがあるわけではありませんが、上司や先輩、あるいはお客様などを意識して、使いこなすことで<大人の話し方>度がアップします。

2007年6月10日日曜日

マズい日本語レストラン(著者:樋口裕一)

タイトル:マズい日本語レストラン
著者:樋口裕一
出版社:雑誌オレンジページに連載中の単行本化
1、260円(税抜)

京都を拠点にしながら東京でも<料理教室>を主宰されている郷土料理研究家の先生に初めてお会いしたのは、たしか昨年の秋の初めの頃でした。

名刺交換とほんの数分の立ち話程度の出会いでしたが、別れ際に「いつでも遊びにいらしてくださいね!」と掛けて頂いた言葉が実にスンナリと耳に響き、その折を楽しみにしつつ、あっという間に半年以上が経過しました。

さて、ひょんなことから、先週唐突に事態がバタバタと急展開して、その先生のご自宅兼お料理教室に初めてお邪魔する機会を頂きました。

お邪魔する名目はむろん、<お料理教室の見学>ということですが、とにかく<美味しい>というお番菜を何はともあれ頂けるチャンスに対して、ここぞとばかりに積極的に飛びついたというのが本音です。

約束のお昼時間にお訪ねするとそこには先生のご指導の下に10名を越す生徒さんたちが手際よく作られたお料理がいくつもテーブルに並び、それをちゃっかりご馳走になりますという舞台装置がしっかり整っておりました。

さらに、そんなお得な役どころの御仁が他にも数名いらっしゃり、思いがけず新たな出会いも頂きながらやけに楽しいランチタイムがスタート。

どうやらこの席には毎回様々なゲストがお越しになるようで、その顔ぶれは名前を聞いてビックリ仰天!というような方々ばかりでした。

場違いもはなはだしいとは思いつつ、うわさに違わぬ美味しい料理に感心することしきり。月初めのお朔日の食物はまさに身体のことを慈しみ、身体を養うための知恵と工夫に彩られたものばかりで、素直に感動いたしました。

そこで本日は<食>を舞台にしながら<言葉使い>の課題を問う1冊をご紹介いたします。

2007年6月9日土曜日

盧山寺さんの桔梗

灯台もと暗しの言葉通り、京都に住んでいるがゆえに環境に胡坐を掻いて、かえってめったに出向かないところが実に沢山あります。

お恥ずかしい話ですが、サラリーマン時代も京都に本社があって、その中で京都通の方に沢山囲まれていたおかげで、さらには人事部勤務のおかげでなんとか人並みに対応が出来ていたものの、そうでなかったらトンチンカンな受け答えをしてしまいそうだったことは枚挙に暇がありません。

たとえば、お土産物のお菓子や食品なども日頃はついついデパートで購入することが可能なため、もっぱらお手軽な調達専門で慣れてしまい、あらためて本店の所在地を問われたり、ご案内することになったりしたら大慌てで、聞きまわること、調べ直すようなことがしばしばありました。

実は昨日、花菖蒲の無料公開で訪ねた平安神宮の神苑にしても、よくよく考えてみれば、10年近く前に会社の仲間とこれまた恒例になっている<紅枝垂れコンサート>の折に夜桜見物で出掛けて以来、とんとご縁が無くて本当にご無沙汰をしておりました。

うす曇の陽射しの中であっても境内の見事な白砂の照り返しのせいで、目がまともにあけていられないような眩しさは平安神宮ならではの体感のひとつとして、遠い記憶の扉がなつかしくノックされた気分でした。

この季節ならではのここから見頃を迎える紫陽花にしても、桔梗にしても名所旧跡が近くに沢山ありながら、まったく持って不届き至極の有様をおかげさまでしみじみ反省しております。言葉を鍛えてゆくためのひとつの大きな源は感動にあり、それを求めれば、美しいもの、今しかないものは一層貴重です。

ちなみに町内にある盧山寺さんはこの冬、節分の鬼さんの行事でもご紹介しましたが、実は桔梗が美しいお庭でも有名です。白砂に点在しての桔梗がほの暗い廊下の先にパッと開ける演出が実に見事な紫式部ゆかりのお寺に休日足を運んでみませんか?おそらく中旬以降が見頃かと思われます。

2007年6月8日金曜日

辞書の中の出会い

午後になって、天気予報通りに雨が降り出し、雷様もゴロゴロと賑やかな入梅モードの京都市内の様子でしたが数時間経過して今はうす曇の空模様です。

さて、本日は恒例の平安神宮、神苑の無料公開日でした。
今が見頃の花菖蒲と睡蓮の競演をたのしみに運良くオフの午前中にいそいそとウォーキングでお出かけをしてまいりました。

観光バスもすでに何台か到着しており、当然京都市民の皆さんも恒例行事として楽しみにされている方も多く、さすがに朝早くから、かなりの人出の中、久しぶりにゆっくりと艶やかな庭園の花たちに囲まれて初夏の気分を満喫。

ただ、花菖蒲はどうやらピークを過ぎた様子がちょっと残念ではありましたが、日頃はなかなか味わえない季節の醍醐味とその雰囲気を無料で堪能させて頂き、ひたすら感謝しております。

そう言えば、ちょうど1週間前の金曜日の午前中には最後の平日にあたるタイミングで見事としか言いようの無い若冲展を拝ませて頂き、今週はまた自然の見事さに向き合えるなんて、やけに贅沢な初夏ではないかとひとりほくそ笑んでおります。

この調子で行けば、来週も何かいいことがありそうです。

ちなみに個人的に大好きな同音異義語で申せば、先週は芸術作品を楽しみに味わうことなので、美術鑑賞や映画鑑賞、音楽鑑賞という<鑑賞>
本日は自然を観て楽しむことから<観賞>と使い分けることになります。

ほっといてくださいと言いたくなる<干渉>もあれば、やけに<感傷的>もあって、言葉は奥が深い。特に<かんしょう>って言葉はあらためて辞書で引いてみて、ビックリ。驚くほど沢山の種類があります。

<感賞>は感心してほめること!とありましたが、おかげさまで使ったことの無い言葉に出会えました。辞書には思いがけないラッキーの種が潜んでいます。

2007年6月7日木曜日

練習はカッコイイ!

たとえば電車やバスの席を譲るときに、スッと立ち上がって、穏やかな表情で滑らかに「どうぞ」と言える人って素直に素敵だと思いませんか?

かつてそんな光景に憧れ、見ず知らずの誰かのその姿に背中を押されるようにして<今度は自分も>って気持ちになれたことが何度もあります。

反対に傍目に見ていても実に惜しいのは、照れくささのせいからでしょうか、せっかくの美しい行為を<たまたま>みたいな風情でごまかしてしまうような光景です。まるで逃げるように席を立っちゃうなんてもったいない。

眼もあわせず、一言も無く、立ち上がった背中に向かって、せっかく席を譲ってもらった方は、戸惑うのみです。喉元まで出掛かった感謝の気持ちの一言を思わず切なく飲み込むような所在の無さは実に歯がゆく残念です。

妙に押し付けがましくなく、さりげなく譲るタイミングの難しさを考えたときの気持ちはわからなくないだけに、ちょっとした一言の練習不足の不甲斐無さが惜しまれてならない瞬間です。

そしてそれが大人や子どもを問わず、人としての<公衆マナーを磨く機会>の重大な損失にもなっているのかもしれないと考えれば一層、無念です。
誰かをいたわったり、思いやったりする<心>をきちんと相手にわかるように<言葉と動作>で伝えることはとても大切なことなのに、<大人の話し方>の基本のひとつとして、なぜ私たちはその練習をしないのでしょうか?

ごく当たり前のようにそんな美しい光景が繰り広げられる環境の中で、それはまた誰かの清々しいお手本にきっとなるはずです。

<どうぞ、替わります>や<どうぞ、おかけください>や<次、降りますのでどうぞ>という言い方を淀み無く、気負い無く、さりげなく、さわやかに言うために<実は毎朝、鏡に向かって練習しています!>と胸を張って言える方が絶対カッコイイ!と本気で思っています。

2007年6月6日水曜日

覚悟を決めて言葉に向き合う

お互い様の<意思疎通を伴う会話>と定義した、コミュニケーションは一般的にはよくキャッチボールにたとえられます。

相互の気持ちや考え方が<言葉>というボールになって、自分と相手との間を行き交うものだとすれば、そのボールをどんなふうに投げるのか、あるいはどんな受け止め方をするのかが、<話し方>とともに<聞き方>の課題ということが出来ます。

こうして考えてみれば、<話し方>はすなわちボールの投げ方ですから、まずはどんなふうに<構えるべきか>という身体の姿勢や、その顔つきから問われる事態が始まっていることにあらためて気付く必要性があります。

そこで言わずもがなではありますが、ちょっと想像をしてみてください。

たとえば5メートルくらいの距離を開けて向かい合った相手とこれからキャッチボールをしようという時に<相手がこちらをみていなかったり>あるいは<こちらの方は見ているけれど、座り込んでいたり>はたまた<いきなりボールを投げつけられたりしたら>どんなふうに感じるでしょうか。突然、目の前にボールが飛んできたら、誰であれ、決してこころよくは思えないはずです。

つまりコミュニケーションのもうひとつの手段である<動作>に総称される<どんな構えで向き合うのか>ということが、どんな<話し方>をしようとしているのかという姿勢を如実に物語るものであることにも思い至ります。

ゆえに<話し方>とセットで鍛えなければ、出来るとはいえない課題です。
<大人の話し方>のスタートキットともいうべき、<どうぞ>と言う言葉ひとつも例外ではありません。それは元来、相手を包み込むハートマークの言葉ですが、実際のところ、そうは思えない命令のような<どうぞ>にも沢山、遭遇します。言えばよいのではなく、言い方も大事と覚悟を決めてください。

単語の言い方が積み重なって<話し方>になるならば、この際、相当意識して心をこめて、原則、笑顔を添えて<どうぞ>の言い方を鍛えたいですね。

2007年6月5日火曜日

笑顔で言いたい<どうぞ>

あえて<大人の話し方>というテーマを掲げた大きな理由は、どうもあまりにも子どもっぽい話し方がビジネスモードにも悠然とまかり通っている現状への警鐘とともに、総体的なボキャブラリーの貧困さにここらで真剣に反省しましょう!という自戒の念もこめての前向きな挑戦という次第です。

大人が大人らしく在ることは、お互い様の快適な暮らしにおいて必要不可欠であり、滑らかなビジネスの進展においては元よりなくてはならず、さらに子どもたちが目指すべき手本としての姿においてもその価値は絶大です。

自らの意思や感情を出来るだけ正確に相手に伝える手段としての言葉と、その話し方にもっともっと真剣な眼差しが大切なのだと願っています。

さて、ビジネスにおいても家庭の中でも、多くの何気ない会話の穏やかさのためにぜひもっと登場させたいと思う1番の言葉は<どうぞ>です。

<大人の話し方>においては、この<どうぞ>がどれだけさりげなく、自然に使えるかがとても重要な課題ではないかとかねてより感じています。
特に相手に何かの行為を促したいときに、いかに感じよくそれを伝えられるかの決め手はこの言葉とその言い方次第ではないかと思えるほどです。

たとえば、お客様をご案内するときに<どうぞ、こちらにおかけください>としっかりと相手の目を見て、しかも笑顔で明るくこの台詞が言えれば、それだけで信頼度はまちがいなくグン!とアップします。

あるいはお茶をお出しして<冷たいうちにどうぞ、お召し上がりください>なんて言えたら、もう間違いなく<大人の話し方>です。

<どうぞ>は相手を思いやる2重3重のハートマークのような温かな言葉です。だから、日常の中で笑顔とセットで沢山使う練習をしてみてください。
ただ、それだけで職場も家庭もきっと飛躍的に気分よく快適になるはずです。

2007年6月4日月曜日

大人の話し方

コミュニケーションを<意思疎通を伴う会話>と定義して、その精度向上に取り組み始めてすでに20年以上の歳月が経過しました。

思えば、誰よりも苦手だったはずの課題にいつのまにか、ここまでしっかり向き合うことになろうとはつくづく人生ってわからないものですが、未だに恐ろしく不出来なおかげで、自らの言動をバッドサンプルにしながら、仕事兼ライフワークとして愉しみながら勉強していきたいと願っております。

それにしても<話し方>は本当に難しいものとしみじみ思い至ります。それはちょうど学問の世界で、<知れば知るほど、知らないことが多いことに気付く>という、至ってさわやかな逆説に似た感覚なのかもしれません。

そんな環境に日々、身を置く故かもしれませんが、先日、ある会合で同席した後輩女性の話し方に終始、不快感を覚えるというめずらしい体験をしました。

俗にいう<声そのものが耳障り>だとか、<滑舌が悪い>訳ではなく、<話し方>そのものは上手な方と評価できます。ではなぜ、不快かと申せば、それは話している内容、すなわち考え方における根本の姿勢がおそらく不快原因の大本であり、それが<話し方>に滲み出た結果であろうと思っています。

彼女の話は精一杯の気配りで周りのメンバーを持ち上げながら、進みますが結局は自分の自慢話にどんどん移行していきます。いかに自分が頑張っているか、どんなふうに評価されているか!こういう<話し方>をオレが!オレが!の<オレガッパ式>というらしいのですが、久々にそんな実物に出会い、あらためて話すと言うことの難しさを突きつけられた気がいたします。

つまり何気なく話しているその<話し方>には、しっかりと自分の内側で考えていることが表れてしまうという難しさです。それはリンカーンの言う<40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て>と同じ視点の課題です。この難易度大の課題に<大人の話し方>というテーマで今日から向き合って参ります。

2007年6月3日日曜日

現代病「ドライマウス」を治す(著者:斉藤一郎)

タイトル:現代病「ドライマウス」を治す
著者:斉藤一郎
出版社:講談社(アルファ新書)
800円(税抜)

さわやかな好天の本日はメンバーコースで年に2回だけ開催される<夫婦仲良しコンペ>に出場してまいりました。夫婦共に会員という方が対象のため、初めの頃は参加者も少なかったようですが、その実態は大きく様代わりし、実に18組の夫婦、36名の参加で賑やかな会となりました。

ミックスドフォアサムという形式で、ティショットだけを全員が打ち、そのベストボールを選択し、以後は交互に打ってゆくというスタイルのため、日頃は個人プレイに終始するゴルフがいささか様相を変えることになります。

もちろん、コンペの狙いは夫婦仲良く協力し合う!ということなのですが、ともすればその正反対の事態にあわや発展のような場面も数多く見受けられ、どちらさまもそれなりの年季の夫婦ならではの遠慮会釈のないバトルが、この催しならではのハラハラドキドキ感溢れる醍醐味のひとつです。

そんな喧嘩ごしのプレイ終了後の懇親会は、支配人のご挨拶から始まり、いわく「ご夫婦で仲良くゴルフを楽しむには、ただゴルフが出来るだけでなく、ご夫婦共に健康でなければならず、その有難さに感謝して、きっと楽しい1日をお過ごし頂いた事と存じます」とのお言葉には全員が俯いて苦笑いです。

仰せの通り、いかなる場合も健康が1番です。その健康の大元として最近、取沙汰されることが多い口呼吸とその影響に関しての1冊をご紹介いたします。

ちなみに快晴のゴルフ場の空はこの季節なら本当はどこまでも青く鮮やかですが、今日は黄砂のせいで終日どんよりと濁った灰色の有様でした。この空気を無意識に口から吸い込むのは如何なものかという強い警鐘もこめて、ご紹介。

あわせて、ご報告。今日は運に恵まれて、ナント優勝しちゃいました、万歳!

2007年6月2日土曜日

きこりとのこぎり

その日になって急に何かを考えるのはとても難しいので、少し早めに話題にさせて頂きますが、6月6日は何かを始めるのに実に良いタイミングです。

ご存知の通り、芸事は6歳の時の6月6日から始めるのが最も良いとされています。そこから広く、習い事全般をはじめるのに最もふさわしい日と言われるようになり、さらに転じて昨今では、お幾つであろうとも、この日に何かを始めると気のせいか上手く進展するようにそこかしこで言われ始めております。

ちょっとした縁起担ぎ気分ではありますが、1年の計の元旦に決意しつつも3日坊主で投げ出したことや、最近ちょっとルーズになってしまっていた何かをこの際、気合いを入れなおす好機として捉えてみては如何でしょうか?

今日は2日ですから、この数日の間にそんなこんなをゆっくりと思案なさってみませんか?現状を静かに眺めつつ、夢に照らして計画を立てる、練る。

ただ突っ走っているだけでは見落としてしまう重要課題がそこにはあります。

そんな時よく思い出すのが<きこりとのこぎり>という寓話です。

《 森の中を歩いていると一生懸命に木を切っている<きこり>に出会いました。少しずつ近づいて行くと、きこりの手元ののこぎりからキーコキーコと切れ味の悪い音がします。さらにもっと近くによって見ると、きこりの手にしたのこぎりがずい分くたびれているのが見て取れます。刃こぼれもしているようだし、錆びついてもいます。そんな切れ味の悪いのこぎりでは頑張っている割に効率はよくはありません。それなのに一生懸命無心でのこぎりを引くきこりに思わず、声をかけてしまいます。「手を休めて、のこぎりの手入れをしたらどうですか?きっと飛躍的によく切れるようになって仕事がはかどりますよ」

ところが仕事を邪魔されたと思ったきこりは、その手を止めることなく言い放ちます。「余計なお世話だ、今日中にこの木を全部きらなきゃいけない、そんな時間はない」そしてただ黙々とのこぎりを引き続けます 》というお話です。

2007年6月1日金曜日

若冲さん、速報

ほんの少し気の早い真夏日のような陽気が影を潜めて、この季節ならではのさわやかな空気が心地よいここ数日の京都です。

そんな中、今朝は本日が期間中、最後の平日となる<相国寺の若冲>を見てまいりました。

幸い自宅から徒歩圏内ということもあって、何度かお出かけの帰り道のついでモードで立ち寄ってはいたのですが、毎回ビックリするような長蛇の行列とおよそ1時間半待ちの看板に気力負けして引き下がっておりました。

が、期間はこの6月3日までとなれば、そう悠長なことも言っておれず、さすがに昨日の午後はついに痺れを切らして、行列の整備やら案内に忙しいスタッフをつかまえて、状況の入念なヒアリングをさせて頂くことと相成りました。

いわく、毎朝、8時前から行列が出来始めるそうです。さらに土日は7時半くらいからそれが始まるとか。その人出の多さから連日、開館をほぼ1時間前倒しして9時には入場開始としているとのことでした。

ならば、ということで本日は8時半に現地着で行動いたしました。たしかにすでに200名ほどの順番待ちではありましたが、これまでに何度か見た光景に比べれば全然空いています。約20分後にはチケットを購入し、長い回廊のような通路を進みきって、会場内は混み合っているとはいえ、スイスイと秘蔵品を拝ませて頂き、本来の開館時間の10時にはすでに帰路につくことが出来ました。

いよいよ大詰めのこの週末に計画をされている場合は、可能ならばチケットは事前購入しておき、(当日券の購入待ち時間だけでもスムーズに入れます)時間はとにかく出来るだけ早朝がおそらく唯一絶対のお薦めです。

昔から早起きは三文の徳!と申します。頑張って早起きしてラッキーな気分で大混雑を少しでも回避されますことお祈りいたします。あるいは相当、覚悟を決めてお出かけくださいますよう近所から重ねてご案内申し上げます。