2007年5月31日木曜日

電話の切り方

ここ数ヶ月、気がついたら真冬の季節の2月初旬から、そろそろ入梅の声が聞こえて来そうな5月の末までの実に4ヶ月に亘るロングレンジで<滑らかな電話応対>に向き合って参りました。

携帯電話の飛躍的な普及がもたらす電話事情の変化やその周辺マナーは眼が離せない事態ではありますが、月末の本日で一旦、電話応対編を一区切りにいたします。そこで最後のテーマは<電話の切り方>ということになります。

原則は<掛けたほうが切る>と覚えておくと便利です。用件があって掛けたほうが、用件が済んだので<話を切る>すなわち終わらせる、そして物理的に切るために受話器を置く!ということになります。

グズグズとお互い様に相手が受話器を置くまでは、息を潜めあって様子を伺うような指導の根本には、<相手より先に切ってはいけない>という思い込みがあるようですが、そんなこと言ってたら日が暮れてしまいます。

「じゃねー、ガチャン!」ではなく、きちんとした<締めくくりの言葉>で話しを切ることが出来れば、それは決して不愉快の種にはならないはずです。

会話の終了を告げるための代表的な<締めくくりの言葉>としては
●それではこれで失礼いたします。ごめんくださいませ。
●ながながとおつきあい頂きましてありがとうございました。失礼いたします。
●ではまた、あらためてご連絡申し上げます。失礼いたします。
●お忙しい中、貴重なお時間をありがとうございました。等

電話の内容により、最後の一言は様々に変化しますが、概ね<失礼いたします・ありがとうございました>が使いやすさの上位です。これらの言葉で話を切ってから、ゆっくりと受話器を置く。この基本動作が守れれば上出来です。

<ごめんください>や<ごきげんよう>等は、最近ではすっかり聞かなくなってしまいましたが、さわやかに締めくくる言葉として個人的には好きです。
というわけで本日はここまで。 <それではごきげんよう!>

2007年5月30日水曜日

行き当たりバッタリからの卒業

わかりやすい<道順の案内>のためのセカンドステップは第一段階での反応が、何某かの手応えを伴う場合は、一気に「恐れ入りますが、どちらから何でいらっしゃいますか?」と起点と移動手段を同時に聞くことも可能です。

このあたりは受話器越しの気配をどう読むか?という課題にも繋がりますね。つまり当方の<住所や所在地>をお伝えした直後の気配をしっかり聞くことに
尽きます。言うだけではなく聞くことの重要性はそこから聞き分けるという更なる課題が用意されているからにほかなりません。

こうしてセカンドステップまで進んだら、いよいよサードスッテップ。ここからようやく起点別、移動手段別の<道順の説明>を始めることになります。

まず初めに、起点からの自社までのおよその所要時間を伝えます。仮に起点がJR京都駅として、移動手段が地下鉄の場合なら、ファーストスッテップで「私どもの会社は四条烏丸にあり、最寄り駅は阪急または地下鉄の四条烏丸駅でそこから徒歩5分くらいです」とご案内しているのを受け、「京都駅から地下鉄で四条までは2駅、乗車時間は約5分です。待ち時間や徒歩を入れても15分から20分あればお越し頂けます」と全体イメージを伝えます。

その上で、マニュアル化したい案内のサンプルとしては「地下鉄は国際会館行きにご乗車ください。進行方向の前の方の車両が出口に近い改札になります。所要金額は200円です。四条駅に着きましたら、階段またはエスカレーターで阪急電車乗り換え改札口を目差して頂き、改札を出られましたら、24番出口から地上に出てください。地上に出られましたら進路は右手です。数メートル先の右手には●●信用金庫が見えますので、そのまま70メートルほど先の信号を渡って頂いた右手の9階建てのビルです。」というような具合です。

起点別・移動手段別のこうした案内フレーズはマニュアル化したほうが絶対に便利かつ有効です。いつでも誰でもが同じように対応でき、しかもそれが相手の立場に立ってものであるために、行き当たりバッタリを卒業したいですね。

2007年5月29日火曜日

わかりやすさへの手順

インターネットの普及のおかげで、事前に目的地周辺の地図や景色の情報収集を行うことが飛躍的に簡単になり、おかげでわざわざ電話で前もって<道案内>の問い合わせをしなくても済むことが多いのも事実ではありますが、だからと言って案内マニュアルが無くてもよい理由にはなりませんね。

相変わらず、会社案内の地図のFAXを要求されることもあれば、今、口頭で伝えざるを得ないような、来訪目前のニーズが無くなるわけでもありません。

しかもある程度、目的地がわかっている場合と皆目検討もつかないような相手の場合ではやはり説明の仕方も異なりますし、同様にどこを起点にするかによっても説明の手順は大きく変わることになります。

そこで、電話応対において便利で、わかりやすい<道順の案内>の仕方のポイントをあらためて整理してみたいと思います。

ポイントは3段階くらいが適切です。まず、ファーストステップとしては、お互い様の<共通認識>を持つことに取り組みます。なので目的地である自社の住所や場所を告げます。「私どもの会社は四条烏丸にあり、最寄り駅は阪急又は地下鉄の四条烏丸駅です。そこから徒歩で約5分のところです」という具合。

目的地の住所が共有されることで場合によっては「そのへんなら良く知っています」という具合に話が急にラクになることもあります。その場合にはマニュアルに頼らなくても十分、わかりやすい案内ができそうですね。

反対に目的地の住所をはっきり告げたのに、反応がイマイチな場合はやはり地理不案内が推定されますので、マニュアルに添ったゆっくりした説明を続ける必要があります。この場合には次に相手の起点となる場所を問いかけます。

聞き方として便利なのは、「恐れ入りますが、どちらからお越しになりますか?」というフレーズです。そしてこの起点からの移動手段別に案内は替わりますので、「地下鉄をご利用でしょうか?それともお車で?」と一般に考えられる方法を問いかけます。ここまでがセカンドステップ。この続きはまた明日に!

2007年5月28日月曜日

道案内のマニュアル化

電話応対の定番案件として事前に準備さえしておけば、完璧な情報提供がいとも簡単に出来る課題として<自社への道順の案内>があります。

反対に標準化された<案内のマニュアル>的なものがなければ、実に個人差の激しい対応しか出来ず、たまたま電話に出たメンバーの出来不出来によって問い合わせた側の運不運が決まってしまうと言うようなことにもなりかねません。

一般に道順の説明を聞けば、その人の頭の中が見えると言われるほどです。
しかもどのくらい相手の立場に立てるのかという、ホスピタリティマインドまでもがその土台の資質として強く要求される以上、個人任せはもってのほか。

すなわち<わかりやすい道案内>は、少なくともその場の思いつきや、ましてや個人の得て不得手でこなせる代物ではなく、故に知恵を絞り、意見を出し合いながら、周到な事前準備の成果としてのマニュアルが効果を発揮します。

俗に何事も<簡単すぎると人はやらない>と申しますが、その典型みたいなものが自社までの道順に関する案内ではないかと思います。
なぜならば、説明する方にすれば毎日、自分が通っている場所だけに難しくもなんともないと思い込んでしまうのが下手な対応を生む理由のひとつです。

万が一、現時点で社内にお客様からの問い合わせに対しての<道案内のマニュアル>がないとしたら、大至急作成に取り掛かるのみです。

顧客をもてなすことへの準備不足の反省を出来ない理由に転化するのではなくぜひとも最優先取り組み課題への導火線として活用したいですね。

早速、この作成に取り組み、まずは社員全員に配布して<読みながら言う練習>これを毎日徹底し、しばらくは朝礼時に順番に朗読するのも良い練習です。

案内の良さこそが<サービスの基本>であるとするならば、ここに労力をかけるのは良いサービスを提供するための基本中の基本と言えます。

2007年5月26日土曜日

かえるの意味と使い分け

もうずい分長い間、コミュニケーションにまつわる仕事に携わっていますが、それでも時々ふうっ!とため息をつきたくなるほど、人間って難しいな!と考えさせられてしまうことがあります。

良かれと思っていったことが意に反して誤解されたり、聞き入れてもらえなかったり。挙句はどうも迷惑がられたり、恐がられたりとあちらこちらの人間関係の事態はドラマさながらに様々な展開を見せてくれます。

でも、決して個人的に最近そういう事態に直面したわけではなく、フト思考回路がそっちら方向にハンドリングされただけのことではありますが。

いつの頃からか、ずい分打たれ強くなり、かつ度胸も年々嵩高くなる有様に我ながら感謝しつつ、加えて何事にも飄々と向き合いたいと願う祈りがいささかなりとも天に届いたのか、案外スッパリと開き直ることが出来る最近は、若かりし頃に比べれば痛手も苦痛もほとんどないに等しい状況ではあります。

それって結局、見方をどう変えられるか?それが大きくものをいうのかもしれません。そういえば今年に入ってから、私の土曜日はほとんど仕事で埋まっておりますが、もしこれがサラリーマン時代であれば、おそらく不平不満一色。
ところが今でしたら感謝こそすれ、不満などとんでもないという変り様です。

ちなみに<変える>は状態や性質、形を前とは違った状態にするときに使います。なので<視点を変える>や<髪型、変えた?>あるいは<予定を変える>

<代える>は代理にという意味で、その役を別のものや人がするときにこの漢字を使いますね。<交代>ってことで党首を代えたとか、<挨拶に代えて>

<換える>は別のものに交換ってことなので、バスに<乗り換える>や<円をドルに換える>と言う使い方。<替える>は何かをやめて他のものに鞍替えってことなので<替え歌>とか<商売を替える>となります。

<かわる><かえる>ことの大事さが字の種類の多さにも繋がっていそうです。

2007年5月25日金曜日

善は急げ!

今朝の京都は強く静かな雨で明けました。ここ数日の真夏日モードに人も自然もいささかぐったりと萎えていただけに、まるで潤い補充のコラーゲン状態。
1日中、傘マークの天気予報も今日ばかりは恵みの雨って感じでしょうか。

さて昨日、大阪で1日研修会がありました。研修の名前は<元気塾>。ある企業の社員対象に年に数回、実施し、早いものでもう4年目を迎えます。

名前の通り、参加者に心身ともに<元気>になってもらうことが目的であり、そのための様々な気付きを提供し、実践要領を具体的に獲得して頂く内容です。

当初から主催者のご意向は明快でした。この研修会で<参加者に自らの意欲点検をさせてほしい>その結果、<今の仕事に前向きに取り組めないようなら、自分の人生のために別の仕事を捜して欲しい>というものでした。

聞きようによっては非常に厳しいご意向ですが、そのサッパリと単純な視点は実はとても大切なものではないかと回を重ねる度に実感を強めています。

どんな仕事であれ、今自分が向き合う仕事は自分が選択した仕事のはずです。
ならば、何があっても前向きにたのしく向き合うこと。その姿勢の確立に向けてひたすら努力すること。大切なことは言葉にすれば大して難しいものではありません。ただ実際にそれを継続するにはそれなりの覚悟が必要ではあります。

故に研修構築のベースコンセプトは<いつも元気に、自分から成る>ことです。

はっきり言って<仕事のときだけ明るく元気!>なんて有り得ないですよね。同様に<電話応対のときだけ明るく、さわやかもやっぱり変>明るく元気な人は何をしている時でも明るく元気なはずです。そしてそれはいつか成れるものではなく、決意して自分から成るものだということを学ぶ研修です。

研修の最後には毎回、京都流のご案内をしていますので昨晩、そして今朝あたりはこのブログをはじめてご覧になる方も沢山いらっしゃるはずです。
今日はそんな皆さんに向けてメッセージ。ラッキーの種である<夢の続き>を書き上げましたか?<善は急げ!>と昔から言いますよ。

2007年5月24日木曜日

返事を求めるけじめ

ご要望があれば、電話応対研修の事前作業としてその実態記録を録音して課題発見に役立てるという手法があります。これは電話応対の精度向上にかなり有効な手立てであり、ぜひ定期的に行事化されることをお薦めしたいくらいです。

なぜならば、ビジネスシーンにおける電話の活用頻度がこれだけ高い割にその応対にまつわる課題が一向に改善されず、いわんやその精度がこれまた一向に向上しない原因のひとつが電話は再生不可、その場限りという点に起因しているのではないかと睨んでいるからです。

かなり特殊な事態を想定しての電話機以外は原則、録音を前提とはしていません。つまり一般的な電話応対は録音されることがないため、緊張すると言いつつも、どこかで手を抜くことや同じミスが修正されにくのかもしれません。

極端な話、いつ録音されるかわからないとなったら、それだけでも対応力の不備は飛躍的に改善されるかも?と言ったら、言いすぎでしょうか?

さて、本日のけじめ言葉は<何かの返事を頂きたい場合>
『では、ご連絡をお待ちしております』や『それではお返事をお待ちしております』はベーシックな言い方です。『おわかりになりましたらお電話を頂けますでしょうか』とやんわりお願いしたり、『お調べの上、本日の16時までにお返事をお願いします』と時間指定できっぱり意思表示する言い方もあります。
このときに時々耳にする言い方の間違いは『お調べしてください』です。

またお互い様にあまり深く考えずに多用している<折り返し>という表現は、原則はこちらからすぐに返事をするつもりのときに使う言葉と心得たいですね。なので『折り返し、ご連絡いたします』という使い方です。

相手からの返事が欲しい場合に『折り返しお電話を頂きたい』は言い方によっては『今、すぐに電話をよこせ』と命令しているように聞こえます。この場合は『お戻りになりましたらお電話を頂きたい』という言い方が適切です。

2007年5月23日水曜日

失言へのけじめ

ここ数日の昼間はとても5月の下旬とは思えないほどの真夏日の京都ですが、こんなふうに朝晩と日中の温度差が激しい時期は、体調管理にはいつも以上に十分な注意が必要です。なぜなら、必要以上の夏仕様は風邪引きの元だから。

そんな知恵がごくごく自然な形で日々の生活習慣として根付くためには、それなりの歳月を必要としますが、おかげさまで我が家にもいつの間にかそんなものが少しずつ増えてきている実感がほのぼのと嬉しい今日この頃です。

たとえばこの時期の暮し方として、いつの頃からか、なんとなく梅雨明けまでは完全な夏支度には切り替えないというのもそのひとつではないかと思います。

これだけ暑いのだから毛布なんてもうとっくに不要なようですが、どっこいまだまだ必需品です。それに肌寒い日が突如、戻ってきたりなんて案外、想定内の出来事です。だから床暖房にしていない和室のじゅうたんは梅雨明けまではそのままにしておきます。そんな生活環境の中のどこかしらどっちつかずの曖昧さ加減がちょうど良い塩梅で融通を利かせてくれる頃合です。

さて本日のけじめ言葉は<何某かの失言や言い方の不備に気付いた場合>です。いつの日かそれなりに年齢を重ね、しっかりとキャリアを積んで相当に曖昧な気の利いた対処の物言いが出来るようになるまでは、「しまった!」と思ったら潔く謝る。これが最もスマートで最善の対処の仕方と覚えておきたいものです。くどくどと言い訳したところではっきりいって得るものは何もありません。

むしろ可愛げのない奴と思われるのが関の山です。しかも言い訳は筋が通るほどに可愛げが減少する厄介な代物でもあります。すっきり、きっぱり腹を括ってさわやかに詫びることこそ、好感度獲得の妙手です。

言葉は『失言でした、申し訳ありません』や『ご無礼をいたしました』あるいは『失礼なことを申し上げ、面目ありません』と心から謝罪します。

電話だからこそ、かえってテレずに潔く謝れるチャンスかもしれませんね。

2007年5月22日火曜日

けじめ言葉の在庫拡大

電話ならではのビジネスモードのものの言い方は、社会人としてのきちんとした印象の形成には大いに重要です。

但し、中には日頃はめったに使わないような言い回しもあって、はじめは抵抗があるかもしれませんが、ぎこちなくても是非、積極的に多用して、早く言い慣れて自分のものとして活かした方が絶対にお得です。

ちょっとしたものの言い方ひとつで、<いつまでも頼りないな>と思われたり、<相変わらず学生気分のままじゃないか>と評価されないためにも、とにかく言葉の在庫を増やすつもりで挑戦したいですね。

<しばらくぶりで電話する相手には>
『大変、ご無沙汰をしております』『この節はご無沙汰をいたしまして、失礼いたしました』や『すっかりご無沙汰をいたしまして申し訳ございません』という言い方がビジネスではベーシックです。

自分の方が明らかに先輩であるとか、こちらのほうは様々な状況からして上でない限りは、『お久しぶりです』は使わないと心得ておきましょう。そのイメージとしては<恩師に偶然出会った場合、恩師が『久しぶりですね』と声をかけてくださったのに対して、『ご無沙汰しております』と応える光景>をビジュアルでセットしておけば、ついうっかりを防ぎやすくなります。

<何かを簡単なお願いをする場合>
『ぜひお力添えを賜りたく、お電話いたしました』や『ぶしつけなお願いで恐縮ですが』や『ご無理を申し上げますが』と前置きしてから本題に入ります。
それだけでもきちんとした物言いの雰囲気が漂い始めます。

<何か簡単な御礼をいう場合>
『先般はお心遣いを賜りましてありがとうございます』のほかに、『おかげさまで助かりました』『このたびはご面倒をお掛けいたしました』あるいは『すっかりお手をわずらわせてしまいました』というような言い方もあります。
まずは言う練習!使う練習!早速、たった今から!

2007年5月21日月曜日

言い方のけじめ

電話応対での言葉選びや言葉使いの難しさは、基本は声だけが頼りというハードルによるものですが、実はそれ以外にも気をつけたいことがあります。

それは面と向かっていれば、言葉以外のものが補ってくれる要素をしっかりと言葉だけで表現仕切らなくてはいけないという課題への認識です。

たとえば、熱心さのあまり、かなり一方的に話を進めてしまい、気がついたら相当しゃべりすぎたというような場合、フェイスツーフェイスなら、ハッとした瞬間の表情や、アッと気付いて口元を手で覆うしぐさや、申し訳なさそうにアタマに手をやる動作などで、その思いをビジュアルに伝えることができます。

故にその場で口をついて出る言葉やその言い方がいささか稚拙であってもなんとかお許し頂く事が出来ます。『すみません、自分ばっかしゃべりすぎて、、、』や『ごめんなさい、あのう、、、そのう、、』でもなんとかなりそうです。

ところが電話の場合には、そのビジュアル支援が全くなく、そこまで流暢に喋っていれば尚更、そうは問屋が卸さない的な難しさが付きまといます。

このため、ここはきちんとお互い様の面目のために、ビジネスモードの大人の話し方でけじめをつけて対処しなくてはならないという次第です。

そんな状況別のビジネスモードの表現は、面と向かっては言いにくいような言い方もあり、電話での練習にもってこいの使えたら重宝な言い方でもあります。

本日は前述の通り、<自分ばかりしゃべりすぎたという場合>
聞き手の反応にもよりますが、そうと気付いた瞬間にまず姿勢を正すか、もしくは立ち上がってお辞儀をしながら言うつもりで『一方的に話してしまい、申し訳ありませんでした』と神妙に言い切ります。

あるいは『勝手なことばかり申し上げ、大変失礼いたしました』と頭を下げながら言います。または『熱が入りすぎてしまいました。何卒ご容赦ください』と謝罪の気持ちを全面に表して言います。さて、一息で言えますか?

2007年5月20日日曜日

品のいい人と言われる技術(著者:夢プロジェクト)

タイトル:品のいい人と言われる技術
著者:夢プロジェクト
出版社:河出書房新社(夢文庫)
476円(税抜)

我が家の愛犬は齢10歳、そろそろ老いの気配が漂いますが、ようやく躾をはじめた生後数ヶ月の頃から、変わらないのはよく<あくび>をすることです。

小さい頃は悪さやいたずらをして叱られる時に、必ずあくびでごまかそうとしておりました。これが成長と共にそのメッセージ性はかなり複雑さを増し、昨今は相当、意図的な気配も濃厚に漂う活用実態です。

たとえば意に沿わない気分の時には大あくび。不満なときもあくび。拒絶のときもあくび。ことの真意はわかりかねますが、犬なりのコミュニケーションの手段としての<あくび>メッセージはたしかにそこに存在しているようです。

さて、かくいう人間様も実によく<あくび>をしますね。

ごく自然な生理現象としての大代表は、眠くなった時。それから集中力が途切れたとき、あるいは退屈なとき、おもしろくない時、つまらない時、はたまた緊張感のかけらもないとき。あるいは反抗の意思表現となる場合もあります。

からだの生理現象として致し方ないとは言え、対人関係や公衆マナーの視点で申せば、あくびへの対処の仕方はどうやら見直しが急務な様相です。

かつて人前でのあくびは<はしたない!>と認識されていました。ところがいつのまにか、生理現象だからしょうがない!が幅を利かすようになり、いまやそこを飛び越えて、<えっ!いけないの?>という事態に向かいつつあります。

ここにはあきらかに大きな認識のズレが存在しています。
何を恥ずかしいと思うかで、その国や民族の文化度がわかるように、まずは土台となる意識を立て直さなければ、その先の行為の変革は有り得ません。

ただ顔をしかめて目を逸らすところから、何某かの一歩を踏み出したいと願い、本日の1冊は『品のいい人と言われる技術』をご紹介します。

2007年5月19日土曜日

会話の原動力

一生懸命話をしているのに、何ひとつ質問がないとはっきり言って会話は実につまらないものになってゆきます。

このとき、話し手の内心をもし覗いてみることが出来るのなら、<関心がないのだな!>とか<聞いてるのかな?>という寂しい気分から、やがて<この人に話したってしょうがないな>というあきらめの結論に至ります。

つまりTPOにあわせた感じの良い質問は、聞き上手のための大切なポイントであるように、滑らかなコミュニケーションのためには不可欠な要素です。

特にビジネスモードで、ここから対人関係を築き始めるときには<反応するということ>の代表選手として<適切な質問>に習熟しておく必要があります。よい質問はそれによってもっと話したいと相手に思わせる力があり、それこそが会話の原動力であることはまず間違いありません。

その場しのぎの適当な質問ではなく、しっかりと話し手の意向に添った質問はおそらく是が非でも応えたい内容であり、その獲得こそを目指したいものです。

さらにその質問に感じの良さをプラスするためには<教えて欲しい>という謙虚な姿勢が原点にあることも忘れずにいたい課題です。

さて、最も基本的な質問の仕方は原則『それは○○でしょうか?』や、『それは●●ですか?』になります。○○や●●には<目的やテーマ、理由や状況、時間や期日や場所や予算や人>に関すること等が取り上げられます。

たとえば人に関しての質問なら『それはどなたのことでしょうか』という具合。

但し、このままでは問い詰めモードになってしまうので『教えてもらってもよろしいですか?それはどなたのことでしょうか?』とアレンジできます。
あるいは『恐れ入ります、それはどなたのことですか?教えていただくと助かります』とも変換できます。いろいろ自己流アレンジで幅を広げたいですね。

2007年5月18日金曜日

質問へのけじめ

当たり前のことですが、誰だって唐突に質問されたらちょっとビックリします。
しかもそれが内容的にも応えやすい質問や気分の良い質問ならまだしも、批判めいた内容や中傷的なものであれば、驚きに加えて不愉快な気分が生まれます。

さらにその言い方が多少なりとも尋問口調に偏るようであれば、本人に悪気はなくても対人関係において好ましくないヒビが入ることは容易に想像されます。

つまり質問の内容とその言い方の両方が問われますが、いかに他愛無い質問であっても突然、何なのよ?という程度の気分はやはり拭えません。

それが面と向かって1対1で会話している最中のことであって、たまたましばし話が途切れた直後であれば、そう取り足りたてて騒ぐほどではありません。

しかし、大勢が参加している会議などやあるいは面と向かっていない電話応対の時には何某かの知恵が求められることになります。

そこで、イメージとしては自ら挙手をして、質問する場合。あるいは電話応対ならば、ひと通りの会話をふまえて、あらためて質問をしたいときに礼儀正しく、気持ちよい印象を与える言葉として重宝するのが『ひとつ、よろしいでしょうか?』という言い方になります。

同じ意味で応用バージョンとしては『ひとつ質問してもよろしいでしょうか?』や『ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか』や『ひとつ教えて頂きたいのですが、よろしいでしょうか』あるいは『ひとつよろしいでしょうか?お願いいたします』もあります。

但し、これはあくまでも、ことあらたまって質問する意思を伝える言い方なので、研修やセミナーなどの質疑応答の折やQ&Aタイムにいちいちこうした断りを入れる必要はありませんね、念のため。

質問の仕方ひとつにもラッキーモードのけじめがあることを意識したいですね。

2007年5月17日木曜日

技術の領域

風薫る5月を実感する日々。さわやかな天候さながらの気持ちよい電話応対のための<あいづちことば>はしっかりした内容構成と共に時にはそれ以上に重要なポイントとして具体的な実践の継続が問われる課題です。

いわゆる自己表現力を問う場合には、ついつい相手に向けての自身のPR力ばかりを考えがちですが、実際のところそれだけでは、片手落ちです。同様に相手のそれにしっかりと反応する力とそれを表現する力が絶対に不可欠です。

そしてそれは理屈としてはわかっているというような、<知識の領域>で問われるものではなく、<技術の領域>において本当にできるのかどうか。さらにはどのくらい上手に出来るかどうかこそが問われるものになります。

こうして掘り下げて眺めてみれば、だからこその難しさにはっきり気付きます。

つまりしっかりと自分自身ができていなければ、エラそうに人にそれを指導できない限界領域の課題ということではないでしょうか。
俗に<率先垂範>と言われることの難しさの最大の要因がここにあります。

手本としての自身の完成度が未熟であれば、声を大にしての実践指導は有り得ず、だからこそなかなか教育指導の表舞台に上ることの無かったテーマのひとつが<あいづちことば>と言えるのかもしれません。

ところが、老若男女を問わず、対人コミュニケーションパワーが年々、低下している昨今の実態を現場感覚で痛感している身に在っては、自身の完成度をこの際、相当、棚上げしても問いかけねばならない使命感に燃えた次第。

<反応>というテーマにおいて重要な意味を持つ<あいづちことば>とその言い方はおそらく電話応対時にのみ突きつけられる課題ではなく、ごく平凡な日常にあって人との向き合い方において問われるものといえます。

いわゆる『丸い卵も切りようで四角』という永遠のテーマに<あいづちことば>の実践を通して、練習に励んでみたいと思います。

2007年5月16日水曜日

ココロのものさし

同じように見えても、<話を仕掛ける>のと<話をそらす>のとでは、明らかにハンドリング要領が異なります。

とりわけ心理的な姿勢において、前者が高温だとすれば、後者は中温から低音くらいの温度差がそこには見受けられます。

たとえば<何が何でも今日こそはこの話を聞いてもらう>くらいの覚悟があって<話を仕掛ける>のに対して、<その件は今は勘弁して欲しいな>くらいのドギマギ感から、ここはさっさと引き上げましょう!ほどの逃げ腰モードも含めているのが<そらす>という上級技には求められます。

<そらす>とか<はぐらかす>に関してよく耳にする言い方としては、<今日のところはその件はペンディングということで、、>や<一旦、保留ということで、、>あるいは<その件は後ほど、、>というあたりでしょうか。

キャラとも相談して使いたいストレートタイプでは<いじめないでください>
とか、<お手柔らかにお願いします>であったりします。

いずれの場合にも大切なことは話しそのものを変えるために、いま受話器越しに向き合っている相手の気分を変えたいという気持ちが殊のほか大切です。

ココロというものが土台にあって、そこに生じる気持ちや気分にはなかなか手が出し切れない難しさがありますが、生物、特に人間にはみなそれがあって、しかもそこを損ねてしまうと場合によっては取り返しがつかないほどの失策になることだけは心しておきたい課題です。

つまりここで向き合っている<あいづちことば>としての言葉や言い方に関して、最も肝心な<ココロへの寄り添い方>は各自が強く意識して学ぼうとしなければ、決して獲得出来ない何かがあることを忘れずにいたいものです。

表面的な上手下手では計りきれない<人のココロのものさし>への謙虚な配慮こそが終始貫きたい最重要課題であることを肝に銘じて、果敢な挑戦を!

2007年5月15日火曜日

言葉の範囲と含有量

会話のハンドリングとして<話を仕掛ける>場合にも、厳密に申せば2つの方向性が存在します。ひとつは昨日、ご紹介したように会話の流れの中で相手の言い分をしっかりと肯定してから、その延長線上、もしくはその付近で主導権交代を問いかけてみる方向になります。

もうひとつは会話の流れの切れ目をきっかけにかなり強引にこちらが話したい方向にリードする、あるいは話を転換させる方向です。

具体的なフレーズとしては<ところで、本日お電話させていただきましたのは、、>であったり、<そういえば、肝心なことを忘れるところでした、、>あるいは<それはそうと、そろそろ本題に入らせて頂いてもよろしいでしょうか>というような言い回しになります。

これらも<あいづちことば>ですか?という疑問の声が聞こえてきそうですが、本来の内容の合間に存在する言葉の総称として取り上げるならば、立派に<あいづちことば>と括る事が出来そうです。そしてこの中にはこれまでにご紹介済みのクッション言葉も包含されることになります。

なんとなく息の詰まるような、ギクシャクした会話を観察してみるとこれらの<あいづちことば>の含有量が極端に少ないことに気付きます。

ひと通りのあいさつやご機嫌伺いの後、唐突にメインの用件に入っても何らおかしくはありませんが、たとえて言うなら、それでは注文した料理を黙って目の前に置かれるような殺伐観が漂います。それよりは<はい、どうぞ>と言われたり、<お待たせしました、A定食です>と出されたほうがその場の空気が和むという感覚に似ています。

たまたま適切な言葉の手持ち在庫がないために言えない場合も、あるいは在庫は持っていても使った経験が少ないために言い淀んでしまうケースも、状況は様々ですが、言えないより言えた方が間違いなく会話は穏やかになります。
頑張って使う、それが上達への唯一絶対の近道です。

2007年5月14日月曜日

会話のハンドリング

滑らかで感じの良い電話応対のための<あいづちことば>には思いのほか、沢山の種類が存在します。日頃、何気なく使っているこれらの言葉が実は会話の温度を上げたり下げたりに大きく関わることにも薄々、気付くことができます。

冷静に振り返ってみれば、内容はほぼ同じでも、なんとなく心地良い話であったと思える場合はいわば、適温の会話と言うことができます。

反対になぜか終始、不愉快な気分が拭い去れないときは温度が上がりすぎであったり、逆にいくら頑張っても冷たいままの状態といえそうです。

おそらくその原因のひとつが、肝心要の内容の間に取り交わされる数々の<あいづちことば>の効用ではないかと密かに横目で睨みを利かせつつ、今後も個人的な楽しみの一つとしてこの探求を続けてまいります。

さて、本日の<あいづちことば>は会話のハンドリングという観点から取り上げてみたいと思います。すなわち話の方向性の操作術とでも呼べばよいのでしょうか。あるいは話の舵取りに役に立つ<あいづちことば>かもしれません。

ちなみに話の方向性を見定める上で、その目標とされるものは大きく2種類に分かれます。ひとつは<話を引っ張ってゆく方向>です。つまり自分が一番話したい方向に相手を強力にリードしていく場合。

もう一方は逆に<話をそらす場合>があります。たまたま今のタイミングではこの話は避けておきたいというものもあれば、しばらくはそっとしておいて欲しいのでやんわりとはぐらかしていくような高等な対処の場合も含まれます。

一般的に前者の<話を仕掛ける>場合には相手の言い分をまず、しっかり認めることが肝心です。故に<おっしゃる通りです。ところで、>や<ご指摘の通りです。そういえば、>あるいは<その通りです。実は、、><なるほど、さすがに違いますね。ならばこそですが、、>という感じ。

2007年5月13日日曜日

哲学のことば(著者:左近司祥子)

タイトル:哲学のことば
著者:左近司祥子
出版社:岩波ジュニア新書
780円(税抜)

昨日まで、久しぶりの休暇で大好きな宮崎に出掛け、ゴルフ三昧を楽しんでまいりました。初日から真夏日のような快晴が続き、コースでは蝉の鳴き声が聞こえる始末です。おかげさまでそれなりの紫外線対策では、ほとんど歯が立たず、かなり真っ黒に日焼けして戻ってまいりました。

さて、定期的に宮崎に足を運ぶようになって数年が経過しますが、前回訪れた昨年の冬と違い、今回はさすがに街全体が大いに活気付いているのが雰囲気としてヒシヒシと伝わってきました。明らかに新知事効果のようです。

空港のおみやげ物にも随所にキャラクター化された知事の姿があり、実に有能なセールスマンとして大活躍という状況。顔なじみの地元の方によれば、知事効果で確実に観光客も増え、県庁見学者が毎日出現するなど、これまでにはありえない事態が明るい未来への期待感を膨らませてくれているようです

ちなみに自称宮崎ファンの訳はそういう視点とはまったく異なるもので、実は太平洋に昇る朝日の美しさの虜というのが最大にして最強の理由です。

この時期の日の出はだいたい5:20分頃になります。

水平線のかなたが桃色に包まれ、そこからプラムのような朱色の朝日が姿を現します。日中には直視できない眩しい太陽をこの瞬間、およそ2,3分だけはまともに眺めることが出来ます。何もない水平線に浮かぶその姿には理由などいっさい必要としない感動と凄みがあります。

何億年も前から繰り返されてきた、自然の営みの前にあって余計な言葉はなにひとつ役に立たない気持ちにさせられ、静かに感謝の念が浮かびます。
その瞬間、自らの眼が悠久のまなざしを獲得したような感覚がたまりません。

そこで今回はそんな哲学者になったような気分をたのしむ1冊のご紹介です。

2007年5月12日土曜日

難易度大のあいづち

その昔、観たカンフー映画で、主役の男の子が修行をして強くなってゆく過程で、その師匠の自宅に呼ばれ、およそ意味のない家事手伝いにこき使われます。実はそのひとつづつが重要な基礎訓練のためというストーリーでした。

1番強烈に覚えているのは壁塗りの作業です。師匠の家の庭の外側の壁を塗り替えていく作業でカンフーのための手首の使い方、腰の動かし方などを毎日、朝から晩まで繰り返すことで筋肉の記憶にしてしまうという次第。

いつもいつも考えていることが自分を創り、同様にいつも行っていることが身体を作ってゆきます。あまりにも当たり前のこの事実をなぜか忘れがちです。

<あいづちことば>はその意味で眺めてみれば、いつもいつも誰かと向き合うときに意識せず誕生し、悪気なく使われ、魂胆無く行き来し、そして改めて取り上げられることも無く、まるで話の間を漂うだけの無意味な要素であるかのような誤解を強いられてきたことにこの際、深く反省したいものです。

間があればこそ、活きてくるもの。つなぎがなければ見えないことは沢山あります。あらためてその価値と重要性に気付き、これからは意識して<あいづちことば>を極める決意を固めたいものです。それは何より滑らかで快適な対人関係のためだけでなく、結果として自身の居心地の良さに直結する課題です。

ちなみに<きわめる>には同音異義語が3つありますが、浮かびますか?

<極めるは北極・南極の極なので限界までいきつく、達成すると言う意味。頂上を極めるとか、見極めると使います。>
<究めるは研究、探求から学問や芸などを深く学び本質を掴むと言う意味>
<窮めるは行き詰るということなので、進退窮まるという使い方になります>

さて、進退窮まるような長い話を勇気を持って打ち切りたいときには<とても勉強になりました・大変結構なお話でした>あたりが有効な<あいづちことば>でしょうか。ひたすら爽やかに言う練習が問われる難易度大の課題です。

2007年5月11日金曜日

未来に繋がる今の価値

まもなく6歳を迎える甥っ子はたまに会うたびに成長著しく、今回は颯爽と自転車に乗る姿を見せてくれました。

例によって愛犬のお散歩をかねて、車の心配のない京都御所の中でのご披露会。そこには以前にもご紹介したことのある生活道路としての東西に突き抜ける自転車専用路線を除けば、薄かったり厚かったりの砂利道が広がっております。

その大人でも走りにくい砂利の上を小さな身体が自転車をこいでゆく逞しさは、大いにエネルギッシュで刺激的。

しかしもっと刺激的だったのはその甥っ子が今、自在に乗り回している自転車にナント、たったの1時間ほどで乗れるようになったという事実です。

我が事として、遠い記憶を紐解けば<自転車の特訓>は少なくとも実質10日くらいはかかったような記憶がありますが、皆さんはいかがですか。

さて、甥っ子の見事な短時間での自転車の乗り方獲得の最大のポイントは、両親いわく、どうやら<キックボード>のおかげらしいのです。

<キックボード>はスケートボードに車輪とハンドルがついたようなもの。

それに毎日乗って遊んでいるうちに、自転車に乗るための基礎訓練が完了していたという次第です。なので、よくありがちな後ろで誰かが自転車を支えて練習に励むと言う光景は潔く省力されたという次第です。

新しい何かを獲得するためにドキドキはらはら、汗水たらして何度か転んで痛い思いもしながらそれを身につけてゆくことは確かに貴重ですが、こんなふうに遊びながらいつの間にか次の何かの基礎を獲得できれば最高ですね。

今、楽しいことを続ける価値は実はこんなふうにそのときに見えなくてもきっとラッキーな未来の価値につながっていくものと信じたいですね!

2007年5月10日木曜日

気持ちから生まれる言葉

ものの言い方に対して、もう少し抑揚をつけるとか、トーンを上げて!とか言うとたいていの方は『役者じゃないのだから、そんなこと簡単にはできない』とハナから挑戦放棄の姿勢が顔にも身体に明解なオーラとして発散されます。

けれども本当にそうなのでしょうか?

その反応は実は大人も子どもも大差なく似たようなもので、たまたま普段やったことがないことに対しての見事なまでの拒否・拒絶の反応であり、こちらから言わせれば、とんでもなく見当違いの自己能力に対する侮辱でさえあります。

確かに何かの言葉に対して、何の意思も感情も持ち合わせていないときに、それを指示された場合はなかなかに難しいものがあります。

だからこそそれなりのランク以上になれば、それなりに稼げるのが役者さんの醍醐味であり、天性や努力の成果として評価される価値がそこにあります。

その役処になりきることで、涙を流すことが簡単に出来る役者さんはとても沢山いらっしゃいますね。怒るのも笑うのも悲しむのその想いこそが原点です。

つまり、それはそこに存在する意思と感情が反映された結果に過ぎません。
となれば、表現力が工夫できないというのは、そこに自分としての何の意思も感情も持ち合わせていないからだと言うことになりはしませんか?

この肝心要の視点を元に、常にその瞬間の想いの伝え方を鍛えるつもりで<あいづちことば>に向き合ってみれば、言葉の言い方は確実に進化します。

そこで本日は<同情を表現するあいづち言葉>に挑戦をしてみましょう。

<お察しいたします・それは大変ですね・それはお困りですね・それはお気の毒です・何と申し上げてよいものやら・言葉もありません・それはそれは>
気持ちが原点です。ただ言えばよいものではないことを肝に銘じてください。

2007年5月9日水曜日

驚きを表現する、あいづち

考えてみれば<あいづち言葉>ひとつにも、はっきりとその人のその瞬間の感情や意思が表れていることになぜか多くの人は無頓着です。

おかげで大人も子供も相手の気持ちにお構いなく振舞うことが、さも当たり前の自然なマナーであるかのような錯覚が蔓延し始めています。

悪気なくぶっきらぼうであることがなぜ、許されるのか。はたまた、ためらいや戸惑いが本心ならば無愛想すら容認されて本当に良いのかどうか。

特に自分が発したそれに対してあまりにも無関心でいることを、とりわけビジネスモードでは、そろそろ本気で見直さなくてはならないようです。

しかもその言い方によっても受け取る印象は大きく変わります。このこともこの際、お互い様の快適にためにシカと見定めたい課題です。

たとえば、場が盛り上がらないとか、座がしらけるのは詰まるところ、この<あいづち効果>によるところが大きいのではないかと思っています。

状況にふさわしい<あいづち言葉>があれば、それだけでグンと話に輝きが増します。それが話し手の励みとなって、おもしろさが増してゆく好循環です。
その反対はいわずもがな。打っても響かない太鼓なら誰しも打つのは面倒です。
どうもそこには<考えるより慣れろ!>的な身体モードとの関係が密接です。

そこで<驚きを表現するあいづち言葉>に、どんな在庫をお持ちでしょうか?

【 出来れば、ここで自己点検を!】普段はどんな風に驚いていますか?

<それは意外です・それは初耳です・あの●●が、ですか・それは存じませんでした・そういうことでしたか・まさかそういうことですか・それはビックリです・心臓が止まるかと思いました・あんまり驚かさないでください>というあたりでしょうか。こうして並べてみると言い方も大事と痛感できますね!

2007年5月8日火曜日

同意する、あいづち

いつでも使える<万能型あいづち言葉>は、当然のことながら電話応対に限らず、日々積極的に活用頂いて、しっかりと使いこなしたいベーシックな代物。

但し、それは無いよりはあったほうが絶対に良いというレベルではあるものの、慣れないうちは、つい同じようあいづち言葉ばかりを繰り返しがちで、それではまた単調過ぎて、しっかり話を聞いていない感じが強まることになります。

つまり<万能型あいづち言葉>は適度にチェンジさせることで、大切な相手に対しての他者配慮の具現策になりうると言うことも意識しておきたいもの。

この機会にぜひ前向きに、自らのあいづち言葉に向き合ってみることは、ボキャブラリーの貧困さを立て直すための有効な打開策かもしれません。

また、たかが<あいづち>くらい!とあまりのベーシックさについ疎かにしがちな傾向は、はっきり申し上げて出来ていない方ほど強く表れるものと心得ておきたいものです。ばかばかしい気分に惑わされず、本当に使えているかどうかをしっかり点検する!ここが肝心要の分岐点です。

その上でしっかりと声に出して言う練習をする。ここが獲得の分水嶺です。

上手なあいづちは良い対人関係の構築において重要な役割を担っています。
だからいとも簡単そうに見えても、練習無しでは上達はしません。

さて、本日は相手の言い分に<同意するあいづち言葉>です。タイミングよく言える、気持ちを込めて言える、素直に言えるなどが問われる姿勢になります。

<それはよかったですね・そうだと思っていました・それは何よりです・やはり、そうですか・そうですよね・それがベストですね・まったくです・たしかにそうです・もちろんです・おっしゃる通りです・本当にその通りです・全く持って同感です・そうなんです。>さあ、言ってみましょう!

2007年5月7日月曜日

電話の反応はあいづち!

<かける電話>も<受ける電話>も話し始めてしまえば、双方の声と言葉と話し方のキャッチボール具合が心地よい滑らかさの肝心要の要素となります。

そこであらためて注目したいのが、しっかりしたビジネスモードのキャッチボールのための<あいづち言葉>の重要性ということになります。

特に昨今は面と向き合う場面でも相手の話に<反応する>ことがとても下手な御仁が多いだけに、姿なき電話のそれはもはや生命線に関わる課題です。

会話の相手が目の前にいる場合は、それでもまだいくばくかの救いはあります。
顔つきやら目つきやら、あるいは小さいながらも頷いた様子や首の傾げ方で何某かの意思の疎通の手がかりらしきものは見出せなくもありません。

ところが声だけが頼りの電話コミュニケーションで、反応が不十分な場合は、かなりお手上げモードのあきらめ気分。お互い様に実に気まずい雰囲気の中でぎこちない会話と不十分な結果を手にすることになります。

うなずく動作が見えない分、あいづちの声と言葉が重要な反応の手掛りです。

相手の言っていることを今ちゃんと<聞いています・聞こえています・理解しています>ということをしっかりと声と言葉で伝えることは、ビジネス電話に限らず、対人関係すべてに問われる基本中の基本です。

このあいづちひとつでどれだけ話が盛り上がるかは実践の成果として早晩、体感頂けるはずです。日頃、ご自身が良く使っているものや、誰かの口癖みたいな言葉も含めて沢山の言葉の獲得を目指したいものです!

本日はまずは基礎の<いつでも使える万能型の軽いあいづち編>と参ります。

<はい・そうです・ええ・いいえ・それほどでも・なるほど・ほんとうに・さようでございますね・そうかもしれません・おっしゃるとおりです・かしこまりました・そうでしたか・気がつきませんでした>

2007年5月6日日曜日

人は見た目が9割(著者:竹内一郎)

タイトル:人は見た目が9割
著者:竹内一郎
出版社:新潮新書
680円(税抜)

最近、目にして、ちょっと笑える代物といえば、<携帯電話用受話器>ではないでしょうか。通販生活2007年夏号の表紙を飾っているこの商品は<耳にしっかり受話器を当てて、相手の声を聞く安心感>が売り!だそうです。

形状はまさに昔懐かしい黒電話の受話器そのままだけに本体の手の平サイズの携帯電話機とのアンバランスがなんともいえない不可思議さを醸し出します。

この受話器を携帯電話のイヤホンジャックに接続すれば、バランスや見た目は至っておかしいけれど、あの懐かしい家庭用電話の安心感が甦るとか。

伝統を重んじる国、イギリスのハルガー社という会社の製品らしいのですが、価格は税込み8,295円。今、結構流行っている様子。
申し込みの電話番号は市外局番は075・つまり京都の会社のようです。

また巷で密かに売れているらしいものとして、標語カレンダーがあります。
以前は多くの家庭や職場に至極当たり前の風情で<365日の日めくりのカレンダー>や<31日分の標語>が存在していましたが、最近は見ませんね?

かつてのサラリーマン時代の思い出では毎朝、職場の朝礼でそれを唱和し、至極ごもっともな内容に時に頭を垂れ、時に叱咤激励され、時にわかっています!と内心で反発しながら、それでも何某かの学びを得ていたように思います。

日々、反復されなければ忘れてしまう基本の心がけや行動基準を<そんなふうに生きられたらいいな>とか<そういう考え方が大事だよな!>としみじみ思わせてくれる格言や教訓が生活の中に点在していたことの価値にあらためて思い至る風潮が静かなブームの背景かもしれません。

そんな<日めくり>の意義にも言及しつつ、幅広い視点で<非言語コミュニケーション>に斬り込んでベストセラーになった1冊を本日はご紹介します。

2007年5月5日土曜日

同音異義語の伝え方

日頃は何気なく使っておりますが、日本語の<同音異義語>は実に奥が深く、フトした拍子にそれに気付いて唸ってしまうことが結構あります。

故に講演やセミナーの納得系のネタとして有効と言うだけでなく、個人的な視点からも考えさせられることが多く、折に触れ注目したい題材です。

中でも気に入っている理由は同じ音でありながら、文字が違うとまったく意味が変わるということと、その意味がどこかで深く関連している点にあります。

もちろん、すべての同音異義語に何らかの哲学的なつながりが見出せるわけではありませんが、研修で主眼にしている<気付く>ということの重要性が、その結果、本人の行動の変革をもたらす意味で新たな何かを<築く>ということに繋がるあたりは、自ら気付いたその瞬間に鳥肌が立つほどの衝撃でした。

あるいは何事も<想像>するから<創造>されるという現実は、多くの偉人、人生の達人の弁を借りるまでも無く、偉大なる人生訓であり、常に考え方の原点にスパーン!とフォーカスさせておきたいテーマのひとつです。

ビジネス会話に登場する<同音異義語>はたいていの場合は話の流れや前後の会話からおおよその見当がつきますが、まちがいや勘違いを防ぐためにはちょっとした言い方のコツを覚えておけば、スマートでわかりやすく伝えられます。

よく使われる言い方の代表選手はなんといっても<川はサンボンガワ・河はサンズイノカワ>ですが、<皮はリンゴノカワ・革はサイフノカワ>も有り。

<科学はサイエンス・化学はバケガク><私立はワタクシリツ・市立はイチリツ><関心はカカワルココロ・感心はカンジルココロ・歓心はヨロコブココロ・寒心はサムイココロ><紹介はヒトヲショウカイ・照会はミモトヲショウカイ><最小はモットモチイサイ・最少はモットモスクナイ><個人はヒトリノヒト・故人はオナクナリニナッタヒト・古人はムカシノヒト><再会はフタタビアウ・再開はフタタビヒラク・際会はメッタニナイキカイ・最下位はビリッケツ>という調子です。同音異義語に目覚めてみませんか!

2007年5月4日金曜日

ボリュームコントロール能力

ぼそぼそと小さくて聞き取りにくい話し方も迷惑なら、昨日、ご紹介したような周りの迷惑かえりみずの大きすぎる声や話し方もまた大いに考え物です。

とりわけ公共スペースにおける<声の大きさとそのコントロール策>は、実は高齢社会の現代日本においては、今後ますます問題視される気配が濃厚であり、気の利いた対処策の構築が待たれる課題ではないかと受け止めています。

なぜならば、いささかはた迷惑な声の大きさの原因は昨日のような<他者配慮欠落型>と<耳が遠い型>の2つが考えられるからです。

ちなみに我が家はもともと長寿の家系ですが、その事実から眺めてみても頷けるように、年を取れば耳は遠くなり、その分、声が大きくなります。
俗に<耳が遠くなると長生きする>と言われますが、たしかにそのようです。

ここで問題なのは、テレビの音や相手の声が聞こえないと言うことだけではなく、自分の声も同様に聞こえづらいと言うことになり、故に通常の会話においても勢い声のボリュームが大きくスイッチされたままということになります。

こうした傾向はかなり個人差があり、実年齢だけで判断することは難しいようですが、それでも70歳あたりがひとつの大きなガイドラインでしょうか。

レストランや喫茶店、あるいは電車やバス等の公共スペースで2種類の原因に根ざすコントロール不能の大音量が蔓延する前にその不快さの解消に向けた具体策の構築に取り組まなくてはなりません。

マナー違反型の大音量と加齢に伴う悪気のない大音量にどこから手を付けるか。

まずは一人ひとりが自身の声や話し方における<音量のボリュームコントロール>を常に意識して<能力強化>に努めること。それがラッキーな解決策模索のはじめの一歩に違いないと信じて願っております。

2007年5月3日木曜日

常識の揺らぎに向き合う

<そんなの当たり前>とか、<それくらいは常識>と思えることが意外にもひとそれぞれであることを普段は案外、見過ごしているのかもしれません。

なぜならば、割と単純な発想からお互い様に概ね感じることは似たり寄ったりと思い込んでいる安心感のせいかもしれません。

たとえば同じ日本人だからとか、関西人だからとか、京都市民だから、年齢が近そうだからといったような、至って不明瞭かつ曖昧なものがさも同じ認識の土台の一部であるかのような視点は確かにどこかに存在しています。

しかし厳密に意見の検証をしてみれば、予想外の回答に驚くことになるのかも知れず、そんなことをあらためてジックリと考えさせられる出来事にたまたま 昨日、遭遇してしまいました。

それは最寄のバス停で市バスを待っている時のことです。そこへ歩きながらけっこう大きな声で携帯通話中の若い女性が登場しました。

そのバス停にはすでに10名近くの方がバスを待っておられましたが、そこに加わった彼女の話し方は見事なまでに明るく屈託なく大きな声で続けられます。

その状況に対して、呆れ顔で眉をしかめて非難の眼差し向ける自分に気付きましたが、同時にそこに居合わせた他の皆さんのいたって平然、無関心、我関せずの風情にも驚きを持って気付かされました。

どう考えても<公共マナー失格>のその大きな声が聞こえていないはずはなく、だとすれば、一様に不愉快な眼差しとけん制の身体モードが雰囲気として然るべき空気を醸成するはずなのに、そんな気配が微塵も見えません。
それはさながらそこにそんな事実が起こっていないかのような不思議な光景。

大きな声で電話を続けながらバスに乗り込む後姿を見送りながら、こうしたマナー違反への凛とした向き合い方をあらためて構築せねばと痛感した次第です。

2007年5月2日水曜日

数字の発音バージョン

つい先日、どこかの新聞で<紳士録>がとうとう廃刊になるという記事をちらりと眺めたような記憶があります。

正直申せば、それがまだ存在していたということ自体が不思議な気がしましたが、何はともあれ、ひとつの時代の象徴的な形の消滅ということのようです。

はっきり言って、我が家の家系的にはあまりご縁のない代物でしたが、時代の流れの変化やその時代が生み出す考え方や判断軸、そして価値観みたいなものへの時代の影響力の大きさをズシリと見せ付けられた気がいたします。

頑張って、いい仕事をして、しっかりお金を稼いで<末は博士か大臣か>路線のひとつの象徴的な認められ方のスタイルがそこにはたしかにあったはずです。

今で言うところの個人情報がそこに一切合財紹介されるということが、時代のステイタスであり、それを多くの方がめざしていたという事実の記録です。

ある時代に絶対!とされていたものが、ある瞬間に唐突に消滅する。何かの事象に対して無関心でいればいるほど、その変化は突然に見えます。

しかし、それは実は日々の生活における目にも留まらないほどの小さな小さな変化の積み重ねの結果が生み出したものに過ぎません。
結果だけを見れば、驚くほどの大異変も天からそれが降ってくることはありえないという現実にシカと視点を定めておきたいものとつくづく思い至ります。

そこで、ちょっとしたことを疎かにしない癖付けのパート3は数字の置き換えバージョンです。漢数字、アラビア数字という表記方法と共に発音の仕方です。

1,2,3までは<いち・に・さん>4は<し>ではなく<よん>、5,6は<ご・ろく>7は<しち>ではなく<なな>、8は<はち>9は<く>ではなく<きゅう>と発音する習慣をつけ、やりとりのミス防止にお役立てください。

2007年5月1日火曜日

アルファベットバージョン

風薫る5月の初日はここ京都にあっては、時折ピューピュー!という轟音入りのなんともすさまじい突風と季節はずれのつめたい雨で始まりました。

昨日の夏日が一転して、半袖などとんでもないほどの肌寒い本日、なのに、あろうことか以前からの持ち越し企画のゴルフの約束が入っておりました。

ここに至るまでに何度か重ねた調整やら、タイミングやら諸々を踏まえると天候不良を理由に個人的な気分でのキャンセルもままならず、再延期と言うわけにもいかず、せめて少しでも弱い雨を祈りつつスタートすることになりました。

ところが結果的には相当な強風のおかげで、雨雲が予想を上回るスピードで流されたらしく、目を覆いたくなるような今朝の天気予報は大幅に外れて、奇跡的にくもりのち、薄日がさすところまで、天候が回復いたしました。

最悪の状況を予想して、それなりの覚悟をしていただけに喜びもひとしお。
おかげさまでゴルフのプレイにも悲惨な影響はほとんど無く、メンバー全員がこれは自身の善行の為せる技と自慢しあえる嬉しい誤算の1日となりました。

そんな訳で今日は月初ではありますが、気分は完全に休暇モードのGW色に染まっております。しかもこの時間から仕事モードへの切り替えも難しいので、昨日に引き続きまして<いい間違いや聞き違い>の未然防止策として工夫された表現のアルファベットバージョンをご紹介させて頂きます。

適宜、今風かつ自社風にアレンジしてご活用くださいませ!

【 アメリカのA・ベースボールのB・チャイナのC・デンマークのD・イングランドのE・フランスのF・ジャーマニーのG・ハウスのH・インドのI・ジャパンのJ・キングのK・ラブのL・メキシコのM・オオサカのO・パリのP・クイーンのQ・ローマのR・エスオーエスのS・トーキョーのT・ユーエスエーのU・ブイサインのV・ワシントンのW・エックス線のX・ヨコハマのY・ゼロのZ 】