2006年9月30日土曜日

能率とは?

今日、久々にクレームの現場に直面しました。それも受ける側ではなく言う側のしかも付き添い的に。なので当事者でない分、結構 冷静に事の成り行きを観察させて頂きました。クレームの内容を簡単にご紹介すると【先週、購入したベルトの色落ちによる衣服の汚れ】これをどうしてくれますか?というものです。さすがにクレームを持ち込む側も売り場の中の数多い販売員の中からそれなりの風格の担当者に声をかけただけあって、加えて老舗のデパートだけあって、多少、緊張感を伴うやりとりがありつつも、結果的には非常に手際よく、そこそこ感じよく、処理完了となりました。時間にしてみれば、その間、およそ20分程度でしょうか?デパートカードから購入記録の確認やら商品交換の提案やら、非は認めつつ、しかし革製品は色落ちは付き物という念押しやら、結果、返金の手続きから、クリーニングの預かり等々まで。終わってみるととても能率よくきっちり一次クレームで堰き止められました!ご立派という感想です。ご承知の通り、この対応はひとつ間違うとそもそものクレームとは異なる感情領域に突入し、やれ気分を害された、不愉快だ!こんな店もう来ない!という大層ややこしい二次クレームに発展してしまうことになります。

そうなると現場対応だけでは埒が明かず、事はどんどん大きくなってお客さんの方も引くに引けない修羅場へと突き進みます。やがて、顧客センターやら売り場責任者やら、登場人物も増え、作為的な場合を除けば、初期対応の不手際から関係各位の仕事が増えて、本業の能率が低下することになります。

そもそも【能率】とは何か?産業能率大学を創設した上野陽一氏によれば、
『 能とは人の能力とか、機械の性能とかいう場合の能であって、そのモノが固有する持ち前をいい、率は比率をいう。つまり持ち前が全部、実現されている状態を能率という。生物、ことに人間の行動には目的がある。その目的を達成するための手段として行動を起こす。この目的と手段がつりあっている状態を能率という。1トンの貨物を運ぶためには1トン積みのトラックがいる。1トンのトラックを持っていれば、1トンの荷物を載せることが能率、という次第 』

前回、お届けした考え方の方程式『無理と無駄』に新しい仲間として、ぜひ能率をお加えくださいませ。【 目的=手段、これが能率 】限られた週末の休日をエンジョイする秘訣がここにありそうですが!

2006年9月29日金曜日

坂道理論

毎年、この季節になると思い出すことがあります。それはある研修で『 実るほど頭を垂れる稲穂かな 』という有名な句の意味を尋ねた時のことです。
ハイ!と元気良く手を上げた、その人は『秋になって稲穂が実るとその重さで横倒しになることです』とお答えくださいました。この答えに会場中が笑いの渦に包まれ、『しまった!せっかく元気良く答えてくださったのに、恥をかかせてしまう!マズイ』っと咄嗟に思ったのですが、事態は予想を見事に裏切りました。この答えに対して、馬鹿にした笑いは会場のどこからも起こらず、あろうことか、『へーそういうことか』みたいな反応がそこかしこでざわざわと広がりました。『うっ、ウソ!何、この反応は?』という私の内心をよそに平然と自分のお答えに胸を張るご本人と概ね、それを受け入れているその他のメンバー。『違うがな!』っと、一括するのは簡単ですが、それは同様な意見の方々がそこそこいてくださっての突っ込みであるということを、しみじみ感じつつ、それにしても本当にそう解釈してたの?と世の中、聞いてみなきゃわからんなということを痛切に学ばせて頂いた記憶です。ここであらためて解説させていただくのも何ですが、あれからさらに歳月が過ぎたことを考えますと念には念を入れておこうかと思い至ります。もちろん事実はそのお答えの通りですが人生訓としての意味はそれではありません。【豊かに実をつけた稲穂が豊かであればあるほどその重さで自然とこうべを垂れるように、人間も偉くなれば成るほど、頭を下げて、すなわち腰も低く、偉そうぶらずにあらねばならんよ!】という訓戒であります。すなわち、ここのところのテーマであるお辞儀とも密接に関わる課題という次第。そこで週末ならではの【ラッキーの種】にこれを絡めますと、【坂道理論】というものに突き当たります。ご存知でしょうか?この理論。これは人生は山登りと同じという視点で人生に向き合う人の姿勢の在りようを指摘しているものになります。いわく、登坂にいる間は自然に頭が低く下がり気味で、からだは前傾姿勢を保っています。ところが頂上を極め、その頂点から下り坂に入るとからだは自然に後傾姿勢となり、まるで威張っておなかを突き出して歩いているかのような姿勢になります。地形への対策として当たり前なのですが、云い得て妙!な実態にハッとさせられはしませんか?
目指す頂に辿り着いた後も、更なる高みを目指さなければ、すなわち夢は見続けなければ、登坂にい続けることは出来ないのです。裏返せば、前傾姿勢でいることで上り坂に向き合え続けるという可能性もありではないでしょうか?

しっかりしたお辞儀は都度都度、謙虚に人に頭を下げてゆく精神性を鍛えてくれるとともに、目には見えない人生ステージの設計切り替えアイテムかもしれません。
心を込めて誰かの胸に沁み入るようなお辞儀をやっぱり手に入れたくなりますね。

2006年9月28日木曜日

実践の価値と醍醐味

完成度の高いお辞儀の仕上げに注目したいのは手の動きです。ここまで毎日、何度もお辞儀動作に律儀にお付き合いくださった方々はきっと手はどうしたらいいの?という疑問をお持ちの頃合いかと存じます。逆に読みはしているけれども、まるで他人事の上の空、一応見てはいますが、の方々は、そんな疑問すら浮かばない状況下おいでになるはずです。実際にやってみることの価値はここにもありますね。自ら実践を通して課題に気付く効果、その大きさと重さは人間が成長する上で計り知れない価値を持っていると、出来れば今ここでお気づき頂きたいと切に願います。なので、、、あ、そうか!と思った方はせめてお辞儀の取り扱いの最初あたりにお戻りいただいて、ぜひ、実践行動としてやってみてください。そうすれば必ず、どこかの段階から手が手持ち無沙汰だ!という地点に意識が集約され疑問がわいてくるはずです。

そもそも、お辞儀動作の初期に手はどこにあるか、ここにもおそらく個人差は生じます。正しく立った状態のまま手は身体の側面につけている状態の方。あるいはすでに身体の前で手を重ねている状態の方。(この時、どちらの手が上か?という議論は諸説ありますが、この際どちらでもOK!とさせて頂きます。)さらに有り得ないとは思いますが、両手を後ろに組んでしまう癖がある場合は要注意です。多少、職業病的きらいもありますが試験会場でにらみを利かす試験管のような偉そうさが全身から漂います。ゆえにお辞儀動作とはアンバランスな印象になります。しかも見方によっては罪人が刑場に引っ張り出されるような悲哀すら醸し出してしまいます。(そういえば昔は手が後ろにまわるようなことをしてはならん)という言い方があったかと思いますが、、、、、。

身体の上半身を前傾させる動作に伴って両手も自然に前に移動させてゆく形が最も自然に見えますが、お辞儀によっては手は身体の側面につけたままいっさい動かさない方がよい場合もあります。最敬礼がこれにあたりますね。最敬礼のとき、手を前に移動させると最下点では両肘が背中から突き出したような形になってしまいます。なので手は身体の側面につけたまま!となります。
一般的に見て、男性はこのスタイルも美しく誠実さを感じさせます。また女性の場合はやはり前に手が流れてくる方が穏やかな優しさがあるようです。その場合、手は身体から少し浮かせたほうが見栄えが良くなります。これも実際にやってみればわかることです。身体のどこかに手が付いていると場所によっては変な感じですし、敬礼モードの深いお辞儀にあってひざの辺りに手が乗っかっているとお辞儀というより、休憩してます!という感じに見えてしまいます。
こうして自分の身体と相談しながら自分流を確立するのも実践の醍醐味のひとつ!

2006年9月27日水曜日

目礼上手は応対上手

お辞儀の中で上半身がほとんど動かないのが【目礼】になります。同じ音読みの【黙礼】とは少し異なりますが、違いはスラスラ言えそうですか?さらに実践はいかがでしょうか?【黙礼】は無言のままで敬礼することを指し、一般的には様々な式典や葬儀などでよくお見掛けします。ということは【敬礼】はそもそも、言葉を伴う前提!ということになりますね。では【目礼】は?というと【目で会釈すること!】と私の手持ちの辞書(1963年発行の岩波国語辞典)には記載されております。ではここで、各自実践の上、点検したいと思います。目で会釈をしてみましょう。さて、自分の目をどのように動かしましたか?具体的にどうしたか、可能ならば手順を書き出してみてください。

正しい手順は①相手に目線を合わせ②その目線をゆっくり目を閉じながら相手から外し③外す目線に合わせて上半身を前方に15度程度倒し④倒したところで一瞬、静止し⑤徐々に目を開けながら目線と姿勢を元に戻す、となります。できればどなたかとペアを組んでやってみましょう。頭だけ下げず、目線だけ動かさず、あまり素早すぎず、かといって寝ちゃったの?というほどスローでもなく、、、、手順だけみれば簡単なようですが、実際にやってみると思いの他、難しいですね。ここで難しいと気付けば大正解です。そうと気付けば、練習しなきゃ!という気にもなります。そうして練習すれば、当然、上手にもなります。そして目礼が上手にできると実はとてもラクになります。なぜなら、今ここで声は出せない!すぐそっちに行けない!みたいな時にはもってこいのお返事対応だからです。たとえばレストランなどで追加オーダーしたくてウエイターに手を上げて合図をしているのに、反応がないと『わかってんだろうか?』とお客様はイライラされます。そんな時、この目礼が返せれば、今は他のお客様のオーダーを伺っている最中ですら『かしこまりました、今これが済んだら、そちらに伺いますからちょっとお待ちください』というメッセージを伝えることが可能になります。商談中に別の来客ご登場などというときもきれいな目配せ的に、目礼でご挨拶できれば、そこはひとまず安心モードに変換されます。

やはり、【目】は口ほどに物言う道具ですね。しかもしっかり鍛えれば鍛えるほど使い勝手の良い武器にもなる道具。何気ないその目つき!も常にどこかで誰かに見られていると自覚して今日は【目礼】で全方位外交にレッツトライ!

2006年9月26日火曜日

語先後礼と同時礼

最敬礼のお辞儀でおもてなしをすることなど、めったにない昨今です。でも個人的には先週まで取り組んでいた某企業研修で必ず毎日、最敬礼の送迎と大きな声の挨拶をみっちり享受させていただきました。初めてそれを拝見したのはもう何年も前になりますが、、、正直、軍隊みたい!と驚きつつも妙に清々しい気分になったことを鮮明に覚えております。勢いよく90度まで前傾する上半身とピッと一直線に伸びた背筋はそりゃ、美しいものです。どちら様でも背筋、腹筋の継続的鍛錬のつもりで朝礼時には全員で毎朝おやりになるほうが良いのではないかと今は本気で思っております。最近ちょっとご無沙汰ですが、以前は歌手のたかじんさんのコンサートによく行っておりました。ズバズバと歯に衣着せぬ物言いが爽快と毒舌の綱渡り状態のステージですが、漫談の合間に歌!みたいな展開の中、歌い終わった後のたかじんさんの深々とした長いお辞儀がとてもイイ!そのまま手を伸ばせば、床に指先が届くかというほど深いお辞儀。そして長いお辞儀。これがなんだかとてもイイ。瞬間、何かに心を鷲?みにされるような気分は実際に見てのお楽しみ。お辞儀は心を伝える動作として誰もが獲得すべき課題とあらためて考えさせて頂ける機会でもありました。

そこで本日は敬礼。ここにも2つの要領があります。ひとつは一般的によく見るスタイルとして、お辞儀動作と挨拶言葉がセットされた【同時礼】<どうじれい>があります。無意識にやっている敬礼はたいていこちらになります。
試しに、今、『ありがとうございます!』といいながら敬礼をしてみてください。
言葉と動作が同時進行して『、、、ます!』くらいのタイミングで顔は床を見ているはずです。これを意識して分けるのが【語先後礼】<ごせんごれい>です。相手の顔を見て、『ありがとうございます!』と最後まで言い切ってから敬礼動作を行います。ちょっとしたことですがより深い感謝の気持ちを伝えてくれるのは間違いなく後者になります。もちろん状況により使い分けがのぞまれます。

混み合う売り場などでいちいち、語先後礼の敬礼ではモタモタとまどろっこしい感じが付きまといます。手際よさが勝負ならそこは同時礼!反対にゆったりおもてなしが可能な環境やら状況の折には1度、ぜひ語先後礼に挑戦を!もちろんどちらの場合もしっかりと心を込めることは大前提!

2006年9月25日月曜日

流れ会釈と静止会釈

美しいお辞儀をちゃっかり獲得してゆくための、効果的な方法のひとつが他者観察になります。お辞儀をしている自分の姿が見えないのと同様に、実はお辞儀をしている相手の姿も案外、見えない。なので見ていない!ということにまずは気付いているかどうか?ここを通過すると途端に視界が変わります。すなわちもっとよく見ないと勉強にはならないという視点の獲得です。ここまで来ると後は比較的、楽な流れになっていくはず。このことはまた近い将来、自己変革のプロセスというテーマで詳しくご提案したいと思いますが、お辞儀動作ひとつも今日からは意識して観察する!という決意を固めてみてください。そうすることで通勤途上の道すがら、行き会うどなたかのお辞儀の形から沢山の発見があるはずです。ちなみに週末、赤い車は沢山、目に飛び込んできましたでしょうか?<この意味が不明の方は一旦、金曜日のラッキーの種まで、すごろくのように戻る!となります>

さて、姿勢全体の美しさとは別にそこに【 思いを込める 】という観点からお辞儀動作を観察してみるとまた違った世界が見えてくることになります。
たとえば、会釈ひとつにもそれは如実に現れます。一般的には朝の挨拶やすれ違い時の挨拶行動に多用される会釈にも実は2つの要領が存在します。
ひとつは【流れ会釈】と言われるもので、歩きながらその動作を止めずに会釈という動きを加える方法です。軽い挨拶のお辞儀としてはこれが最もポピュラーといえるかもしれません。もうひとつは【静止会釈】といわれるもので、今度は相手に対して一旦、動作を止めて、あるいは姿勢を整えてそこから会釈を行うという方法です。歩いていたなら、その足を止め、しっかり足を揃えて、正しい姿勢をとり、そこから会釈をします。あるいは仕事をしている手を止め、行う会釈、さらにはそれが着席ならば、そこからあえて立ち上がって行う会釈でもあったりします。むろん『丁寧なもてなしの思い』が動作の中に漂うのは言わずと知れた後者の静止会釈となります。だからといってそれ一辺倒が望ましい訳でもありません。あわただしい状況によっては流れ会釈のほうがお互いさまに効率的でもあります。会釈ひとつにも思いの丈の表わしようがあるものだと気付けば、見方とともにやり方も大きく変化するものです。

2006年9月24日日曜日

自分が変わる水の奇跡(著者:江本勝)

タイトル:自分が変わる水の奇跡
著者:江本勝
初版:2005年秋(2006年9月20日第5刷発行)
出版社:青春出版社
1、500円(税抜)

今日は朝から関西のウオーターフロント、関西国際空港のある泉佐野市で半分仕事、半分アウトレット散策のとても充実した1日を満喫してまいりました。関東に比べて巨大アウトレットモールの少ない関西では【りんくうタウン】は京都からでも日帰りでお出かけ可能な嬉しいスポットです。さすが日曜だけあってかなりの人出の中を居並ぶ有名ブランドショップにあちらこちらと目移りしながら、大変有意義なひと時でございました。楽しい時間はあっという間といいますが、ようやく帰路に着く頃には海を隔てた関空の端に見事な夕陽が沈みかけておりました。きらきら輝く海とフラミンゴの羽のようなピンク色に染まったあたり一面の空。京都の夕暮れとは一味違う絶景も堪能させていただきました。

この本の前身である『 水からの伝言 』が世に出たのは随分前の話です。
しかもそれは世界初の水の結晶写真集として、当時、自費出版されたものでした。私も今となってはどうしてその本を手にすることになったのか、記憶は至って曖昧ですが、見る見るうちに多くの反響を呼び、いつのまにかベストセラーになり、大手出版社が乗り出して、とうとう世界中で出版されるに至っている強者本です。なので今回の1冊はそのいくつかある続編の最新版となります。縁があって手に入れたA4サイズの初版本写真集はおそらく今では手に入らないだろうと思いますが、その驚きと感動は寸分違わず、味わっていただける1冊です。なにはともあれ、百聞は一見にしかず!水って凄いですよ。

2006年9月23日土曜日

無理と無駄

昔、私の頭の中の辞書には『無理』という言葉がよく登場していました。そして初めの頃のそれは一方的に私が受け止める側にいました。若い頃、確かに無茶な夢を見たりもします。いきなりそりゃ、難しいだろうという挑戦にあえて立ち向かうこともあります。燃え上がるような闘志が抑えきれずにという時もあれば、勢いのままに止む無くもあります。そんな時、この言葉はピシャリとよくも悪くもよく効くブレーキであったように思い出されます。

多くの場合、『無理』という言葉が意味するものは『難しいよ!』であったり、『不可能だね!』というニュアンスではありませんか?
何かこれまでとは違うことを目指そうとして志を立てたとき、そりゃ、無理だよ!っとけんもほろろにしたり顔で誰かにダメだしされたり。あるいは新しい仕事のやり方を意気揚々と提案した時、そんなこと無理だよ!と頭から否定されて、一気にやる気がしぼんでしまった記憶はありませんか?言う側の本気度やド真剣度はいまさら計測不能ではありますが、往々にしてさほど深く考えもせずそのときの気分優先で、『無理!』と釘をさしてしまう傾向が人にはあるのではないかという気がし始めたのはさて、いつのことだったのか?
いずれにしてもこの言葉、実はあんまり真に受けてはいけないのじゃないかと年々、確信を深めつつあった、ある日、何の気なしに辞書を引くと『無理』とは『道理に反すること』とありました。ええっ!って思いませんか?

この時ばかりは、言葉は生き物!という表現がピッタンコ! いつの間にか、どうも私、及び我が周辺の方々はどえらい勘違いをしていたんだと気付かされました。その後、紆余曲折をへて、現在の私の辞書における『無理』の意味は以下のように大きく変化しました。
【 無理=手段<成果 】・つまり目指している成果に対して手段が乏しい、あるいは不十分、あるいは準備不足の状態が無理ということ。なので手段を強化すればよいだけのこと。ダメとか出来ないとか、素質がないとかそういうことではないということです。

ついでによく似た言葉として『無駄』の意味は【 無駄=手段>成果 】・つまり目指している成果に対して手段が大袈裟すぎとか、やりすぎとか、もうちょっとシンプルにということと解釈しております。こう考えれば、もし、せっかくの夢を誰かに無理とか無駄と決め付けられても、『了解!』って元気に返事が出来そうではありませんか?言葉に向き合う姿勢の鍛錬も大切です。

2006年9月22日金曜日

現実誘引装置

お辞儀という動作は、意識して行うと本当に難しいものであることに気付きます。角度然り、滑らかさ然り、リズム感も問われるし、手の位置も意外に重要なポイントです。正しい立ち方が不十分であれば、両足の開き具合も微妙に気になりますし、ひざが曲がっているのも他人事ながら気の毒であり、顎だけ突き出したようなそれはいかにも不恰好、、はたまた妙にお尻だけが主張するようなお辞儀もあったり、、あらためてお辞儀動作を意識することで、これまでは気にも留めなかったことが驚くほど、よく見えるようになってきます。

さて、同じことが平凡な日々の生活の中でも実は結構、生じていることにお気づきでしょうか?ご存知の方も多いと思いますが、京都市内を駆け抜ける某三つ葉のクローバーマークのタクシーはその数およそ2000台。その中のわずかに4台か5台だけ四葉のクローバーマークの車両があります。たまたまこれに乗り合わせたら、願い事が叶うかも!などという評判で、かなり有名な代物です。しかもめったに出会えない!という訳で見事に乗車できたら記念乗車証なんかも頂ける仕組みと伺いました。ただ、個人的にはかつて1度も乗ったこともなければ、見たことすらありませんでした。京都に暮らして何十年、話には聞くけど本当かいな?といささか仕事がらみの事情も手伝って、ここ数日、毎日そんなことを思っていたら、なんと一昨日、ついに実物を目撃しちゃいました。わあ!本当にあったんだ!って気分ですが、、、、、、意識していると、見えてくるものですよね。

そこでご提案!意識するものは何でも良いのですが、試しに今日は赤い車!なんてのを意識しながら通勤、通学途上、あるいはちょっとお出かけのとき、昼休みなどを意識して過ごしてみてください。なんだかやけに赤い車が多いことに驚くはずです。きっと週末だからでしょうか?あれ、そうでしょうか。

意識したものが近づいてくるのか、それともそこにもともと在ったものが意識することで急に見えるようになるのか、正解はさっぱりわかりませんが、そこには何か大切なものが潜んでいるように思えてなりません。いつもいつも何を思っていますか?もし、思うことが現実を引き寄せる装置だとしたら、、、、、今、ここで出来るラッキーの仕掛けは言わずもがな!ですよね。

ちなみに昨晩、定例のある会合で、、、このブログの文字が小さくて読みづらい!というご意見を戴きました。なんとかなりますか?事務局さん?

2006年9月21日木曜日

背筋を決める、目線!

美しいお辞儀の形を獲得するためには、いくつかのコツがありますが、思いの他、重要な役割を担っているのが目線です。出会いの瞬間をスローモーションで再生してみるといざ、お辞儀でご挨拶の前には実はお互いにしっかりと相手の顔をみていることが判明します。つまりお互いの目を見るところが出発点だとすると、お辞儀の動作に伴って外してゆく目線を最下点でどこに置くか、これが身体の姿勢に大いに影響を与えることになります。試しに今、ここでいつものお辞儀をしてみてください。そして頭が最も下になった瞬間、目がどこを見ているのか、点検をしてみましょう。いかがでしたか?

たいていの場合、無意識でお辞儀動作を行うと、目線は真下を見ることになります。ちょうど自分のつま先の辺りでしょうか?ところがこの状態を横から誰かに見てもらうと背中が丸く曲がってしまっていることに気付きます。せっかく正しい手順で形をマスターしても、これでは背筋の伸びた美しいお辞儀とは呼べなくなってしまいます。頭から背中、そして腰までのラインがシャープな直線に近いラインを描くためには、目線は真下を見るのではなく、数メートル先を見ている状態が求められます。

最も一般的なお辞儀である会釈の角度は30度くらいですが、このときの目線はおよそ5メートル程先の床を見るような感じになります。目線を意識してみるとそれにより頭の角度が微妙に変化することがわかります。上半身を倒す角度が浅い場合は遠くを見たほうが背中がスッと伸びやすくなります。丁寧なお辞儀である敬礼は45度、この場合は3メートルくらいの先を見る感じでしょうか。身体を最も深く倒す最敬礼ではその角度が90度なので、ようやく目線が真下に落ちても背筋はまっすぐに伸びた状態となります。

ご自分の目が相手を捉えるカメラのレンズだと思ってください。始めは顔の中の目にピントを合わせ、そこから素早く胸元から足元へとレンズを移動させます。ここで一呼吸。そして今度は下から上へとゆっくりレンズを戻す感じ。このイメージをまずは頭で理解し、そこから実際に出来るを目指しましょう。

2006年9月20日水曜日

筋肉痛からの獲得!

私が社会人になって間もない頃の研修では、ナント!お辞儀の角度を正確に点検するための小道具としてお辞儀用の大きな分度器が存在していました。
今、思い出してもかなり笑える代物ですが、それをよってたかって真剣に使用していたのですから、しみじみ感慨深くもなります。昨今ではまったく見なくなりましたが、、、考えてみればお辞儀の角度がもたらすものが当時はそれだけ重要視されていた確かな証でもあります。

そして時は流れて、今日。お辞儀の角度などいっさい気にも留めない風の多種多様で、その実なんとも中途半端なお辞儀のスタイルの実情に果たしてこれでいいのか!と首を傾げたくなるのも、また真実。
そこであらためてお辞儀のポイントは①正しい立ち方で立ち、②腰から倒して上半身全体を素早く前に傾け③頭を下げる④この時、目線は相手の顔から順番に胸元、腰、足元へと下げていく要領で外す⑤手は身体の両脇につけたまま、もしくは身体の倒れる角度に添わせながら前に移動させて、両手を重ねる⑥角度を意識しつつ、頭の下げ止まり点で一旦静止する⑦その姿勢で一呼吸おいてからゆっくり身体を元に戻し⑧最後の仕上げに外した目線をもう1度、相手に戻す、となります。日頃、何気なく行っているお辞儀とは手順も形も随分、異なるはずですが、まずはゆっくりと順番に実践してみてください。頭の中で一つ一つの形を意識しながら筋肉に覚えこませるようなつもりで行なってゆきます。まっすぐ立って、上半身だけ倒すわけですから相当、腹筋が必要になります。つまり、おなかに力を入れることもお辞儀動作の大切なポイントです。ここがしっかり出来ていないと背中はなだらかな丸みを醸し出し、キリッと引き締まったお辞儀にはほど遠くなります。こうして少しづつ、滑らかな一連の動作としてのコツがつかめてきたら今度は全体のリズム感を意識します。
美しいお辞儀のリズムは【 素早く倒して、一呼吸おき、そこからゆっくり戻す 】となります。この実践に問われるものは精神論の美しさではなく、筋肉痛を伴う美しさの獲得と心得え、スポーツの秋の挑戦課題として、いざ!。

2006年9月19日火曜日

出会いの動作は民族の証

出会いに伴う動作を【お辞儀】と認識するのは、なんだかんだ言っても日本人の証拠。なぜならば、同じ挨拶でも欧米人の場合はお辞儀ではなく【握手】になるからです。握手は英語でシェイクハンド。なのでしっかり握ってしっかり振る。さらにこのとき、アイコンタクトが不可欠です。お会いできて嬉しい!という気持ちをしっかりと眼に込めて、お互いの目を合わせます。そうしないと出会いが嬉しくないという意思表示になるのできっちりアイコンタクトは欧米系挨拶の重要なポイントになります。世界各国の出会いの挨拶動作は様々ですが、大別すれば狩猟民族系と農耕民族系に二分され、前者は握手、後者はお辞儀となります。獲物を追いかけて食料を確保する狩猟民族にあっては獲物を追いかける途中で、当然、他の部族とも出会うことになります。この時、部族の長がお互いに害を加えるつもりはないことをアピールするために、何も武器を隠し持っていないことを左手で示し、右手で握手をして、挨拶を交わしたのが始まり。しかし、決してお互いに油断はしていないので目線は絶対に相手からは外しません。なので現在は好意的なメッセージを伝えるためのアイコンタクトもはじめは実は我が身を守るための最大の手段だったという事になります。

さて、農耕民族の場合は田畑を耕し、農作物を育てるためには仲間同士が力を合わせなければ乗り越えられない課題が沢山あります。そこで仲間に対して、心からの敬意と信頼の証としてお辞儀という動作が編み出されました。それはちょうど犬が自分より強い相手に対して、おなかを見せて服従を誓うように、相手に対して腰から上半身を倒して頭を深く下げることで首の後ろを無防備な状態でさらけ出すことで、強い信頼の念を表わしています。なのでその下げ方が深いほどより敬意も深いお辞儀として、角度により種類が異なるものとなっています。正しい立ち方を基準に上半身が90度の角度まで下がるお辞儀を最敬礼といいます。この半分の45度くらいが敬礼。さらに30度くらいが会釈、その半分の15度くらいが目礼とか黙礼の頭を下げる角度の目安になります。

そして信頼を表わすための最大のポイントは目線を外すことにあります。ここで欧米系のアイコンタクトのように目線を残してしまうと、信頼していないというメッセージと貴方を警戒しているという雰囲気が見事に漂うことになります。お辞儀動作にあっては目線は一旦外す、但し動作を戻したときには目線も戻す!ここが大きなポイントになります。何気なくしているお辞儀、まずはこのあたりを点検してみてください。悪気なく目が残っていませんか?

2006年9月18日月曜日

出会いの定番動作

世の中、広いようで狭いものです。これ偏に見る側の心のありように起因いたします。随分、昔に作者は不明ですが、小学生の作文として紹介された一文でそのことを強烈に自覚させられました。
『遊んでいるとき、狭いな狭いな運動場。石拾いのとき、広いな広いな運動場』という文章です。どなたの記憶にも同じようなものがありはしませんか?お昼休みや放課後に場所を取り合って遊んだ運動場は、本当にすぐ誰かとぶつかったり、邪魔されて小競り合いになったり、なんでこうも狭いのかと子供心にも首を傾げたくなったものです。ところが月に1度か2度全体朝礼みたいなものが運動場で行われ、校長先生のお話を聞いた後に引き続き全員で石拾いをさせられたときには、なんて広く感じたことでしょう。同じ運動場なのに!

これと同じことがいくつになっても様々な場面で繰り返され、ひとつひとつ世の中の真理に近づいてゆけるのかも知れません。それはともかく、最近では実感として世間は狭い!と痛感しております。おそらく社員の方々に夢を持て!の岡村氏も同じ思いを日々、体感されていることかと思います。とにかく出会いがもたらすものが単純に1対1ではなくなってくるのがその理由のようです。つまり初対面の出会いがあって、アレコレ話してゆくうちに驚くような過去からの接点があったり、知人の誰かがお仲間だったり、それこそ学校が同じだったり、趣味の世界でつながっていたり、、、とその瞬間に一気にまだ見ぬ知り合いが複数で誕生してしまうような経験が年齢とともに確実に増えてまいります。これ、あまり語りかける方がいらっしゃらないので世間に浸透してはいませんが、『人間が年齢を重ねる醍醐味のひとつじゃないか』と受け止めております。

但し、このことは逆から見れば油断大敵!という事態でもあります。つまりある一定以上の年齢を超えたときに、過去の対応やら付き合い方やらが束になって、自分自身が紡いできたつもりの他者との信頼の絆の強度点検に襲い掛かってくるようなものとでも申しましょうか。となるならば、現在のいつ、いかなる時のどんな出会いも決しておろそかにしてはいけない事になります。それがやがて未来に継承される以上当然といえば当然。これを肝に命じて、今週からは出会いの定番動作、お辞儀に取り組んでまいります。敬礼!

2006年9月17日日曜日

至福の人生<あなたの夢を実現するために>(著者:ディーパック・チョプラ)

タイトル:至福の人生<あなたの夢を実現するために>
著者:ディーパック・チョプラ
初版:1993年4月20日
出版社:春秋社
3、200円(税抜)

世界の人口がたしか、、、64億7800万人。その中でトップを競い合っているのがインドと中国。国力とはすなわち人間力だとするならば、まもなくこの2つの国が世界の中心になってゆくはず!と予感せずには入られませんね。
今、現在がどうだ!とか、過去がどうなんだ!ではなく、かつて太宰治氏が語ったように『現実は目の前にあるのではない。自分が信じるところに現実はある』とするなら、両国においての何かを信じる姿勢の一途さはかなりのものではないかと拝察しております。とりわけ、インドにおける凄さの代表はなんと言っても【アーユルヴェーダ】とか【ヨーガ】の世界。日本ではエステッティクサロンやフィットネススタジオのメニューのひとつみたいに軽く受け止められているような気がしなくもありませんが、とんでもない間違い。どちらも実は物凄い領域であって、そうそう私なんぞが簡単に解説できる代物ではありません。あえて、口幅ったく申し上げるならば、東洋文化とか東洋医学の原点にある『心の存在』へのあくなき探求。それを大命題とした非常に広範囲に亘る、心身への挑戦がそれらを通して人生のごく日常的な取り組みとして連綿と続けられている様には、理屈を超えて畏敬の念を抱かずには入られません。

結構分厚い一冊ですが、すこぶる感動的、かつ驚きのエピソードに溢れた内容を医師の視点から冷静な理論が裏付けてゆくという構成です。
『夢を見なくちゃ!』って気分醸成に貢献度大のお薦めです!

2006年9月16日土曜日

夢は目的、出発点

よく似た言葉なので、使い方が結構、無茶苦茶になってしまっているものとして、『目的と目標』があります。しばし、その意味の違いを考えてみてください。スッキリ、ハッキリ言えそうですか?どうもこのあたりの消化不良も手伝って、一層『どこへ行こうとしているのか』という未来設計手順に不備が生じるのかも知れません。
上位概念は『目的』になります。このため、目的があって初めて目標が存在します。目的の的は『まと』のこと。ダーツの的などを思い浮かべるとわかりやすいかも?
この目指すべき的に向かってダーツの矢が様々な軌道を描きながら飛んでゆきます。それはまるで様々な道標に従って、人がその人生を生きてゆくように。目的を達成するための目標は故に幾通りも存在します。しかも目標には【いつまでに、どのくらい】という具体的な数字がついて回ります。反対に目的は夢であり、希望であり、到達点なのでかなり抽象的でOK!となります。

たとえてみると、目的が世界中の高い山に登ること!であれば、目標は次のようになります。①旅行費用として3年後の出発を目指し、毎月3万円づつ積み立てる②登山用具を3ヶ月に1点づつ買い揃える③基礎体力作りのため、毎週4日、最低5キロ以上はランニングを継続する④山に関する情報収集のため、専門誌を月2冊は購入する⑤各種セミナーに半年に1回は参加する。等等
こうして3年後には世界のどこかの山の頂上に立つことが可能となります。
目標に具体的数字が絡むのはそれにより進捗度合いが管理できるからです。
たとえば、毎月3万円の貯蓄のはずが、半年後に通帳を見てみたら事情もあって15万円しか貯まっていなかったとします。つまり3万円はきつい!となれば2万5千円に軌道修正をして態勢を立て直すことができます。他の目標もすべて、数字が絡んでいればこそ、こんなふうに修正が行えます。だからこそ、目標管理という言葉が存在します。目的管理とはいいませんね。

夢からすべては始まります。しかも人は皆、自分が到達できそうもないことは夢にも思い浮かべないと多くの先人が語っておられます。となれば、ふと夢見る何かは十分に実現可能な夢という次第。それが目的、そこがスタートライン。

2006年9月15日金曜日

今、ここで決めること

立ったり、座ったりしているうちに、今月も折り返しポイントを迎えました。そして早くも週末、金曜日。秋の日のつるべ落としを実感する暮れ時の情景が一層、時間経過を早く感じさせる季節なのかも知れません。故にモタモタしているとこういう感じのまま、いたずらに日々を過ごしてしまいそうで、それはどうも具合が悪いかも!などと、やっぱり思案の深まる今日この頃です。
『そのうち、そのうち、日が暮れる、今来たこの道戻れない、、、』という歌がありましたが、本気で何かを目指しているなら、『そのうち』という口癖や姿勢癖からの脱却こそがスタートラインといえそうです。つまり、どこかに辿り着くための最短コースでもあり、何かの達成のための正しい姿勢とは、『いつか、どこかで』ではなく、『今、ここで』という姿勢ということになります。

そこで質問です。出勤途中のあなたにどこかのTV局のレポーターがいきなり現れて、マイクを突きつけてきました。『今からどちらに行かれるのですか?』さあ、お答えください。答えられますか?これは簡単ですよね。『会社です!』とか、『学校に行きます!』とスンナリ答えられるはず。では、伺います。今度は人生の今を生きている貴方に質問です。『ここからどこをめざしているのですか』先ほど同様に何の迷いも躊躇もなく、スンナリ答えられますか?

もし、答えに数秒以上、戸惑うようなら自分の人生の目指している場所が相当曖昧?ってことになります。それがどうした?とか だから何なんだ!という気分はさておき、少し冷静に考えてみてください。行き先も定めずに宛てもなく歩き続けるような人生が果たして理想でしょうか?闇雲に歩き回っていれば、なんとかなるさと本気で思えますか?もちろん、放浪の詩人が夢ならばあながち、その回答が間違っているとも申せませんが、、、、。
『何をめざすのか?どこをめざすのか?』を決めるのは『今、ここで』

2006年9月14日木曜日

記念写真の美技!

正しく美しい座り方が歴史に刻まれることがあります。そう、記念写真です。もちろん、最前列で座った場合!ということですが、学校の入学、卒業。社会人の第一歩、入社式。そして結婚式や各種記念行事の記憶。あるいは今時は激減かもしれませんが社員旅行での記念の1枚や、スポーツの秋の体育祭の1枚。そこで、たまたま、最前列に座ることになった場合のために【基本の正しい座り方】にプラス、ワンポイントアドバイスを2つ、お届けします。

ひとつは足のポジションです。正しい立ち方のまま、椅子の前に立ち、そして座面の前半分くらいに浅く腰掛かけると、足の位置はやや引き気味となります。通常はここで、横から見たときのひざ部位の角度、90度を意識して、少し前にかかとの位置を動かします。そうすることで次の動作である立ち上がりやすさへの角度構築にもつながる次第。さて、記念写真などの場合は、この足位置をさらにもう少し前方に移動させます。椅子に座って鏡の前で点検してみてください。わずかな移動でひざから下の足の長さが驚くほど違って見えるはず。
椅子の内側に足を引いたままでは短く見えるため、いささかアンバランス。
せっかくの記念写真の1枚はすらりと伸びた足元で決めたいですね。女性の場合、両足を左右揃えてどちらかに流す!というのもエレガント。但し、これは集合写真の場合は座り位置と全体のバランスがあるので、カメラマンの指示に従ってください。

もうひとつは顔のポジションです。まず、表情は笑顔!これは絶対条件。そして上半身は正しい立ち方のまままっすぐ前を見ている状態。ここで最後の仕上げに首を少し、後ろに引きます。つまり、頭部をわずかに後方移動させます。ちょっとしたことですがこれによって【今時はやりの小顔!】が驚くほど簡単に、瞬間に構築されやすくなります。もちろん、あくまでもお隣さんとの比較において!ではありますが。いわゆる遠近感の演出とでも申しましょうか?
騙されたと思ってぜひ、1度お試しくださいませ!

2006年9月13日水曜日

秋の音色、動作の音色

日常の立ったり、座ったりという何気ない基本動作に【評価するのは他人】という視点を加味してみると、更なる課題が垣間見えます。それは動きに伴う音というテーマです。結論から申せば、私たちの様々な動作は意識がなければ案外、都度都度おおきな音を立てるものです。反対に強く他者のへの配慮を意識している時には、ほとんど音がしなくなります。つまり不用意で耳障りな音が付き纏い始める理由は他人への意識の欠落と言うことが出来そうです。

たとえばテーブルにコーヒーカップを置くときに、最後まで気を抜かなければ、かすかな着地音はほとんど耳には聞こえてこないものです。ところがこれを怠るとガチャン!とぶつかるような音がします。あるいは最後まで手を放さなければ、防げたはずのドアが閉まるときのバタン!という大音量。些細なことのようですが、試験会場などによくある2人がけ長机に座っている場合、心配りが細やかであれば消しゴムの使い方も違ってきます。あまり机を揺らさず、お隣さんが字を書く邪魔にならないように気をつけるはず。ところが現実は隣のことなどお構いなしの我関せず、机ごと揺らしているかのような勢いで消しゴムを使うという、びっくりするような光景が平然と繰り広げられたりします。

同様に椅子から立ち上がるときにも、意識がないと思いがけなく音を伴います。特に正しく座っているときほど、浅く腰掛けているため、腰を浮かした反動で椅子に弾みがついて思わぬ音を立ててしまうことになります。まっすぐ上に立ち上がるその瞬間に、わずかに指先を座面に添えたり、反動を極力つけないように意識したり、小さな工夫が大きな印象の差を生み出すことになります。

時々、となりのトイレの個室からガラガラ!!と物凄い勢いでトイレットペーパーを巻き取る音がして、いったいどんな御仁かと顔を拝んでみたくなることすらあります。個室だからとて油断大敵。気取っていても日頃の動作のツケはいつかどこかで必ず払わなくてはならないときが訪れるようです。
動作に伴う音、今日はあらためて虫の音ならぬ、自分発の音にご注目を!

2006年9月12日火曜日

日常動作の筋トレ化

座り方の良し悪しが問われる代表的な場面はやはり面接、次いで初対面の商談あたりでしょうか。たかが椅子に腰掛ける動作ひとつもいざとなるとぎこちなく、観察されていると思えば、一層ぎくしやくしたものになります。正しい座り方の手順に従い、まずは形を理解し、それをからだに覚えこませる。そこにはやはり継続的練習が不可欠です。それなのに『出るとこ、出たら出来る!』なんて強がりは何の支えにも保証にもならないことをあらためて自覚し、この際、本気で封印すべきでしょう。れっきとした社会人なら、断じて禁句のフレーズと受け止めています。

さて、ご存知のように私たちの身体は骨と肉で出来上がっています。つまりあらゆる動作は基本的には筋肉の動かし方とか使い方でどうにでもなるということです。但し、筋肉には廃用性萎縮の原則というものがあり、簡単に言えば【使わないものは衰える】つまり未使用の筋肉はどんどん退化していくという次第。尻尾の名残りといわれる尾?骨の先に、本当にしっぽがあったのかどうか、真偽のほどは存じませんが、使わなければ、やがてなくなってすらしまうというのがこの原則です。となると日常のどんな動作もなめて掛かるわけにはいかないことに気付きます。それなのにというか、残念ながらというか、座り方などは日頃、相当なめられている課題ではないでしょうか。若者に限らず、そこそこの貫禄の紳士淑女も電車にだらしなく腰掛けたその様子は、五十歩百歩。せめて1時間に1度くらいのペースで身体の筋肉を意識しながら、正しく座り直して姿勢を正す!これだけでも立派な鍛錬になります。

さらにその姿勢から立ち上がるときが、これまた絶好の筋トレ、チャンス。
正しく座って、そこからまずはいつもの感じで立ち上がってみてください。
何気なく立ち上がる時、ご自身の頭が牽引車となって斜め前方に伸び上がってはいませんか?だいたい5,6キロはあろうかという頭の重さを反動に立ち上がる癖がついていると、カウンター業務などで向き合うお客さまに立ち上がろうとした際に顔が大接近してゴツン!なんてことにもなりかねません。

正しくは太ももの裏側にあるハムストリングという筋肉をしっかり使って上半身をそのまま、真上に引き上げます。これっていわゆるスクワット運動です。正しく座って、正しく立ち上がる。意識を変えれば日常動作が見事に基礎トレーニングに変身します。

2006年9月11日月曜日

90度で決める、座り方

8月の終盤に始まったある企業の大型研修も本日がちょうど折り返し点。
おかげさまで、日々、適度な緊張感と高揚感に支えられ、たしかにハードではありますが、一方で非常に充実しているのも本音。まだ半分か!というよりは気分は明らかにあと半分か!!と残り少なくなってゆくことを惜しむモードで、心はドンドンその会社の社員化されています。さてこの研修では1日あたりに平均すれば、毎日100名を超す新たな出会いを頂いていることになりますが、講習会では私は立ち姿、参加者は座ったままの状態となります。(ちなみにこちらの会社では挨拶行動が徹底されていますので、開始時、終了時は見事に揃った最敬礼のお辞儀と大きな声でご挨拶が頂けます。このときは全員、起立!となります。)

その昔、落語家の桂文珍さんが関西のある大学の講師になられたばかりの頃に『なんで教わる方が偉そうに座っていて、教える方が長時間立たされぱなしなんやろね?』とおっしゃっていましたが、確かに不思議な気がしなくもない瞬間があります。それは決まってお行儀の良くない座り方の御仁がそこにチラホラおられる時になります。立ち方同様、座り方にもいろいろありますが、相手からどう見えるかという意識の有無が大きく影響してくる課題のひとつ。

正しい座り方は①正しい立ち方のまま、椅子に腰をおろします。②椅子の座面の前半分にお尻が乗るくらいで奥まで深く腰掛けない③当然、背もたれには持たれない④手はひざの上、となります。加えて、女性は膝頭をつけたまま、男性はご自身の肩幅の内側くらいまで広げても大丈夫。この座り姿を横から観察すると角度が生じる部位が各々90度になっている感じでしょうか。
何はともあれ、この手順で1度お試しのほど!違和感があったり、苦しかったり、できなければ、日頃の座り方に相当課題あり!ということになりますね。

2006年9月10日日曜日

ブーメランの法則(著者:ファーガル・クイン)

タイトル:ブーメランの法則
著者:ファーガル・クイン
出版社:かんき出版

様々な講演や研修の機会を通して、さわやかで居心地の良いおもてなしのこころを磨き、こころに響く技を確立したいと願っていますが、それはいわば、究極の顧客満足創造への挑戦でもあります。

こんな風に言ってしまうとやたら大上段で構えすぎに聞こえるかもしれませんが、本音は私自身が一人の顧客としてあらゆる場面でもっと快適に、もっと心地よく、もっとスマートにもてなしてほしい!としみじみ願っているからです。
ちょっと見たい!だけの時には上手に泳がせてほしいし、逆に相談に乗って欲しいときには精一杯、親身になってもらいたい。買うつもりだったけど、どうしても気に入るものがなかったときには気兼ねなく買わずにすむ雰囲気を作って頂きたいし、すこし奮発して高いお買い物をしたときくらいはなんだかんだでお世辞のリップサービスだって案外嬉しいかもしれない。目が合ったら自然な引き込まれるような微笑で挨拶して欲しいし、上手な距離感、滑らかな敬語。プロらしくあるために、はたまた客商売の原点として、、、もうちょっと本気で、真剣にお客様のこころの本音に耳を傾けましょうよ!ってことが正直な気持ちです。ここで最も注意しなくてはならないのは、決して【もてなす側】の自己満足評価ではなく、あくまでも【もてなされる側】の顧客が評価する満足であらねばならないという点です。そしてこの実現に向けて重要なポイントは【顧客の声を聞くこととその仕組みをいかに作り上げるか】に尽きます。そんなことは百も承知!という声が聞こえてきそうですが、言うは易し、行うは難し。

このことを目の覚めるような行動力と実践の記録で、丁寧に教えてくれる1冊です。【わかる】と【できる】の大きな隔たりに気付かせてくれる1冊です。

2006年9月9日土曜日

上級定番フレーズ

体と言葉と動作が絡まりあって発信される様々なメッセージを上手くキャッチボール出来れば、間違いなく良い対人関係が築かれます。
ところがゴルフのスイングさながら、頭でわかっていても身体が思うように動かなかったり、言ってることとやってることが違っていたり、わずかなタイミングのズレがミスショットに繋がったりと実にもどかしいのが実情です。

聞き上手については先般、その基本ステップをご紹介しましたが、《立ち方》同様にそこにも更なる向上への課題は用意されています。
いわく、【聞き上手とは身体全体で聴き、相手に8割、語らせることなり!】といいます。本気で聴き上手を目指すのであれば、ぜひここもクリアしたいポイントです。しっかりした姿勢を土台にその身体が前傾して身を乗り出すことで表現されるものは、『興味や関心の強さ、深さ』になります。そしてその身体がうなづく動作とともに上下すれば、『同感!であったり、納得!』のメッセージが伝わります。さらに様々な身振り手振りとあいづちが『しっかり聞いてもらっている!』という安心の設計に貢献します。

さて、どのような集まりであろうとその場には、何とはなしに形成される独特の空気が存在します。特に複数メンバーが同席する中では、良くも悪くも常に話の中心となる人物がいて、それはそれで楽しいのですが、気がつくとえらくバランスの悪い空気が醸成されていたりします。それはたとえて言うならば、誰か一人が延々喋り続けていて、他は聞き役しか回ってこないとき。こんなときに司会進行役のような誰かがいてくれて!発言バランスをカジ取りしてくれればいいのにな!と案外、皆思っています。同様に聞き上手でありたいのにもし、自分の方がしゃべりすぎているなと思ったり、なぜか、自分のことばかりが話題になりすぎているなと感じたら、コツは同じ話題に対して、『アンドユー?』と他の誰かに『貴方はどう思う?』と話題を振ってゆくことです。
あるいは『バイザウェイ』でモードチェンジ。誰かの話の区切りを待って『そうですね、』と共感で締めくくってから『ところで』と話題を変えて、しばらくは聞き役オンリーだった誰かにアンドユーでバトンタッチ!します。

アンドユーとバイザウェイはバランスの良い、聴き上手の上級定番フレーズです。

2006年9月8日金曜日

気の大元が『元気』

朝晩の冷え込みと日中の気温差から、油断するとか風邪を引きやすい昨今。風邪は万病の元と申します。くれぐれもご注意の上、万が一引いてしまったらうつさぬ配慮が肝心です。

さて、たかが《立ち方》ひとつも随分難しいものですが、最後の仕上げは目には見えないからだの軸がしっかりと通っているかどうかの点検になります。今回は誰かの協力が絶対に必要です。正しく立った身体の肩の辺りを左右どちらからでも構いませんので、ちょっと強めの力で押してもらってください。感じとしては電車やバスに乗っていて急ブレーキがかかり、よろめいた誰かがもたれかかってきたような力加減でしょうか?ドン!と押されてぐらっときた身体がそのまま、横によろめいてしまう方もあれば、ぐらっと来つつ、その状態をしなやかに吸収してよろけずにその場で踏ん張ることが出来る方もいらっしゃいます。

この状態の差を生み出すものが実は身体の軸とか、芯とか、あるいはセンターといわれるものになります。立ち方の仕上げとして、このセンターを通す方法をご紹介します。まず、両足のつま先からかかとまでを平行に足一足分くらいをあけて立ちます。このまま両足のかかとを上げてつま先立ちをします。そのまましっかりと肛門を締め、つま先立ちのままで左右のかかとを合わせます。そしてかかとをあわせたまま、ゆっくりおろします。うまく出来ないときは、手で壁を支えにしたり、何かにつかまってやっても大丈夫です。この動作を行ってからもう1度、横から押してもらってみてください。さっきよりもからだが力強く衝撃を受け止めて、しなやかにそれを吸収して踏ん張りが利いてくる感じがするはずです。これが芯の通った状態であり、ふらふらしない気の大元。
この動作は腰骨の中心にあって重要な役割を担う仙骨という骨を本来あるべき状態に立て直すための最も簡単な方法のひとつです。いつでも、どこでも簡単にできる動作なので、気付いたら何回でもトライしてください。正しい立ち方の基本の手順がクリアされた次にようやく気の元、すなわち元気の仕掛けとなる次第。身体から発信される雰囲気力が元気いっぱいなのか、、、なんとなくしょぼくれているのかはここにひとつの違いがあることになります。

俗に『元気もうつるが病気もうつる!』と申します。職場や家庭や友達の輪の中でどちらを伝染させていますか?そして、あらためてどちらがラッキーの種になるのか、言わずもがなの選択ですね。

2006年9月7日木曜日

技術と鍛錬と根気!

なんだか、久しぶりの雨と雷が京都市内を覆いつくした昨晩。今朝の空はすっかり秋なんだ!と語りかけているようです。猛暑の記憶はまだ身体に残っていますが、夏モードとはそろそろお別れのタイミングかもしれません。だらだらと身体を緩めることも時にはもちろん大切ですが、夏から秋へのバトンタッチが様々なスイッチチェンジで行われるように、しっかり立つことは身体のモード切替だけでなく、気持ちのソレにも有効ではないでしょうか。そこでまた別の観点から《立ち方》の点検です。正しい手順で立った姿を昨日は真横から点検しましたが、本日はこれを真正面から3メートルくらい離れて行います。
昨日同様、誰かに頼むことも出来ますし、今回は姿見などを使えば、自己点検も可能です。立ち方の7つの手順ではご紹介しませんでしたが、今回のチェックのためには両手の指先の位置が重要になります。なので、最後の仕上げとして、身体に添わせた腕の指先にまでしっかりと神経を届かせてピシっと伸ばす!を意識してください。その指先の左右の位置で身体の歪みに睨みを効かせてみましょう。もちろん、真正面から離れて見たときに、左右の指先が同じ位置にあれば、ベストですが、此の時には両肩の位置もずれていないか点検をしましょう。左右バランスよく立っているつもりでも長年の生活習慣や動作の癖でどちらかが上がったり下がったりしているものです。たとえば、右利き左利き故のよく使う方の腕が長かったり、いつもハンドバックをかける方の肩が微妙に下がっていたりします。職業柄の身体の癖もありますが、何であれ、わずかな歪みもやがては大きな歪みや故障の原因を作ってゆきます。
誰のものでもない自分の身体を見えがかりの美しさだけではなく、健やかさのためにもぜひとも鍛え上げたいものです。
さらに面白い点検方法としては2台並べたデジタル体重計に片足づつ乗る!というのがあります。バランスよく立てていれば、理屈上は体重割る2の数字が表示されるはずですが、、、、なかなかそうもいかない実態をチャンスがあればお試しください。ちなみにアナログの体重計では針が止まらないのでおそらく計測は不可。デジタルでも静止するのにはかなりの根気が要ります。すなわち静止しているようでも身体は実は動いているのですね。
壁を使って、正しい立ち方を行った場合、後頭部、肩甲骨、お尻、かかとがきちんと壁につくかどうかも意識したいポイント。このとき壁に沿わせながらどちらかの手のひらを背中の裏と壁の隙間に差し入れて見ましょう。
ちょうど手のひら1枚分くらいの隙間が空いているのがベスト。ここで握りこぶしが作れるようなら、背中がそりすぎ!ということになります。
こうしてみると《立ち方》ひとつにも技術と鍛錬と根気が求められます。
だからこそ、ファッション雑誌の表紙を飾る一流モデルの姿が美しいのですよね、たまたまではなく。ローマは1日にしてならずを痛感したい課題です。

2006年9月6日水曜日

決め手を握る顎!

今日はまた、賑やかに嬉しいニュースの号外が巷を賑わしそうな朝を迎えましたが、こちらは至ってシンプルに昨日の続きをお届けします。

《正しい立ち方》を手順通り、実行できたら、次はそれが本当に正しく出来ているのか否かの点検になります。ここは自分だけでは難しいので家族やお友達、あるいは職場の仲間に協力を頼んでください。正しい立ち方で立った姿を真横から観察します。そのポイントは耳のポジションです。なので髪の毛や帽子などで耳が隠れてしまわないようにしっかり耳を出してください。
正しく立てていれば、真横から見たときに耳は肩から伸びる腕の幅のちょうど真中に位置することになります。ところが多くの場合、腕の幅のあたりよりもかなり前に耳があったりします。これ、すなわち顎がしっかり引けていない証拠です。つらつら思い出して頂くと、以前、顎のポジションや、うなづきかたでもご紹介した課題は実は正しい立ち方と大きく関わる課題であったことになります。顎をしっかり後ろに引くことで耳はあるべきポジションに移動します。

これはあくまでも個人的意見ではありますが、どうもいつのまにか、美的評価の観点から二重顎をさけようとして、顎は少し上向き、かつ突き出し気味の傾向が広く普及しているのではないかと睨んでおります。そのせいで醸し出される身体モードや顔つきのデメリットは<エラそう、生意気そう、威張ってる>あたりでしょうか?顎の位置の重要性をしっかり認識するだけでも不思議と身体の中に1本筋が通りやすくなります。
あまりにも日頃の立ち方と異なるため、最初は違和感があるかもしれませんがまだまだ、ここは入り口。チェックポイントはさらに続きます。さて、そうこうしている内に【男子誕生!!】の朗報がニュースで流れてまいりました。
まずは気を付け!で、しっかり姿勢を正して、心からお祝い申し上げます。

2006年9月5日火曜日

アテンションプリーズ!

当たり前すぎて、気にも留めないことですが、人は腹筋と背筋がなければ立つことが出来ません。四足だった太古の昔から、ある日立ち上がり、二足歩行に移行するまでにどれほどの時間を要したことか、現代に生きる私達にとっては想像すら叶いませんが、《立つ》ことができたおかげで、他の動物とは異なる進化のプロセスがそこには確かに用意されていました。

それなのにあらためて問われると《立つ》という動作の手順すら説明できなくはありませんか?まず、はじめに何をどうするのか?次はどこをどうするのか。
『はい、しゃんと立って!』とか、『きれいにまっすぐ立って!』くらいは言えるでしょうが、、、残念ながらこれではわかりやすい指導には至りません。
しゃんともきれいも所詮は人の主観が判断するものだからです。ある人からすれば、ふにゃふにゃの猫背モードでも、本人は今日はしゃんとしている!と思っているかもしれません。きれい!だって絶対の基準があるわけではありません。出来るということはその前提にわかるということがなくてはならず、わかってできることこそが伝承可能な課題と見ることも出来そうです。

別の方向から眺めれば、それはたとえば、生まれつき運動神経に恵まれた誰かが、こともなく実践できる何かを他人に伝えることが至難の技である理由でもありそうです。『だって、できるんだもん!』という世界にあってはむしろ『なぜ出来ないのか』こそが不可解なのです。どうやら、人は自分が出来ることに関しては見事に無関心であり、なぜそれが出来るのかを考えないように初期設計されているのではないかと思い至ります。故に立ち姿は千差万別。かつ相当な個人差があります。

《正しい立ち方》は①かかとをつける、②つま先は自分の握りこぶし1個分開ける、③ひざの内側をしっかりくっつける、(くっつかない場合はできるだけその意識で力を入れる)④お尻を締める、(つまり、肛門を締める)⑤おへその辺りの筋肉を上下に伸ばす、⑥上下に伸ばす姿勢をより滑らかに行うために思いっきり肩をしっかりあげてストン!とおろす、⑦最後の仕上げはつむじの髪の毛が天井から吊られているつもり、となります。実行のチャンスはまずは朝一番の挨拶の時、上司の指示を受ける時、来客応対の送迎時、さらには得意先の訪問退出時、仕事を終えての退出時、そしてちょっとした離席時など。1日の中でことあるごとに、休めモードに緩んでいる姿勢を《アテンション!》と気をつけモードに変換させましょう。この癖付けを心意気ではなく、具体論としてしっかり実行することで忘れていたしなやかな筋肉の記憶を目覚めさせていきます。とき、まさにスポーツの秋。日常的挑戦にはもってこいです。

2006年9月4日月曜日

自己流動作のブラシュッアップ

顔つきが表情筋の為せる技であるように、何気ない身体動作も筋肉の動かし方ひとつで大きく変化します。このため、まず最初に正しい基本動作についてのしっかりした知識を獲得することが非常に重要になります。

たとえば、《立つ》という動作はどこをどうすれば出来るのか。知識があれば、具体的な手順を言葉で伝えることが出来るはずです。ところが多くの動作の大半は誰に習うことなく、気付いたら、いつの間にか出来るようになっています。このため、あえてそれを説明することもなく、あるいは改めて問いかける事もなく獲得され、それだけにかなりの個人差があり、悪気なく自己流の領域でしかないというのが実態です。
それはさながらアヒルのインプリンティングであり、最初に見た動く黄色いものがお母さんであるかのように、父親そっくりの歩き方や、おばあちゃんに瓜二つの笑い方がそうして日々、築かれてゆきます。

セミナーや研修ではこの自己流動作の点検のために、様々な方法を取り入れていますが、最もわかりやすいのは《 腕組み 》でしょうか。
実際にやってみましょう。そして腕組みした腕は右左?どちらが上になっていますか?私は右手が上にのっかります。この腕を逆にしてみるとなぜか、しっくりこない!と感じませんか?つまり、、そうであればあるほど自己流度が強い証拠。同様にお祈りをするように《 手を組む 》と、このときどちらの親指が上になりますか?私は左手の親指が上になります。皆さんはいかがですか?これも反対の親指が上になるように手を組み替えてみると、手のひらが指1本分ずれたくらい変な感じがしませんか?これ、すなわち私達の何気ない動作が自己流で獲得された動かぬ証拠という次第。この延長線上に立ち方・座り方・歩き方・お辞儀の仕方等など、沢山の自己流動作がご自身の印象を確立すべく、アクティブな身体メッセージとして日夜働き続けてくれている!ということになります。まずはご自分の身体や動作の癖、あるいは特徴を他人の目で見てみるとどんなことが気になりますか?これがスラスラ言えるようなら、かなりの苦労人。いつも他人の評価をしっかり自覚している証拠です。良い対人関係のための好印象に繋がる身体基本動作の広大な航海にさあ、出発です。

2006年9月3日日曜日

中部銀次郎・新ゴルフのこころ(著者:中部銀次郎)

タイトル:中部銀次郎・新ゴルフのこころ
著者:中部銀次郎
初版:2001年
出版社:講談社

【第5回・企業対抗・全国レディースゴルフ大会】の決勝が、昨日京都で行われました。年々、その人気は高まり、いまや名だたる一部上場企業から有名スポーツメーカーまで、全国からの多数の企業が参加されます。

関西版ではありますが、日本経済新聞の8月31日の朝刊に全面広告で出場企業及び選手名が紹介されていましたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、、、、実はこの大会に毎年、なんとか予選を勝ち抜いて決勝出場をさせて頂いております。初年度は本当にお気楽ムードいっぱいの大会で、ゲストの芸能人チームとして 岡本夏樹さんや、叶美香さんがいらして楽しく大会を盛り上げてくださったのですが、、。それから5年、昨今はゴルフ用品メーカーに勤務し、学生時代はゴルフ部でした!という凄腕の方々がどんどん参加されるようになり、大会の雰囲気も大幅に変わってまいりました。
1チーム2名の合計ストローク戦。我がチームは相当昔の学生時代にゴルフ部だった相棒のおかげで、なにはともあれ、決勝に進出が出来ている次第。
さて、参加39チームで繰り広げられた決勝の結果は19位。昨年が27位でしたので、わずかに成長した!といえなくはありませんが、、、、、何はともあれ
今日からはまた来年の大会を目指して練習するぞ!と決意しております。

それにしてもさすが!と感心させられることのひとつは、ゴルフ部出身の方々のマナーの良さです。相当、厳しい指導の結果、獲得されたそれらは貴重な財産であり、私のようなアマチュアゴルファーのまさにお手本。キャリアだけ長くて、ルールもマナーも生半可な当方にとってはご一緒すれば身にしみて勉強になることだらけ。その筆頭は都度都度のきちんと声に出す挨拶ではないかと昨日もあらためて実感。他のプレイヤーの前後を通る時には必ず、『前(後ろ)を失礼します。』後ろの組がティーグラウンドに待っているショートホールでは『お待たせしました』相手のライン上にあるマークを動かせば、『マーク、ありがとうございます』先にショットを打って『お先でした』
当たり前のようですが、毎回毎回これをきちんと実践するのは結構 至難の業。
技術と共に磨きたい課題が実は心に根ざしたマナーにあり、その実践でまたメンタルなスポーツであるゴルフに向き合う精神力が鍛錬されてゆくのではないかとしみじみ感じた1日。そこで今回はゴルファーに向けての読書のすすめ!

2006年9月2日土曜日

言葉に向き合う姿勢

9月の声を聞いた途端に聞こえ始めた虫の音が秋の訪れを楽しませてくれる朝夕ですが、こういう場合の『きく』は『聞く』になりますね。
この漢字が使用される範囲はどうもやたらに広いようで、バタン!と閉じたドアの音も聞こえれば、ワンワンと犬の鳴き声も、流行の音楽を聞くのもこれ!耳に痛い忠告も聞けば、上司の自慢話も聞こえてきます。
なので非常にポピュラーな『聞く』がここにあります。

さて、同じ『きく』でももっとしっかり深くききますよ!というニュアンスが加わると漢字は『聴く』に変化します。
たとえば事情を聴く、身を入れて聴く、県民の声を聴く!なんて場合もこちらになりますね。

研修会などではこの違いを説明するために、『聴』という文字をそれを構成している4つの漢字に分解して、単に耳で聞くだけではなく、目と心をプラス(十)してしっかり聞くことなんですよ!っと泥臭い解説を加えたりしております。

さらに進化して『訊く』という文字になると、双方のやり取りをはさんで一層深く『きく』という気配が深まります。すでに常用漢字からは外れている文字ではありますが、お医者さんが患者さんに身体の具合を尋ねたりする場合にはこれがピッタリ来ませんか?
また同じ音で『鼻が利くとか、気が利くね!』という漢字もあれば、『お薬が効く効く!』という場合もあり、その意味は確かに違うものでありながら、『きく』という言葉の奥にそこに向き合う姿勢が見えてくるような気がします。
『きく』という言葉と音と文字とその意味を上辺ではなく考えてみたい秋です。
ちなみに私はこの原稿の作成中に何度も、『聞く』と打ったつもりが結構、『菊!』と変換されました。パソコンの中もしっかり秋なのでしょうか、、、。

2006年9月1日金曜日

ラコンテモア

話し上手は聞き上手と申しますが、人は案外、人の話を聞いていないもののようです。もっとズバリ言うなら、聞いているふりをしているだけだったり、あるいは聞きつつ反論を考えたりしているようで、ただただ素直に聞くということは大変難しいことに思えます。ご自分の内心に向き合ってみると聞いているようで聞いていない本音が見えてきませんか?

それゆえに人は自分の話に真剣に耳を傾けてくれる誰かを常に探し求め、そしてひとたび出会えたならば、その人のファンになってしまうのかもしれません。

聞いて欲しい!すなわち話したいという欲求は心理学的側面から眺めると心の中のモヤモヤや何某かの問題を放したい!ということの現われだと捉える見方があります。さらに話すとはしゃべることであり、しゃべるはシャベル。
つまりシャベルは掘り起こす道具!なのでしゃべることで人は自らの問題を掘り起こす作業をしているという、高度な語呂合わ的解釈も存在します。

そういえば【徹子の部屋】で聞き上手な司会ぶりが見事な黒柳徹子さんがご自身の子供の頃を綴ってベストセラーになった『窓際のトットちゃん』の中で、校長先生が大好きな理由をラコンテモア(たしか、ラテン語?)と書いておられます。ラコンテモアとは『それからどうしたの?』という意味。
校長先生はいつもトットちゃんのお話をいっぱい聞いてくれます。それだけでも大好きなのに、お話がひと段落すると、『それからどうしたの?』とさらにお話の続きを聞いてくれます、、、だから校長先生が大、大好き!とあります。
誰かの話をしっかり聞く。そんな簡単なことが物凄く素晴らしいラッキーの種かもしれません。聞き上手の5ステップをテクニックとしてだけ捉えず、そこに気持ちを添えて本物の聞き上手を目指したいですね。