2008年1月28日月曜日

感動と現実の狭間

その是非や結果はともかく、昨日の大阪国際女子マラソンでのドラマに
しばし釘付けとなった日曜の午後。現役の一流ランナーが見せたことのない
様子でひたすらゴールをめざす姿は理屈を超えて胸に迫るものがあり、
気付いたらテレビの前で思わず涙しつつ、声援しておりました。

さて<走る>というベーシックなスポーツに対しては、その単純明快さ故に
どうも好き嫌いがハッキリしているようで、馬鹿らしくてやってられない派と
ドップリはまる派にかなり鮮明に分かれるような気がします。

かくいう私は中学生の頃から陸上部であり、基本はドップリはまる派。
しかも母校、伏見中学といえば、陸上が強くてちょっと有名な時代でした。

そしてそのままたいていの先輩が進んだ伏見の桃山高校も
それなりの強豪揃いで陸上部というだけでちょっと華やかなりし時代。

そういえば、中学生になって<陸上部に入りたい!>と両親に話したとき、
個人競技はダメ!と強く反対されたことは今尚、記憶に鮮明です。

理由はチームワークの精神が身につくように団体競技の方がよい!という
非常に明解かつ、わが子の利己主義的傾向を懸念した親心からでした。

しかしすでにグラウンドを我が物顔で占領し、それぞれが勝手に練習に励む
先輩の姿があまりにも神々しく、陸上というよりはその雰囲気に魅了されて
まさに両親の予感的中の方向に向かって、陸上部生活に染まっていきました。

そんな遠い昔の記憶やら、後年、思い出したように社会人チームを結成して
走ることを復活させた頃の記憶が画面の走者の姿の向こうに浮かびます。

どうやら、それが何であれ、<感動がもたらすもの>は詰まるところ、
<なにやらじっとしていられない気分>ということなのでしょうか?

その気分のままに言うことを聞いてくれる、しなやかな身体を
まずは整えたい!否、取り戻したいとしみじみ思う着ぶくれの季節です!

2008年1月24日木曜日

アイコンタクト、徒然

厳しい寒さに見舞われた本日は京都市内でも断続的に雪が降り続き、
我が家界隈では日暮れて一層、気温の急降下を肌で感じる真冬日の夜です。

ニュースによれば、北海道は休校が相次ぐ大荒れの寒波襲来であったとか。

そういえば函館から京都に戻った数日後、函館商工観光部の方と諸連絡の中に
<本日の気温はマイナス15度>とのご報告があり、飛行機で2時間ほどの
狭い日本という感覚が一気に広い日本の遠い函館を実感させてくれたものです。

そんな函館滞在最終日に連れて行ってもらった大沼国定公園や駒ケ岳の今頃は
きっと凍てつく寒さの中、降り積もる雪と風ですべての物音がかき消され、
ただ静けさの中に夜が深まってゆく様子が眼に浮かぶようです。

とはいえ、滞在最終日は恵まれた観光日和を絵に書いたような快晴でした。

それもこれもすべては単身赴任中の先輩がわざわざ半日のお休みを
取ってくださったおかげなのか、はたまた日頃の行いの良さなのか、
なにはともあれフライトまでの数時間、駒ケ岳と大沼の景色を堪能しました。

その湖畔の一角に白鳥や真鴨や合鴨がワンサカたむろしている場所があり、
その鳥たちが餌を求めて人馴れした風情は可愛いけれど、ちょっと異様。

それは以前、仙台で松島めぐりの船に乗ったときに、その船に群がる
《カモメ達》のアイコンタクトにビックリした記憶とかなりニアリー。

乗船客から投げてもらう餌にすっかり慣れっこのカモメたちが船の真近かを
羽ばたきながら、その目がぴたりと当方を見据える様子は何とも異様でした。

それにしても見事に人間としっかり眼を合わせる技を持つ鳥サン達に
その意味は存在するのでしょうか。ふとそんなことを遠い目で思う寒波の夜。
どちらの鳥さん達も今宵はそれどころではないでしょうけれど、、、、。

2008年1月18日金曜日

五稜郭といえば

函館と京都のつながりが最も強く歴史の中で浮かび上がるのは
やはり新撰組副隊長・土方歳三の存在でしょうか。その最後の地碑と共に
五稜郭タワーの前には立派なブロンズ像があり、その勇姿を今に誇ります。

という訳で夕闇迫り来る中、観光タクシーで最後に案内してもらったのが
日本初洋式城郭として1864年に完成したという五稜郭です。

ここが凾館戦争の主戦場であったことも、幕末の壮絶な歴史が刻まれたことも
薄らぼんやりとしか理解していなかったのですが、わかりやすい解説の
おかげで俄かに知識が鮮明な輪郭を持って立て直された感があります。

さて、遠い記憶を紐解けば、学生時代は基本的に世界史も日本史も
どちらも好きだったのですが、なぜか幕末の頃の歴史には弱点があります。

故に戊辰戦争だとか五稜郭とか、このあたりが最も知識の五里霧中ゾーンで
あり、どうも胸が張れそうなくらいチンプンカンプンでしたが、おかげさまで
あらためてこの時期の歴史に興味を持つことが出来そうです。

その気分に少なからず影響したのが、五稜郭を上空から眺めるための
五稜郭タワーの中の雰囲気満点のビジュアルなエレベーターでした。

乗り込んで上昇し始めた途端に映画館のように薄暗くなり、その四方の壁に
浮かび上がる歴史上の人物の姿がなんだかとてもエキゾチック。
こういうとき、「わぁ!すごいね。」といちいち声に出して
感想を口に出来ないのが強いて言えば、ひとりの旅のつらさでしょうか。

ちなみに最近は台湾からの賑やかなツアー観光客が多いらしく
その楽しそうな会話の風情にあおられて、妙に対抗心が燃えたぎります。

今や、五稜郭といえば夏に繰り広げられる壮大な野外劇が見ものらしく
ぜひダンナと2人で思う存分に歓声を上げながら眺めたいものです。

2008年1月16日水曜日

観光の醍醐味

生まれて初めて訪ねた函館初日の夕刻数時間はこれまた、生まれて初めて
観光タクシーを利用させて頂くという初物オンパレード日和。

わずかに2時間という制限つきながらも、実に有意義かつ便利、かつ効率的であり、
これが複数で割り勘であれば尚更、絶対にお得!と素直に感じた次第。

さらに案内役の個人タクシーの運転手さんがかなりのキャリアであることと、
歴史に詳しいという点が今回、一気に函館ファン化に功を奏した要因では
なかろうかと、戻ってからも秘かに考え続けております。

なぜならば、たった数日の滞在でこれだけ深い関心を持たせていただき、
この夏にまた行く!と決意し、さらには<どうしたら函館観光大使になれるのか?>
というあたりまで気持ちがビュンビュン早送りされてゆく、その出発点がもし
あの観光案内から始まったのであれば、あらためて人の担う役割の大きさ、
意義深さに眼を向けないわけにはいかないからです。

さて、要因分析はさておき、観光タクシーが最初に向かったのは元町界隈。
このあたりは函館山に向かって実に沢山の坂道があり、その数、きっと18本。
単身赴任中の先輩は、この坂の名前をとうてい全部覚えられそうもないので
その時点で函館検定受験をあきらめたと実にあっさり語っておられました。

その主な坂道はロードヒーティングなる優れ技で雪が解ける仕組みですが、
道路わきは雪に覆われ、そこに立ち並ぶななかまどの風情が日本の道百選に
選ばれたものであることや、その眼科に広がるベイエリアの歴史やポイントなど、
知らなかった沢山のことと、ああーそうだったのかと遠い記憶が結びつくときめきを
嬉々とカンジル瞬間に何度も遭遇させて頂きました。

それにしても感動したのは、我が家から徒歩圏にある同志社創始者の
新島襄旧邸の主の若き日の銅像が、ここから米国に渡った地碑と共に
静かに海の彼方を見つめていることでした。

そしてそれは函館と遠く離れた京都を繋ぐ歴史の何かがふいに見えたような
気がする瞬間でもあり、観光の醍醐味ってこういうこと?と思う刹那でもありました。

2008年1月15日火曜日

ジャガイカ塩

函館出張の前夜、現地の先輩から連絡があり、明日の飛行機は雪の影響で
場合によっては札幌あたりに着陸変更になるかも!という冬季には
よくある事態に関しての誠に親切なレクチャーを頂きました。

そもそも余裕の移動プランとは言え、その場合には陸路で札幌から函館移動も
視野に入れなくてはならず、あわててネットで念入りなルート検索開始!

しかも、その寒波がもし数日に亘り、尚且つ日を追って強まるようなら、
12日に予定されている京都での仕事に支障が生じないようにきっぱりと
空路はあきらめて、夜行で戻ろう!という決死の覚悟まで固めました。

のんびり観光気分の出張は天候のせいで一気に色合いが変わり、まるで
いざ出陣のような防寒用の分厚いコート姿の勇ましい出発モードです。

ところがあにはからんや。
飛行機は拍子抜けするくらい順調に飛んで、定刻に函館空港に到着。

滞在した3日間も雪が時折、降るものの、それはむしろ雪景色のサービス!
と感謝したいくらいの適切な降り方、積もり方でありました。

こうなってみると急にあれこれが惜しまれ、事前にもっと函館情報に精通しておけば、
まちがいなく湯の川温泉に宿泊したであろうことや、出張だからと
デジカメを持参しなかったことなどがウジウジと悔やまれます。

湯の川温泉から眺められる、海峡の沖合いに連なるイカ漁の灯りである漁火は
夏から晩秋が最盛期らしく、さすがにこの時期に眺めることは叶わないのに、
せめて雰囲気だけでも味わいたかったと未練が募ります。

演歌の歌詞としてしか身近に感じたことのない<漁火>という言葉が、
ごく日常の光景として暮らしの中に存在するこの街では、
ほくほくのジャガイモにバターではなく、イカの塩辛をサンドして食します。
ジャガバターならぬ、じゃがイカ塩!これが結構、いけますよ!

2008年1月12日土曜日

雪の函館

記念すべき今年の初仕事は実に嬉しいことに生まれて初めて訪ねる土地、
北海道、函館での講演会からスタートいたしました。

札幌には出張もあり、夏場のゴルフでもチョイチョイお世話になりますが
幸か不幸か、北海道といえば札幌しか知らず
その意味では昨年末あたりから、なんとなくソワソワしておりました。

やはり人間というのは<知らないことを知るのが好きな生き物>
であることを久々に身をもって感じ入る年末年始を過ごしていた次第です。

さて9日から滞在予定3日間の函館はナント前日の8日夜から
今シーズン初の厳しい寒波に見舞われ、ド、ドーンと初雪。

おかげさまで函館空港を見下ろす眺めも見事な雪景色なら、
その凛と冷たく澄んだ空気のせいで函館山からの夜景にもキーンと音が
しそうなくらい鮮明な美しさがもたらされるという幸運に恵まれました。

しかも、サラリーマン時代の先輩がたまたま函館に単身赴任中という
絵に書いたようなめぐり合わせもあり、至れり尽くせりの観光体験つき!
という涙の出そうな有り難い好条件が整いました。

それもこれも、考えようによっては実に不便な航空アクセスの賜物。
1日に1便だけという事情が良い方に働いてくれたおかげでもあります。

実は講演の仕事はそもそも10日の午後の数時間ということでしたが、
その時刻に安全に確実に現地に到着しているためには前日に移動するしかなく、
はたまた終了後、京都に戻るためには翌日の便しかない!という展開から
胸をはって前後に観光を味わえる時間がふって湧いたという顛末です。

なんか今年はいい事ありそう!っと予感させてくれた函館に感謝を込めて
ここ数日は、函館PRやら観光報告に何卒、おつきあいくださいませ。

2008年1月8日火曜日

変化への眼差し

『ニッポンユウビンです!』とインターホン越しの声が
清々しく元気の良い、民営化後の郵便配達員さん各位の様子。

どうも配達郵便の種類によってご担当が異なる仕組みなのか、どうなのか。
たまたま今朝は入れ替わり立ち替わり、顔ぶれが異なる各位から郵便物が
威勢よくチャイムとともに届けられております。ちなみにこういう発見が
出来るのは自宅兼仕事場ならではの醍醐味でしょうか!

さて、発見と申せば、本年1月2日、朝の大発見。
郵便受けに新聞と共に年賀状の束を見つけた事は大袈裟に申せば、本邦初。
しみじみと民営化への変貌を感じさせる出来事であったわけです。

毎年、元旦の朝にドッサリ届いた年賀状をたのしみながら祝う新年。
翌2日はなぜ、配達がないのか子供心にはまったくわからないまま、
やがて、そういうものだと常識化した数十年が過ぎ、3日、4日と
だんだんにその数を減らしながら届く年賀状に感じる冬休みの終わり。

無いものだった何かが、変わってゆくその瞬間とはかくして実に
なんということのない風情で、がらりと変わりゆくものなのかもしれません。

そういえば、年賀状の大半がパソコン仕様という実態もここ数年の大変化。
<年賀状は贈り物だと思う!>というステキなフレーズの触れ込みの割には
素っ気ないプリントだけの代物も決して少なくはありませんが、、、、、。

我が家でも結婚以来、拘り続けた年賀状のビジュアルと筆文字の宛名書きを
便利な文明の利器にすっかり委ねてしまって、早や数年。
もちろんデザインや文面にあれこれと智恵は絞っているものの、何かが
しっかりと変わってしまった実感は隠し切れないものがあります。

変わり行くものと変わらざるを得ないもの。その一方で変えたくないものと
変えてはならないもの。そんなアレコレへの自分なりの眼差しを
今年もシビアに持ち続けたいものです。

2008年1月7日月曜日

年賀状の威力

すっかりお正月三昧のカレンダー効果に恵まれた方もそうでない方も
今日からはなんだかんだいっても日常的な日々の再開でしょうか。

そんな気分を反映してかどうか、昨日までの暖かで恵まれた晴天とは
打って変わって、京都は朝から久々の曇天です。
しかも先ほどから我が家界隈では冷たい雨まで降り始めました。

今日がゴルフでなくて良かった!とお気楽な感想を抱きつつ、
どちら様の職場でも、おそらく午前中は仕事そっちのけで新年の挨拶に
お忙しいであろう光景をなつかしく思い出したり致します。

そういえば、いつだったか、年の瀬の仕事納めの挨拶で
当時の上司が虚礼廃止を唱え、同じ職場の仲間には年賀状は出さなくても
よろしい!無駄だから、と指示されたことがありました。

考えてみれば、せいぜい年末年始の5日ほどのブランクで
いかにも型通りの年賀状交換もたしかに無駄かつ不自然。
なるほど!と素直に納得した当方は喜び勇んで身近かな職場の方々には
一切、出さないことにしました。

思い起こせば、その頃は大晦日に年賀状の宛名書きをしていたような時代でも在り、
今のように25日までに投函みたいなことをスムーズにこなせる智恵も計画性も
実行力もないないづくしで、虚礼廃止は渡りに船の提案でもありました。

さて、年が明けて、初出勤の年始の朝礼でのこと。
虚礼廃止を唱えた件の上司から『多くの皆さんから年賀状を頂き喜んでおります。
この場を借りてお礼申し上げます』といきなりの冒頭挨拶に正直、腰が抜けそうに
なりましたが、いかにもサラリーマンチックで笑える思い出のひとコマです。

そもそも本音と建前の不可解な構造はさておき、よくよく考えてみれば自宅の郵便受けを
積極的に覗く機会は年にそう幾度もなく、貰えば嬉しい年賀状の威力は思う以上に
あなどれないものかもしれませんね。

2008年1月3日木曜日

伯母さんの決意

いつの頃からか、恒例となった年に1度のファミリーギャザリングが
今年はめでたくも元旦に、いつもながらの我が実家で執り行われました。

こう見えて<実際、どう見えているかは預かり知りませんが、、、>
私は長女であり、2歳年下の弟と4歳年下の妹の3人キョウダイになります。

ちなみに<キョウダイ>を漢字にすると、<兄弟・姉妹・兄妹>しかなく、
我が家の場合の弟、妹の構成や姉弟という漢字はなぜか存在しないようです。

さて、おかげさまで3人ともにそれぞれが家庭を持ち、我が家を除けば、
育ち盛りの子供たちにおそらく手もお金もかかる頃合です。

そんな甥っ子や姪っ子の成長をしばし観察する愉しみもある新年会でしたが
昨年あたりから一気にその楽しみはトーンダウンいたしました。
勘のよい方ならお察しの通り、甥も姪も花の高校2年生という状況です。

それにしてもこの年代を<難しい年頃>とはよく言ったものですね。

何かを話しかけても実に気のない返事や、愛想のない反応に大の大人が
なぜ気を使わなければならないのか、まったく釈然としない仕儀となります。
それなのにお正月という、ただそれだけの理由で、
なぜか<お年玉>なる不思議な奉仕まで義務付けられる始末です。

そこで今年は甥っ子や姪っ子からきちんとした新年の挨拶がなければ
お年玉は渡さないぞ!という決意を秘かに固めておりました。

が、しかし敵も然る者、お年玉の威力には敵わぬと見え、日頃よりは幾分、
まともに年始の挨拶だけはこなしてしまえる能力を有しておりました。

かくして手ぬるい決意は大の大人の甘さと本気度の未熟さを露呈して
幕を降ろしましたが、なんとかしなきゃイケない課題にとにもかくにも
しっかりと焦点をあわせた1歩として継続を誓う伯母さんです。

2008年1月1日火曜日

初詣祈願

あけましておめでとうございます!
皆様、良い新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

おかげさまで我が家も実にのんびり、優雅に元旦のお祝いを済ませ、
年賀状にも嬉しく眼を通しながら、大人二人のマイペースな2008年を
気力、体力共にそこそこ充実モードでスタートいたしました。

これもひとえに日頃のご厚情の賜物と感謝し、お礼申し上げます。
そして、どちらさまにおかれましても、嬉しいことが沢山訪れる
ステキな1年でありますよう心からお祈り申し上げます。

ちなみに昨年度の私の運勢は某、細木先生の本の予想では
あらゆる方面で<笑いの止まらぬ1年>になるはずと明言されていましたが
確かに良いことも沢山有りましたが、うんざりしたり、がっくりしたり
落ち込んだりすることもメチャクチャに多く、山アリ谷在りの荒れ模様。

故に最終最後の大晦日を過ぎ、一夜明けて冷静に<行った年>として、
振り返ってみれば、みるほど、その予想は
『なんだか、ちっとも当ってなかった!』という心境なのであります。

つまり、予想の的中率としてはすこぶる低いという評価になるわけですが、
こういう反応を一切聞き入れるシステムがハナから存在しないのが
業界の仕組みなのか、古来よりの慣わしなのか、いずれにしても非常に
よく出来た構造ではないかとあらためて実感しております。

皮肉にも<偽>なんて言葉が選ばれてしまった年に、たまたま個人的にも
ふさわしい出来事であったと記憶に残ってしまいそうです。

とはいえ、良い予想は何が何でも的中して欲しい反面、
良くない予想は思いっきり外れて欲しいと願う身勝手さを思えば、
偉そうなことは言えない我が身の反省が何より優先されます。
謙虚に清々しい洗いたての心で過ごせる1年をまずは初詣で願ってまいります。