2007年7月31日火曜日

トレビアーン!365

京都では朝から真夏日の今日は7月の最終日、31日です。

ごく個人的なことではありますが、これまでの人生においてこの日が
特別な意味を持つことは、たしか なかったように思われます。
という程度の曖昧な記憶に紛れてしまう数多くの1日に過ぎませんでした。

ところが、今日はちょっとばかり、様子が違います。
実は本日、ブログの更新記録、連続365日をこの稿で達成いたしました。

岡村さんや事務局ののぶさんにお声を掛けて頂き、
昨年の8月1日から、ラッキー水谷のブログをスタートして
今日でちょうど1年間を書き続けたことになります。バンザイ!です。

ブログのスタートにあたっては実は密かに目標を掲げておりました。

その目標とは<とにかく毎日、更新する>それを<1年間、継続する>
しかも<ワード原稿の量をA4用紙1枚分くらいで統一して書く>
この3つを自分の中のハードルにして、毎日エイ!っと飛び越えてきました。

とはいえ、パソコンが持参できない出張やら休暇の期間などは、まとめ書きした原稿を事務局にお願いして、更新手続きをお助け頂いたこともありました。

また研修が連続していた秋頃には、毎朝4時に起きて書いていました。
ゴルフでグッタリの日も書き上げるまでは飲まない!で踏ん張りました。

<決意したら出来る!>ということを身をもって体験させて頂き、光栄です。

その目標達成の日にどんな内容を書くことになるのか、さすがにこれは
1年前には想像すら出来ませんでしたが、なんとも間の良いことに、
ここのところのベーステーマは<ほめ言葉>ではありませんか!

では、惜しみなく、威勢よく!<トレビアーン!すばらしい!すごい!>

2007年7月30日月曜日

花火のように威勢よく!

<ほめ言葉>の効能はなんと言っても<気分の良さ>にあります。

ごくごく日常的な朝夕の挨拶代わりのようなものから、かなり露骨に魂胆が
見え隠れするようなものまで、<ほめ言葉>の種類は千差万別です。

前者においては ご近所でお互い様の庭の手入れの良さを褒めあったり、
飼っているワンちゃんのお利口さん加減をほめてみたり、あるいは
何某かの当番へのねぎらいを込めて、手際の良さをほめたりします。

こちらは実に罪もなく、根拠も浅く、他愛無いながらも
社交辞令としてはしっかりと確立されている領域でもあり、
これが使いこなせるようになって初めて一人前!といえそうです。

一方、後者はビジネス上の思惑がらみでかなり温度差がありそうですが、
たまたまそばで聞いていると、思わず目が点になって、
あやうく噴出してしまいそうなほど、見え透いたものもあります。

そんなときは思わず、両者の顔をまじまじと見つめることになりますが、
そこであらためて驚かされるのは、言っている方はもとより、
言われている方も案外、まんざらでもない様子であることです。

しかも仕事上においては、その結果、気持ちよく仕事に取り組んで頂くことが出来、さらにその仕事に対して、予想以上の成果を収めて貰える事も期待できるならば、<ほめ言葉>効果に注目しないわけにはゆきません。

そこまで<歯が浮くようなことをよく言えますね>と内心、感心しながら
冷静に観察を続けさせて頂いた、サラリーマン時代の結論としては、
<ほめ言葉>は相当、お上手が勝っても見事に通用すると確信しています。

逆に申せば、遠慮がちではせっかくの効果が半減するかも。故にほめるときには思い切ってドーンとほめる!花火みたいにドドーンと威勢よくがコツです。

2007年7月29日日曜日

ひかりの空(著者:はかざま鋭二)

タイトル:ひかりの空
著者:はかざま鋭二
出版社:小学館(ヤングサンデーコミックス)
505円(税抜)

毎年、この季節には個人的に少し緊張する舞台として、日経新聞社が主催している<企業対抗レディースゴルフトーナメント>に出場しております。

この大会は正式な競技会としての運営が始まって今年で6年目になりますが、
その1年前に行われた前哨戦的な開催を入れると事実上は今年が7回目。

そもそもはチキンラーメンの日清食品が経営母体である、日清都CCが
女性ゴルファーの発掘、開拓、囲い込み!というような狙いで日経新聞や
テレビ大阪とタイアップして始められたものになります。

このため、事実上の第1回大会は競技というよりは、ゴルフのイベント!

ゴルフ大好きタレントの岡本夏生さんやブレイクする直前の叶姉妹の妹、
叶美香さんなどの女性タレントチームの参加もあるなど、実に華やかで
和気あいあいのリクレーションモードの構成でした。

これがどうもそれなりの反響があったようで、翌年からはしっかりした
競技スタイルが組まれ、年を重ねるごとに参加者も増え、今や全国から
腕に覚えのある強者が参加する大会に発展したという次第です。

さて、今年度の最終予選日が本日行われ、元気に参加してまいりました。
毎回30チームが参戦し、2名のトータルスコアで上位10チームまでが
決勝に進めますが、相棒のおかげでナント第3位で予選を通過いたしました。

一応、6年間、連続で決勝にまで進んできましたが、今回はかなりの快挙です。

そこで本日は気分の良い余韻に浸りながら、たのしくゴルフを眺められる
1冊として<ひかりの空>という漫画をお薦めします。

2007年7月28日土曜日

責任泥棒

誰にだって、長所もあれば、短所もあります。その両方がきちんと見えるようになるためにはお互い様にかなりの根気と長い歳月が必要なようです。

このため、たいていの間柄では完全理解などは求めず、
適当なところで妥協して後は<見ない・掘り下げない・追求しない>という
姿勢でバランスの良い人間関係を目指して行くものかもしれません。

とりわけビジネスモードでは、特別に相性が良くない限りは
ある程度の距離感は絶対に必要であり、そのおかげで余計なものはあえて
見なくても済む工夫が施されているかのようです。

誰に教わったフレーズなのかは忘れてしまいましたが、自身の備忘録に
「もし、相手の短所を指摘しようと思うのであれば、相手の長所がすべて理解できてからにしなさい」と書きとめてあります。

考えてみれば、自分の長所、短所さえも自信を持って把握、分析できないのに、どうやって他人のそれがすべて把握できるのか、はなはだ疑問です。

ということは、すなわち、そんなことは一生かかっても無理ということであり、転じれば、そんなことはしてはいけない!という意味になります。

誰かの長所をすべて理解して、短所の指摘に取り掛かるような、そんな時間があるならば、自分のなすべきことに集中しなさいということでしょうか。

そういえば、<責任泥棒>という言葉があります。

たとえば、いつも遅刻ばかりしている誰かさんの<時間にルーズ>という短所を心配して、アレコレ気に病むことは、その本人が負うべき責任を勝手に背負い込むことであり、ハッキリ言って余計なお世話という意味合いです。

人の責任を盗むような暇があるなら、自分の責任を全うしてからにしましょう。

2007年7月27日金曜日

自然へのほめ言葉

真夏日の炎天下で、まるで難行苦行のようにゴルフに興じておりますと
これからの季節は<にわか雨、夕立、雷>等に頻繁に遭遇いたします。

特に雷に関しては、個人の都合ではなくゴルフ場の判断でプレイ中断の
サイレンが鳴り響き、指示が出されます。
これが解除されるまで、長いときには1時間近く、特にたいていは集中的な雨を伴うため、非難小屋の蒸し暑い中で待たなくてはなりません。

こうした状況にあってはつい文句が言いたくなりますが、個人的に好きなものとしては、ある御仁の口癖で<ひと雨、300万、いいですね>という
まるで<自然へのほめ言葉>のようなコメントがあります。

どういう意味かと申しますと<この広大なゴルフ場に、もし一斉に水撒きを
したら、少なくとも300万円くらいの大金がかかりそうなところを今日は激しい雨のおかげで得が出来ていいですね!>という意味になります。

一向に降り止む気配のない雨と雷雲を拝みながら、そのことを憾んだり、
嘆いたりせず、まったく別の解釈でもって、自然のもたらすものを<ほめる>に転じるところが絶妙です。

仮に散水したとして、実際にどのくらいの経費が必要なのかは知りませんが、不思議な説得力のある言い方の中に、自然への逆らいがたい敬意と感謝の気配。
しかも自らの置かれている環境をできるだけ肯定して、ぐずぐずと文句だけは言うまいと決意している潔さが小気味良くはありませんか?

さて、このコメントに<なるほどそりゃいい>と賛同する方、半分。
かたや<そんなにかかるもんか>とか<ゴルフ場は儲けても、
我々の時間は損だよ>と何某かのイチャモンをつけて反対する方、半分。

人の見方は様々ですが、どちらが正しいとか、間違いというのではなく、
どちらがラッキーなものの見方かと問えば、、、さてどうなのでしょうか。

2007年7月26日木曜日

いいですね・バリエーション

<ほめ上手>の原点にあるのは言うまでもなく、相手の存在を<認め>
その言動の良し悪しをありのままに<認める>ことにあります。

たとえば、毎朝誰よりも早く出勤している誰かに対しては
「毎朝、早いですね」と声をかけることが<認める>ことになります。

反対に毎朝、遅刻寸前の相手にも<毎朝、遅いですね>と認めます。

つまり、評価を交えずに事実を指摘することが基本のステージであり、
その<認める>ことの先に<ほめる>が出現します。

故に<毎朝、誰よりも早いという行為>が素晴らしいと思えるなら
「毎朝、早いですね。さすが!といつも感心しています」と言えば、
これが<認めたものを評価する>すなわち、<ほめる>ことになります。

あるいは毎朝という継続性に注目して、
「毎朝、必ず実行できるのはよほど自己管理能力が高いからですね。
とても素晴らしいお手本として是非、見習わせて頂きます。」と言えれば、
かなり好感度の高いほめ言葉になります。

つまり、<ほめる>ためにはまずは<認める>ことが不可欠であり、
できるだけ具体的に認めることが、上手なほめ方への基礎課題といえます。

そこで<いいですね>という超便利フレーズも
できるだけ具体的な指摘を絡ませながら使いこなしたいですね。たとえば、、

<いつも元気が良くていいですね!><笑顔がいいですね。>
<そのやり方がいいですね><姿勢がいいですね><立ち方がいいですね>
<今年の新人は皆、返事がハキハキしていていいですね>
<今回の新製品はなかなかいいですね><あっ、今のひと言、いいですね>
<予想以上にかなり、いいですね><この音楽、最高にいいですね>
<いい出来上がりですね><いいですね、この線でいきましょう>等など。

2007年7月25日水曜日

広範囲で使いたい<いいですね!>

誰かの何気ないひと言で、スッと気持ちが晴れて気分爽快になれることがあります。反対にちょっとした言葉が胸に突き刺さり、気が滅入る事もあります。

とりわけハイストレスな現代社会においては、ビジネスシーンのみならず
様々な生活シーンの中で油断も隙もない勢いでイライラの種が激増中。

このリスキーな環境を巧みに泳ぎぬくためには、心身のバランス感覚を
日頃からきっちりとメンテナンスして、鍛えることが求められます。
その上で、<自画自賛・上手>の習慣化があれば、鬼に金棒です。

でも、誰か他の人に褒めてもらえるほうが金棒度はさらにアップします。

つまり本音で言えば、人は誰だって、いつだって、ほめられたい!生き物です。
しかもいくつになっても、ほめられたい。偉くなってもほめられたい。
どんな些細なことでもほめられたいし、何度でも繰り返しほめられたい。

この人間の本音をどこまでしっかりと理解しているかが、実は
<ほめ上手>への案外、重要な鍵を握っております。

なぜなら<ほめ下手>の本音はそんな歯の浮くような<ほめ言葉>を
誰も本気で喜ばないはず!とどうも本気で思っている節があるからです。

だからこそ、あえてほめたりしないという流れが形成されます。

その結果、些細なことは言うに及ばず、相当にほめやすい絶好の機会すら、
見逃してしまうことになり、相互の関係は思いとは裏腹にだんだんと
居心地の良くない方向にハンドリングされることになります。

気持ちの中で、<いいな!>と思ったときにとにかく声に出してみませんか。
それが何であれ応用範囲が広いのでケッコウ使えます。
シンプルかつ、言いやすく、受け止めやすい<いいですね!>という言い方は
<ほめ上手>のウォーミングアップモードとして毎日ご活用のほど!

2007年7月24日火曜日

自画自賛のすすめ

<自画自賛>といえば、なんだかちょっと愚かなイメージが浮かびますが、
自分で自分のことをきちんと認められることは実はとても重要です。

しかも、うぬぼれや思い込みではなく冷静に、客観的に自己を見つめ
良い点は内心、密かに絶賛し、悪い点については真摯に反省するためには
よほどしっかりと自己分析が出来なければなりません。

しかも自らの良さがわからない人間に他人の良さがわかるはずもなく、
その意味からすれば、<ほめ上手>を目指す以上は
まずは<自画自賛上手>であらねばならないという図式が見えて参ります。

ところが<謙遜>を最大の美徳と認知する従来型の日本人的感覚から申せば、
<自画自賛>は愚の骨頂であり、周辺各位のご賛同を頂けないばかりか、
叱責、批判、中傷、憤り、陰口等の矢面に立たされることになります。

しかし、自分に対しての最大の理解者である立場から、意欲喚起のための
温かな声援や自信を強めるための<ほめ言葉>はなくてはならないものです。

そこで他者の目や耳を気にせずに、安心して自分自身を褒めちぎるために
寝る前のひとときが大変、効果的といえる次第です。

しかも、いわゆる<潜在意識>に働きかけることで暗示効果の増大を狙うなら、
<眠りに就く前>だけでなく、<目覚めた直後>も大きなチャンスです。

なぜなら、この2つのタイミングは<潜在意識>と<顕在意識>が、
ちょうどバトンタッチをして入れ替わるタイミングになるからです。

このタイミングに意識して<良いイメージ>を持つこと、つまり自分をほめる習慣は人生を思い通りに構築する上において、どうやら本当に重要なことの
ようですが、バカバカしいと一笑に付すか、信じるかは自由です。

今日も眠る直前は<自己反省>でなく、<自画自賛>でいきましょう!

2007年7月23日月曜日

ほめ上手への心構え

<大人の話し方>というベーステーマのもとに、ここしばらくは
【相手の気分を損なわない、お断りの仕方】を取り上げてきましたが、
ビジネスシーンで多少なりともお役に立っておりますでしょうか?

何かひとつでも実践のヒントになっていますことを願いつつ、今日からは
ガラリと方向性を変え、【対人関係の潤滑油となるような、上手なほめ方】を
サブテーマに掲げて、様々な言い方を整理していきたいと思います。

とりわけ、昨今の大きな傾向としては【叱る】ことに比べれば、
【ほめる】ことの方が簡単なように思われがちです。

しかし、なかなかどうして相手の心にズシン!と響くような、
心地よい<ほめ方>は難しいものです。試しに思い出してみてください。
ほめてくれた相手のことがしみじみ好きになるような
そんな<ほめ言葉>の記憶として、即答できるものがいくつありますか?

せっかくの<ほめ言葉>がいかにもお世辞、見え透いたベンチャラではなく、生涯忘れられないような、見事な本物であるためには
<ほめるに値する良さ>をビシッと見極める眼力が何より問われます。

さらに加えて申せば、<ほめ上手>は<ほめられ上手>の産物でもあり、
これまでにほめられた経験が如実にものを言う課題でもありそうです。

この点について、冷静に眺めてみれば、日本人はどう贔屓めに見ても
<ほめ上手>とは言いにくい民族の歴史があります。

それだけに、<ほめる>ということが簡単だなどと心得違いをせず、
心して取り組むべき課題であるという謙虚な認識を持つことが出発点です。

まず、その心構えが出来たら今日のところは<自分で自分をほめましょう>
これも立派な練習です!特に就寝前がいろいろ意味で効果、大です!

2007年7月22日日曜日

となりのクレーマー(著者:関根眞一)

タイトル:となりのクレーマー
著者:関根眞
出版社:中公新書ラクレ
720円(税抜)

<遠慮がなぜ上品な強情?>と思われた方のために、補足をいたしますと、
講演やセミナーの会場を思い浮かべて頂くとわかりやすいかもしれません。

一般的に席が自由になっている場合は、概ね真ん中あたりから順次、
埋まってゆくことになり、なぜか演壇に近い側は敬遠されます。
このため開演まじかになって、後ろの席が混み合う中でも前の方は空席で
ガラガラと言う状態は実によくある光景です。

そこで当初から「どうぞ、前の方のお席が空いております」と
案内を繰り返している事務局スタッフの声が一段と高くなり、耳を貸さない
顧客の移動誘導のため、会場整備に大汗をかく段取りになっております。

あるいは何かの会合等の場面でも、これと似たような光景が展開されます。
入り口に近い方から順次、席が埋まってゆくのは、百歩譲って、お互いの適度な<遠慮感覚>としても、前の席がガラガラなので少しづつ詰めてください!と案内されたら、移動するのが<大人のマナー>ではないでしょうか。

ところが多くの方が一度、席を決めたら絶対にそこから動かない!
という実態が恐ろしいほど常態化しております。

この光景を冷静に眺めていると<遠慮>がなぜ強情なのか、一目瞭然です。

その有様はまるで<岩にアワビが張り付いた如く>に頑なですが、
ご本人はおそらく<上品に遠慮した>という自覚しかお持ちでないはず。
かくして微塵も悪気のない分、その根本の強情さは一向に改善されないまま、
また今日もどこかで案内係を困らせる事態が展開されるはずです。

同様にどこまでが正当で、どこからが悪意かという判断が非常に難しいながら
考えさせられる1冊として、ご紹介したいのが「となりのクレーマー」です。
サブタイトルは「苦情を言う人」との交渉術とあります。

2007年7月21日土曜日

遠慮の便利さと加減

季節はずれの台風一過が間違いなく青空を広がらせ、
そこから一気に梅雨明け宣言の展開を密かに予測しておりましたが、
一向にスッキリしない空模様のまま、早くも週末の土曜日を迎えました。

本日は先週に引き続き、朝から1日、名古屋でお仕事。朝7時半に家を出て
さきほど戻りましたので、移動込みの都合12時間勤務という次第です。
とはいえ、最近の名古屋までの道中は昔とは大違い。
とにかく京都、名古屋間は本当に近くて、便利になったものと驚きます。

新幹線の<のぞみ>なら片道40分弱。これはまさに、近隣の在来線感覚。
おかげさまで大阪や京都市内での研修と
時間的にもさほど変わらない気分で向き合うことができます。

さらに新幹線の座席指定が取れる分、ラッシュアワーといえども、
行き帰りはゆとりの移動という方がふさわしいかもしれません。

加えて、個人的には今年から活用している携帯からの新幹線の
<エクスプレスE予約>で、切符の手配も座席の指定も自由自在!

おそらく出張の多い方はすでに皆さん、ご利用のことと存じますが
使い始めてみると実に便利で、絶対におすすめの代物です。と、ついつい
だれかれ構わず、無理強いしたくなるのが、どうもいけないクセのひとつです。

そこで、あまり興味や関心のないことに対して、こんなふうに詰め寄られた
場合に遠まわしにさらりとさりげなく断わる言い方として
<ご遠慮いたします>や<遠慮させていただきます>が便利です。

やんわりソフトな言い回しの上になぜか、添える理由もさほど明解でなくても許される気配があります。「今日はちょっと、遠慮しておきます」という具合。

但し、あまりにいつも遠慮ばかりしていると<遠慮は上品な強情>などと
言われたりしますので、何事もさじ加減が難しいものです。

2007年7月20日金曜日

率先垂範への鏡

昨年から、とある学校で実施しております、夏休みまえの
3日間連続<夏季集中マナー講習>が昨日、無事終了いたしました。

向き合う相手が全員18歳ということを除けば、日頃のセミナーと展開は同じ。

近頃、すっかり定番化した質問にも子どもらしく実に屈託なく答えてくれます。
その質問とは<今朝、家族に自分から朝の挨拶をした人?>というものです。

だいたい半数が手を挙げ、半数が首を傾げながら何で?という顔を見せます。
「今朝のことなんかおぼえていなーい!」と口を尖らせる輩もいます。
つまり挨拶レスが半分はいるという、この実態はある意味、衝撃です。

どうやらクラブ活動の人間関係においては、それなりに挨拶や敬語が
実践されているようですが、それ以外ではなかなか悲惨な状況が現実です。

どうりで社会人の新人研修の挨拶程度にやけに時間がかかるはずです。

自らの存在証明としてのあいさつの意義とその具体論の獲得。
それが立派な大人への必須用件として、当然の躾だったのは遠い昔の話。

あらためてガツンとさわやかにこれを正す方法論の構築が間違いなく急務です。

さらに、不機嫌な顔つきと態度の修正!これも顔や身体の筋肉が
完全にそれを覚えこむ前に何とかしたいテーマです。しっかりしたアイコンタクトひとつも練習なくして身につくはずはありませんから。
では、あの無反応やだらしない姿勢を一体、どこで誰から学んだのでしょうか?

ここまで掘り下げてはじめて、お手本である大人の責任に思い至ります。
ちなみに朝の挨拶は間違いなく、自分からなさっていますよね、どちら様も?

そこでこの夏休みは大の大人が日々の言動を改めて見直し、良いお手本を意識して実践あるのみ!そしてそれこそがお互い様のラッキーの種になるはず!

2007年7月19日木曜日

はっきり断る時

<白紙に戻す>と言う意味はもとの状態、すなわち出発点に立ち戻って
そこからイチから出直したい!ということをあらわしています。
なので、考え方ややり方を見直して、再出発したいと言う意味になります。

これに対して言葉の雰囲気が非常に良く似た言い回しながら
<この件は、なかったことにしてください>というのは意味が異なりますね。

こちらは元に戻って仕切り直すのではなく、ニュアンスとしては<この件は
はじめからなかったことにしてください>ということになります。
つまり別の言い方をすれば、かなりストレートなお断り表現です。

何らかの話が途中まで進展していながら、こういう物言いにならざるを得ない事態というのは心情的にも、経費的にも出来れば避けたいものですが、時には致し方ない決断のひとつとしてきっぱりと口にしなくてはなりません。

同様に様々な事情から、はっきりと断らざるを得ない場合は、
<お断りさせていただきます>とピシャリ!といえなくてはなりませんね。

だいたいにおいて<ノー>というのが苦手な国民性ではありますが、生半可な
期待を持たせて2度、3度とご足労頂ながら、挙句の果てにやんわり
お断りするのはなんとも手前勝手な自己満足ではないかと思われます。

お断りするのが心底検討した結果ならば致し方ないものの、そもそもかなりの確率で難しいと判断されるものであれば、お互い様のためにきっぱりと意思表示するクセ付けは道義的にも誠意溢れる対応のひとつと捉えたいものです。

但し、いわずもがなではありますが、それなりの理由を述べて断りたいもの。
<とても残念ですが、○○の事情で、お断りさせていただきます>

一般的な理由としては<社の方針で><スケジュールの都合で><健康上の理由で><家庭の事情で><一身上の都合で><諸般の事情で>などがあります。

2007年7月18日水曜日

仕切り直したいときに!

ビジネスであれ、プライベートであれ、向き合う相手の気分を害さず、
出来るだけ穏便にことを運びたいと思えばこそ
お断りの物言いにもあれやこれやと悩む次第で、相手の感情や立場など
どうでもよいと思っていれば、ハナから気にもならないのが人情です。

それだけに逆転して考えてみれば、いかに言い分が正当であろうとも、
そうした気遣いの一切ない合理的な対処の仕方や物の言い方では
相手のことなど一切気にかけていない姿勢と受け止められても
致し方なく、それでは対人関係は実に気まずいものになってしまいます。

商売に限らず、あらゆる人間関係は持ちつ持たれつ、長い目で見れば
どこかで必ず何某かの接点が繰り返し生じる可能性があります。

そんな未来に対しての広い視野を持ちつつ、どんなご縁に対しても
誠意ある対応を大前提にした表現方法をいつも心がけたいものです。

とりわけ、お互い様に合意の上で進めてきた何かを仕切り直す必要が
生じた場合や、元の状態に戻して、イチからやり直さざるを得ない場合など
ぐずぐずと悩んで後戻りできない状況に追い込まれる前に思い切って、
<この件は白紙に戻させてください>という言い方で仕切り直しを願い出ます。

これは時には長期プロジェクトの終盤で、思いがけない事態として止む無く
生じる選択肢でもあれば、ごく日常的な打ち合わせのひとコマで混乱した
ディスカッションをスッキリとやり直す時の申し出の言い方でもあります。

そろばん塾での<ご破算で願いましては>の掛け声のように、ここから
新たな計算が始まりますよ!という明るい仕切りなおしモードが
理想ではありますが、かなり深刻な事態も十分に想定されます。

故にそれまでの労力をフイにする!ことに対しての謝罪が先になり
まずは<申し訳ありません>と詫びてから、続ける言い回しになります。

2007年7月17日火曜日

誠意や謙虚さへの姿勢

今朝、久しぶりに東京で仕事をしている後輩と電話で話をしました。

以前は同じ会社にいた仲間ですが、彼女は麹町のオフィスに、
私は京都の本社勤務でしたが、東京での社員教育の折には資料の準備や
会場の準備、お弁当やお茶の手配など様々な裏方をいつも気持ちよく
しかも抜かりなく万端、手助けしてもらっていた間柄です。

その頃の彼女の主な仕事は<社員、アルバイト等の採用関係全般>でしたが、
テキパキとした仕事ぶりの中にも温かな人柄の良さが感じられ、
それでいて見た目はケッコウ今風のイケてるお姉さんでもあり、
社内では老若男女を問わず、人気の会った御仁と拝察しておりました。

そしていつのまにか歳月が流れ、私は独立してフリーのコンサルタントに。
彼女は転職し、大阪に本社がある人材ビジネス会社の東京事務所に勤務。

そんな彼女にお願い事があり、なつかしい声を聞く運びと相成りました。

さて、久しぶりに聞く彼女の<声とその話し方>は実にさわやかで
歯切れが良くて、聞き取りやすく、感じもよくて文句につけよう無し!
なんとも素晴らしい後輩に恵まれていたものだとあらためて痛感し、
おかげさまで朝から気持ちの良いプレゼントを頂いたような気分です。

そして夕方、彼女からお願い事に関する進捗状況報告のメールが届きました。
お願いの件に関しての対処の仕方と今後の予測、そして最後のメッセージは
<なんとかお役に立てたらと思っております>と結んでありました。

100%意向に添えるか、どうかわからないけれども、そうできるように
頑張りたい気持ちを誠意をもって、謙虚に伝えたい時に使いたい言い方です。

目に見えない<誠意>や<謙虚さ>は見えないからこそ、感じるもの。
感じるものだけに理屈ではなく伝わること。ここに姿勢の根幹が問われます。

2007年7月16日月曜日

予約の取れないお店

ここ数年、全国的に<予約が取れないお店>が急増中のような気配です。
特に空前の京都ブーム!なんていう状況の京都市内にあっては、
個人的に確信を持って言える、そういうお店がすぐさま数店は思い浮かびます。

昨日はその中ひとつ、祇園の和食店に初めてお邪魔することが出来ました。
ご一緒したのは友達夫婦と、その友人で大の京都好き!という御仁。
この春に四苦八苦して、ようやくこの和食店の予約を取り、その際に
次なる予約をしておかれたのが昨日の夜の席という次第です。

ところが諸般の事情で当初予定の面子が揃われなくなり、そのおかげで、
思いがけず当方に話題のお店に伺うチャンスが巡ってまいりました。

美味しく食べて、そこそこ飲んで、おひとり2万円強という設定は
決して安くはありませんが、コストパフォーマンス的には納得度大!

予約客で満席の店内がすべてを物語っておりますが、他の予約の取れない
お店同様、商売とはかくありたいものと痛感させられました。

それにしても、人気の高いカウンター席の年内予約が昨日時点で、もはや難しいのは驚き。結局、次回もテーブル席で秋の味覚の頃を予約いたしました。

連日、予約で満席のお客様の大半がおそらくはこうしたスタイルで
次回をキープしてゆかれるのが、至極当然の成り行きであるとすれば、
新規客にとって最初の訪問のハードルがいかに高いかが窺い知れます。

かくして<予約の取れないお店>は<ますます予約の取れないお店>へと
善循環スパイラルモデルが進化発展してゆく様相です。

この見事な方程式の根幹にあるものは何なのか。
それをシカと見定めるため!あちらこちらの<予約の取れないお店>の常連化を目指してみたいと思ったりしている今日この頃です。

2007年7月15日日曜日

<人は感情から老化する>前頭葉の若さを保つ習慣術(著者:和田秀樹)

タイトル:<人は「感情」から老化する>前頭葉の若さを保つ習慣術
著者:和田秀樹(精神科医)
出版社:祥伝社新書
740円(税抜)

祇園祭のまさにこのタイミングをめがけて台風が接近!などという
記憶が皆無に等しい分、昨日は<鉾>は大丈夫かしら?とアレコレと勝手に
遠く離れた名古屋の研修先で気を揉んでおりました。

しかも昨夕は研修後に以前、勤めていた会社の名古屋の担当の方々と
御飯会を企画し、とても楽しみにしておりましたが、これも止む無く断念。

予定通り、研修を終了したその足で新幹線に飛び乗り、無事戻りましたが、
夕方の6時ごろ、JR名古屋駅界隈は実に激しい雨が降っていました。

さて仕事柄、地方での研修やら講演も多く、時にはこういう非常事態に遭遇し、
仕事は問題なく終了できても、その後の移動に大いに支障が出て、
結局、身動きが取れずに現地で宿泊!という経験も数多くあります。

東京、京阪神ならば、土地勘もあり、急に宿泊といっても気分的にも
なんとかなりますが、情報に乏しく地理不案内な移動先で、
しかも台風やら思いがけない災害、事故などで、なんとかなると思って駅に
着いたら、不通!かつ復旧の目処立たずとくれば、正直、瞬間、うろたえます。

直近では、3年近く前に岡山で講演後、接近していた台風のために山陽新幹線が止まってしまい、岡山城に隣接するホテルに宿泊したことがあります。
文字にすれば、なんということはありませんが、実際にその現場に身をおけば、判断に迷ったり、心細かったり、手配に手こずったりと相当、疲れるものです。

それでも多くの場合、<経験する価値>が<経験しない価値>に勝ります。
そして経験のためには、<行動>が無くてはならず、そこに生じる事態に
伴う何らかの感情が、実は老化にも大いに影響するという1冊をご紹介します。

2007年7月14日土曜日

言葉の力

言葉は生き物とよく言われます。時代と共にどんどん変化するものだから。

そして言葉がなければ、ものを考えることさえ出来ないことに
しっかりと気付くことが出来れば、言葉に対しての姿勢が少しずつ変わります。

たとえば、梅雨の合間の晴れ間にすっと鮮やかな虹が掛かることがあります。

あの虹の色を私達、日本人は7色と習い、そしてたしかにそう見ることが出来ます。色の順番は赤橙黄緑青藍紫<セキドウオウリョクセイランシ>と覚えています。

しかし、同じ虹を見て、この地球上にはそれを5色と認識する民族もいれば、たった3色と答える民族もいます。詳しくお知りになりたい場合はネットで調べて頂ければ、世界の国別に何色と認識しているかが紹介されています。

これはいったいどういうことなのでしょうか。

虹そのものは同じだけれども、見る場所や、時間帯やあるいは
私達の目の色などによって、見えるものが異なるということ。
いえ、そうではなくむしろ微妙な色の違いを表現する言葉がなければ、
明解な区別はできないということを意味しているのではないでしょうか。

日本は色を表わす言葉の数がおそらく世界一多い国です。
いえ、色だけに限らず、月や風や雨の降り方に関しても
実に沢山の言葉を育んできた文化が日本にはあります。

新緑に降る梅雨の走りの雨が青梅雨<あおつゆ>・卯の花を腐らせる長雨を卯の花くたし<うのはなくたし>・陰暦5月の長雨は夜も闇が深いため、五月闇<さつきやみ>・曾我物語の仇討ちにちなんだ虎御前の涙雨の虎が雨<とらがあめ>・梅雨明けの頃に急に強く振る雨を送り梅雨<おくりづゆ>等など。

強い台風の雨が気がかりな中、今日は名古屋で研修。無事に戻れますように。

2007年7月13日金曜日

結構、けっこう、ケッコウ

時々、接客販売の現場で眉間に縦皺の事態に遭遇します。
概ね、進物などの手配のやり取りの最後に「こちらでけっこうでしょうか?」という言い方が飛び出して、その瞬間、当方の眉間に皺が生まれます。

この言い方をするのがいかにも<アルバイト、学生、未熟>と
3拍子揃っていれば、まったくしょうがないな!と呆れるだけで済みます。

ところが、たとえば老舗デパートのお客様サロンのカウンター越しの
やり取りで、それなりの<妙齢、ベテラン、しかも正社員風情>の
口から出た場合には、間違いなくくっきりと濃い縦皺が刻まれます。

それにしても<けっこう>という日本語は実に使い方が難しいですね。

何かの確認をする場合ならば、「こちらでよろしいでしょうか?」と尋ね、
これに対して、お客の方が「はい、それで結構です」と了解の意向を伝えます。

あるいはお茶のおかわりを問われて、「いいえ、もう結構です」と断ります。
また、「結構なご身分ね」などと言えば、まちがいなく嫌味モード。

さらにはお茶会等で「誠に結構なお点前で」と<見事で有る>とか、
<とても素晴らしい>という意味のほめ言葉にもなります。

さらに相手の好意に対して、傷つけずにお断りしたいときには
「大変、けっこうなお話だとは思いますが」ときちんと認めた上で、
「今回は見送ります」とか「見送らせていただきます」と続けます。

さて、1963年発行の愛用のボロボロの辞書を引いて見ますと、そもそもは<構えを作ること・組み立てること・構え・規模>とありました。

「結構、間に合う」なら、<何とか上手く!>という意味にもなりますが、
これほど柔軟な言葉に向き合うためには、柔軟な姿勢が大いに問われる次第でそれを鍛えるためと考えれば、結構、ラッキーな言葉なのかもしれませんね。

2007年7月12日木曜日

役不足の意味

日本語の難しさを痛感するひとコマとして、謙遜して「力不足ですので」と
言うつもりを「私には役不足ですので」と言えば、失笑を買うことになります。

なんとなく同じ意味合いというように誤解される向きも
わからなくはありませんが、この2つはまったく反対の意味になります。

<力不足>は<自分の力量では手に負えない>つまり、自分の能力が
未熟なのでお断りせざるを得ないということを言い表しています。

反対に<役不足>は<役目が軽すぎる>ということを意味しており、
自分の能力ならば、もっと重要な役が出来るのに
この役では納得はゆかないというクレームの意向を表わす言い方になります。
なので、めったに自分を主語にして使う言い方ではないと心得たいもの。

ドラマの台詞タッチで眺めれば、第三者が「あの方にこのポストでは
いかにも役不足じゃないですか?」というような使い方が妥当となります。
<そういえば、今晩のドラマ、楽しみにしています!>
でも努めて冷静に思い起こしてみれば、過去のどこかで、何気なく、
悪気なく、言ってしまっていたような気がいたします。
少なくとも個人的には絶対、謙遜して使った記憶があります。

もし、かつて身近で耳にされた各位にあっては、己の力を過信して豪語したのではなく、単なる軽率な言い間違いであったことを反省して弁明いたします。

いずれにしても、この混乱の原因は角を立てずに穏やかに
断りたい時の定番フレーズとして「私ではお役に立てそうもありません」
という言い方が存在することにありそうです。

明解に断る理由があるときだけでなく、やや逃げ口上の断り方としても汎用性が高く、便利な言い方ですが、<役に立てない>ということから<役不足>も同義語として解釈されてしまったように思えます。気をつけたいですね!

2007年7月11日水曜日

力不足ですので!

昔から梅雨と言えば、6月というイメージが出来上がっておりますが
実際はどう考えても6月中旬から7月中旬の1ヶ月を意味していそうです。

これまた、地球温暖化のせいで微妙に時期がずれ込んだせい?
と思いたいところですが、あにはからんや。京都市民なら良くご存知の通り、祇園祭の頃合が概ね、梅雨明けと相場は決まっております。

京都はここから年に1度の大イベント・祇園祭一色に染まってゆきますが
その宵山のどこかでは必ず夕立、雷、の梅雨明けのセレモニーが
自然のしきたりのように見事に組み込まれております。

同様に、菊水鉾の町内に暮らす友人からは毎年、今頃になると、ちまきの販売担当当番の日時がメールで送られてまいります。
こうして祇園祭が大きな季節の変わり目を睨みながら、梅雨の幕引きと
京都の夏の始まりを運んでくるかのような風情もまた味わいのひとつ。

そう言えば、昨年は巡行当日が激しい雨に見舞われ、大勢の見物客や観光客がお気の毒でなりませんでしたが、見方を変えれば、めったにない天の演出に
強く記憶に残るお土産話のひとつが織り上げられたのかもしれません。

散々な目にあったことが、かえって、おもしろ、おかしく、なつかしく、
何より大切な思い出になることはしばしば起こりえます。
はてさて、今年はどんなドラマが用意されていることやら大いに愉しみです。

そんな大きな期待を寄せられた時、しかし<自分には無理だ>と思うときの
お断りの定番フレーズは「私では力不足ですので」という言い方になります。

残念ながら出来そうもない、荷が重い、と判断したときに謙虚に冷静に
「ありがとうございます、でも私では力不足でご迷惑をお掛けしてしまいそうなので、誠に申し訳ございません」という言い方でお断りをします。

但し、いつも「力不足ですので」では、努力不足でしかありませんが。

2007年7月10日火曜日

お気持ちだけ!シリーズ

新聞の天気予報欄に見事に傘マークが並んでいる今週。
たしかにホッと一息ではありますが、今日はその予報通りにいかにも
梅雨らしく、時折、強い雨が降ったり止んだりの1日となりました。

実はその悪天候の中、本日が指定練習日であり、明日から本番を迎えるのが
【京セラソーラーレディスオープンイン朝日野】の記念すべき第1回大会です。
LPGAシニアの女子プロの大会はこれが初めてのことになるそうです。

滋賀県の<朝日野CC>で明日あさって開催されますが、アマチュアゴルファーの端くれとして少しでもマシな天候を祈りたくなる想いでいっぱいです。

あいにく仕事があって観戦という訳にはまいりませんが、
女子ゴルフ界の往年のスター達の活躍を楽しみにされている方も多そうです。
もちろんそのファン層はといえば当然、それなりの年齢層に高めに集約されることになり、それを考えますとやはり悪天候は観客動員においても影響大です。

さすがにプロの選手各位にあっては雨くらいの悪天候は
何の障害にもならないことと思うのですが、せっかくの初大会ならば!
という運営サイドと観客の視点に立てば、せめて曇り空を願いたくなります。

<もしご近所なら、クラブハウスにテルテル坊主を吊るしちゃいそうです。>

というような、実に気持ちは有難いけれども、その申し出は困ります!とか、
受け取れません!という時に使いたいのが「お気持ちだけ」のシリーズです。

一般的には「お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします」といいます。
あるいはもう少しフランクに「お気持ちだけで十分です」や
「気持ちだけもらっておきます」と軽いタッチで使うことも多く有ります。

反対に何が何でもお断りするしかない場合は少しかしこまって
「お気持ちは十分に頂きました。これ以上は頂く訳にはまいりません」
とはっきり気持ちを伝える言い方になります。

2007年7月9日月曜日

不調法で!

7日に実施した先輩のハッピーリタイアを祝う<七夕の会>はすでに企業を
リタイアされた方と、もともと企業に属さないが故に生涯現役組みの方と、
一部企業戦士現役派の概ね3パターンで構成されておりました。

おかげさまで年齢的にも精神的にも大人の会の趣が強く、振り返ってみますと終始和やかな中にも節度やら配慮がそこかしこに行き届いておりました。

当日は司会進行やら、ありとあらゆる雑事に追われ、そんな冷静な観察が
出来るはずもなかったのですが、そういえば、お部屋の中でタバコを吸う人が
いらっしゃらなかったことに今になって気付きました。

でも参加者の中で何人かの愛煙家も存じ上げております。
そう思ってよくよく思い出してみると、広い廊下の端っこで携帯通話を
されている方やそこでタバコを吸っている後姿がうっすら思い出されます。

お部屋の中は禁煙!と申し上げたわけでは有りませんが、昨今の情勢やら
クーラーとの関係で窓が開けられない環境ではそんふうに自主的に外での
喫煙に心してくださったあたりは、さすがとあらためて感謝しております。

なぜかと申しますと昨今はそれでなくても肩身の狭い愛煙家の方に
「吸ってもよろしいですか?」と聞かれて「いいえ、ご遠慮ください」と
きっぱりお断りするのは実は相当に勇気のいることです。

故に本当は迷惑だけれど致し方なく「どうぞ」とお返事せざるを得ず、
一旦了解したら最後、遠慮なくスパスパと煙に巻かれる始末です。
だからハナから禁煙の店しか行かないというスタイルも急増中です。

その昔はすすめられたお酒やタバコをお断りするときには「不調法(ブチョウホウ)で、申し訳ありません」や「すみません、不調法で」が定番の言い方でした。

今時はまさかタバコを勧められることはなくなりましたが、
お酒に関して、最も手っ取り早く効果的なのは「車ですから」のひと言。
「不調法で」はもはや死語に近い分、かえって新鮮かもしれませんね。

2007年7月8日日曜日

千年働いてきました(著者:野村進)

タイトル:千年働いてきました
著者:野村進
出版社:角川書店
705円(税抜)

前日の天気予報では絶望的な気配が漂っていた七夕の夜の天候でしたが、
幸いなことに好転し、昨日は天空デートが実現した模様で何よりです。

だいたい七夕は毎年、雨が多いのですが、昨晩はせめて曇り空を切望。
なぜならば、この6月末に某企業を退任され、翌7月早々に還暦を迎えられた
人生の先輩の<ハッピーリタイアの会>が予定されていたからです。

しかも幹事を仰せつかっておりましたので、参加者の足のことを考えれば
出来るならば、ドシャ降りだけは遠慮してほしいと思うのが人情です。

ちなみにここ数日、サラリーマン時代の思い出を手繰っておりますので、
その路線を踏襲しますと、個人的な特技のひとつとして自負していたのが
実は<各種祭事系宴会の幹事役>でありました。

テーマに合わせたコンセプト作りから始まって、日時場所の設定から案内状の作成、式次第の構成にサプライズ企画の仕込み。さらには協賛や差し入れへのお願い。記念写真の段取りや交渉から当日の司会進行まで何でもこい!です。

そんな経験を活かしつつ、昨日の演出は七夕にちなんで立派な笹を用意し、
参加者各位にその場で書き記して頂いた短冊を飾りつけて記念品で贈呈。
氏の新たな旅立ちを祝うエールが夜空の星のように艶やかに笹を彩りました。

さてお集まりの顔ぶれは氏の交友関係の広さを物語り、尺八の祝奏に始まり、宮川町のお姐さんの祝舞に、落語家さんの小噺。祇園の老舗クラブのママの艶話に締めはシャンソン歌手の生歌声を大いに楽しませて頂きました。
その他にも舞踊家や政治家や実業界のお歴々まで多種多様なお顔触れでした。

まるで<自分らしい人生の生き方>の見本市会場みたいな中で、年齢でも肩書きでもなく、好きなことや出来ることを貫く価値を再確認した気分です。

そこで本日ご紹介したい本は<そんな何かを貫き続けた老舗企業>大国ニッポンの有り様を取り上げて、大いに話題の1冊。

2007年7月7日土曜日

七夕の願い事

そういえば、遠い昔のサラリーマン時代にどうしても納得ができず、
受け入れがたいまま棚上げしてきたのが<本音と建前>という課題です。

当時はとかく職場の人間関係において<本音と建前>を使い分けることが、
一端のビジネスマンの証とされていたような時代のしかも真只中。

つまり思っていることをそのまま言っちゃ絶対にダメ。
内心はどうでアレ、上辺は上手に相手に合わせて、建前を貫くことが基本。
<イエスマン>という言葉がやけにもてはやされた頃でもありました。

やがて出世して本音がまかり通るようになるまでは、とにかくハイ!で
走りぬけ!というようなご指導を事あるごとによく聞かされました。

そしてそれはある意味、ビックリ仰天の衝撃でもありました。
嫌なものをイヤ!と言ってはいけない。黒を白といわなくてはいけない。
やんわりと遠まわしは許されても、ストレートに何かを
言ってはいけないことを社会人になって初めて知りました。
もし会社に入っていなければ、知らないままに人生を過ごしたかもしれません。

やがてそれがひとつの対人関係の作法であって、穏やかな他者配慮の願いが
根底に秘められたものであることに気付くまでどれほど時間を要したことか。

そしてこれもよく考えてみれば最初にそれを教えてくれた方の<ものの言い方のニュアンス>のせいであったのかも知れないと最近になって思い至ります。

これを建前風に申せば、当時、あまりにもストレートに何でもズバリと
耳の痛いことを言い切る当方の気性に対する親心であったのかもしれません。
でも本音で申せば、何でも言いたいことを言う、そんな新人が
可愛いはずもなく、ただ憎たらしい気持ちで押さえつけたかっただけなのかも。

大切な何かを歪みなく、ありのままに伝えられる言葉と気持ちと
その話し方を本当にちゃんと獲得したいと願う、今日は年に1度の七夕です。

2007年7月6日金曜日

微妙なニュアンスの違い

<大人の話し方>という観点で個人的な思い出を紐解いてみると
社会人になって間もない頃はとにかく毎日が驚きの連続で彩られておりました。

ひたすらさわやかで元気!を要求された朝の挨拶から始まって、
ちょっとした離席や外出にも、挨拶チックな声がけが必要であること。
しかもそのためにはいつもちゃんとした納得のゆく理由が必要であり、
<ただの気分転換!>みたいなことは許されないということ。

さらに加えるならば、新人の間は特にそうしたことのひとつひとつを
先輩や上司にきちんと了解を取らなくてはいけないこと。

本当に何にも知らなかったなぁー!だから何一つ出来なかったなぁーと
あらためてレベルの低さに我ながらあきれてしまいます。

今、考えてもよくぞ、鍛えてくださいましたと感謝の念に耐えませんが、
今、考えてもやっぱり難しいのが話し方に問われる<微妙なニュアンス>です。

同じ言葉でありながら、その話し方のニュアンスで<イエスかノーか>を
判断しなくてはいけない場面は日常生活のそこかしこに点在します。

たとえば、ご紹介くださった方の手前、お話だけは聞かせて頂いたけれども、この話はここまで!というような時には「一旦、お預かりいたします」と
言う言い方でお断りをします。この場合、決め手は前に添えるひと言です。

<一旦>とか、<いちおう><とりあえず>や<それでは><じゃー>など、
どれも決して前向き、積極的ではないニュアンスの一言になります
なので<預かることにだけ致します>という意味でのお断りの言い方です。

では逆に、本気で検討する前提でお預かりするときにはどうするか。
その場合には<確かに>を添えて「確かにお預かりいたします」ときっぱり!
こんな微妙なニュアンスの違いを読み取るための惜しみない努力は、
きっとラッキーな体質にも磨きをかけてくれるはずです。

2007年7月5日木曜日

問題意識へのプロセス

<大人の話し方>の完成度、並びに好感度向上を目指す日々は、良い意味で自らの受け止め方を見つめ直すための絶好の機会!の様相も見せ始めております。

あらためて考えてみたら、人様の物言いに対しては往々にして
<カチン!と頭に来たり><ムカムカ腹を立てたり>が多い自分がいます。

時には<ガツンとしてやられたり><思いがけずシュンとさせられたり>
もちろん<ウルウル感動><メソメソ感激>だって、結構ありますが、
もし感情の喜怒哀楽の量的比較をしたらどうなるのでしょうか。

この際、質はさておき、あくまでも量を単純に比較してみたら
なんとも<怒>が多くない?という自問自答モードに突入いたします。

たとえば、度忘れ、物忘れ、不注意、不器用等の自分自身に対して
もちろん怒ることはありますが、この場合はやはり身びいきから
採点は至って甘いものにもなってしまい、問題意識には変換されません。

ところが誰かの不用意な発言に対しては実に厳しい追求が展開されます。

このことを物凄く都合よく見方を変えて解釈してみれば、
基本的に誰かの何かの発言に対して常にきっちりと<反応すること>で
沢山の気付きを頂き、それが問題意識に変換されていることになります。

1度じっくり<考えておきます!>と受け止めたい課題ではありませんか?

さて誤解のないように補足させて頂くと、すべての<考えておきます>が
NOという意味ではもちろんありません。お得意先とのやり取りや仕事仲間や上司と部下において活用されるそれは間違いなく言葉通りの意味となります。

あくまでも遠まわしの断りに用いるこの表現は、日本語ならではの言い回しであって、国際社会では誤解を招くかも!という認識も大事ですね。念のため。

2007年7月4日水曜日

「考えておきます」のニュアンス

<大人の話し方>の良し悪しや、出来不出来に関しては、
実際のところ企業内の審査や検定試験みたいなものがあるわけではありません。

故に絶大なる根拠を持って、「今の話し方はアウト!」とか、「今みたいな言い方はセーフ!」というのをその都度、判定しにくい課題でもあります。

つまり明らかに間違っている言い回しや、どう考えても納得できない壁に
追い詰められない限りは「まぁいいか!」とお互い様に見逃してしまわざるを得ない非常に厄介な性質を抱えた課題と捉えることができます。

加えて、昨今のコミュニケーション不足や敬語表現力の低下が
これを加速させ<問題な日本語やその言い方>の増殖はかなり深刻です。

さらに、もし<まちがい>であっても勢いその使用人口が過半数を超えたら、
正解!にしてしまいそうな事態が見え隠れすることも大問題です。

言葉とその言い方、話し方は確かに時代と共に変化するものではありながら、その変化のさせ方には今を生きている大人としての
凛とした決意と姿勢がなくてはならないと個人的には受け止めています。

とりわけ、ここしばらくのベーステーマである<断り方>に関しては、
出来る限り、相手の気持ちを斟酌しながら、
こちらの都合もご理解いただきたいという切ない気持ちのやり取りを
<大人の話し方のフレーズ>として追いかけたいのが本意です。

これを別の角度から眺めてみれば、そういう言い方が出来れば、
とりあえずは合格!みいたいな便利な表現であるのも事実です。

いわゆる、お茶を濁す言い回しと捉えられがちな<考えておきます>も
そのひとつではないでしょうか。
決してごまかしているのではなく、「今回は関心がありません」という気持ちを柔らかく伝えたいフレーズであることを言う方も言われる方もきちんと認識しておきたいものです。

2007年7月3日火曜日

木版本源氏物語展のご案内

京都御苑の東、丸太町と今出川のちょうど真ん中あたりに
萩で有名な梨木神社があります。
ここはご存知の通り、染井の井戸の名水が人気で、このお水を頂くため
朝早くから夕刻まで人の列が途絶えることがありません。

このため寺町通りは1日中、不法駐車が絶えませんが、
沢山のお水を運ぶ側からすれば致し方ない事情でもあります。

我が家がこの地に居を構えて、ちょうど10年になりますが、
毎日お水を汲みにこられる多くの方の姿を見るたびに、
あらためてここのお水の人気の高さに驚かされます。

そういえば、梨木神社の西側には御所との間に鬱蒼とした木々に覆われた
静かな道があり、そこでは毎朝6時半からラジオ体操が行われています。

1年365日、真冬も真夏も変わることのない光景に
時々ズシンととてつもない重みを感じたりいたします。
どこからともなく人々が集まり、そして去ってゆく朝のひと時と
その空間にはなんだか悠久の時間の醍醐味が広がります。

今からの季節は特に清々しい気分が味わえるので、こっそりお薦めです。

さて、その梨木神社のお向かい。寺町広小路を上がった東側にある
盧山寺方丈で7月1日から31日まで
<源氏物語千年紀の雅・木版本源氏物語展>が開催されております。
毎日午前9時から午後4時まで。

このお寺が最も賑わうのは年に1度、真冬の<節分>の折ですが、
今は桔梗も見頃を迎えていますので、京都流の皆さん、ぜひどうぞ!

はるかな歴史のかなたで、かの紫式部が「源氏物語」「紫式部日記」等の
大部分をここで執筆した記録を実際に眺めるチャンスです。

2007年7月2日月曜日

上七軒の夏の開幕

天気予報通りに夕方から雨の降り出した昨夕は、上七軒のビアガーデン初日。友達夫婦と一緒に東京から出張の後輩を引き連れて出掛けて参りました。

その我々の姿が今朝の日経新聞にちらりと写っているらしく、朝から
メールでお知らせくださる方があり、我が家では日経をとっていないので
早速、入手しましたら確かにきっちりと写っておりました。

そういえば、私達のすぐそばのテーブルで沢山のカメラマンが若い女性と
舞子ちゃんたちに何度も乾杯のポーズを取らせて撮影しておられましたので、その端っこに思いがけず証拠が残ってしまったもののようです。

ここ数年うなぎのぼりの人気を誇る、上七軒ビアガーデンには
いろいろなご縁があって、毎年よく足を運ばせて頂いております。

その昨年の様子のひとコマがそれこそ今年のある踊りの会のパンフレットにも
バッチリと写真紹介されていて、どうも上七軒と写真、しかも偶然と言うのが今年度の何かを示唆しているようでもあります。

あいにくの雨にも対処できる体制への改装もここ1,2年をかけてスッキリと整い、おかげさまで風情たっぷりの景色の中、顔なじみの女将さんや有名きれいどころのお姐さん方のお姿も拝見し、京都の夏の始まりを感じたひと時でした。

とりわけ、東京から参上の我が後輩はかなりの頻度で京都出張しているにも
かかわらず、初めての上七軒だったそうで感動ひときわ、大喜びでした。

本人いわく、大都会のビアガーデン、イコールデパートの屋上という構図が
こんなに心地よい風情で塗り替えられたら、誰だって評価したくなるとの事。

「こんなに素敵な処にお連れ下さってありがとうございます。とても嬉しいです。」と<大人の言葉使い>できちんと感謝と感動が伝えられる後輩は、いつもながら、さすがです。その笑顔とキリリと伸びた背筋が一層輝いて見えたのはこれまた季節限定、夏の上七軒の風情のなせる技なのかも知れません。

2007年7月1日日曜日

骨盤でやせる(著者:松岡博子)

タイトル:骨盤でやせる
著者:松岡博子
出版社:宝島社新書
700円(税抜)

決意のわりに今年の出足が鈍いまま、とうとう7月を迎えてしまいました。
何のことかと申しますと、ゴルフの練習とラウンド実績です。

毎年、年明け早々の新春杯で初打ち後は寒さを理由にお休みし、
花粉の季節が終了する頃まではぴたりと冬眠スタイルのマイゴルフ。

その後、研修の多い春先のガマンの峠を乗り越えたら、そこからは
本来はガンガン!ゴルフ三昧の楽しくも健康的かつ、よくやる分、勢い
上達気分の日々が繰り広げられるはずなのですが。

今年はどうも不本意な展開。これを本日を機に一気に改善モードに切り替え、
日焼けと戦う実態へと大幅チェンジへの決意をひとり固める月初です。

しかも、今年で6年連続出場を誇る、ある実業団の大会予選が
今月末に予定されており、もはやグダグダ言っている時期ではありません。

今年もなんとか予選通過を達成し、6年連続での秋の決勝進出をかけ、
しばし燃えるアマチュアゴルファーに変身せねばなりません。

その決意をあざ笑うかのようなハンディキャップ変更のハガキが
半年に1度、7月1日付けで昨日届いております。
あきらかに腕前が落ちていることを証明してくれる数値を
横目で睨みつつ、この屈辱をバネするしか他に妙案は浮かびません。

さて、プロアマを問わず、多くのゴルファーの悩みの種の一つは
何といっても腰痛ではないでしょうか。
その腰痛はもとより、頭痛、肩こり、ダイエット、アンチエイジングの
すべてに関わる<骨盤>に関しての1冊を本日はご紹介いたします。