2007年2月28日水曜日

クッション言葉の使い方

床に直接、腰掛けたらお尻が痛い!というような場所でも、弾力性たっぷりのフカフカのクッションがあれば、そこだけは居心地がとりあえずは飛躍的に改善されます。つまり昨日、お届けした【クッション言葉】はそういう役割を担う言葉なので、それこそ使い方が一層重要な課題といえます。

間違っても「言えばいいんでしょう!」モードでは絶対に使わないという覚悟が必要です。そのためにはやはり声に出して言う練習が不可欠であり、職場にあっては相互点検機能が無くてはならない課題と理解しております。

そこで今日は月末ですが、業務上メチャ忙しい部署の方以外は少し意識して職場の隣近所の電話応対にお互い様に耳を傾け、クッション言葉の言い方、使い方に注意を払ってみませんか?

決して個人技の優劣評価のためではなく、その改善で目指すものが電話力の精度向上という視点で、定例化したい課題ではないかと睨んでおります。

なぜならば、ここには日本語ならではの難しさがかなり濃厚に漂うからです。たとえば、「恐れ入ります」は決して元気良くハキハキ明るく言う言葉ではありません。言い方としてはむしろ声のトーンを少し落とし、歯切れ良さもここではさほど重視はしない風情が求められます。

決して謝罪ではなく<お手数をお掛けします>という思いで、お願いするときに使う言葉です。なので「恐れ入りました」とはまるで別の意味となります。
同様に「失礼ですが」も同じ使い方になり、「失礼しました」とは別物です。

いずれの場合も良くあるケースはその言葉だけで、質問に摩り替えようというスタイルです。察する文化の日本ならではのやり取りですが、基本は最後まで主体的に聞くという姿勢を貫きたいものです。

「あれっ?」と思った瞬間や「おやっ?」と思うその刹那、そこを見逃さない環境整備が実はとても大きな意味を持っているのではないかと考えます。

2007年2月27日火曜日

相手を確認するフレーズ

滑らかな電話の【取次ぎ】のためには誰からの電話なのかを正しく聞きだすことが重要です。このため声だけでわかるようなケースは別にして、まずは受けた人に相手が【どこの誰なのか】を問い質す責任有りと自覚したいものです。

ところが『○○さんをお願いします』というような名指しで、職場の先輩に掛かってきた場合に、その本人が目の前に座っていたりすると、相手の確認をせずに○○さん、お電話ですと受話器を差し出したりしてしまいます。
電話応対に不慣れな場合だけでなく、相手がすぐ近くで電話に出れることが明解な時にはつい油断して、こういう対応でズルしちゃうことがあります。

当然ながら、そんな時に限って、『誰から?』と聞き返されたりします。
あるいは何かの勧誘電話であったりして、後でお叱りを受けたりします。

でも冷静に考えてみれば【相手を確認する】のは当然の話ですね。もし、自分宛の電話の場合に誰からなのかわからなければ、不安になりませんか?

たとえば、ご迷惑をおかけした方ならばまずお詫びの言葉から出たい。問い合わせの件ならば、受話器を取る前に資料をサッと揃えて対応したい。あるいは相手によっては今、出ないほうが良いというケースも想定されます。

そんな判断を速やかに行うためにも、相手の特定がまず必要となります。

そこで、まったく名乗らない方の場合には以下の定番フレーズが便利です。
『恐れ入ります。お名前をお聞かせ頂けますか?』あるいは『お名前をお聞かせ頂けますでしょうか?』はたまた『失礼ですが、どちら様でしょうか?』や『どちらさまでいらっしゃいますか?』

この場合、必ず『恐れ入ります』や『失礼ですが』というクッション言葉がポイントになります。尋ね方がまるで尋問のようにならないように、クッション言葉は声と話し方だけが頼りの電話応対では何かにつけて便利なフレーズです。
但し、使い慣れていない場合は柔らかく言う練習を今日から毎朝、10回づつ。

2007年2月26日月曜日

取次ぎの基本

電話が鳴って、受け手がしっかりと第一声を名乗れば、一般的にはこれに呼応して掛けた側が【どこの誰か】をはっきり名乗る、これが滑らかな電話コミュニケーションの模範パターンになります。

ところが実際には掛けたほうが、悪気なく名乗らないケースも多々あります。

たとえば、『自分が誰かは名乗らずにいきなり誰かを名指しするケース』
あるいは『名前しか名乗らないケース』『その声や言い方がモゾモゾと聞き取れないケース』さらには『名指し人が特定されず、用件が先行してしまうケース』そしていきなり『責任者を出せ!』みたいな剣幕でまくし立てられるケース。

なにはともあれ、会社の代表として電話に出た以上、まずは相手がどこの誰かを確認することが正確な【取次ぎ】のための基本作業となります。

そこでビジネスの現場でありがちな状況を想定しながら、相手の確認のための言葉やその言い方を整理してゆくことにしましょう。

ビジネスの現場では、いきなり名指しという形で役職名や個人名を告げられる場合は案外、多いものです。たとえば、個人的に親しい方であったり、旧知の関係であったり、あるいは相当、ご縁の多い仕入先や得意先の場合には声だけでわかるでしょう!みたいな感覚もあって、悪気なく名乗らずにいつもの担当者を指名するようなことがあります。但しこの心理を逆手に取っての売り込み営業も多いので油断大敵。基本の徹底がここでもやはり問われます。

もちろん声だけでわかる場合には、そのまま取り次ぐことも実際には頻繁に行われることですが、意識して感じの良い電話応対の精度向上に取り組むのであれば、そうした場合にも一言挨拶言葉で取次ぎの使命を全うしたいものです。

一般的には『いつもお世話になっております』とか『毎度ありがとうございます』と挨拶し、これに続けて『○○様、只今■■と代わります。すこしお待ちくださいませ』という具合です。定番のフレーズとして使いこなしたいですね。

2007年2月25日日曜日

不都合な真実(著者:アル・ゴア)

タイトル:不都合な真実
著者:アル・ゴア(アメリカ元副大統領)
初版:2007年1月5日(2007年2月15日第15刷発行)
出版社:ランダムハウス講談社
2、800円(税抜)

本来の季節の記憶に相応しい昨日今日の気温です。でもまた、明日には春の陽気が舞い戻るとか。例年に比べれば約一月は早い花粉の症状に戸惑いつつ、でも春の訪れはやっぱり嬉しいような嬉しくないような微妙な毎日です。

それにしてもこの様子はどう考えてもおかしいと多くの方々が実感せざるを得ない状況の中、その根本論議である【地球温暖化】という事態に普通の生活者としてはいったいぜんたいどう向き合えばいいのでしょうか。

絶対におかしいと感じつつ、でも具体的に何をどうしたらよいのかがわからない中、本日はそんな疑問に大きな手掛りとなる1冊をご紹介します。

『地球のためにあなたが出来る最初の一歩はこの事実を知ることだ』というメッセージが綴られた分厚いこの本は地球環境の変化を衝撃的な写真とともにわかりやすく事実として語りかけ、具体的な行動指針を示してくれます。

この本に向き合いながら今から20年近く前に、信州白馬でホテルを経営する先輩が社員の採用に関して徹底されていたことを鮮明に思い出しました。

いわく、『このホテルで働いてもらうスタッフの最終面接はシャンプーの仕方』でした。そこで、最後は必ず一緒にお風呂に入って、シャンプーの仕方を観察されます。果たして何を見るのかといえばシャンプーをする間、シャワーのお湯を出したままか、一旦止めて洗うかです。
結論は、もちろんお湯を出しっぱなしで洗うタイプは不合格という次第です。

『もったいない』という感覚の欠落への容赦ない眼差しは今、地球レベルで問われるものにズシリと重みを伴って繋がります。身近なことから改善を!

2007年2月24日土曜日

『伝話』コミュニケーション

猫も杓子もの勢いで普及する携帯電話時代の昨今ですが、首から提げていたり胸やお尻のポケットに肌身離さず携帯している場合と何か持ち物の中に所有している場合とでは、着信後の対応にかなりの時間差が生じます。

しかもマナーモードの場合はさらに気付くことが困難になります。何かの拍子に運よく、バックの中を覗き込んだら着信中みたいな場合でない限り、結論としては呼び出し音の長丁場モードは止むなしというきらいがあります。

つまり同じビジネス電話の領域にありながら、それが携帯電話の場合にはどのくらい長く呼び出し音が鳴って待たされたとしても、受けた側からの『大変、お待たせしました』という言葉はあってもなくてもどちらでも構わないのが暗黙のルールとして一般的に認知されているように思います。如何でしょうか?

特に乗り物の中で着信に気づいて、何はともあれ出ておきましょうという場合は長たらしいメッセージは周りへも迷惑なのでスッキリと省略し、『はい』としか受けないこともしばしば生じます。

そのあまりにも素っ気ない答え方を持ってして、掛けたほうに『もしかして移動中?』とか『会議中?』ということが伝わりやすくなったりもします。

故にお互い様がその状況配慮に日々精通し、短いながらも的を得た会話がそこで展開されます。特に電話帳登録している場合には、相手の氏名が表示されますので、いちいち名乗る手間さえも排斥可能となり、それが通話相手を周囲に気付かれたくないような場合には至って好都合という展開もあります。

その意味では携帯コミュニケーションは電話の中における、あらたな対応要領の可能性を現場発で発掘中という状況なのかもしれません。

言葉という手段を極力制限し、意識して簡略化することで、むしろその場の雰囲気やその状況をわかりやすく伝えられるというメッセージ性において『伝話』という文字が似合いそうでもあります。

2007年2月23日金曜日

臨機応変へのドリル

電話の呼び出し音が鳴りはじめてから、何回めくらいで受話器を取ればよいのかを細かく決めておられる会社も結構あります。

通常は2回めの呼び出し音が鳴り終わろうとするくらいのタイミングがベストのようです。いわく1回ではいかにも待ち構えていたようだし、3回では目の前の電話が鳴っているのに不自然だからということのようです。

確かに時々、呼び出し音がなった途端に素早く出てくださることがありますが、掛けたほうからすれば、あまりに早いとそれはそれでビックリしたりします。まるで電話の前でずっと待機されていたかのようでチョイ不気味です。

またある方に言わせれば、あんまり早く出るとよほど暇な会社!と思われるそうで適度という観点から2,3回の呼び出し音がお互い様に具合が良いということに落ち着きそうです。

但し、これ以上の回数になって出ないのは、何某かの事情で出られない状況にあるという気配が漂い始めます。故に4,5回のコールの後に受話器を取ったら、一言『お待たせしました。○○工業です』というのが一般的になります。

さらにかなりの回数が鳴ってしまった場合はずいぶんと待たせてしまって申し訳ないという思いを強調するために『大変、お待たせしました』という言い方を指導している会社は多いようです。つまり軽いながらも謝罪モードです。

さて、こうなると唯一絶対の<明るくさわやかな第一声>にもある限界が見え隠れいたします。つまり待たせておきながら、メチャ明るくさわやか!は如何なものかという課題です。となれば、そこにはいささか申し訳ないという謝罪モードが声に含まれていることが求められますね。

つまり、そのときその場の臨機応変な対応力が実は<電話の第一声>という日々のドリルを通しても鍛錬可能というラッキーな発見にまずは拍手喝采。

2007年2月22日木曜日

つれなさを叱れますか?

受ける電話の第一声は考えてみれば、毎日のことなので良くも悪くも慣れてしまえば、そこそこ滑らかに言えるようになるのは当然です。

ならばこそ、ついついその言い方が機械的や単調にもなりがちで、とかく忙しさに追われる状況では早口モードも悪気なく加味され、つれなさが増します。

いつも録音点検が出来るほどヒマではないし、勉強熱心でもない場合はやはり、ここは上司・管理職の管理監督機能の問われる場面とならざるを得ません。

ほんのすこし、耳を澄ませば誰かの電話応対はしっかりと点検できる代物です。
時には隣同士で聞いていても、気になる物言いも実は沢山あるはずです。

思い起こせば、かつての職場で煙たくてしょうがなかったある上司は、誰のどの電話応対にも見事に耳を傾け、受話器を置くや否や『今のどういうことや』と細部に亘って入念な指導をされる方でした。

当時はその聞き耳モードに正直ウンザリで!昼休みともなれば陰口三昧でウサ晴らしに勤しんでおりましたが、今はその有難みにアタマが下がります。

もちろん、その上司にしてみれば得意先や仕入先に迷惑がかからないように、また自社の対応精度の維持向上を願っての事細かな指摘であったと思いますが、果たして同じことが日々、継続して実践出来るかと問われるといささか躊躇してしまう節がなんとも情けないことに心のどこかにあります。

細かな注意を受けた時にはブスッとしていた顔を思い出します。うるさいな!という態度も1度や2度ではなかったはず。でも怯むことなく注意する姿勢の根幹にあったものを、実はあの時、まるでリレーのバトンのように確かに受け取ったはずなのに。どこに置き忘れてしまったのか。

身近な誰かのご機嫌を損ねまいとして正しく叱ることが出来ないのならば、管理職のポストにあってはならない覚悟までも問われる重さが見えますか。

2007年2月21日水曜日

長短のこだわり

<感じの良い電話応対>のために丁寧な第一声に真剣に前向きに取り組む企業や職場では一方でまた別の課題を包含した困った現象が起こったりします。

昨今は特にダイヤルインやひとりに1台の携帯スタイルが普及する中、電話交換的な部署は激減している分、なにやらその対策も含めた試行錯誤の挙句の果ての実に<長い第一声>がそれに該当するのではないでしょうか。

たとえば、とある美容室では『お電話ありがとうございます。○○ホテル、△△美容室、担当の■■でございます』という長文の第一声。とても丁寧かつ、日々の練習の成果で言い方は淀みなく滑らかなのですが、再現して数えたら平仮名で48文字の分量でした。正直くどい、まどろっこしい。

きっと本部やら教育担当主導で、一息でどこの誰が電話に出ているかまでをハッキリさせた方が親切だとか、情報は全部伝えないとわかりにくいからとか、喧々諤々の成果でマニュアル化された言葉なのだとお察し申し上げます。

また以前、お付き合いのあったあるメーカーでは毎シーズン、新製品が出るたびにその商品名を名乗ることが義務付けられていました。

別にいいのですけど。挨拶言葉に新製品名に社名に部署名に個人名じゃ、いくらなんでもやりすぎ、、、、とは思わないのでしょうか。

たしかに『毎度ありがとうございます。○○商事です』と本来いうべきところを『毎度!』とか、『どうも!○○です』としか言わない会社よりは熱心かもしれませんが、だからといって言えばよいというものでもないはず。

長々とした第一声をとうとうと何の躊躇もなく、滑らかにまくし立てる姿勢には顧客に真摯に向き合う誠意よりは自己本位の押し付けがましさを感じてしまうのは相当個人的な穿った見方なのでしょうか?

何はともあれ、第一声にはあれやこれやの姿勢や覚悟までが見え隠れすることにも思いを馳せたい次第です。

2007年2月20日火曜日

診断のための具体論

よほど特殊な職種を除けば、明るい声で名乗ることは会社の元気度や活気を感じさせる上で重要な課題であることはすでにくどいほど申し上げている通り。

試しに練習として、会社に電話をかけ、受けた方が意識して<落ち着いた声>で社名を名乗ってみるとわかるが、ただそれだけのことで見事に暗く、沈んだ雰囲気が受話器から漂うことになります。

まるでお通夜の席に電話をかけてしまったかのような状況こそが相応しい場合を除けば、徹底して排除したい課題と強く心したいものです。

1番良いのは、定期的に電話応対の様子を録音して、それを聞くことです。

電話応対の研修では時にこれを事前作業として実践しております。つまりあらかじめ何度か電話をかけ、その内容を録音し、研修の本番で再生して日頃、どのような電話の受け方になっているのかの実態把握に努めるという次第です。
(もちろん、事前に了解は取っていますよ!)
実際にやってみると時には参加者が不愉快になっちゃうほど、冷や汗もののこの要領は、苦笑いの中にグサリと真実を突きつける荒療治としては有効です。

自分の声を録音して聞いたとき、こんなにヒドイ声なの!と愕然とした経験がどなたにもおありになるかと思いますが、電話応対のその様子も相手の身になって時には客観的に冷静に評価する機会が必要だと痛感する瞬間です。

職場の一員として恐らく意図的に感じ悪く電話に出よう!などとお考えの方は誰、ひとりおられないはずですが、録音された声やその言い方は驚くほど、愛想なし。面倒そうであったり、冷たく乱暴であったりします。

本気で<感じの良い電話応対>を目指すのであれば、客観的な評価軸が無くてはならず、自己満足の思い上がりロードに迷い込まないためにも、定期的な健康診断のつもりでこうした方法論に向き合いたいものです。

2007年2月19日月曜日

本気の第一声を!

受ける電話のスタートラインから、ようやく第一声を名乗るところにまで到達しましたが、さあ、ここからが更なる気合の見せ所となります。

そこそこ大きな会社や、電話が営業の生命線くらいにお考えの会社では<電話応対マニュアル>がきっちり作成されており、当然のことながら第一声をどのように名乗るかがソレこそ時間帯別やら部署別などで明文化されています。

たとえば、始業から午前10時頃までは社名の前に朝の挨拶をセットにして言うパターンは案外、多く『おはようございます、○○会社です』という具合。

午前10時を過ぎたあたりからは『毎度ありがとうございます』や『お電話ありがとうございます』という定番フレーズに変化して終日を駆け抜けます。

あるいはスッキリと社名のみを名乗るのものとして『はい、○○産業です』

この場合、とても大切なポイントは『はい』という返事の有無とその言い方になります。ご存知の方も多いと思いますが、電話が繋がった瞬間に流れてくる声は実は聞き取りにくいものです。つまり勢い込んで呼び出し音が鳴ったか鳴らないかのタイミングで取った受話器に向かっていきなり会社名を名乗ったような場合は後半の『、、、です。』しか聞こえないということがあったりします。

そこで通話可能状態の確認の意味合いも含め、聞きやすさのための間を意識して受けるのが『はい』という一息に込められた思いなります。

『はい』は決して『はーい』と間延びさせず、短く切ること。言い方は当然、明るくさわやかに。普段の声よりは少し高めのトーンで言うことはこの際、社内で周知徹底したい課題です。なぜなら、これが会社の雰囲気を伝える最初の言葉であり、よしんばそれが掻き消された音になったとしても、それに続く社名を名乗る声の明るさを引き継ぐ重要な役割を担っているからです。

明るく活気を感じさせる第一声に本気の執念で挑みたいものです。

2007年2月18日日曜日

大人語の謎(監修:糸井重里)

タイトル:大人語の謎
監修:糸井重里
出版社:新潮文庫
552円(税抜)

いつだったか、企業で長年、採用に携わっていた友人がこんなことを豪語しておりました。それは就職セミナー等の問い合わせや何某かの用件で電話をしてきた学生諸子の話し方を聞いただけで合否の結果が概ねわかる!というもの。

つまり本人と直接会う前の電話の<声と話し方>がもたらす印象は、驚くほど本人の実態を如実に反映しているということらしいのです。

いわく、爽やかだな!と思って後日、当の本人に会ってみると見事にさわやかなである確立が高い。反対に電話の印象が暗くて、頼りなさそうだなと思いつつあって見ると、案の定である確立が高いという次第です。

そんなこと一概に言えないと思いたいところですが、正直、あなどれない課題としてこの際、しっかり向き合うことを個人的実感からもおすすめします。

考えてみれば、当然の話かも。声だけ明るくさわやかな仏頂面がめずらしいように、重く陰気な話し方をする元気印もまた想像しづらいものがありませんか。

となればこのテーマは鶏が先か、卵が先か。すなわち、さわやかな第一声を心がけることを通してさわやかな人格形成の一助と為すことが見えてきます。

同様に大人が使う言葉を使えるからこそ大人!という事になるのでしょうか?

美味しいものを食べて<やばいっす!>と言うのが今時の若者であるように、言葉はその使い方によって、その人物の印象を左右する力を持っています。

この本はこれから社会に出る学生さんには本当に便利な1冊だとかなりおもしろおかしく、吹き出しながら読みました。
ちなみに『見えてこない』ってどういう意味かわかりますか?
あるいは『悪くないですね』と『悪くはないですね』の違いはわかりますか?

2007年2月17日土曜日

親近効果

初めての相手に電話をするときには、それがビジネスでもプライベートでも、いったいどんな応対をされるのかと少なからず緊張するのが普通です。

個人的には宅配便の不在連絡票に<要、至急連絡>などと書かれているだけでもドキドキします。それが悪気なく悪筆で乱暴に殴り書きモードになっていたりしたら、名乗るだけで叱られるんじゃないかとオドオドします。

相手によってはどの道、感じの良い応対など無理だろうと相当覚悟している場合ですら、いきなりビックリするような不愉快な声で電話に出られたら、『ちょっと、ちょっと』と突っ込みのひとつも言いたくなるのが人情です。

ややこしい用件の挙句の果ての不機嫌さならいざ知らず、ただ電話に出るという瞬間、あるいは些細な質問や問い合わせレベルに対しての悪気のない無礼さをそろそろ本気で見直しましょうよ!と声を大にしてお願いしたい日々です。

右を向いても左を見てもハイストレスの現代社会にあって、一服の清涼剤のような電話応対を目指す会社が溢れる京都!あたりに早くなって頂きたい。

せめて第一声だけでも<明るくさわやかな声>を届ける!と決意することは、お互い様の快適のために大の大人が社会人になった瞬間から男女はもとより、職種を問わずに義務づけても良い課題ではないかとしみじみ思う週末です。

だいたい世の中の仕事はほとんどすべてが客商売である以上、良い印象の設計並びにその維持継続は至上命題と認識せねばなりません。
<明るくさわやかな第一声>で相手に好感度や安心感を提供するのが初頭効果の為せる技なら、その電話の最後に意識したいのが親近効果、すなわちクライマックス効果と呼ばれるものになります。

こちらは最後に耳にしたものこそ、最も強く印象に残りやすいという視点からの課題であり、終末効果や、直近効果という呼び方もあります。
そういえば<終わりよければすべて良し>とも申します。
万が一、第一声をしくじっちゃった時はこちらで起死回生を講じたいものです。

2007年2月16日金曜日

初頭効果

基本の手元、正しい姿勢、笑顔のような顔つき、この3つのポイントが毎回、瞬時にクリアされてはじめて<受ける>応対の準備が整ったことになります。

こうして整理してみると、もはや電話に出るのはただ事ではない雰囲気が漂い始めますが、要は習慣、すなわち慣れの問題と受け止めたいですね。

朝起きて顔を洗って身だしなみを整えるように、いつも通りのルーティンの手順として身体がそれを覚えるまでの辛抱の勝負と言う事かもしれません。
【今、簡単なことも初めは難しかった】の格言通り、繰り返し実践することで、やがてはいとも簡単なことに変化してゆきます。

ここは<感じの良い電話応対>のための肝心要のひとつめのボタンと心得え、ここを掛け間違えば、以降すべてのボタンが狂うくらいの覚悟を持ってスキルの獲得を目指したいものです。

なぜならば、この状態の出来不出来によって、どこまでさわやかな第一声が出せるかが概ね決まってしまうからです。そしてそのことが受ける電話においての最も重要な<初頭効果>という命題に大きく関わってまいります。

心理学で言うところの<初頭効果>とは【印象の形成において、最初の情報が与える影響】のことになりますが、電話における第一声はまさにこの点においてとても重要な意味を担っていることになります。

簡単に言えば、第一声が良いと良い印象を与えやすく、反対に第一声が良くないと悪い印象を与えてしまう可能性が高いということです。だからこそ、明るくさわやかな第一声で名乗るために3つのポイントが不可欠となります。

何事も『なんとなく』取り組んでいる間はその成果にバラツキが生じます。
やるならば真剣な眼差しで向き合うことが、ラッキーな種を育むコツ。
そしてそこに飛躍的な進化のプロセスが確実にヒョイ!と芽を出します。

2007年2月15日木曜日

『なんとなく』という能力

実際の電話応対の研修会ではまず電話に出るまでの基本課題として、ここまでのプロセスを時には一人づつ、撮影をさせて頂き、その映像記録を点検しながらしっかりと課題に気付くことから獲得を目指していきます。

何もそこまでしなくてもいいじゃないのと思うのはおかしな話です。

ビジネスとしてお客様に向き合うときに<感じの良い電話応対>を目指す以上、どうすればソレができるのかと共に、今どうなっているのかをしっかりと見極めることは改善の実効精度をあげる両輪です。

そんなこと言ったって、電話なんだから、こちらの姿は相手には見えないはず、だから、たとえば机の上に足を乗っけてふんぞり返っていたってわからないはず、、、などと思うのは実は大きな間違いです。

さすがに机に足は乗せませんが、研修の中ではこんな挑戦をしています。
それは同じ言葉、たとえば『大変、お世話になります』という言葉をかたや椅子にふんぞり返って言う。かたや軽くお辞儀もするような姿勢で言う。

その際、受講者の皆さんには後ろを向いてもらったり、受話器の声を通して違いを感じてもらう訳ですが、その結果は見事なほど正しい評価に直結します。

つまり、前者に対してはなんとなく偉そう!と感じ、後者にはなんとなく謙虚!という判断が下されます。『なんとなく』人は感じ、わかるという凄さを甘く見てはならないとつくづく思い至る瞬間です。

身体の雰囲気が微妙な気配の違いを生み出し、それが『なんとなく』わかるというこの人間の能力をさて、なんと呼べばよいのでしょうか。

ところが実際に日々の電話応対ではよく体験していることではありませんか?
『なんとなく』嫌な感じ!とか。『なんとなく』いい感じ!とか。
そんな会話を電話を切った後に職場の仲間で交わしていませんか?

2007年2月14日水曜日

唯一絶対の顔つき

手元、姿勢に続いて、3番目のチェック項目は<顔つき>になります。

今、受話器を耳元に運んだ刹那に表情が明るい笑顔モードに変化しないようでは到底、<感じの良い声>は出せないことにお気づきでしょうか。

そもそも『電話応対になんで顔の表情が関係するのよ!』などと思っているようでは残念ながら、その時点で失格です。それでは日頃、相当、よろしくない電話の受け答えがしっかり身についているものと受け止めて反省が必要です。

結論から申せば、明るい声は明るい表情からしか生まれません。

うそだと思うのなら、職場の仲間でぜひお試しあれ!
たとえば、眉間にしわを寄せたような顔つきや誰かを睨みつけているような顔つきで受話器を取り、社名を名乗るとどんな声が聞こえてくるのか!
反対にその顔に笑顔のような明るい表情を浮かべてみたら、聞こえる声がどのように変化するのか。試してみる価値は大いにあります。

いかなる商売であっても電話に向き合う以上は感じの良い声が絶対に必要であり、その出発点は自身の明るい顔つきということに深い気付きがなければ改善への取り組みは所詮、掛け声レベルに終始します。

可能ならば電話機の傍に鏡を置いて欲しいくらいです。自分では笑顔のつもりでも他者から見たら、とてもそうは見えないくらい表情の筋肉が硬く凝り固まってしまっている場合は、客観的ものさしとしての鏡を置かなければ、一向に改善のプロセスは始まらないものと断言できます。

良い声を出すための笑顔のような明るい表情は故に電話応対の基本動作としてこれまた電話が鳴るたびに即座に実践されなければならない至上命題です。
そこには精神論・抽象論では一歩たりとも前に進めない厳然たる現実が立ちはだかります。決意して覚悟を決めて実践。他に選択肢は存在しません。

2007年2月13日火曜日

電話が鳴るたびに!

さて、今時はどちらの職場でもひとりに1台の電話機なのでしょうか?
あるいは携帯を首から下げておられるのでしょうか?
おそらくダイヤル式はもうほとんど存在しなくて、プッシュフォンだとは思いますが、形はどうあれ、その電話が鳴った!今、まさに誰かが電話をかけてきた状態をイメージしてみましょう。

その電話に出ることにします。つまり受話器を持ち上げて耳元に運ぶ。
あるいは携帯のキャッチボタンを押して耳元に運ぶ。
出来れば実際にその動作を行ってみてください。そこで、一旦停止します。

まず<電話に出る>という基本動作に対して以下のチェック項目に照らしてご自身の状態を点検してみてください。

1番目は手元に注目です。左手で受話器。右手には筆記具が握られていますか?これが基本動作の原点です。受話器のコードが良くねじれてしまう原因のひとつはこの動作が右だったり左だったりしている動かぬ証拠でもあります。

基本動作の2番目は姿勢です。パソコンに向かっていたり、電卓を叩いていたり、あるいは何某かの書面を手書きしていたりという直前の作業姿勢のまま、受話器を耳元に運んでいないかどうか。

お互い様の顔が見えない分、<聞き取りやすい声と言葉>が決め手になる電話応対では<正確さ>と<感じのよさ>の両面から正しい姿勢が何より肝心要の課題ということが出来ます。背中が曲がったままで、腹筋が休めをしているような状態は、そのままでは息の吐きにくい、すなわち声の出しにくい姿勢でもあります。これではいくら良い声を出そうとしても出せるはずがありません。

つまり受話器を取ると同時に正しい姿勢を急ぎ、作ることが求められます。

通常、デスクワークの一環として電話に出る以上、<正しい座り方>の実践こそが実は電話が鳴るたびに問われる課題ということにあらためて今、ここで気付かなくてはならないようです。

2007年2月12日月曜日

受ける電話の価値

現代のビジネスにおいて、非常に便利な通信手段である電話で<正確に感じよく、しかも要領の良い>応対を実践するためには当然、押さえるべきポイントがいくつもあり、この獲得にはやはりそれなりの時間が必要になります。

そこで今週からは電話応対の基本として、かかってきた電話を<受ける>という流れにそって具体的なポイントを整理していきたいと思います。

特に社会人になって間もない頃は、たいていは電話を取ることがメインの仕事です。しかも残念ながら当分の間は自分に掛かってくることなど有り得ない状況であり、となれば<電話の受け方>はとても重要な課題になります。

その対応を通して、入社間もない頃は右も左もわからなかった新人が、仕入先やお得意先の社名や部署名さらには担当者の名前を覚えてゆくことになります。

舌を噛みそうだった敬語や言い回しも、そうこうするうちに慣れ、気が付いたらいっぱしの電話応対ができるようにもなってゆきます。

それなのに、その貴重な価値に気付かないのが新人の新人らしさでもあります。

かくいう私自身もまさにそうでした。入社間もない5月病なんて頃には早くも上司に噛み付いた記憶があります。『毎日毎日、朝から晩まで電話応対をするために会社に入ったのではありません!』と実に漫画みたいな愚かさと何の根拠もないただの生意気さだけで、何度も上司に詰め寄っておりました。

その度に『そうやな、まあそういわんと頑張ってんか。そのために新人採用したんやし。セールスマンは皆、外出で君しかいてへんからしょうがないやろ。』と大阪弁でホンワカと受け止め、諭してくださったから、今の自分がここにいると改めて感謝したい気持ちでいっぱいになります。

何事にもタイミングがあり、そこには目には見えなくても必要な意味や理由があることを<受ける電話>の基本の点検を通して確かめて参ります。

2007年2月11日日曜日

デビルパワー・エンジェルパワー(著者:ケビン・D・ワン)

タイトル:デビルパワー・エンジェルパワー
著者:ケビン・D・ワン(世界最大級のコンサルティング会社:ワトソンワイアット・アンド・カンパニーのコンサルタント)
初版:2006年7月10日
出版社:幻冬舎
1、200円(税抜)

今日は建国記念日・明日はその振り替え休日で3連休を満喫されていらっしゃる方も多いのでしょうね。

新年が始まって、早や1ヶ月半経過しようとするこの時期は若い頃ならほぼ間違いなく、信州方面にスキーにでかけていたな!と今朝は妙に懐かしく思い出します。雪がちらつく気配は微塵もない暖かい小雨の朝なのに。

そういえば、無茶苦茶に雪の少ないこの冬、各地のスキー場はさぞかしご苦労の多いこととお察し申し上げます。そんなスキー場のひとつとして有名な白馬。

信州、長野、白馬村の和田野の森で、尊敬する先輩がホテルを経営なさっていますが、つい先日ボーっとテレビを見ていたらそのホテルの支配人がなんとその画面に登場されました。なんでも最近、オーストラリアの方が経営されるホテルが出来たおかげで長期滞在の外人スキー客が増えているというような特集番組の中での取材でしたが、そのせいで心が白馬に向かったのかも知れません。

たしか北海道でもそういう状況で、冬場は完全に欧米化!する町がありますね。
そのスキー場ならではのパウダースノーに見せられた外国のお客様が、年々増加し今や地元の皆さんも冬場は完全に英語圏に突入するとか、しないとか。

その北海道にあって、洞爺湖を見下ろす山の頂にそびえたつのはリゾートアンドスパで憧れの気配漂う【ザ・ウインザーホテル洞爺湖】です。
北緯42度32分。東経140度46分。海抜616m

2007年2月10日土曜日

漫画の教え

よくは知りませんが、最近の留守録機能には実にいろいろなパターンがあるようで、短いものになると20秒以内でメッセージをお願いします!というような非常にハードルの高い命令をいともあっさり下されたりします。

こういう場合にスラスラ言えちゃうようになるためには、やはり地道なトレーニングが必要であり、これをごく限られた人物の天性の才などと思うようではまだまだ社会人としては素人領域です。

それでなくても留守電対応にドギマギしている状態で突然、時間制限枠を設けられて、涼しい顔をして物申せるということは、それはもう間違いなくヒト知れず努力を積み重ねている結果に他なりません。

こういう場合の地道さはたとえていえば、花形満バージョンかと存じます。
かなり大昔の漫画で大変、恐縮ですが、大ヒットした<巨人の星>の主役の星飛馬の宿命のライバルである花形満のことを言っております。

彼はまさに天才肌の野球選手として常にスターなのですが、ある時、実は人知れずコツコツとした努力家だったということが判明します。

漫画の中の花形満が<自分は水面に浮かぶ白鳥>だといいます。

つまりその姿は一見、さも優雅に水面に漂っているように見えますが、実は人目に付かない水の中では必死に足を動かして水掻をしているということです。

その見えない努力の継続の上にしか、優雅な姿が現れないことを、彼は姿勢正しく堂々と胸を張って、この漫画に夢中だった大人や子供に語りかけました。

かくして、漫画でも立派な教えがあることを身をもって学ばせて頂いた次第。『誰にではなく、何を言われたか』その真髄がここにはあります。

2007年2月9日金曜日

留守番電話は得意?

電話応対の準備の質が問われるのは、てっきり相手が電話に出たと信じて、勢いよく話し始めたら、留守番電話のメッセージとわかった時でしょうか。

留守電相手に話し始めてしまったバツの悪さからなのか、事前準備が不十分なのか、明らかに声のトーンがダウンしてボソボソ、ガチャンはいかにもお粗末。

留守電とわかった途端にガチャン!と受話器を投げつけるようにして電話を切るような対応は最近でこそ減りましたが、大いに注意を促したい課題です。
まるで怒鳴りつけられているような不快感とでも言うべきでしょうか。乱暴な音の持つ攻撃性にあらためて気付かされる瞬間でもあります。

掛けた以上は基本的にどこの誰かを名乗った上で、何某かのメッセージをきちんと残すのが当たり前。苦手だからという言い訳はビジネスでは通用しません。

止む無く無言で切るときはせめて静かに受話器を置くよう心がけたいものです。

これは電話という道具に向き合う基本動作として常に気をつけておきたい課題でもあり、何かの拍子に乱暴な所作で恥をかきたくなければ、電話そのものを丁寧に扱うように日頃から意識して鍛錬しておかなくてはなりません。

さて、見事なのは、まるで受話器の向こう側にその相手が出ているかのような実に屈託なく気負いなく、滑らかな話しぶりの留守電対応です。

あまりにも普通の話しぶりなので『ちょっと代わって?』などと合図をしたら、静かに受話器を置きながら『いやだ、留守番電話へのメッセージですよ』なんてさらりと微笑まれたら、プロですよね!

内容の事前準備に加え、相手の不在を想定し、留守電も想定して向き合えばこその見事な対応はラッキーな体質に直結する姿勢の種。手間隙惜しまず、手をかけて身につけたい姿勢です。

2007年2月8日木曜日

発信準備のための電話メモ

電話に向き合う基本姿勢として<要領よく>ということが、本当にきちんと理解できていれば、あらかじめ内容や用件のポイントを整理してから受話器を取るという姿勢が当然の事としてしっかりと身についていることになります。

これは日頃の自らの行動において、意識さえすれば簡単にチェックできます。
これからは電話をかけようとするときにまず自己観察を心がけてみてください。

その観察のポイントは<5W2H>です。日本語にすれば、<いつ、どこで、誰が、なぜ、何を、どんなふうに、どのくらいの期間や金額で?>ということになります。この観点で頭の中がすっきり整理されているかどうかの自問自答。
これを受話器を持って、ナンバーを押す前に頭の中で反芻してみます。

但し、もし日頃から電話応対の要領が悪いとすでに周りから言われているようなら、これらを頭の中だけで点検するのではなく、紙に書いて!目に見えるようにして点検をするという基本から始めたほうが有効です。

用件をしっかりと書き出しておけば、いい忘れや、いい間違い、あるいは確認不足などのミスやロスを最小限に留める事が可能になります。

だいたい、どこの職場にも電話用のオリジナルなメモ用紙がありますが、これはかかってきた電話の伝言用のメモというのがほとんどです。

いちいち、全部手書きするのが大変なので、電話のあった日付や時間、あるいは受けた者の名前を書き込むようにフォームが設計されており、相手の方の社名、氏名、連絡先、さらには内容などもよくあるケースがプリントされていて、アタマの部分のレテンで事が足りるような按配なのでとても便利です。

これを逆手にとって、要領よく電話をかけるための発信準備用の電話メモみたいなものを自分用に作ってみては如何でしょうか?

様々な工夫はハンディキャップから生まれると申します。下手ならばこそ、他にはない工夫を生み出せるチャンスとして向き合いたいものです。

2007年2月7日水曜日

有料コミュニケーション

電話応対を考えるときに意識したい課題は山のようにあります。
日頃、皆さんが職場や家庭で最も意識されていることはさて、何でしょうか?

研修会でも実際の応対に関する知識の獲得やその実践的トレーニングに入る前には、必ず<電話>という手段に向き合う姿勢を確認することにしています。

それはその考え方や姿勢が結果として必ず、使い方に大きく影響するからです。

最も多いパターンとしては<良い電話応対>と<悪い電話応対>の違いについて、出来るだけ具体的に意見を出してもらうところから始めています。

たとえば、良い電話応対といえば、【 声が聞き取りやすい。ハキハキした話し方。明るい声。言葉使いが丁寧。正しい敬語表現。言い回しが滑らか。簡潔でわかりやすい言い方。しっかりと正確な話し方。温かい言葉使い。等など】

反対に悪い電話応対はといえば【 声が小さい。声が暗い。聞き取りにくい。わかりにくい。ボソボソした話し方。話が長い。敬語の使い方を間違えている。早口で聞きづらい。ダラダラした話し方。無愛想。冷たい。偉そう。等など 】

まさにいわずもがなの具体的意見がどんどん、どっさりと出てまいります。

ここでぜひ気づいておきたいのは、どうあれば良いかということは、誰もがよくわかっているという事実です。ところが実際にはソレが出来ないもどかしさ。

理想と現実のギャップを埋めるためのトレーニングは、このあたりを集約して<感じよく・正確に>を中心にスタートしますが、スキル強化の土台として忘れてならないのは<電話>は有料コミュニケーションという視点にあります。

かける側の金銭的な負担だけではなく、受ける側にもその電話回線がふさがっている間は他の有益な情報がシャットアウトされるという観点からすれば、
有料の意味はどちらにも共通。ゆえに<要領よく>が至上命題となります。

2007年2月6日火曜日

厄介さの根幹とその使命

電話応対に関するマナーやハウツー本は実に沢山、書店に並んでおります。
なので、1度ならず、そんな本を手にされた方は大勢いらっしゃるはずです。

それはすなわち、電話という通信手段がこれだけ普及しているのにも拘らず、いざ仕事の世界での話になるとなんだかとても厄介な代物で、かつ重要な課題のひとつと多くの社会人が認識しているからに他なりません。

携帯電話がひとりに1台の時代になって、電話応対が上達したかといえば、むしろさほどでもない!というのもかなりおもしろい現象ではありませんか。

顔が見えない相手とのコミュニケーションという点ではまったく同じ条件でありながら、何がどう違うのか。詰まるところ、仕事として電話に向き合うときにはそもそもの制約事項が多すぎるあたりが厄介さの根幹かもしれません。

その意味では<お便り>とよく似た宿命を背負う課題とも言えます。

それ故<お便り>同様に、実は電話応対も基本の流れや定番の言い回しが身についてくれば、一気に精度がアップする可能性を秘めていることになります。

すなわち、いちいちドギマギせずに安心して状況対応できるからこそ、そこに親身な気配りをする精神的な余裕が生まれるという仕組みです。

よくよく考えてみれば、受話器を持った瞬間から始まる、声だけのコミュニケーションにおいて、ひとつひとつの対応の度にどう言えばいいのだろうと言葉探しで頭の中が満杯になっている間は、受話器の向こうの相手の状況を慮ることなど、到底無理だとあらためて思い至ります。

と、すれば定番の言葉や言い回しはいかにも取り繕った上辺だけのものではなく、むしろ見えない相手にしっかりとおもてなしの心を届けるための精神的ゆとりを生み出すという使命を担った表現の技なのかもしれません。

2007年2月5日月曜日

言葉の誕生からの歴史

言葉は生き物といわれます。なぜなら、その時代によって変化してゆくから。
ほんのひと昔前なら、そんな言い方はしなかったのにという表現方法が恐らくあらゆる環境で沢山生み出されています。学校で、家庭で、会社で。

そしてそれはなるほど言いえて妙だと感心してしまうものから、そういう言い方は違うんじゃないかとついムッとしてしまうものまで多種多様。

言葉は元来、心に溢れるものを語ります。どの人のどんな言葉も<気がついたら口が勝手にしゃべっていた!>なんてことはありえません。

想いがあって、考えがあって、あるいは感情が動いて、その結果、ソレを表わすのに最も相応しい言葉を選んで言葉によるキャッチボールが始まります。

サラリーマン時代に会社で受けた研修の中に未来学者のアルビン・トフラーが言葉の重要性に言及するためにとてもおもしろい検証をしたものを見ました。

ソレはこの地球上に人類が姿を現してから今日までの長い歴史を、もし1年の暦の中に表わすとどうなるかをシュミレーションしてみせたものでした。

当時のメモによれば、【1月1日石器時代の夜明け、人類の始まり】そしてそこから何も変化のない11ヶ月が過ぎて【11月19日やっと人類は火を使う】
さらに1ヶ月近くたってようやく【12月10日言葉を使い始めた】その後、
【12月19日に農業が始まり】【12月30日文字が生まれ、ピラミッドが建造され】大晦日の【12月31日・午前11時30分にギリシャ文明が生まれ、午後1時半にローマが誕生し、夜の9時30分に印刷機が発明され、11時5分に産業革命が始まり、11時40分に自動車や飛行機が出来、11時52分に原子爆弾、その3分後にコンピューターが登場し、11時59分人類は月に降り立った】つまり言葉がなければ、進化はなかったと結ばれていました。

今週からはそんな言葉と言葉使いを核に据えながら、現代社会のビジネスシーンにおいて、なくてはならない電話応対のおもてなしを綴ってまいります。

2007年2月4日日曜日

奇跡と呼ばれた学校(著者:荒瀬克己)

タイトル:奇跡と呼ばれた学校
著者:荒瀬克己(京都市立堀川高等学校校長)
初版:2007年1月30日
出版社:朝日新書
700円(税抜)

『知ることは行うことの始まりであり、行うことは知ることの完成。知ることと行うことを別のものとはみなさない』というのが【知行合一】
中国の明代に始まった王陽明による陽明学の神髄といわれる考え方です。
知識と行動を切り離さずに等しく捉え、有機的に結び付けてこそ、そこに人としての価値が生まれるということになりましょうか。

もうちょっと平たく、わかりやすくしてみますと、『考えていることとやっていることが一致してはじめて本物』という解釈になります。

言っていることがどれほど立派であってもその行いがお粗末であれば、人として非常に具合が悪い!ということです。

たとえば、毎朝、就業前に職場の掃除をしていて、雑巾がずい分汚れたなと思ったら、しっかり汚れを落とすように石鹸で丁寧に洗う!だってそのひとつ。

ところが、この時期は水が冷たい。故に汚いのはわかっているけれど、手が切れそうに冷たくなるから石鹸で洗うのはやめておこう。またまとめて今度にしよう。これは知行不合一となります。こうして気付いたときには雑巾はもはや石鹸では落ちない汚れがしっかりと染み付くことになります。

なんですか、せっかくの休日に耳の痛い話をしようという魂胆ではなく、あくまでも<読書のすすめのイントロ>です。

同校の卒業生が<高校の間に何をしておくべきか>というテーマで在校生に語りかけた話が印象的だったと180ページに紹介されています。
いわく『少しだけ知っていることと、まったく知らないことは全然違う』だから幅広く、いろいろなことに興味を持ち、知る努力をしてほしい!

2007年2月3日土曜日

邪気、無邪気

ラッキーなことに予定より早くに仕事が終わりましたので、一旦自宅に戻ってから、盧山寺さんの鬼法楽に向かうことにしました。

なんだかんだいっても年に1回こっきりの行事とあらば、万難を排して伺うのが本来の姿、正しい日本人そして正しいご近所の有り様ではないでしょうか?それなのに確か昨年は仕事で身動きがとれず、朝早くに前の年に買い求めた破魔矢を外し、新しいものを仕入れに走った記憶があります。

おかげさまで今年はそんなふうに慌しい状況ではないので、しっかりと伝統行事に参加して<邪気>を祓って、福は内を享受しておかねばとは思うものの、これまでの経験に伴う様々な情報に精通しておればこそ、思いとは裏腹に身体が二の足を踏み続けてしまいます。困ったものです。

かなりの決意で早めに出掛けて前の方に陣取っていない限りは、ほとんど鬼さん達の踊りを眺めることが出来ないというのが理由のひとつです。なんせ、人の頭しか見えない。ところが今回の終了後に小耳に挟んだ情報では、なんとその最前列では豆まきの際には近すぎて相当、不利なんだとか。

見えるのは人の頭ばかりという事態への対策としては、カメラマン気分で簡易な脚立を持参するしかなさそうで、そんな<通>が結構いらっしゃいました。

豆まきの方は<福>という文字のあるお餅をキャッチできれば、なんと<破魔矢>と交換してもらえますが、これがなかなか上手くは参りません。

が、こちらもよく見回してみると<通>は広口の紙袋や帽子なんぞを受け皿がわりに持参しておられます。早速ながら来年の<通>への情報提供という次第。

ちなみに東洋医学では病気をもたらす気のことを<邪気>といいますが、その邪気のない状態が<無邪気> それは明るく屈託のない笑顔に結びつきますね。
さて、そろそろ無邪気に我が家でも豆まきタイムと参ります。福はウチ!

2007年2月2日金曜日

結果への種蒔き

連日の暖冬異常気象にどうもただならぬ気配を懸念しておりましたら、まるで『余計なことを心配センでもよろしい!』といわんばかりの本日の雪景色。

昨晩の天気予報を聞きながら、そんなに急に雪が降るのかしらという疑惑の眼差しなど、お構いなしの現実の展開にただただひれ伏すのみの気分です。

おかげさまで京都市内の各地で執り行われる予定の節分行事のあれこれが、大いにそれらしい舞台装置を得ることになりました。あければ節分のこのタイミングにこの段取りの見事さは自然の采配なればこそ。人智の及ばぬ処です。

そう思えば、これまでにも幾度となく『人事を尽くして天命を待つ』気分に追い込まれてまいりましたが、ちょうどこの時期には多くの方の心の拠り所になる姿勢の代表選手がまさにコレかもしれませんね。

一応、やることはやったと内心、密かに胸をはれるときもあれば、もうすこしやっとけばよかったとがっくり頭を垂れるときでさえも、表向きにはこの言葉でもって、結果に向き合うその瞬間までをやり過ごしてまいりました。

ちなみにちっとも人事を尽くしていないのならば、図々しく天命を待ってはいけないのですが、どこか結果オーライを期待する姑息さは未だにことの本質を理解していない未熟さゆえと反省したいものです。

何はどうあれ、どう暴れたって、言い訳したって、結果は後からついてくるもの。この揺ぎ無く、かつ簡単な事実にしっかりと気付いているか、否か。
最近、順調な方も、どうもイマイチな方も今日という日は過去の積み重ねにおいて本日ここにもたらされた結果という見方が出来るかどうかという話です。

豆まきで福を願う節分の時期なればこそ、この1年の福を呼び込む体質確保のための考え方の点検機会として、しばしご自身と向き合ってみませんか。
そうすれば、ラッキーの種まきはいつだって出来ることにも気付きます。

2007年2月1日木曜日

盧山寺さんのリハーサル

2月3日の節分を間近に控え、寺町広小路を上がった東側にある盧山寺さんでは鬼さんたちの踊りと太鼓の練習が連日、深夜まで続いております。

京都市民であっても<広小路>という通りをご存じない方も多いのですが、場所的には丸太町と今出川のちょうど真ん中くらいに位置するわずかに100メートルくらいの東西の通りになります。河原町と寺町を結ぶこの道は、ちょうど梨木神社さんと府立医大に突き当たるようなレイアウトになっています。

さて、京都流の皆々様なら、良くご存知でしょうが、盧山寺さんの鬼法楽はそれなりに有名で、普段は静かなこの界隈にも当日は報道陣やら観光の方やらご近所さんやらで年に1度の賑わい振りを呈します。

今年は平日なので、さてどのくらいの人出になるのでしょうか。
いずれにしても恒例の鬼さんたちの踊りは午後の3時からスタートします。
ちなみに場所取りのため、案外早くから混み合いますので、本気で鑑賞を目論む場合は覚悟を決めて早めにお出かけください。

覚悟ついでに、ここだけの話、忍耐力も相当問われることをこっそりお伝えしておきます。物凄く、ゆっくりと進行する踊りなので、我慢が必要です。

初めての折、あまりのテンポの遅さと変化のなさに正直、ビックリした記憶は今も強烈。もう少し工夫があってもよいのにと恐れ多いことを考えたりします。

さらに、ここ数日の京都市内は実に異様な暖かさに包まれておりましたが、毎年のこの時期はといえば、手足の指先がジンジンするような厳しい冷え込みに見舞われます。そのあたりの万全の対策もお忘れなきように。

キーンと静かに張り詰めた冷たい夜気の中、リハーサルの太鼓の音色がドーン、ドーンと響き、カウントダウン気分が盛り上がります。

とりわけ今夜のような雲間の月の美しい晩にはご近所ならではのこの贅沢な醍醐味をつい誰かに語りかけたくなってしまった次第です。