2010年6月21日月曜日

個人的な、ちょっとした奇跡体験

6月19日は我が家の第31回目の結婚記念日。このおめでたい日にいつか、水谷カップという名称のプライベートコンペを実現したいとかねてより願っておりましたが、一昨日、それが叶い、無事開催することが出来ました。おかげさまで梅雨の最中ながら、当日はまさかの好天に恵まれ、主催者はじめ参者各位の強い願いが天に届いたとしか思えない奇跡のような1日でした。とにかく何をどう調べても、最悪の予報が繰り返される前日までの数日間。まさか、予報が土壇場で覆されることになるとは。しかもそれが嬉しい的中になるとは。全く持って個人的な事態ではありますが、こんな奇跡体験にただただ感謝している次第です。当日は顔を会わせるなり、晴れ男、晴れ女を自慢する輩ばかりでしたが、嬉しさのあまり誰もがお互いの能力を称えあう始末で、さながら超能力者の集会という有様もきっと貴重な思い出の語り草、間違いなし。もし、当初の予報通りの激しい雨であれば、きっと誰もが無口になったであろうことを痛いほど予測できるだけに嬉しさもひとしお。本当に感謝しかありませんでした。さて、楽しく、賑やかなゴルフと成績発表で盛り上がった茶話会が終了したのは、午後6時過ぎ。それぞれに荷物を積み込み、気分良く家路に着こうと段取りを始めた頃、まるでその時間までグッとこらえていたものを吐き出すように、突然、雨が降り出しました。これにはさすがに全員が一瞬、無言で顔を見合わせて、静かにビックリ。雨が降らなかった奇跡と降った奇跡のダブル体験にしばし、言葉にならない何か感じたひと時でした。まさに【何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙溢るる】

2010年6月14日月曜日

イカリガタの五十肩

【怒らないこと】という本をただ今、読んでおります。著者はスリランカのアルボムッツレ・スマナサーラという方。結構、売れている本のようですが、今のところ、ごもっとも、、、と頭を垂れつつ素直に読み進んでおります。この本を手にした理由はやはり自分自身の課題として、かねてより、薄々、怒りっぽいのではないかと危惧していたからですが、さらに加えて、年々その度合いが色濃くなるようで、、、。このまま放置してよいものか。いや、良いはずがなかろう!という次第です。しかも怒りに関しては、なんとなく、あんまり怒らないほうが良いのだろうなと感じてはいるものの、怒ることがなぜ、そんなにも不都合なのか。と問われれば、声高に!と明言できる根拠を持っていないからです。たとえば、怒ると血液中の酸性濃度が高くなるからイカンのだとか。怒ると息が毒性を持つものに変化して、自身の身体に悪影響を及ぼすからというエルマーケイツの説だとか。若干の気づきはあるもののいずれも決定打になっていなのが現状です。たしかに世の中にはあんまり怒らない人も大勢いらっしゃれば、ちょっとしたことなのにすぐ怒る人も沢山!だいたい、人間、年をとれば自然に角が取れて丸くなるものと信じておりましたので、怒るということもごく自然に減ってゆくものと考えていたのですが、、、あにはからんや私及びその近しい周辺関係者はなぜか、年年歳歳、怒りっぽくなっている気がいたします。イカリガタという状態が怒りのために肩が上がった状態を表わす言葉であることに気づいたとき、そうか、だから肩が必要以上に上がらないように動きを封じるが如く、四十肩、五十肩になるのでは?という仮説を思いつきましたが、、、見事に五十肩に悩まされた今年前半。果たして因果関係は有るのでしょうか?

2010年6月13日日曜日

貴重な学びのご報告

思いがけず疾病自慢になった前回ですが、おかげさまで丸1年の歳月を要した歯医者さん通いが昨日を持って、やっとピリオドとなりました。思い起こせば1年前の6月初旬、治療直後の歯の痛みに耐え切れず、処置した若い歯医者さんも首を傾げるばかりで、不安感渦巻く中、とうとう我慢の限界からあちこちの伝手を頼って今の歯科医を紹介頂き、遠く離れた中書島まで京阪で通い続けた日々でした。うらみつらみや感情論はさておき、結論だけ申せば、根幹治療ミスでしたが、当時は治療が終わったばかりの歯がなぜ、痛むのかわからず、眠れぬままにネットの【歯チャンネル】の常連さんと化しておりました。それにしても、実に多くの患者さんが似たような症状や悩みを訴えておられ、本当に我が身も皆々様も気の毒至極、しかし、その悩みの多さが救いでもありました。自分だけじゃない!という安心感はロキソニンという痛み止めの薬以上の効果を持っていたやも知れません。もっと重大且つ深刻な病に比べれば、かすり傷みたいな事態かもしれませんが、当の本人からすれば、明日をも知れぬ病さながらの非常事態ど真ん中の実感でした。尊敬する御仁の名言である【罹病はしても病気になるな】の実践がいかに難しいかということも身を持って知りました。とにかく、どこかちょっとでも身体の具合が悪いと、すぐに気持ちまで弱るのが凡人の為せる業。そして絵に描いたように見事に凡人の私。そのクセ、【ノドもと過ぎれば熱さを忘れる】のたとえ通リ、調子が良くなると掌返したように図に乗って偉そうなことを言いふらしたりします。貴重な学びをどうか、忘れませんように、願いを込めてここに懺悔します。

2010年6月6日日曜日

不具合のご報告

本日はまず、【ラッキィ水谷さまへ!というメッセージ】へのお答えなのですが、実はこの1年強の事態にはほとんど関知しておらず、誠に恥ずかしながら何も申し上げる素材がありません。初期のころは確かに仕事のせいもあり、それを理由にブログ休眠をやむを得ず!なんて胸を張っておりましたが、、、、その実態は、なんとも体調がたがたの更年期、真っ只中の1年を過ごしておりました。何かの雑誌で<なんだかんだの病気自慢>という連載がありますが、まさにあの実写版状態。手帳を手繰れば克明な記録がありますが、振り返るのもおぞましい限り。まさに身体不具合報告で恐縮ですが、でもせっかくのなので思い切って白状しますと、まず初めは右肩の石化性沈着という五十肩のような症状。安静時に激痛が生じる厄介な事態で眠れない日々。病院やら整体やらに通いつめて最近ようやく回復の兆し。その一方では歯の痛み。しかも歯医者さんに通う度に事態が悪化し、歯の痛みで眠れない苦しみを何十年ぶりかで体験いたしました。我慢の限界を越えて、医者を変更。ようやく原因究明に至って、あれからすでに1年。未だに歯医者さんに通う日々です。さらに抗生物質で腫れをひかせては再発を繰り返す、粉溜<フンリュウ>という呼び名の皮膚疾患。さらには講演や研修が近づくとなぜか、具合が悪くなるノドの調子。究めつけは昨秋に見舞われた<めまい>でしょうか。幸い、症状は2日間の休養とある漢方薬の服用で劇的に回復し、その後、症状が出ておりませんが、なんとも不気味で油断大敵です。という訳でかつて経験したことのない額の医療費控除も体験致しました。しかし、こんな状況下でも<きらきら!>をあきらめない姿勢には何卒、ご声援を!というのは、いかにも同情票集めの手合いですね。心から反省します。

2010年6月3日木曜日

敬語の常識

いっぱしの社会人として、組織の中で働いているときには常識の筆頭だった敬語。相手に敬意を表わすための言葉使いや話し方はこの時期、新人さんたちには頭の痛い課題のひとつではありますが、少し見方を変えれば敬語ほど有り難いものもありません。なぜならお互いの関係性が敬語のおかげで常にクリアに反映され、誰とどう向き合えば良いのか、自ずと見えてくるからです。ところが世の中にはその敬語がほとんど通用しない環境もあるのですね、、、。結論から申せば、ごく普通の暮らしの中では敬語はどうも不便な代物らしい、ということが最近わかってきました。たとえば、ご近所さんとの会話を筆頭にゴルフ場でご一緒する方々やスポーツクラブの顔馴染み。スーパーのおばちゃんに、酒屋のおかみさん。若そうに見えてもそこそこの年齢だったり、逆に年下なのにやたら貫禄があったり。つまり、相手の情報が十分に得られない環境下で、敬語を駆使することは非常に難易度の高い課題なのです。なので、いつのまにか誰に対しても対等な口の利き方なるものが育まれるようです。故に徹底して距離をおきたい相手ならば、敬語を貫けばそれで事足りますが、親しくなってみたい。あるいはもっとフランクに会話したい。でも失礼では有りたくない、、、と考えれば、考えるほど、敬語レスの状況へと向かう次第。ところがその一方で敬語体質に慣れ親しんだ耳には、フランクな話し方の獲得以前に敬語ではない話し方への受身の獲得が急務でもあります。なぜならば、どうみても年下の誰かにメチャ、馴れ馴れしくタメ口で迫られると、悲しいかな、ムッとしてしまうからです。こうして考えてみると、社会的な地位や肩書き、年齢、立場、顔色?などで相手を分別し、敬語を使うことで穏やかな対人関係が築けるなんて、どれほど容易く有り難い事か。敬語の常識、見方ひとつでずい分、変わりますね。

2010年6月1日火曜日

きらきらスタイル研究所

京都流がリニュアールされて、すでに1ヶ月?そろそろ、復活させて頂くつもりが伸ばし伸ばしで、とうとう6月と相成りました。元々、気になることを先延ばしに出来ない性質なのですが、、。不思議なことに最近は気になることを先延ばしにしている事実を見逃すことが得意になってしまったようで、どうもいけません。これを年のせいにするようではもっといけませんし、やがては誰かのせいや、状況のせいにするのが非常に上手になりそうで、どうにも悩みは尽きません。おそらく、長女、A型、という観点からすれば、きちんとしていたい度が高いはずなのですが、みずがめ座、九紫火星、と来ると多少は大胆且つ大雑把でありたい度が微妙に巾を利かせ、状況に応じて都合よく、双方の性質がせめぎ合う昨今です。そもそも占い師になりたかった過去からしても人間観察、洞察への興味関心と統計学的分析やそこから生じる未来予測には今もって深い関心があります。幸い、この春、やっとホームページを開設し、その中で【きらきらスタイル研究所】を創設いたしましたので、いつもきらきらと輝いて今を生きるために、あるいはそのスタイルを確立するためには何が大事なのか!あらゆる観点から、それを考え、掘り下げ、時に提案してみたいと思っております。究極の狙いは、はっきり言って自分の輝きのためにこそ、かく有りたいと願うことを明文化する!という決意表明グラウンドでもあります。今出来ることを先延ばしにせず、コツコツと!を出発点にトライいたします。どうぞ、時々、覗いてみて下さい。