2007年3月31日土曜日

満足と満腹

いつも通りの1日でありながら、今日で3月も終わりかと思うと、不思議なことに節目のタイミングに少しばかり気分が引き締まります。

いわゆる事業年度としての期末を意識しつつ、一方で昨今注目の道徳授業の再登板などもぼんやりと視野に入れ、<言葉の道場>らしいお話をご紹介します。

<満足と満腹>というよく似た言葉があります。あらためて問うこともなく意味の違いはご承知の通りですが、おもてなしの現場にあって謙虚に点検項目として掲げたい課題が実はこの2つの大きな違いではないかと思っております。

接客であれ、電話応対であれ、日々、提供しているものはどちらなのか?

昔、社内の研修で教えてもらった話が今も鮮明に思い出されます。
それは<おっぱいと赤ちゃんの話>でした。授乳のときにお母さんが仕事のことを考えながら、早く飲み終えて欲しいと思っていると、いつもより時間が長くなることが多いそうです。いつまでたっても赤ちゃんはお母さんのおっぱいから口を離さない。量は十分飲んでいるのに急ぐときほど決まってそうなる。

反対に休日などに赤ちゃんのことだけを考えながら、愛情たっぷりのほのぼの気分で授乳していると赤ちゃんのご馳走様がとても早く訪れるそうです。

この現象を調べた結果、同じように授乳していても、そのときにお母さんが考えていることによって血液の酸性濃度が微妙に変化し、そのせいでオッパイの味も変化し、その結果、満腹になっても満足しないからだと判明したそうです。

考えてみれば大人も同じ。空腹を満たすだけでは足りない何かがあることに誰もが気付いています。そしてそれこそがお互い様の快適のために目指し続けている価値の領域です。しかも、そのことを私達人間は生まれたばかりで、まだろくに目も見えない乳児期から見事に体現し続けてきているようです。

満足と満腹はまるで違う、その違いをしっかりと踏まえた決意が問われます。

2007年3月30日金曜日

取り組みへの考え方

なんとなく何か言いたそうな相手の空気に細心の注意で気を配りながら、それを察知するや否や、すかさず<伝言の有無>を問いかけられるようになることは、単に電話応対のスキルアップに止まらず、もしかしたらあらゆる仕事の場面で役に立つ<滑らかな対人関係のための基本技>なのかもしれません。

なぜならば、そこにはせっかく電話を掛けてきてくださった相手の役に立ちたいと願う気持ちがしっかりと込められているからです。

それゆえにもし、仮に<伝言の有無>をお尋ねした反応が、『いや、結構です』と相当、素っ気ないものであったとして決してめげることはありません。

こうした姿勢において育まれる大切な何かは、どのように考えて、どう取り組むかと言うことこそが重要であって、その結果によって左右されるものでもなければ、それを都度評価すべきものでもないと考えるからです。

そういえば、電話応対の研修で実際にあった例ですが、『お電話ありがとうございます、●●商事です』という第一声の言い方をご紹介した折、ある企業の方から<嬉しくない電話も多いから、内容を聞く前にありがとうございますと言うのはおかしい>と指摘されたことがありました。

ややこしい苦情の電話など、有難くない電話も沢山あるから!というのがその理由でした。たしかに売り込みの電話もあれば、忙しい中にあって迷惑千万な困ったものも現実には数多く存在します。

故に第一声で『ありがとうございます』とは言わないという考え方です。

反対にたしかに嬉しくない苦情の電話もあるが、それがたとえどんな内容であれ、電話が掛かってくること自体がそもそも有難い。だからこそ第一声では、その感謝の気持ちを伝えたいというのもひとつの考え方です。

ラッキーの種がどちらなのかはよくよく考えてみたい週末、期末の頃です。

2007年3月29日木曜日

空気の読み方入門

『お急ぎでしょうか』と尋ねた言葉への返球をどのように受け止めようとしているのか。その姿勢そのものが問われる課題がこのあたりにありそうです。
あらためて、その<返事>と<言い方>にほんのすこし、真剣に耳を傾けてみれば、受話器の向こうの気配が案外、よくわかることに気付きます。

あるいはそれを意識して、さらに注意して<よく聞く>ことで、<ただの間>としか思えなかったものに何某かのメッセージが含まれていることに気付くことが出来るようになるのかもしれません。

それはお互い様にしっかりと耳を傾けていればこそ、感じることが出来る気配のようなもので、微妙な空気の振動メッセージとでも呼べばよいのでしょうか。

物言わぬ、わずかな沈黙の隙間に<いかにも困ったな>という風情もあれば、<どうしたらよいか>という思案の吐息もあれば、<また掛けなおしか>というあきらめの迷惑モードもあります。

それらはそのときその場で千差万別ながらも、たしかにその瞬間にそこに誕生する気泡のようなもので、誰かがスッと掬い上げてくれるのを、すなわち聞き手の反応をさながら待っているかのようにも受け止められます。

そしてそれに皆目見当が付かないということは、本来、有り得ないのではないでしょうか。顔色しかり、声音しかり、人はいつも全身で語りかけています。

ただ、かすかに感じつつも、それをさほど大事なことだとは気付いていないが故に気付かぬ素振りで、見逃してしまうのが実態ではないでしょうか。
これもまた人間の<なんとなくわかる>能力のひとつであるならば、この先には間違いなく<場の空気が読める>という技が君臨していそうです。

となれば、ここは絶好のトレーニングチャンスの到来という次第。<伝言の有無>を問いかけてみれば、その反応から<読み>の答えがすぐに貰えますね。

2007年3月28日水曜日

伝言受信姿勢の有無

相手の立場にたった<不在対応>のために、しっかりと意識したい課題として、電話を下さった相手の緊急度合いを尋ねることをお薦めする一方で、さらに前向きな対応として<積極的な伝言受信姿勢>を取り上げたいと思います。

ちなみに、あらためてお尋ねしますが、<伝言の有無を尋ねる>ということが日常の電話応対の中で主体的かつ積極的に行われていますでしょうか?
これは自問自答の点検課題として1度、ゆっくり振り返ってみてください。

昨今の電話事情からすると、実はどんどん衰退の一途にあるのが<伝言を受ける>という過程ではないかとうすうす疑惑の観察を続けております。
理由は概ね、<忙しい、面倒くさい、手間が掛かる>あたりでしょうか。

故に<不在対応>とは悪気なく<すみません、今、いないのであきらめてください>と上手く伝えることがベーシックなスタイルになっていないか?という疑惑が常々、浮かんで消え、消えては浮かんでまいります。

これを少し掘り下げて考えて見れば、それさえ伝えれば、不在対応は完了したという誤解を日々の現場に間違いなく根付かせているのかもしれないという予想に辿り着くことになります。しかも猫も杓子も先輩も同僚、よってたかって行っていれば、それは何ら問題のない普通のこととして定着いたします。

ところが、その結果がもたらすものは、なんとも不親切な対応への小さな不満の種であったり、気の利かなさへの呆れ顔であったり、言っても無駄!というため息であったりします。それはいずれひとつの評価の体を成します。

そして残念なことに、そこから生まれであろう評価が<満足>や<信頼>の方角を向いていないことだけは確かなようです。

まさか、<伝言を聞いたことが無い>はないにしても、受話器の向こうから『伝言をお願いします』ときっぱり言われた時にしか、伝言を聞いていないということになってはいませんか?それも渋々。

2007年3月27日火曜日

伝言受信機能

『お急ぎでしょうか?』と尋ねて、即座に『いいえ、急いではおりません』とわかりやすく意思表示を下さった場合にも、<さようでございますか>と受けることが出来ます。あるいはこんな対応ももちろんあります。

●田中は午前中、外出しておりますが、お急ぎでいらっしゃいますか?
○いいえ、急ぎではありません。
●<ありがとうございます>や<恐れ入ります>で受け止めて、<では戻り次第、こちらからご連絡させて頂きます。>とつなげることも出来ます。

もう少しフランクなタッチならば、<そうですか>という反応や<すみません>というのもあります。なにせ、声だけが頼りの電話応対だけに、その言い方から相手の反応を探りながら、相応しい言葉を返してゆく技が求められます。

ムッとした様子の声ならば、<申し訳ございません>と謝罪の気持ちを込めた言葉が必要になります。アッケラカンと明るい声なら助かります、という気持ちを込めて<かしこまりました>とサラリと受けることも出来ます。

声の調子や雰囲気に漂う相手の気分や感情は残念ながら、他の誰にも判断を仰ぐことの出来ない代物であり、今、受話器を通して向き合っている責任をあらためて自覚したい課題ということになります。

あくまでも会話のキャッチボールとして生きた言葉をやり取りするためには、決められた言葉しか使えないのではなく、その時、その場に見合った言葉を自分流に紡ぎ出すと決意することが大切な要素のひとつかも知れません。

さらにここで、主体的な電話応対への取り組みをもう一歩発展させるために、意識したいのが積極的な<伝言受信機能>です。

『もし、よろしければご伝言を承りますが?』という言葉に溢れる前向きさ加減は<不在対応>において、最も重要な姿勢ではないでしょうか!

2007年3月26日月曜日

柔らかな受け方

不在対応において、『お急ぎでしょうか?』と尋ねた場合、往々にして多いセカンドアンサーは普通に予想される二者択一の『いいえ』ではなく、実は『どちらともいえない』だったりいたします。

考えてみれば、確かに用があるから電話をかけているのですが、それが超緊急事態なのか?と問われれば、きっぱりイエス!と言い切れる確率はそれほど高くありません。むしろ、少ないのが本当の処かも知れません。

が、しかしそこは人間心理の微妙な部分でもあり、たいした用事ではないということを公言して憚らないような『いいえ』という返事は瞬時には返しにくいものでもあります。そこで、ついモゴモゴと言い淀んでいるうちに、それがイエス、ノー以外の答えとして『いや、その別に、、、』という存在となります。

さて、そうした気持ちや気分に対しても、どう当たり障り無く向き合えるかが、すなわち社会人としての対応力の真骨頂でもあります。

間違っても『はあ?』と小ばかにしたような聞き直しや、咎めたてるように『どっちなんですか?』などと煮え切らない相手の反応に大人気なく詰め寄るのではなく、概ね了解の姿勢でやんわりと受け止めたい。

この気持ちを表す時に便利なのが『さようでございますか』という言葉です。

使い方としてはこんな感じになります。
●田中は午後2時に帰社予定ですが、お急ぎでしょうか
○あっ、そうですか。特に急ぐってことでもありませんが、、、。
●さようでございますか。では戻り次第、こちらからご連絡させて頂くということでよろしいでしょうか?
○はい、それでお願いします。

あくまでも受け手が主導権を握りつつ、滑らかにかつ感じよく対応する電話応対の時だけでなく、商談時のあいづちとしても大いに活用したい言葉です。

2007年3月25日日曜日

ツチヤ学部長の弁明(著者:土屋賢二)

タイトル:ツチヤ学部長の弁明
著者:土屋賢二(お茶の水女子大学教授)
出版社:講談社(文庫)
533円(税抜)

今朝の朝日新聞<天声人語>では、ついに1億台に迫る携帯電話のマナーに関しての提言が<ただモラルを問うばかりではなく、実態に則した知恵が必要>と言う形で問われておりました。

まさしく仰せの通り!と実感するのは個人的には京都市民として大いに利用させて頂いている市バスの車内での対応についてでしょうか。

車内に流れる録音再生テープメッセージはこれまたごもっともなのですが、悲しいほどに有名無実ならぬ、有形無実の典型でもあります。

繰り返し流れる音声は<医療機器への影響の恐れもありますので、携帯電話の電源をお切りください>と呼びかけていますが、その成果はどう好意的に見ても限りなくゼロに近い、もしくはほとんど無い!と言えそうです。

市バス関係者にはお叱りを受けそうですが、傍目に眺める限り、そんな成果なんてどうでもよろしくて、ただそういうことを『ウチラはちゃんとやっていますから!』と言う姿勢徹底の方に重い軸足があるように思えてなりません。

もしかしたら熱血教師のような正義感溢れる乗務員が、運転席からのインカムスタイルのマイク越しに『そこのお客さん、車内での携帯通話はご遠慮ください!』ってな見事な対応で、すぐそばで辟易としていた乗客の溜飲を下げてくださっているのかもしれませんが、、、まだ1度もお目にかかっておりません。

と、まあ本日はこんなペースで<時に人は何かに向けてのまっすぐな思いをいささかオチョクリモードで笑いの中に織り交ぜて提言してみることも大切>と気付かせてくれる1冊をご紹介いたします。その全編に貫かれた笑いへの執着がどこか綾小路公麿路線にも似た郷愁を漂わせ、とにかく笑えます。

2007年3月24日土曜日

かしこまりました!

研修時にご紹介している<緊急度確認>のフレーズは概ね、以下の通りです。
『お急ぎでしょうか』・『お急ぎですか』・『お急ぎでいらっしゃいますか』

どの言い方を使うのかは自由ですし、時には相手によってあるいは内容によって、また気分によって使い方を変えてみるのも当然、良い練習になります。

その際にはぜひ、一貫性のある自然な話し方を考えて使い分けてみましょう。

たとえば電話応対そのものがサッパリとしていて、フランクな話し方ならば、
『田中は今、会議中ですが、お急ぎですか?』というのが自然ですね。
少し丁寧な応対なら『田中は会議のため離席中ですが、お急ぎでしょうか?』

さらにビシッとかっこ良く、『申し訳ございません、田中は午前中は会議のため離席しておりますが、お急ぎでいらっしゃいますか』というような具合です。

さて、その反応が『はい』すなわち、急ぐ!とおっしゃる場合は速やかに繋ぐ方法を考え、それを相手に伝えます。あるいはその対応で良いかを尋ねます。
●かしこまりました。只今、電話を回しますのでお待ちくださいませ。
●かしこまりました。では田中を呼んでまいりますので、しばらくお待ちくださいませ。(あるいは)お待ち頂けますか?

さて電話応対に限らず、様々なビジネスシーンで大いに役立つ言葉がここで登場する<かしこまりました>という言葉になります。

<わかりました>とよく似ていますが実践での意味合いは大いに異なります。

相手の言い分を理解したと言うのが<わかりました>だとすれば、その理解したことを受け止めて今から仰せの通りに実行しますと宣言するのが<かしこまりました>というくらいの大きな差がそこには有ります。急ぐ!と胸を張ってお答えになる相手には常にこのくらいの覚悟で向き合うことが求められます。

2007年3月23日金曜日

時流対応という背景

昔はビジネス電話といえば、基本的には会社の席の電話から掛ける、受けるが大半を占め、緊急時に出先で公衆電話を探し回ったことが懐かしいくらいです。

時代は大きく変化し、昨今ではビジネス電話の多くを携帯電話が占めるようになりました。職種によっては何台かの携帯を常に所持し、それを使い分ける有様です。その携帯なればこそ、いつでもどこでも<今ここで!>という瞬間に寸暇を縫って、連絡を取ることが可能になりました。

勢い、わずかなタイミングも無駄にしない連絡が増えているのも当然の成り行きといえます。そうした電話事情に照らせば、その重要度はいざ知らず、せめて緊急度くらいは問いかけることが礼儀ではないかと思えてなりません。

それが『お急ぎでしょうか?』のフレーズをお勧めしたい背景でもあります。

かなりドラマチックな想定をしてみれば、飛行機に乗る直前の連絡などであれば、この問いかけは至極、的を得た親切なものになります。

また今時、新幹線のデッキに移動しての電話応対くらいは日常茶飯事な状況からすれば、見えない相手の姿をライブ感覚でどう柔軟に幅広くイメージして対応できるか否かは、受け手のセンスと共に状況対応へのホスピタリティ度合いが問われる課題と診ることも出来そうです。

そこでまずはこの電話が『急ぎか、そうでないか』を単刀直入に相手に尋ねることで、素早く意思確認を行い、その答えに添った次の対応に進む決意こそが相手の立場に立った適切な応対に繋がるものと信じて止まない次第です。

まずは週末の今日の電話応対でお試しになってみませんか?但し、急ぐ!急がない!の両方の答えに添った次なる対応を用意して望むのは当然の課題。

具体的なテーマに対して考える機会こそが大いなる成長のラッキーの種と心得、
この種に水を、光を、そして知恵と工夫とオリジナリティを!

2007年3月22日木曜日

緊急度の確認

滑らかな電話応対のための<取次ぎ>、その中でメインディッシュとも言える<不在対応>における定番的な言い回しへの素朴な疑問は言われた方の身になって少しばかり、真剣に考えてみれば、至極当たり前ではありませんか?

しかし長年それは何の問題もなく、立派に実社会にまかり通っております。

おそらくそれは『いかがいたしましょうか』という言葉自体が持っている丁寧さによるものなのでしょうか?

あるいはなんとなくスマートに聞こえるという雰囲気のせいでしょうか。
もちろん、『ですが、、、』と後の続かない、尻切れトンボ型の物言いよりは格段に大人モードで安心感が漂うゆえかもしれません。
だからこそスラスラと非常に便利に多用されているのだと思われます。

但し、実際に使いこなしながら、その言葉が<先方にどうしたいかを決めてもらう>ための言い方であるということに無頓着すぎるのも事実です。
つまり問題は使い手における認識不十分な点ということなのかも知れません。

日々の電話応対で胸を張って使う以上は、実際にその意向に必ず向き合う覚悟が問われることをどこかの時点でしっかりと見つめておかなければならず、この際よいタイミングとして、点検するのが得策ではないかと思います。

さて、では不在がハッキリしている時にどのように言えばよいのでしょうか?

それは先方の<緊急度の確認>への問いかけではないかと考えます。
つまり、問いかけのフレーズとしては<急ぎ具合>を尋ねるものとなります。

『恐れ入ります。田中は○月○日まで出張ですが、お急ぎでしょうか?』や
『申し訳ございません、田中は会議中ですが、お急ぎでいらっしゃいますか』
というフレーズになり、それを伺うことで、今出来る最善の対応を主体的に絞り込むことではないでしょうか。『お急ぎでしょうが、続きはまた明日!』

2007年3月21日水曜日

電話の相手に指示を仰ぐ?

<取り次ぎ>に多い<不在対応>の最大の焦点は<いない理由>を伝えるだけではことが足りず、<どうしたらいいのか>に言及せねばならないことをこの際、はっきりと認識できれば実にスッキリとしてくるのではないでしょうか。

となれば、表現方法は大幅に変わってまいります。但し、ここでもうひとつ、クリアしておかねばならない課題があります。それはこのフレーズの存在。

●申し訳ございません、田中は会議中ですが、いかがいたしましょうか?

この言い回しは実際に市販されている電話応対の書籍やマニュアル本にもバンバン登場し、当然のように紹介されている表現なのですが、個人的には『いかがいたしましょうか』と問われるたびにいつも?マークが浮かんできます。

それは電話対応の<主導権>が本来、どちらにあるべきなのかという視点で眺めたときに浮かんでくる疑問ともいえます。

『いかがいたしましょうか?』というのはどう考えても、相手の指示を仰ぐための台詞だと思えます。つまり、そう聞く以上はその要求がどんなものであってもそれに従ってくれるのですね?と詰め寄りたくなってしまうのですが、、。

ところが実際に『いかがいたしましょうか』と問われる時には暗黙のうちに、穏やかな答えのパターンが決まっています。いわく『では掛け直します』であったり、『電話があったことをお伝えください』というあたりでしょうか。

そのやり取りの不可解さと不自然さにかなり以前から限界を感じております。

もし、『急ぎなので、会議室に電話をまわしてください』と言われたらどうする?
あるいは『折り返し、何時に連絡が頂けるのか、会議室にメモを入れて聞いてきてくれ』と頼まれたら、そうするのか。疑問はもはや心配の種でもあります。
と言うわけで、さらに明日に続きますが、いかがいたしましょうか?

2007年3月20日火曜日

尻切れトンボの言い回し

昨日の続きです。スラスラと対応モードの台詞が出た方もそうでない方も、あらためてご一緒にお考え下されば嬉しい限りです。

さて、せっかく電話をかけたのに目指す相手が仮に会議中で今、席にはいないことを告げられた場合、実際にはどう対処すればよいのでしょうか?

まず、日常的によくありがちなスタイルをやや誇張して取り上げてみますと

●申し訳ございません。田中はただいま、会議中ですが、、、、。
○あー、そうですか。会議は何時ごろまでかかりますか?
●ちょっとお待ちください、確認いたします。(しばし間があって)お待たせしました、会議は午前中いっぱいの予定になっておりますが、、、、。
○わかりました。ってことは午後にかければ繋がりますよね?
●はあ、恐らく大丈夫かとは思いますが、、、、、。
○午後の田中さんのご予定はおわかりになりませんか?
●少々、お待ちくださいませ。(またもやしばしの間)お待たせいたしました。本日の午後は特に外出の予定はないようですが、、、、。
○わかりました、じゃ、午後に掛けなおします。

と、まあこういう感じが結構多発しております。でもってそれが別に良くも悪くもない普通モードに展開されていることそのものが大いに問題と言えます。

それにしても、すべては出足のフレーズの『会議中ですが、、、、』という尻切れトンボ型物言いの対応に問題の元凶があるとお気づきでしょうか。

ここで言葉を途切れさせてしまうこと自体がすでに対応ではないことに気付かねばなりません。はっきり申せば、これは対応を放棄しちゃっている状態。

本来、これがまともな会話であれば、『会議中ですが、、、』とくれば、『はあ?』とか『それで?』というような疑問形の台詞で次の言葉を促すはずです。
ところがそうも行かないのが電話応対ならではの誠に不可思議な現状ゆえに、さらに話は明日に続きますが、、、、、、。

2007年3月19日月曜日

不在対応の不思議

電話応対の<取次ぎ>においてスンナリと名指し人に代われる場合とそうでない場合の出現率は実際のところどのような具合なのでしょうか?

特に営業系の場合などは朝と晩だけがデスクワークみたいな状況からすれば、昼間に掛かってきた電話にはハナからでれるはずもなく、ほとんどが不在という状況のはず。はたまた管理職の方々はやれ会議、やれ打ち合わせ。やれ出張とこれまた<不在対応>の腕を磨かせて頂きやすい実態ばかりです。

そういうデータはおそらくどこにも存在しないとは思いつつ、実際問題としては<不在対応>こそが<取り次ぎ>の主要テーマではないかと思えるほどです。

つまり今いない人に掛かってきた電話にどう対処するかが、<取次ぎ>において問われる以上、そこには心意気だけでない具体的なスキルが求められます。

さて、この対応のアレコレを順次、整理をしていきたいと思いますが、これまでの体験を元に申せば、まず出発点の課題は<不在理由を述べれば済むと思っていませんか>という実態にあるのではないかと感じております。

これをよく耳にするありがちな<不在対応フレーズ>で検証してみますと
●申し訳ございません、田中はただいま会議中ですが、、、
●恐れ入ります、田中は外出しておりますが、、、
●すみません、田中は出張に出ておりますが、、、、
というような対応の仕方になります。他にも今、いない理由としてはミーティングや昼食休憩や商談、来客、はたまた休暇、究極は辞めました等。

これまでにも何度も取り上げておりますが、多くの不在対応時の電話応対がこのモードに陥りやすく、『だからどうなんだ』が欠落していることに、下手すれば双方が無頓着と言う実態が不思議でなりません。

ちなみに実際の電話を想定してみて、名指し人が上記のいずれかの理由で不在だと告げられた後、貴方なら何とお応えになりますか?

2007年3月18日日曜日

田中宥久子の造顔マッサージ<10年前の顔になる!>(著者:田中宥久子)

タイトル:田中宥久子の造顔マッサージ
著者:田中宥久子(ヘア&メークアップアーティスト)
初版:2006年12月15日(2007年1月15日第3刷発行)
出版社:講談社
2、000円(税抜)

まさかの天気予報通りに、京都市内の上京区界隈では今、雪が降っています。せっかくのお花見気分に急ブレーキもいいところですが、ビックリの朝です。

さて、お隣さんの屋根に降り積もる雪を眺めながら、フト、これまでの人生を振り返ってみたりしますと、基本的には<思い立ったら即行動、即実践>のタイプだなー!としみじみ思い至ります。

ただ、時にはどうした訳か、妙に計画的な側面もあり、衝動買い的傾向を戒めようとする視点が顔を見せ、慎重かつ入念な下ごしらえに奔走することもあります。こういうのを<振り子の原理>とでも言うのでしょうか?

そのせいで、棚上げ状態になっている課題は思いのほかに多くあります。
たとえば、高いけれどいつかは手にしたいとカタログを眺め続けている腕時計。

あるいはもう手持ち在庫が切れそうなのに、購入はまた今度にしようと買うことをついためらってしまう化粧品や整髪料。あるいは日用品のアレコレ。

現物を目の前にするまで、それを探していたことすら忘れてしまっているような本当に必要かどうかも曖昧な品々達との売り場での再会や再再会。

そうした課題の最右翼的存在が本日、おすすめしたい1冊です。絶対に欲しいと思いつつ、その本を見つけてから購入するまでにすでに2ヶ月以上経過。

やっと3月初旬に購入して以来、セットになったDVDをお手本にして3分間のマッサージの技の獲得にちゃんと真面目に取り組んでおります。

2007年3月17日土曜日

言葉をなくす瞬間

今週は週初めの12日に丹後の宮津でお仕事!城崎行きの特急・北近畿に乗って福知山に向かい、そこで丹後エクスプローラーに乗り換え、京都から往復4時間強の小旅行気分の行程を愉しんでまいりました。

現地滞在、たったの3時間!は実にもったいないものの、この日は思いがけず冬に逆戻りの寒い1日。綾部を過ぎたあたりから断続的に小雪の舞う中、講演会場の海の向こうに眺める天の橋立は見事なまでの雪化粧の絶景。足早に過ぎた真冬をさながら懐かしむような貴重な時間を味合わせて頂きました。

その真冬の宮津から戻ってみれば、京都市内は穏やかな春模様。たった数日の間に舞い散る雪と咲き始める桜の競演が凝縮された実に豪華な1週間です。

おかげさまで本日も昨日同様にまだ暖かな陽射しが残る夕暮れに、愛犬のお散歩とウォーキングと桜の開花チェック兼ね、京都御苑を探索して参りました。

昨日のラッキー桜!速報の続きをご報告申し上げますと、【近衛邸跡の枝垂桜は一気に開花モードの気配が濃厚に進行中】しかも本日の暖かな陽射しがおそらく一層の拍車となり、どうも予想以上のスピードで咲いちゃいそうです。

例年ならば4月を迎え、御所の一般公開のタイミングが絶好の見頃になるのですが、今年はその頃は残念ながら間違いなく葉桜でしょう。

立ち並ぶ桜たちの上空までもが艶やかなピンクの濃淡に染まる景観がピークを迎えるのはおそらく、来週末のことではないかと前倒しの観察経過報告です。ついでに付け加えますと、その御所のちょうど真ん中あたり、紫宸殿に向かって西南に位置する桃林も今が満開の盛りとあって実に色鮮やかです。

さて、美しい言葉を紡ぎだす訓練のひとつとして、言葉が出ないほどの体験は至って効果的かと思っております。そこでチャンス到来。春の花たちの競演に<言葉をなくす瞬間>を用意周到に整えてみたい週末予報のお届けまで!

2007年3月16日金曜日

臨機応変にサッ!と名乗る

電話応対の基本としての<取次ぎ>には様々な展開が存在しますが、その中でも実にベーシックなのものとしては、名指しされた相手が自分自身!と言う場合があります。こうした場合、実際にはどう対応されていますか?

かけてきた相手の声で瞬時に知り合い、かつ自分への電話とわかる場合には基本的には、即座に反応するのが親切であり、効率的ですね。

『あ!こんにちは。私です。水谷です!』という具合。少し、緊張するような相手であっても、基本的にはサッと名乗ってしまうほうが好感度大です。

なぜなら、かけたほうにしても、電話に出た声で、『あれ?本人かな』と思っておられるようなケースは実際には多いものです。

こうした場合にマニュアル通りの手順を踏んで、名指しされるまで素知らぬ顔の機械的反応をし続ける方が不自然。しかも非効率的。何より、感じ悪い。

気の置けない友人ならば、『何よ、他人行儀な対応しちゃって感じ悪い、最初の声でこっちは貴方だってすぐにわかったのにあまりにも反応が薄いからアレ、違う人なのかな?と思ったわよ』という本音で非難される手合いです。

ところがビジネスの関係各位ならそんなストレートなやり取りはあり得ない話。かと言って、だから不愉快な気分が発生していない!とは言えないのも道理。
丁寧さと引き換えに思いがけず気分の溝を深めることのないように要注意。

留守番電話のような決まりきった対応ではなく、臨機応変な対応が問われることはむしろ生身の人間業なればこその願ってもない有難いチャンスと受け止めて、ラッキーの種に仕立てたいものですね。

さて週末のラッキー速報。京都御苑北部・近衛邸跡の枝垂桜が咲き始めました。今週末には3分咲き位になりそうです!ご近所スクープとしてお届けまで!

2007年3月15日木曜日

姿勢への評価

今時、専任の電話交換手を置かず、各職場のダイヤルインが一般的なご時世だけにスムーズな<取り次ぎ技>は全社員の必須課題とも言えます。
あらためてその定番フレーズをまとめてみますと、ざっとこんな感じ。

●はい、営業1課の田中でございますね。少々、お待ちくださいませ。
●はい、ただいま田中に代わりますので少しお待ちください。
●はい、ただいま田中に電話を回しますのでしばらくお待ちください。

あらためてながめてみると、<取り次ぎ>の言い回し表現自体はそんなに難しいものではなく、それゆえにむしろ言い方による課題が気になるところ。

幸い慣れていない間はとにかく一生懸命に間違えないように真剣に言葉に向き合っているため、自然と丁寧さが漂います。ところが毎日、使っていれば当然上手に言えるようになり、この頃合が大きな分かれ道になりそうです。

その意味では言い慣れてきた時期に合わせた<言い方への注意>情報と、以降は定期的にその課題においての点検機能の確立が求められることになります。

スラスラと淀みなく言えることと、その言い方が丁寧かつ感じが良いことは時にイコールでないことを強く認識しておかなければならない関所です。

たとえば、お飾り程度に使っている<少々>という言葉は、ともすれば早口になりがちで、その分冷たく聞こえてしまう言葉だとお気づきでしょうか?
忙しそうな雰囲気の中では時には迷惑そうにさえ聞こえ、『すみませんね、ご多忙時にお電話なんかしてしまいまして、、、、』と卑屈気分を堪能できたりします。

言葉に対して常に丁寧に向き合うことが難しいのならば、はじめからその言葉を使わないと言う選択肢もあれば、心を込めて使いこなすために相互の点検機能を磨き上げると決意する選択肢もあります。

言葉とその使い方にどれほど真剣に向き合っているか。何気ない応対の優劣の手掛りは実はそんな姿勢に対する結果の評価だと思い至ります。

2007年3月14日水曜日

日常的価値の発見

職場の人間関係において、個人名の<呼び捨て>が正々堂々と行なわれるのは何も電話の取次ぎの場面だけではありませんね。

たとえばこれからの季節はちょうど春の定期人事異動の頃合、勢い担当者の入れ代わりが生じる時期となります。この場合、お取引先にお邪魔して着任間もない上司をご紹介させていただく折なども原則として本人を目の前にしながら呼び捨てをすることになります。

また日頃の一般的な商談や打ち合わせなどで、上司や先輩の個人名を引き合いに出す折には、通常は敬称略で呼び捨てにしているはずですね。

こんなふうに考えてみると、仕事の一環として嫌味なく<呼び捨て>に出来る表現力は案外、大切なことかもしれません。

同席しているからと言って、妙に遠慮がちもおかしいし、かといってやけに偉そうに日頃の鬱憤晴らしのような言い方も社会人的に不細工です。

さらりと快活にそして尊敬を込めて誰かを<呼び捨て>にする技は、これまたある日突然、振って湧いたように身につくものではなさそうです。

となれば、電話応対の<取り次ぎ>における<呼び捨て>は、またとない練習のステージと言うことができます。こうした意識を持って取り組むのと、ほとんど何も考えずに取り組むのとでは、やがて結果に大きな差が出るのは当然の成り行きと言えませんか?

ご承知の通り、昔から物は言いようで角が立つといいます。<丸い卵も切りようで四角>ということを意識の隅に置きながら、あらためて<呼び捨て>の技の獲得に邁進したいですね。そうすることで実際の商談などにおいても、臆することなく自然体としての実力が間違いなく培われます。

仕事に求められる対人関係スキルは直接的なシーンでのみ鍛えられるものだけではありません。こうした日常的な電話応対などの間接的なシーンでのスキルが積み重なって技化されてゆく価値にもそろそろ気付きたいものです。

2007年3月13日火曜日

堂々と呼び捨てに!

相手の立場を意識した、きちんとした<取り次ぎ>の中で思いがけず、ちょっとたのしい共通の留意ポイントがあります。なんだかおわかりですか?

それは名指しされた社内の人間の名前の呼び方です。
外部からの電話の場合、敬称はつけず、すべて呼び捨てにします。

これって少し視点を変えてみれば、実にたのしい電話応対の決まり事だと思いませんか?だって、職場の先輩や上司を瞬間的とはいえ、呼び捨てOK!

『はい、営業課の田中ですね』とか『営業の田中でございますね』となります。

肩書きをつける必要がある場合は名前の前につけて言います。たとえば『営業の田中課長をお願いします』と言われた場合には、『ただいま、課長の田中にかわりますので少しお待ちください』という具合になります。これは肩書きがどんなに偉くても同じ。つまり社長の名前も呼び捨てに出来るということです。

但し、名指し人のご家族からの電話の場合には呼び捨てにはしません。強いて申せば、この切り替えだけが慣れないうちはちょっと緊張するかもしれません。

どうやって家族と見極めるのか?というようなことを思い煩ったりもしますが、心配は無用です。よほどの事情がない限りは掛けたほうがスンナリと家族であることを名乗ってくださいます。

一般的には『恐れ入ります。田中の家のものですが』とか『田中の家内ですが』という言い方です。その場合には『いつもお世話になっております。ただいま田中さんにお繋ぎします』というようにきちんと挨拶をした後に<さんづけ>で呼ぶことになります。

いささか遠慮がちな場合でも『田中と申しますが、営業の田中をお願いします』というように名指しにおいて呼び捨て表現になります。つまりご家族ということがこれで判明します。たのしみながら言い慣れていきたいですね。

2007年3月12日月曜日

上達への心構え

週初めなので電話応対に関して、少しばかり精神論を掲げてみたいと思います。

『もし今、貴方が取った電話が、貴方の会社の社長宛に掛かってきた電話で、しかもその相手がとても大切なお得意先の社長であったとして、いつもと寸分変わりない応対が出来るかどうか』をぜひ、自問自答してみてください。

その応対の上手下手のレベルはさておき、冷静に眺めて、同じように対応できると胸をはって言えるのなら、それはそれで筋の通った応対と言えるはずです。

相手が偉い人!とわかった途端に猫なで声を出しちゃうようでは、日頃は相手によっては無礼千万の電話応対がまかり通っている可能性大とも言えます。
但し、自覚症状なくこういう変化の激しい応対が身についてしまっているケースも多々ありますので相互点検が必要です。となれば、やはり聞き耳の実践。

今週も職場ではいい意味での<聞き耳効果>に精を出して頂ければ、そういう<態度豹変型電話応対>も実際には案外、多いことに気付けるかもしれません。

この際、こそこそ陰口を叩き合うのではなく、いっそ思いっきり公にしてお互い様に改善をめざす明るいテーマになさってみるのも一興かと存じます。

第一声は実につまらなそうな低い声が、突如、完全に1オクターブ上昇するような場合は、やはり大切な誰かからの嬉しい電話に他ならず。

かたやさっきまでふんぞり返っていた姿勢が急にしおらしく、受話器を持ちながらお辞儀も辞さない風情ならば、それなりのお相手と推察できます。

しかし、日頃のそれと特定の誰かに対するそれが極端に異なる場合は対人関係において平気で手のひらを返すことが出来る性質であると見なされ易く、結果的に信頼されにくい自己形成に邁進することにもなりそうです。

<人は見ていないようで見ている>ことも意識しつつ、いつでも誰に対しても変わらぬ感じの良い応対を目指すと心に決めることも上達の秘訣のようです。

2007年3月11日日曜日

デキる!伝わる!話し方(著者:箱田忠昭)

タイトル:デキる!伝わる!話し方
著者:箱田忠昭(インサイトラーニング株式会社・代表取締役)
初版:2005年11月30日
出版社:インデックス・コミュニケーションズ
1、300円(税抜)

じっくり考えてみるまでもなく、日本語は最後の最後まできちんと話さないことには言いたいことが正しく伝わらないという課題を背負っております。

『せっかくの休日だから、今日はゆっくり休みたい』なのか『せっかくの休日だから、今日はゆっくりと休まず、あちこちに出掛けたい』なのか。
途中で話すのをやめたら、意思とは反対の理解をされかねないし、途中で聞くことを放棄したら、間違った解釈の確率は飛躍的に跳ね上がります。

この根本的な課題にちゃんと向き合っていれば、いついかなるときもきちんと最後まで話すという姿勢が身についているはずです。ところが実際には、、

A:はい、○○商事でございます。
B:こちら、△△事務所と申します。営業の田中さんをお願いします。
A:いつもお世話様です。営業の田中でございますね。失礼ですが、、、。

『失礼ですが、、、、』と言ったきり、受話器の向こうがウンともスーとも言わなくなると正直、困ります。なぜ困るのかと言えば、この質問に対して<名乗る>という形で答えてしまえば、その問いかけを認めたことになるからです。

時には『そういうふうに言えば、相手もわかってくれるから!』と指導されている先輩、管理職も実は多いように思いますが、いかがなものでしょうか。

しっかりと言いたいことが言えるようになる基礎訓練と思って最後まで話す。
そんな当たり前のことがあまりにもおろそかにされている日常に、気付くこと!が重要です。とは言え、完成度の高い話し方の頂への登頂ルートは様々にあり、そこで本日は話し方の本をご紹介します。

2007年3月10日土曜日

主体的な言葉の使い方

きちんとした<取次ぎ>のためのセカンドアクションとは、保留音30秒付近で行う、軌道修正プログラムみたいなもので、平たく申せば、まだ待てますか?
それとももう待てませんか?ということの意思確認といえます。

ここで大切なのはその意思確認を中途半端な言い回しで相手に丸投げにしない決意であり、取次ぎのセカンドアクションに限らず、電話応対の中では往々にしてこの決意のほどが問われることになりがちです。

たとえば、取次ぎのセカンドアクションとして保留音を解除し、『申し訳ございません、今しばらくかかりそうですが、、、、、』と言われ、そこで言葉が途切れてしまった時、何とお答えになりますか?

あるいは『今しばらくかかりそうですが、いかが致しましょうか?』と言われた時も同様。<いかがしたらいいか、わかんないわよ!>と言いたくなります。
いずれも一見すれば決して悪くはない応対ですが、よく聞けば良くもない応対であり、冷静に考えれば、結構、無責任ということにお気付きでしょうか?

前者は一般的に電話応対の随所に出現する軽度の<無責任対応>の典型です。
類型としては『山下は只今、会議中ですが、、、、』であったり、『その件でしたら、申し伝えましたが、、、』や『本日は出張しておりますが、、、、』という具合。

これって『だからどうしますか?』ってことを一方的に、しかもかなり挑戦的に相手に突きつけて答えを要求している言い回しではないでしょうか。

後者の『いかが致しましょうか?』も基本的な意味は同じです。最後まで言葉を紡いだ分、多少は丁寧に向き合った気配があるという程度の差でしょうか。
客観情報が乏しい相手に判断を委ねるという無茶な姿勢には、その現場にいるがゆえの本来の責任をポイっと簡単に放棄できる無神経さが漂います。

かけたほうの意思決定のために、主体的でわかりやすい言葉とその言い方を紡ぐトレーニングの場として電話応対は思いの他、貴重なステージなのかも知れません。

2007年3月9日金曜日

時の身体感覚化

一旦、取次ぎモードに入りながら、様々な事情でソレが難しそうだとわかったときには、ひとつの目安を30秒あたりにして保留音を解除し、再度、受話器の向こうの方とのやり取りが必要になります。

となれば、基本動作のひとつとして<時間を意識する>ということが日常的に強く求められることになります。通話時間が電話機のディスプレイに表示されるものも沢山、普及していますが、取り次ぐ側の責任として保留音の<お待たせタイム>までしっかりと意識しているかどうかは個人差が有りそうです。

いずれにしても、まだお待たせしそうな場合の一般的な対応フレーズとしては
『○○様、お待たせして申し訳ございません。△△はまもなく席に戻りますので今しばらくお待ち頂けますでしょうか?』あるいは
『大変、長らくお待たせして誠に申し訳ございません。今しばらく、時間がかかりそうですので、こちらから掛けなおさせて頂いてもよろしいでしょうか?』

電話の場合はお互い様に受話器の向こう側の相手の状況が視覚情報として一切入手できないため、それを細かく説明しだすと時間がかかる割りに要領を得ず、通話時間だけが肥大して、かけたほうからすれば待たされ損のくたびれ儲けみたいな顛末にもなりがちです。故に事態の詳細を語ることは不要です。

このあたりを十分、意識し、かつ、お待たせして申し訳ないという気持ちがあれば、余計な解説よりは<どうするか>というご提案主体になるはずです。

その原点としては自分が電話をかけたときに相手にして欲しい応対を頭において考える癖付けが何より大切なことではないでしょうか。

気分的にも物理的にもあるいは金銭的にも、これ以上はご迷惑をおかけしない限界としてこのタイミングで次なる選択肢の提案が望まれます。

適切なセカンドアクションのためには職場の時計や自分の腕時計をその刹那にきちんと見る癖付けが案外重要です。そしてそれはやがて身体感覚として貴重な時間感覚を養うことにもつながる、ラッキーの種のひとつ!ですよね。

2007年3月8日木曜日

保留音対策の目安

携帯電話の普及により電話をかけてこられる状況は飛躍的に拡大しました。
急ぎの連絡であれば外出先からはもとより、電車の中や乗る直前もあります。

そうした相手の状況を相当に慮る(おもんばかる)視点やら対応が出来ているかどうかが見え隠れするのが保留音への向き合い方かもしれません。

恐らく悪気なく、取り次ぐことが最優先となり、保留音状態の実態への把握やら気配りはあまり為されていないのが正直な現状ではないでしょうか。

聞かされる側になってみれば、時間の経過と共にイライラ感が高まるのは当然の成り行きですが、聞かせている側がそれをどれほど意識しているかどうか。

なぜなら聞かせる側においても悪気なく多種多様な事情が存在するからです。

今、目の前にいたから取り次ごうとしたその矢先に、誰かに呼ばれて席を立ってしまったとか、その刹那に他の電話が掛かってしまったとか。
あるいはすぐ戻るからとその電話に出るための資料を取りに行って、一向に戻ってこないなどと言う不可解な事態もなくはありません。

まるで意図的なシナリオのなせる業のような状況が得てしてごく普通の日常に再現され、おかげで取り次ぎ役の仕事はまだ完了していないことになります。

かくして保留にした電話をどうすれば良いのかは、そのときその場で対処の方法論が異なりますが、何はともあれ、30秒以上待たせてしまうようなら、保留を一旦解除してお待たせしているお詫びと事態の説明をする必要があります。

その上でまだお待ち頂けるのか、掛けなおさせて頂くことにするのか。
絶対にほったらかしにしないと決意するだけでも取り次ぎにまつわる不測の事態や不祥事はかなり避けて通れることになります。

決してあってはならない事態の筆頭は保留にしたまま、その電話が誰にも繋がれずに放置されてしまうという最悪の事態ですが、これが案外、あったりして。

2007年3月7日水曜日

保留音への配慮

お目当ての人物が特定出来れば、やっと電話を取り次ぐことが出来ます。
この操作は電話機によって多少異なりますが、基本的には同じ要領です。

すなわち掛かってきた電話を一旦、保留にして目指す相手に<声をかける>あるいは<転送>して繋ぐということになります。

通常のビジネスシーンではよくあることなので比較的イメージしやすいかと思いますが、今時はたいていどこでも電話回線が保留されている間は待たされている受話器から、いろいろな音楽が流れるようになっています。

ちょっと規模の大きいメーカーなどではそのシーズンのキャンペーン商品のCFソングが流れたり、誰かの声で宣伝アナウンスが繰り返されたりもします。

保留音を聞きながら、お目当ての相手が出てくれるまでの間はその時々の状況により、かなりの時間差があります。あっという間であれば、何も問題は起こりませんが、あまり長く待たされるといろいろトラブルの種になります。

ちなみに1秒を争うような緊急事態ではないとして、相手が出てくれるまでの保留音をじっと我慢して聞いていられる限界タイムはどのくらいだと思われますか?もちろん個人差はありますが、実際の研修では毎回、実感としてこの課題に気付いて頂く為に、保留音を聞く!実験を行っております。

参加者には<電話をかけて保留になった状態>をイメージして頂き、保留音を聞いてもらいます。この待たされているという状況でどのくらい経過したらイライラ!っとしてくるのか。目を開けていると他の参加者の判断につられるケースも多いので、全員目を閉じて、挙手でタイミングを知らせる仕掛けです。

事務局サイドはストップウォッチを横目で睨みつつ、手の挙がった時間、人数を記録してゆきます。過去のデータを基にすれば、最初のイラッ!は約30秒後に、そこから10秒ほど経過すれば多くの方の手が挙がることになります。
取次ぎにおける保留音の長さに何か、配慮のものさしはお持ちでしょうか?

2007年3月6日火曜日

備えあればの心使い

名指し人の名前を伺う時に意識しておきたいのは、社内に同じ姓の方が複数いる場合の対処方法です。鈴木さんや田中さんをはじめとして、よくある姓の場合はお目当ての本人に正確に取り次ぐためのちょっとした工夫が必要です。

『申し訳ございません。鈴木は2人おりますが、どちらの鈴木でしょうか?』などというのは一見、言葉使い的には丁寧で、きちんとした応対に思われがちですが、実は不親切な対応の典型ではないでしょうか。

しかもこの言い方において、わずかでも声に冷たさを含んでいたりしたら、うるさ型の顧客ならずともクレームの種になり、芽が出るのも時間の問題です。

相互の関係性にもよりますが、もしこちらがお客さんの立場であればまちがいなく『私の担当をなさっている鈴木さんをお願いします』とムッとしながら言い返してしまいそうです。良識溢れる立派な大人はそんな意地悪いことをしないものですが、言い方によってはそんな展開も見え隠れする対応といえます。

こういう場合のためにあらかじめ名指し人特定のための相手が応えやすい質問の仕方をいくつか用意しておきたいものです。

たとえば、『申し訳ございません、鈴木は2人おりますが営業の鈴木でよろしいでしょうか?』であったり、『鈴木○○でしょうか?』と姓名で訊ねかえしたり、あるいは『男性の鈴木でしょうか?』と性別も便利、はたまたもう少しフランクに『めがねをかけている鈴木でしょうか?』といった特徴をふまえたものなど、いろいろあります。

電話を掛ける側からすればそちらに鈴木さんが何人いるのかなんて知ったことじゃない!という当たり前の前提に立てていれば、そうした事前準備を怠ることはありませんが、さて実態は如何でしょうか?

『我が社には同姓はいなから、よかった、助かった』ではなく、こうした事態は一時が万事の体質や姿勢に関わる重要な課題として認識したいですね。

2007年3月5日月曜日

名指し人の尋ね方

滑らかな<電話の取次ぎ>のポイントは①掛けてきた相手の名前を確認する。②誰に繋げばよいのかを確認する、簡単に言えばこの2つです。

そこで一般的な電話のやり取りとしてその流れをまとめてみますと、

<受け手>おはようございます。ウエダ本社の松本と申します。
<かけ手>おはようございます。ABC商事の片山と申します。
恐れ入りますが営業の田中さんはいらっしゃいますか?
<受け手>片山様でいらっしゃいますね。いつもお世話になっております。
只今、営業の田中に代わります。少しお待ちくださいませ。
と言う感じで、実にスムーズに感じよく取り次ぐことが出来ます。

ところが時々、ご自分の名前ははっきりと名乗ってくださったけれど、この電話を<誰に取り次げばよいのか>をおっしゃらない場合があります。

たとえば、それはとても懇意な間柄でほとんど毎日のようにその担当者に連絡を下さっているので、名前さえ名乗れば自動的に電話をその担当者に繋いでもらえると思っておられる場合であったりします。

あるいはそのお店や企業に対して、ご自身が上得意客として社内に完全認知されていると自覚されている場合もあります。はたまた直近で込み入ったやり取りがあって、頻繁に連絡を取り合っているのでいちいち名指しせずとも名乗るだけで用件がわかるだろうというような場合も想定されます。

実際にこれらが出現する状況は様々ですが、名乗ったきりで相手が沈黙してしまうというケースでは次のような定番フレーズで名指し人を聞きだします。

まず、挨拶の言葉を『○○様、いつもありがとうございます。または(お世話になっております)あるいは慣用句として(いつもお世話様です)』
『恐れ入りますが、本日はどのものにおつなぎ致しましょうか?』
あるいは『失礼ですが担当者の名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?』
もう少し簡単に『恐れ入ります、担当者の名前をお聞かせ頂けますか?』

2007年3月4日日曜日

ナチュラルダイエット(著者:ハーヴィー・ダイアモンド)

タイトル:ナチュラルダイエット
著者:ハーヴィー・ダイアモンド
初版:2004年4月(2005年6月第5刷発行)
出版社:ディスカバー
1、200円(税抜)

まるで春到来のような陽気の中、ウオーキングがてら、本の買出しがてら、気分転換がてら、一石何鳥もの捕獲を目指して御池界隈をふらついて参りました。

花粉対策としての帽子、マスクが大前提のため、この時期はあきらかに装いのテンションも偏りがちですが、10分も歩かぬうちに額に汗がじわじわと浮かび、マスクの内側もさながら蒸し器の様相。なんともビックリの暑さです。

来週の今日は第14回目を迎える<京都シティハーフマラソン>ですが、過去に遭遇した雪やみぞれなどの悪天候ではなく、今年はランナーにとっては思いがけず、暑さ対策が問われることになりそうな勢いです。

私事ではありますが、遠い昔、部活は団体競技と決めていた両親の思惑に染まりたくない一心とたまたま見かけたかっこいい先輩の走る姿に憧れて、中学時代から陸上部一筋。そのおかげで社会人になってからも定期的なブランクはあるものの断続的に走るということに向き合ってきました。
なので、ホノルルも那覇マラソンもミハーながら、完走しちゃっております。

とりわけ京都シティハーフマラソンはその頃、最も良く走っていた時期でもあり、第一回大会から見事に完走を果たし、なんだかんだ言いながら、たしか第10回大会までは毎年、連続出場しておりました。

但し、最後の2大会あたりは練習不足と花粉症の二重苦から2時間完走がとても困難になり、ここ数年は走ることから遠ざかっております。
ただ、これまでの人生パターンを眺めますとそろそろ走ることにまたもや目覚めそうなタイミングでもあり、そのための絶対条件は体重減。目標は3キロ。

2007年3月3日土曜日

価値観、価値感

今日は3月3日<ひな祭り>ですね。例年ならばこのあたりから目や鼻がムズムズし始めて、今年もまた花粉症の始まりとなりますが、今年はすでにもう真っ盛り。昨日今日あたりは相当な量の飛散を体中が認知しております。

さて毎年、<ひな祭り>を迎えるたびに思い出すのは実家の母の台詞です。
それはまるで呪文のように幼い頃から聞かされ続けた言葉でした。

いわく『お雛さんの飾りつけは早くから始めて、お祭りが済んだら即、片付けないとお嫁さんにいけなくなるよ』という迫力満点の脅しでした。
これってどこのご家庭でも通用するフレーズなのでしょうか?

大きくなったらお嫁さんになるのが普通の夢の代表格であった時代だけに、子供心にも強烈な印象と不思議な説得力で胸にシカと刻み込まれた言葉です。

おかげさまで私も妹も無事早くに結婚しましたので、母的には「でしょ!」みたいな風情がチラホラ。それにしても脅迫観念を植え付けるようなスタイルの躾は如何なものかと大人になってから時に批判的に眺めた時期もありました。

しかし当の本人は【だって、昔からそういうの。私が言い出したわけじゃない】とどこ吹く風。迷信と笑い飛ばすならお好きにどうぞ、という姿勢をいっさい崩さない。根拠のあやふやさとそれに反比例する凛とした価値観の圧勝です。

どうやら近頃ではそういうことを言いながら、実は子育てのストレスを上手に発散をしていたのではないかとあらためて想うようになり始めています。

日々の暮らしや折々の行事の中で育まれてゆくささやかな価値観にもその人ならではの視点がしっかりと息づいています。そういえば、最近はこの文字を価値感と書く人が圧倒的に多いらしいですね。とりわけ若年層ほどそうらしい。
私も実は価値感と長年書き間違えておりました。

つい最近、この間違いに気付きましたがなぜかしら機嫌の良い春の宵です。

2007年3月2日金曜日

名乗るということ

名前を名乗るということにおいて、ビジネス電話の場合は社名、氏名がセットとなる場合が一般的です。たとえば『ABC商事の片山です』という具合に。

ところが実際にはどちらか片方だけしか名乗られない場合も多くあります。
もし、社名だけしか名乗られない場合には<だれか>をはっきりさせるために『失礼ですが、ABC商事のどちら様でいらっしゃいますか?』と尋ねます。

反対に『片山です』と名前しか名乗られない場合には<どちらの>ということを尋ねることになります。この場合の定番の聞き方としては、すでに名乗って頂いているお名前を軸にしながら『恐れ入ります、どちらの片山様でいらっしゃいますか』というのが基本形として無難かつ便利です。

ただ最近の時流傾向としてはまさに2007年度問題を背景に、『どちらの』という部分が非常にナーバスな雰囲気を漂わす問いかけでもあります。

かくいう私自身もサラリーマンからフリーになって戸惑ったことのひとつがまさにこの『どちらの水谷様ですか?』と聞かれる瞬間でした。
あまりにも長く社名、氏名をセットで名乗る癖がついていたからでしょうが、思わず何と答えてよいのか、頭の中が真っ白になり、咄嗟の言葉が出せずに気付いたら「上京区の水谷です」と言っておりました。

あらためて個人としての存在価値への戸惑いを認識した瞬間でもあり、それは個人名だけでは通用しないのかという実に素朴な疑問の芽生えでもありました。

定年退職をされた方のみならず、多種多様な人生ステージにしっかりと向き合ってみれば、<どちらの?>という視点そのものへの不可解さが俄かにクローズアップされます。そこには電話応対研修で長年慣れ親しんできた<慣用句>発想の大元を見直すタイミングも示唆されているようです。

名前しか名乗らない相手に<どちらの?>と尋ねることがどれほどの意味を持つのか。こうした新たな課題に向き合えるこの瞬間のラッキーに深い感謝を!

2007年3月1日木曜日

聞き耳効果

巷に蔓延するおかしな敬語やその使い方がそこかしこに散見されつつ、一向に改善軌道にギアチェンジできない理由のひとつはそのときその場の現行犯摘発型指導が徹底できないからではないかとかねてより睨んでおります。

その意味で職場の<聞き耳習慣>は相互点検機能として、思いのほか実践的かつ効果的なので、この際、気合を入れて取り組んでみませんか?

しかも今日から、新しい月なので、タイミングとしてはバッチリです。
そうすることで、春4月に新入社員を迎える頃になってあわてて俄か繕いの建て直しに悪戦苦闘することもなくなりそうで、まさに一石二鳥の挑戦かも。

ちなみにここ数年でやたら増殖中の気配が濃厚なものとして、電話応対にまつわる気がかりな物言いがあります。それは自分の名前の名乗り方です。

つい先日も大手旅行社を訪ねた折、カウンター越しに航空会社とチケットのやり取りをしてくれた若い男性担当者が電話の最後に『私、○○と申しました』と名乗るのをこの耳ではっきりと聞きました。

実はすでに同様の光景を何度か体験しておりますので、衝撃はさほどでもありませんでしたが、初めてこれを耳にしたときには『旧姓が○○さんだったの?じゃ、今はなんてお名前なの?』と思わず訊ね返してしまいました。

しかし本人が言わんとしているのは、そういうことではなくて『私は○○と申します。只今の件、確かに○○が承りました』ということのようです。

これっていうまでもなく、完全な間違いですが、そういう事態にかなりの大手旅行社でも気付けない体質、すなわちそういう職場環境こそが問題ではないでしょうか?多くの良識あるお客様はこうしたあまりにもお粗末な事態に口をあんぐりさせながら、つける薬はないわ!と早々に接点放棄を決め込むか。
とにかく関わりあいにはなるまいと知らん顔を決め込むか。

電話応対のみならず、職場での相互点検機能の構築が如何に重要で急務かをこの一例を持ってお気づき頂ければと切に願う次第です。