2007年9月30日日曜日

丸山敏雄伝(著者:丸山敏雄伝)

タイトル:丸山敏雄伝
著者:丸山敏雄
出版社:近代出版社
1、500円(税抜)

人にはそれぞれ何某かの取り柄があるものです。

たとえば、手先が器用だったり、歌が上手かったり、片づけが手際よかったり、料理が上手い、字が達者も取り柄なら、お人好しとか、涙もろい、
あるいは世話好きや面倒見が良い、等もしっかりとその範疇でしょうか。

幼い頃から人懐こいなんていうのは実に羨ましい限りの取り柄ですね。

さて、こう考えてみれば、取り柄というのはいわゆる性格的な長所、短所とは異なり、どちらかといえば能力的な得手不得手に近いものを言うのでしょうか。

しかし、それは後天的に努力に努力を重ねて獲得したという美談とは程遠く、なんとなく気がついたら、いつのまにか出来た!とか、そもそもハナから、
そこそこ出来ちゃいます!みたいないい加減さの香りが俄然、付きまといます。

とすれば、誰もが一つや二つくらいは持っていそうな取り柄は、やがて
持って生まれた才能と呼ばれるような素晴らしさへの萌芽なのかもしれません。

となれば、取り柄と言っても、たいしたことじゃない等と謙遜して
自らの可能性や価値に思いがけず、つまらぬ低い評価を下すことや、
うかうかといわれなき、その評価に甘んじていること自体が
大いに問題と気付かなくてはならないのかも知れません。

自らの価値にしっかりと向き合い、人間としてよく生きる価値に目覚めることはつまるところ幸せな人生を送る秘訣に違いありません。

その秘訣を日々の行動として実践し、語り続けた丸山敏雄氏の1冊を
本日はご紹介いたします。

ちなみに、ご自身の取り柄にはどんなものがありますか?

2007年9月29日土曜日

耳にも心にも届く言葉

ようやく朝晩だけでなく、全体的に清々しい秋の気配が漂い始め、
おかげさまで寝つきもよければ、寝覚めも実にさわやかな頃合いを迎えました。
加えて、とても嬉しいことに今日はお休みです。

しかも火急の消化課題がすぐそばで、睨みを利かせていないことが、
とてつもない解放感をもたらしてくれる心地よい休日です。

そしてこの間、かなりのお気に入りでほぼ全放映をクリア。数えるほどしか、
見逃さなかったNHKの朝ドラ・<どんと晴れ>の最終回の朝でした。

盛岡の老舗旅館を舞台にここに嫁いだ、若女将奮闘記はいかにも
ありがちなストーリー展開ながらも、民話の座敷童を巧みにからませながら
今時ならではの外資の乗っ取り劇を最後の山場に盛り込み、あわやというところで若女将の人徳が老舗旅館存続の決め手になり、見事なハッピーエンド。

さて、登場人物の中でも、立派な東北弁の使い手はなぜか限られていましたが、
この言葉がなんとも耳に心地よく、実に温かくて素晴らしい。

いえ、厳密に申せば、東北弁に限らず、その地方ならではの訛りというか、
言葉とそのイントネーションにはどうも理屈を超えた包容力のような
柔らかさと親しみやすさとそして不思議な懐かしさがありはしませんか?

毎朝、そんな言葉に触れて癒し効果!を楽しんでいたのかも知れません。

そういえば、いつ頃でしょうか。朝日新聞のコラム<CM天気図>で
天野祐吉さんが、交通標語は地方の言葉のほうが説得力が大きい!として
紹介されていたものを読んで以来、とても気に入っています。
それは<飲んだら乗るな!飲むなら乗るな!なんぼ言ったらわがるんだ>

耳にも心にもスンナリ届く、そんな言葉の使い方へのヒントがどうも
このあたりにしっかり隠れていそうです。

2007年9月28日金曜日

優良品種の種

個人的スケールに照らせば、今月最後の仕事が本日、無事完了し
正直ホッと胸を撫で下ろしております。
なぜかと申しますと、今月は個人史的に見て、近来、稀に見る絶不調続きで
気力体力共に底辺を這いずり回った観があるからです。

振り返ってみれば、1日は恒例のゴルフの決勝大会で勢いよく始まりました。
ところがその直後から波乱含みの減速モードで、連日の体調不調。

基本は何があっても元気、ご機嫌の信条が人知れず、不安に揺らぎ、
いささか生命力の衰えを感じるような日々でもありました。

その生命力の源でもある体力にはそもそも2種類があります。

ひとつは<行動体力>と呼ばれるもので、たとえば、走るのが早いとか、
力が強いとか、見よう見まねですぐに何でもできるようになるとか。
俗に言う運動神経が発達しているのはこちらになります。

もうひとつは<防衛体力>と呼ばれるもので、たとえば風邪を引きにくい。
怪我をしにくい。あるいは筋肉痛が起こりにくい、マメなどが出来にくい、
仮に出来ても治りやすいなど、元来が身体が丈夫という方向性です。

個人的特性は明らかに後者であり、なんだかんだ言いながら、丈夫です。
そして事実はどうあれ、そう信じてきました。

ところが、どうやら今月はその信念を誰あろう自分自身が疑い、
勝手に取り越し苦労をしていたことに今朝、ようやく気付きました。

それにしても良くないイメージは良くない現実をこうも見事に容易く
実現させることを改めて体感し、おかげさまでラッキーの種を確信しました。
誰にナント言われようと良い想像しかしない!これぞ、優良品種の種です。

2007年9月26日水曜日

月明かりに見惚れて

有り難いことに私の自宅オフィスはフト、ベランダ側に目をやれば、
東の空が広がり、今この時間にあっては実に見事な満月が眺められます。

おかげで日が暮れて仲秋の名月がお出ましになって以降は、ついボンヤリと
見惚れては、ハッと我に返ってパソコンに向かい、またしばらくすると
ぼんやりと空を見上げる、そんな悠長な時間を今宵は楽しんでおります。

それにしても秋のお月さんというのはつくづく良いものですね。

昼日中の残暑を一気に忘れさせてくれる快適な気温に
耳に心地よい虫の音の絶え間ない合唱。そのロケーションに浮かぶ名月。
秋の役者が揃いました!と言わんばかりの風情がたまりません。

おかげさまで、この夏に丸10年を迎えた我が家を建てたときの目玉のひとつはそんなお月見のためにちょっと広めに工夫した東南のベランダです。

この時期限定企画として、出始めたばかりの秋の食材を七輪であぶりつつ、
名月に照らされつつ、時には家人と気分を変えての夕食。

時には友人たちを招いての月見の小宴風で、ちびりちびりと杯を傾ける、
そんな贅沢な願いを叶えてくれる今こそが絶好のタイミングです。

もちろん、時にはせっかく満月がどしゃ降りの雨のために拝めず、散々な目にあったこともありましたがそれはそれで記憶に残る愉快な思い出です。

問題はその企画すら立てられず、この瞬間を迎えてしまった今年度の状況です。
そしてその努力不足を咎めるでもなく、ただ、ただ、見事な満月。

何かというと責任転嫁で反省のかけらもない昨今の風潮にまみれぬよう、
良くも悪くも謙虚に努力不足を反省して、楽しい日々の設計にも努力を
怠るまいとしみじみ思える月明かり、やっぱり秋はいいものです。

2007年9月24日月曜日

自由業、考察

今日までお休み?今日から仕事?はその企業の業種やら年間休日との関係で
様々であり、案外、今日はもう仕事です!という方々も多くいらっしゃいます。

反対にそもそも3連休自体が仕事ですから!という方も最近は周りに増え、
それはそれで混み合わない時期に休暇の取れるメリットが魅力のパターンです。

今日までの3連休をはずして、明日からお休み!で値段も安い北海道まで
ゴルフに行ってきます!なんてのは明らかに後者組でしょうが、
働き方や休み方のバリエーションが多岐に亘れば、いろいろな場所の混み合い方を分散化できて、年間を通してバランスのよい収支にもなるのでしょうか?

かくいう当方は今では完全に独自のワークスタイルが育まれつつある最中で、
それはかつてのサラリーマン時代とは明らかに異なる様子で
着実に新しい模様を日々の有り様の中で紡ぎ始めてくれております。

そしてそれは平たく申せば、仕事のある日が働く日であり、その準備に勤しむ日も同様に働かなくてはならない日。そしてそれ以外が休日という按配です。

故にある意味、メチャ不規則でもあります。
つまり何某かの法則性がそこには非常に見つけにくく、
俗に言う世間のカレンダーとは違う流れの中に漂い始めた観が
ともすれば不安でもあります。

もちろんソレこそが自由業!の自由たる所以であり、実は密かに長い間、
憧れ続けたスタイルではあるのですが、なかなかどうして
そう簡単にしっくりとなじむはずもなく、依然、借りてきた猫状態は
我ながら可愛くもあれば、なんともじれったくもあります。

どうやら、自由であるということの清々しさと背中合わせの責任の重さに
やっと気付いたということでしょうか。カレンダーに照らせば満月は明日?
仲秋の名月は拝めそうもない今宵、遅ればせながらの考察まで。

2007年9月23日日曜日

ホンモノの日本語を話していますか?(著者:金田一春彦)

タイトル:ホンモノの日本語を話していますか?
著者:金田一春彦(故)
出版社:角川書店(新書レーベル)
571円(税抜)

残暑厳しいとは言いつつ、なんとなく嬉しい気分の三連休続きの初秋です。
遅めの夏休み消化もこのあたりまでが最後のチャンスでしょうか。

さて、そんな中、昨日、ろぶさんが写真でご紹介くださった通り、町内の梨木神社さんでは恒例の萩祭りが今年もまた静かに厳かに執り行われています。

昨日、本日共に雅楽の音が寺町通りを越えて我が家にも届けられ、
せっかくの休日なのに、パソコンに向かいっぱなしの殺伐とした気分をスーッと部屋毎、洗い清めていただけるような味わいにひたすら感謝しております。

毎年の事ながら、まだ残暑の風情のほうが強いこの時期に、秋を誘い出すかのような境内では、真夏から咲き始めた萩が最後の見せ場を迎えています。

その色とりどりに咲き誇る萩に揺れる沢山の短冊とそこに詠まれた思いの歌はしばし、日常の喧騒を忘れさせてくれる風情にも溢れています。

なのに、なのに、どういう訳か、毎年、はっきりいって相当、人出の少ないことも特徴のひとつに数えたくなるようなお祭りでもあります。

そもそも知名度が低いのか、足の便が悪いのか、はたまたイベント性に
乏しいのか、あるいは何某かの行楽シーズンに邪魔される宿命のタイミングなのか。どう贔屓目に見ても町内行事の域をでないような有様です。

実はこの数日間は境内の人気スポット、染井の名水が汲めないことになっていますが、もしかしたらそれが原因なのでしょうか。
ごく普通の日のほうが、絶対集客力があるように思えてなりません。

さて、いつもより違法駐車の少ない窓越しの景色をそんな気分で眺めながら、掃除のかたわら、見つけたなつかしい1冊をご紹介します。

2007年9月22日土曜日

誠実、不誠実

いつの頃からか、年を重ねれば、どんどん穏やかになり、めったなことでは
怒らなくなるのだろうと長い間、信じてきました。

それはありとあらゆる物事に対しての思慮分別が深まり、些細なことには動じない懐の深さは経験を重要な糧として育まれるものと思っていたからです。

が、しかし本当のところはどうなのでしょうか?
どうも年齢だけが頼りの綱ではないことをあらためて痛感する週末です。

その理由は日々、こんなにも分別に溢れた穏やかさの獲得を目指しているのに、
それが木っ端微塵に吹き飛ばされるような、実に大人気ない怒り爆発の事態に遭遇し、まだまだと未熟極まりないと思い知らされたからです。情けない。

海より深い反省の傍ら、山より高くあれと願う自身の志に照らしてみれば、
頑として譲れずない厳しさの貫徹にも強い憧れがあるせいかもしれません。

とりわけ、仕事を共にする仲間に対しては良い仕事をしたいという
素朴で純粋な期待がそれを増大させるきらいはたしかに濃厚です。

しかし、完成度の高い仕事を目指す以上、プロセスもまた万全であらねばならず、そこにかける情熱や時間は量ではなく質こそが問われるはずです。
但し、それは決して仕事の出来不出来を問うのではなく、
はたまたその優劣でもなく、もっと根本的な姿勢の質への願いなのです。

それは何であれ、今、与えられた仕事に真剣に向き合う誠実さへの期待です。
しかも、誠実か不誠実かは理屈を超えて伝わるものだからこそ、
断じて見逃すわけにはゆかない代物であり、言葉は説得力を失速させます。

本心の不誠実さを上辺の言葉でごまかせても、そんなことには価値のないことを怒りでしか伝えられない能力の限界。それを言葉にして伝えきれない限界。強い痛みを伴う、この実態把握を言葉の道場の鍛錬課題に心して掲げます。

2007年9月21日金曜日

悟りの極意

何事によらず、出来ない理由の筆頭はなんと言っても<忙しい>という事情に尽きるのでしょうか。はたから拝見している限りはどう贔屓目に見ても段取りが悪いだけだったり。先送りにした結果、余計な手数が増えたせいだったりというようにしか思えない場合も当の本人はそうは思わないのが世間の相場です。

かくいう私自身も人には言うまいと相当、覚悟を決めていても、何かの不手際やご無沙汰の理由を気がついたら忙しさのせいにしていたりします。

さらにこのあたりの事情が知識としてしっかり備わっている場合、ことが進捗しない状況への言い訳は単に忙しいの一点張りではなく、<やる気はあるのですが、時間がなくて>という具合に微妙に変化してゆくことになります。

ただし、どう取り繕ってみても、仮にその言い分の精度が100点満点の
レベルであっても所詮、言い訳は言い訳。このことをわきまえていないと
相当聞き苦しく、言えば言うほど価値を下げることになってゆきます。

それは簡単な約束ひとつも守れないのに、まわりが自分を信頼してくれない!と嘆く愚かさが、せいぜい20代前半までにだけ許される特権であるように。

しかもそれはやがて社会の常識という大きな壁にぶちあったってきちんと自らを律する方向に修正される前提で容認されるべき特権でしかないように。

どんな場合も事実は、厳然とそこにあり、それを変えるのは行動のみです。

さて、永平寺の管長によれば、『悟り』とは
『毎日、同じ時間に同じことをすること』だそうです。

それは人が見ていようがいまいが、自らのために行う大切な何かであって、
そうである以上は何事にも優先して、あるいは必ず取り組まねば成らない何かであるはずです。そしてそれを継続して獲得する成果とその継続そのものから育まれる自信という価値だけがラッキーにも悟りという頂への道筋を示唆してくれるようです。毎日、欠かさずにしていることは何ですか?

2007年9月20日木曜日

見慣れた光景の別の姿

我が家の市内移動手段は多岐に亘ります。
季節の良いときはトレーニングを兼ねて歩く!時間優先時は地下鉄、私鉄。
あるいは自宅から最も近いバス停から市バスで観光気分まで。

しかし、この夏の猛暑のせいで最近はタクシーにお世話になりっぱなし。
習慣とは恐ろしいもので、毎日、続くとそれが当たり前に思えてきます。

梅雨の頃までなら徒歩でしか移動しなかった近隣にもタクシー。
ちょっと荷物がかさばるとタクシー。時間がないからとタクシー。

歩く理由も歩かない理由も実に都合よく生み出されるものです。

そんな怠惰な習慣を反省した本日は久々にバス復活の吉日と相成りました。

このけなげな決意とその実践へのご褒美のように、いつもなら見逃していた
市バスならではの光景の中にちょっと楽しい発見がありました。
それは車内での<両替要請>への乗客の反応です。

よくある光景ながら、乗客が1万円札を出したらおつりがないという事態です。

いつものように運転手さんのマイク越しの声が『どなたか1万円札、両替していただける方はいらっしゃいませんか?』と尋ねてきます。

その言い方はたいてい不鮮明で、うっかりしていれば聞き逃しそうなアナウンスです。ところが不思議なことに車中の大半の乗客がきちんと反応しています。

ごそごそと財布を取り出して中身を確認したり、あったかな?と首をかしげて頭の中で点検している様子だったり。動きは人様々ですが、瞬間、車中には
とても見事に見知らぬ誰かの窮地を救え!という温かな空気が醸成されました。

見慣れた光景の中に別の何かを見た本日はなんだかとても得した気分です。

2007年9月19日水曜日

ビックリの連続

先週、前半の東京出張では研修会のほかに商談の予定があり、久々に五反田
エリアに出向いて、およそ2時間ほど滞在しておりました。

その帰り道、五反田駅に向かう道すがら、突然!『オミズ!』と実に懐かしい呼び方で、しかもやけに懐かしい声が耳に飛び込んできました。
声のほうに顔を向けてビックリ。通りに面した大きなビルの入り口になんとも懐かしい先輩の昔と変わらぬ姿がありました。

サラリーマン時代にとても親しくさせて頂きながら、最後は諸般の事情で送別会もままならぬまま、疎遠になってしまっていた先輩との偶然の再会の瞬間。そのビルが勤務先だそうで、事実は小説より奇なりとはまさにこのことです。

いかに狭い島国とは言いながら、この広い大都会の東京でこんなふうに巡り会うなんて、よほどのご縁としかいいようがありません。ゾクゾクしちゃいます。

さて、数日後、再び訪ねた東京で今度は家人とその友人の3人で
神田のとあるお鮨屋さんにお邪魔しておりました。
こちらは帝国劇場にその分店がある老舗、しかも美人女将。しかも美味しい。

威勢の良い板さんの見事な手さばきは江戸の情緒たっぷり。
芸能人御用達の様子は至る所に飾られた女将さんとの記念写真の語る通り。
この日は元関脇の寺尾さんが若いお相撲さんとご一緒にすぐそばで
勢いよく召し上がっていらっしゃいました。

翌日、我が家に戻り、またもやビックリ。
京都の四条烏丸勤務だった後輩が、神保町の三菱東京UFJに転勤しました!という挨拶状が目に留まったからです。なんと、前夜のお鮨屋さんとは目と鼻の先の位置関係です。これまた何やらえもいわれぬご縁を感じる次第です。

こういう不思議な何かの意味の謎解きにはもってこいの秋らしい夜です。

2007年9月18日火曜日

勇気を持って告白

先日、初対面のある方から『実物はソフトですね』と意味不明ながらも
どうも<ほめ言葉?>と思えるようなフレーズをつぶやくように頂戴しました。
直感的な嬉しさの余り、『何がですか?』と問い質しましたところ、写真より実物の方がソフトであるというお褒めの言葉と判明致しました。

さて遡る事、約一月。同様に初おめもじの紳士から『写真よりはずっとステキですよ!』とこちらはまちがいなく<ほめ言葉>を頂きました。

何のことかと申しますと、実はこのブログの本人顔写真のことです。

勇気を持って告白いたしますが、ブログスタート以来、1度も変更なしの
顔写真は自分ではなかなか賢そうで良い!と思い込んでおります。

加えて、さらに勇気を持って告白するならば、変更の仕方がわかっていないという非常に低い次元の原因も抱えてはおります。

ところが一部のご高説によりますと、実物の方が素晴らしいらしいのです。
これはもう驚き以外の何物でもなく、本人もビックリ仰天の事態です。
もしかしたらいつのまにか、美しく進化したのではあるまいかと
まじまじと鏡を見つめたりも致しましたが、真実はさておき、
写真は変えたほうが良いということだけが結論のようであります。

ついでに更なる勇気を持って告白いたしますが、もうひとつ、ビックリ仰天したことがあります。それは<メッセージ>なるものの存在をまったく知らず、つい最近になって、それを知ったことです。

お恥ずかしい限りですが、メッセージとして温かな励ましの声をお届けくださっていた方々にこの場を借りて深くお詫び申し上げます。

知っていることより知らないことの方が多いのは人生、究極の真理ですが、
あまりにも低次元ですと顔が上げづらいのも究極の心理です。
顔写真の変更もほとぼりの冷めた頃合にこっそり衣替えを企みます。

2007年9月17日月曜日

一流の証

サラリーマン時代には毎週、東京。あるいは数日おきに東京往復も決してめずらしくなく、そのおかげで都内の一流と称されるホテルにもけっこうお世話になり、たしかにその都度、出張規定以外の自己負担はかさむものの、それには代えられないほどの貴重で有意義な沢山の経験をさせて頂きました。

そんな一頃を懐かしく思い出すような先週の状況。週末にかけての2泊は穏やかな環境での体力温存を最優先に考え、加えておもてなし力の定点観測的な意味合いも兼ねて、老舗のホテルオークラに半年振りでお世話になりました。

幸い、ちょうど同じタイミングに東京での所用が生じた家人と2人だったせいもあり、一仕事終えた夕刻からホテル内のショッピングアーケードを眺めてまわり、そのままどこにも出掛けずに、ホテルの中のレストランでの夕食は
ある意味、ずい分久しぶりの体験でもありました。

東京に限らず、ビジネス出張でのホテルライフは眠るための空間重視になりがちで、パブリックスペースの醍醐味はせいぜいが朝食時くらいでしょうか。

それだけにプライオリティはリゾートホテルのソレとは異なり、基本的に
移動における便利さとある程度のクオリティが保障されていれば、安いに越したことはないという選択肢が上位に浮上することになります。

が、しかし仕事柄、話題のホテルやそのおもてなしの実体験も非常に
重要なテーマであり、日本を代表する老舗、一流ホテルはもとより、都内に
目白押しの外資系高級ホテルにも、バランスよく、お世話になりながら、
サービスのあり方の熱心な観察者であり、探求者でいたいと願っています。

さて、ホテル内での夕食時。いつもに比べてやや酒量を控えた分、余りそうになったワインボトルを、部屋に持ち帰っても良い?と悪気なく、若いウエイターに尋ねてみると即座に「はい」と実にさわやかなお返事を頂きました。

その笑顔と声は当たり前の対応ひとつも、こんなにも感じ良く、清々しく供することが出来るという、一流の証そのもの。良い気分までもご馳走様でした!

2007年9月16日日曜日

カンブリア宮殿

タイトル:カンブリア宮殿
出版社:日本経済新聞社
1、600円(税抜)

自宅のパソコンに向き合うこと自体が、時間的に不可能だった1週間が
なんとか無事に終了し、昨晩、やっと我が家に戻ってまいりました。

おかげさまで連日の研修モードも結果的にはたのしく有意義に取り組ませて
頂きましたが、今回は出足からかなり体調的に不調モードであったため、
関係各位には、ずい分、ご心配やらご迷惑をおかけしてしまいました。

それにしても7日間連続、点滴のような高価なドリンク剤の摂取と真剣な神頼みで、体調と元気のやりくりをしたのは今回が初めての体験でした。

振り返ってみれば、おそらくクーラー等による寝冷えが原因の初期の風邪症状での微熱、喉がれ、関節の痛みという顛末であったと判断していますが、仕事柄、あらためて体調管理の重要性と油断大敵を深く反省しております。

何はともあれ、その安堵感から、本日は久々に全身が見事に弛緩モード。

ようやく午後もかなり遅くなってから、パソコンを立ち上げ、おそるおそる
溜まっていたメールの点検に取り組みはじめました。

幸い、うろたえるような大事件メールもなく、返事の遅延を理由と共にお詫びすればお許しいただける案件ばかりでしたが、それに紛れて、ナント、若干名とはいえ、有志の方々から、ブログ更新、要請が届いておりました。

なんとも励ましのお言葉が嬉しい限り。この場を借りてお礼申し上げます。

気分、体調共にリハビリ中ということで、本日は先週、新幹線で読んだ中の
1冊をご紹介いたします。

テレビ東京系月曜午後10時から放映中の村上龍氏のトークライブ番組で、
日本を代表する経営者との対談記録です。

2007年9月9日日曜日

心を揺さぶる語り方(著者:一龍齋貞水)

タイトル:心を揺さぶる語り方
著者:一龍齋貞水<いちりゅうさい・ていすい>(重要無形文化財保持者)
初版:2007年8月10日
出版社:日本放送出版協会・生活人新書
700円(税抜)

曇り空ながら、休日のさわやかな朝です。おはようございます!!

さて、至って個人的なことながら、仕事柄、秋本番を迎え、今日から出張続きで、研修が集中するモードに元気良く、突入いたします。

前半は東京から静岡、一旦こちらに戻って大阪方面、そこからまたトンボ帰りのように東京に舞い戻るという慌しさも、実は内心、どこかでウキウキモードにしっかりと繋がっております。

その最大の理由はなんと言っても、数回に亘る、新幹線の往復の時間が
ゆったりした<読書タイム>として満喫できそうな可能性が高いからです。

もちろん、いつもはそんな悠長なことなど夢のまた夢で、新幹線乗車と共に
何かの原稿作成に追われたり、到着直後の何某かの準備のために一心不乱に
髪振り乱すような時間となってしまうことが大半です。

あるいは仕事が終わって、グッタリと熟睡モードが最優先されたり、
時には夏休みの家族連れ旅行気分の賑やかにそれさえも許してもらえず、
せいぜい週刊誌の斜め読みに貴重な数時間が搾取されることになったりと
思うに任せないのが昨今の出張事情です。

ところが今回は実に久々に、たのしい読書に充当できそうな幸せな予感です。

多少、荷物はかさばりますし、朝一の飛び込み案件の対応に、予定時刻の変更を余儀なくされましたが、それでも移動時間中の穏やかさは守れそうです。

さて、そんな本日、お薦めの1冊は読書の秋にふさわしく、
格調高い人間国宝の作品です。

2007年9月8日土曜日

挨拶言葉の使い分け

漠然とわかっているようでいて、あらためて問われると答えに困ってしまうことや、はっきりとした根拠もなく、なんとなくそうしているというようなことは平凡な日常の中で思っている以上に沢山、ありそうです。

昨日の<掃除の目的>もそのひとつなら、つい最近になって、思いがけず
気付かせて頂いたこととして<挨拶言葉の使い分け>があります。
ちなみに朝の挨拶の定番は何ですか?
おはよう!ですか?おはようございます!ですか?それとも混在型ですか?

個人的には家でも、仕事場でも概ね「おはようございます」。しかし、よく考えてみれば、かつてのサラリーマン時代の職場においては、同僚、部下、後輩、及びご近状や親戚の子ども達に対しては、「おはよう」と使い分けていました。

なぜ?と聞かれたら、なんとなく!と即答してしまいそうですが、やはり敬語として<ございます>の有無を相手によって使い分けていたように思います。

ところが先般、ある方から「私は誰に対しても、おはようございます!です」と伺いました。特にご近所の小さな子どもに対しても、親御さんに言うのと同様に、「おはようございます」と声をかけられるそうです。

その理由は、大人から「おはよう!」と声をかけられたら、子どもは子どもなりにどう答えればよいのかと悩むからというご意見でした。相手と同じように
「おはよう」と返してよいのか、「おはようございます」と言うべきなのか。

その点、大人からの物言いが「おはようございます」であれば、悩むことなく、この言葉が朝の挨拶の言葉として、自然に身につくはずとの見解でした。

相手によって言葉やその言い方を変えることの不自然さは、一方で美しい敬語文化の見事な醍醐味でもありますが、その使い分け根拠の曖昧さが時に微妙な快不快を生む可能性をはらんでいると考えるならば、いつ誰に対しても同じ言い方は言葉の鍛錬において思いのほかに重要なことかもしれません。

2007年9月7日金曜日

掃除の目的

おかげさまで今週末あたりから、さすがに秋のハイシーズンらしく、
いくつかの企業の研修会やら団体のセミナーなどが連続し、
絶対に身体を壊すわけにも、倒れるわけにもいかない状況にあります。

これは個人的にはとっても嬉しいことながら、その準備やら調整やらに追われ、
それでなくても日頃から片付かなさにおいては、人一倍課題の多い
我がデスク及びパソコンまわりはかなり見苦しく散らかり放題の有様です。

どうも昔から最も不得手な領域のひとつが<整理整頓>という課題であり、
いくつになっても如何ともしがたい頭の痛い状況がここに展開されています。

そういえば、サラリーマン時代に、雑多な資料が山積みで見るも無残な机の上を見咎めた、ある後輩から、冷ややかに質問されたことがあります。

その質問は<掃除の目的とは?>という非常に難易度の高い直球でした。

唐突な質問に戸惑いつつ、なんとかその場しのぎの賢い答えを模索したものの到底、思い浮かぶはずもなく、常日頃の思うままに率直に返球した答えは
<汚れたところをきれいにする>というものでした。

これを聞いた後輩はしばし呆れた顔をしつつ、でも穏やかに諭してくれました。

そもそも<掃除の目的とは>=<綺麗な状態を維持すること>なのだそうです。

つまり、汚くなったから綺麗にしましょう!ではなく、きれいな状態をいかにキープするか!この根本的な視点の違いこそが行動の差の大元であることに
大きな衝撃をもって気づかされた瞬間でした。

以来、行動を変えるためには、考え方を変えねばならないという大命題を、
ラッキーの真髄と心得えて精進しておりますが、ちっとも身についていない
実践力への鍛錬不足を深く濃く反省せざるを得ない週末です。

2007年9月4日火曜日

ほめ言葉の源

<成果をほめる>ということは、その成果に繋がる何某かの行動をしっかりと観察し、その価値を評価するという一連のプロセスがあり、結果だけを見て
ほめちゃおう!というような都合の良いものでは決してありません。

その意味では<ほめる>も<叱る>も労力は同じ。もっと冷静に見るならば、仕事の指示の段階から、手抜き厳禁の姿勢が問われることになります。

たとえば得意先への表敬訪問の手土産を準備するよう指示した場合、そもそもどのようなものがふさわしいのかというジャンルやら過去のリストやら、予算的なこと、季節的な配慮など、それなりの情報提供がなくてはなりません。

しかもそれを聞いている部下、後輩、担当者の顔つきを見ながら、理解度合いを斟酌することが指示する側の重大な責任でもあります。

期待したことがその通りに為されるか、成されないかは案外、この段階の手抜かり度合いに直結しています。なぜならば、解釈の違いもさることながら、大元の理解レベルにも相当な個人差があるからです。

新幹線の座席指定の手配ひとつも、慣れてくればあらかじめ第2、第3希望くらいは確認した上で対処するようになりますが、初めはそれすら難題です。

何時何分初の<のぞみ○号>の禁煙席!とだけ聞いて、駅まで行って、
満席でした!と舞い戻ってくるのは、よくある無駄足のパターンです。

それだけに指示段階でいくつかの代案を考え、用意できるならば、それなりの成果が見えてこようというものです。もしかすると、この見届けの有無こそが、労をねぎらう自然なほめ言葉の生みの親なのかも知れず、その意味でほめる力の源はゴールではなくスタートラインにあるのかもしれません。

「こんなこともできないのか」と叱らずに済む指導のヒントが、見えますか?

2007年9月3日月曜日

成果をほめる!

どうもこれだけ一気に涼しくなりますと、それはそれで戸惑うと申しますか、これもまた異常気象の為せる技なのかもしれませんが、うす曇の空になんだか秋の気配が非常に色濃く漂い、どこか困ったような複雑な面持ちになります。

とはいえ、永年お世話になった、ファッションアパレル業界や多くの流通業界では、季節の移り変わりは緩やかでない方が大いに有難く、これだけ潔くバトンタッチしてくれますと深い感謝に止まらず、自然と満面の笑みで温度計などに向かって褒め言葉を連発したくなるような嬉しい事態と拝察いたします。

ご承知の通り、そこかしこのデパートやショッピングセンターの衣替えは一般の生活気分よりは一足早く、ちょうどお盆休みあけくらいからは、順次、秋の演出に切り替えが始まり、夏物はもはやどこを探しても見当たらない様子です。

ところが通常は今頃はまだ秋とは名ばかり、当然ながら残暑も厳しく、秋物どころか、扇子もタオルハンカチも日傘も手放せない現実が往々にして9月の
下旬あたりまでは続くことになり、落ち着いた装いや新製品のディスプレイを
横目で眺めつつも、実売には遠く手の届かない我慢の日々となります。

つまり秋物商戦はあくまでも9月だから!という季節のイメージが何より最優先され、その先行モードと現実のアンバランスがお定まりの状況という次第。

ところがドッコイ、今年は現実と暦の滑らかな融合がかくも見事に展開され、勢い秋物の出足好調!という構図が予測され、その<成果>は幕を閉じて見なければわかりませんが、関係各位の期待は大きく膨らみそうです。

さて<ほめるコツ>は、まさにその<成果>をほめることでもあります。

何某かの具体的な行動がもたらしてくれた成果こそ、掛け値なしに賞賛に値するもの。『お蔭様で!』というねぎらいの言葉と共に必ずほめたい瞬間です。

2007年9月2日日曜日

あの有名人たちが成功した法則!(著者:來夢)

タイトル:あの有名人たちが成功した法則!
著者:來夢(らいむ) 
監修:神田昌典
出版社:大和書房(文庫)
648円(税抜)

個人的イベントとして恒例のゴルフの決勝大会が昨日、無事終了いたしました。結果はチーム2名の合計スコアが187で第12位という成績でした。

関係各位の皆様にこの場を借りて、ご報告申し上げます。
熱いご声援、そしてこれ以上の日焼けへのご心配等、ありがとうございました。

7月の予選大会の<スコア175>で、第3位通過という輝かしい戦績には及ばなかったものの、予選はレディスのティーグラウンドに対し、決勝はもう少し難易度アップのレギュラーティに時折バックティという設定のため、
冷静に考えてみて、まずまずの出来ではなかったかと思い返しております。

それにしても仕事の傍ら、いつも気がかり事項ナンバーワンとして
君臨していた課題が消化され、充足感と同じくらい寂しい気分になるのは、
すっかり秋らしくなった気温と弱々しげな蝉の鳴き声のせいでしょうか。

振り返れば、6年に及ぶ歴史の中で今回が1番良い成績を収めることが出来、
あらためて、応援してくれた家族やチームメイトに感謝、健康・体力に感謝、参加が出来た環境に感謝。それなりに頑張って練習とその時間捻出に悪戦苦闘した自身にも感謝。さらには記録的な猛暑の中を練習ラウンドに
おつきあいくださった皆々様に深く感謝いたします。

とはいえ、その感動の乾杯をお預けにしたまま、昨晩は夜の8時半から
とあるセミナーの仕事があり、我ながらタフな1日を無事、完遂した次第です。

何はともあれ、今年の夏も終わったぞ!気分の本日のお薦めの1冊。

細木先生の来年版もすでに発売されている中、ニアリーな路線ではありますが未来設計の比較検討素材として、お目通し頂くのも一興かと存じます。