2007年12月16日日曜日

千円札は拾うな!(著者:安田佳生)

タイトル:千円札は拾うな
著者:安田佳生(ワイキューブ代表)
初版:2006年1月(2007年11月20日第19刷発行)
出版社:サンマーク出版
1、200円(税抜)

この前、お世話になったのがいったい、いつのことだったのかを
思い出せないくらい長く訪ねていない眼科へ、重く腫れ上がった左目で
駆け込む事態になったのはちょうど1週間前のことでした。

診察の結果は何かの雑菌による炎症でしょう、ということで
目薬と抗生物質を頂き、日にち薬と覚悟を決めて様子を見ること数日。

お医者さんの言いつけを守り、おかげさまで日頃はなかなか実行できない
ノンアルコールの休肝日にもなりました。しかも幸い、仕事もオフ。

さて、完全に他人の風貌を呈していた目元がなんとかお化粧ができるほどに
回復したのは、外部との打ち合わせを予定していた水曜の朝のことでした。

よくもまぁ、こんなにタイミングよく修復するものだと我ながら感心しましたが
そういえば、風邪ひとつ引かないことで有名だったかつての上司が
お酒を飲むたびに自嘲気味に自慢していたことを思い出しました。
それは<風邪ひとつも見事に休みの日に引いて、なぜか仕事の日の朝には
治っているという体質>へのグチのような、感謝のような不思議な体験話。

いみじくもそれを地でいく境地を体感し、たしかにタイトロープな局面も
多かったこの1年の締めくくりにふさわしい気がして、年の瀬の大掃除を
お先に済ませたような妙に爽快な気分ではあります。

その、すっかりした回復した目で、この間に買い込んで
積み上げておいた書籍に眼を通したのはさらにその翌日の夕刻ですが、
本日ご紹介するのはそのとき最初に手にした1冊です。

久々に心の目が開くような新鮮な視点にちょっと嬉しくなる1冊です。

2007年12月8日土曜日

健康所感

今更ながら、罰当たり者!と自身を振り返る事柄の筆頭はサラリーマン時代に
会社で実施されていた年に1度の健康診断への受け止め方があります。

会社に入って間もない20代の記憶は「ひたすらメンドウ!」一辺倒。
特に当時は<健康診断>と<体力測定>がセットであり、自転車こぎの結果の
心拍測定などが結構ハードな分、イヤイヤモード全開で向き合っておりました。

さらに30代になっても、基本、逃げ腰モードは変わらず、若気の至りを
絵に描いたような愚かさで、毎年、ブツブツと文句を言いながら受診していた
ことがいつか天罰の対象にならぬよう密かに反省する日々です。

やがて、バリウムを飲まねばならない40代になると、少しは賢くなり、
会社の就業時間中にしかも社内で健康診断が受けられる有難さに目覚め、
加えて自身が忘れていてもちゃんと連絡して頂ける仕組みに感謝しつつ、
このあたりからはやっと模範的な受診者と自負できるようになりました。

そして独立して2年。今では自分で手配をしないと定期的な健康診断が
めぐり来ない環境の中、昨年は11月。今年は12月の初旬に無事、
身体の点検を済ませ、後は結果報告の到着を待つばかりです。

幸い、体調的に大きな変化もなく、これという問題もなさそうな様子に加え
気分的にも前向きである以上、おかげさまで元気!と胸を張れそうな年末です。

ちなみに<元気>の反対語は<病気>となりますが、これを英語で言うと
<病気>は<disease>、つまり、EASEでない状態のこととなります。

<at ease>は<寛ぐ・気楽にする>という意味ですから、身体的に
もし何某かの問題がっても、精神的に気分を寛がすことが出来れば、
<病気>には至らないという解釈になります。

<罹病はしても病気になるな!>という、かつての会社の創業者の名言が
あらためて深い意味を持つ言葉として心身に届く、50代の醍醐味です。

2007年11月30日金曜日

メンドウ、オーラ

今月、最終の研修会が昨日、無事終了し、東京から戻ってまいりました。
ちなみに東京の研修会場は恐れ多くも賢くも、なんと皇居を見下ろす
絶好のロケーションにあり、地上9階の上空から皇居の紅葉模様を
拝謁させて頂きながらの贅沢な2日間に亘る研修会となりました。

それにしても一気に初冬モードが漂う中、紅葉の盛りを前にしながら
散り急ぐ木々の気配に未練の残る今シーズの紅葉模様かもしれません。

さて、今回も前日の夕刻には東京入りし、別の打ち合わせ終了後は
お気に入りの東京駅界隈を大きな出張の荷物を持ちながら探索しておりました。

フト、気付いたら時刻はすっかり夜。あわてて晩御飯の算段をしながら、
いつのまにやら足は自然におなじみの場所に向かっておりました。
さて、選択肢としては①その辺で食べる。②宿泊先のホテルのレストランで
食べる。③ホテルの部屋で寛ぐためにお弁当とアルコール一式を買っていく!

ひとりで予定のない出張の夜のパターンは概ね、上記のいずれかですが今回は
人目を気にせず、俄然ダラダラと過ごせるお部屋でのんびり!を選択。

まずはおいしそうなお弁当をスンナリとゲットし、次は持ち運びが
重いけれども好みのお酒を選んで、いそいそレジカウンターへ向かいました。

さて、ここで真四角のお弁当の持ち運びが不便なため、お酒と共に紙袋に
まとめて欲しいとお願いしたところ、レジの女性スタッフの全身から
あからさまにメンドウだな!というオーラがほとばしりました。

しかも2つ並んだレジカウンターの隣で手持ち無沙汰で、
突っ立っている男性スタッフまでもがなぜかメンドウオーラを発散させます。

な、何、この対応は!忙しい最中ならいざ知らず、カウンターの客は
当方ひとりだけなのに。あまりにもビックリが先行したため、
何も言えなかったあの夜の不甲斐無さを反省しちゃう、11月最後の夜です。

2007年11月27日火曜日

不都合な「現実」

地球規模で注目すべき<不都合な真実>には遠く及ばないものの、
時折、不具合や不便に感じることがいくつかあります。
そのひとつが毎日、目にしない各紙、各様の新聞記事です。

我が家はなぜか、昔から朝日新聞。しかもなぜか朝刊だけを取っているので、
地元の話題に関してグンを抜く京都新聞や、仕事がらみで何かと話題に
上りやすい日経新聞の記事にはトンとご縁がなく、その意味では思いっきり無知です。

仕事柄、何紙も取った方が良いのだろうと思わなくもないのですが、
たった1紙すら、十分に眼を通せない日々の実態に照らすと決断が鈍ります。

さらにたった1紙。かつ朝刊だけでもその量はなかなか扱いに困る按配で
町内で決められた古紙回収のタイミングには相当な量が溜まっており、
ふうふう、言いながらその束を運ばなくてはならない有様です。

このため、過去に何度も新聞取扱店に提案し続けているのは
何らかの自主回収の仕組み構築です。
毎翌日とは言わないまでも、週に1回とか、回収してくれるなら
ナンボでも契約更新するから!とお願いしておりますが、
なぜかまったく聞き届けては頂けません。

そういえば、よく行くゴルフ場のレストランでも同じようなことがあります。
それはレストランの各テーブルに常設されている<ご意見カード>の実態です。

毎月、あまりにもメニューが変わらないのでよく行くメンバーさんは飽き飽き、
たまに行く当方にしても、もうちょっと工夫して欲しい!との願いを
<ご意見カード>に提案していますが、かつて1度も聞き入れて頂いたことがなく、
また何某かの返事が公示されたこともありません。

深刻化する<不都合な真実>に比べたら、私の身の回りの不都合はいたって
低次元ですが、快適な現実の創造に向け、願いを具現化する決意が待たれます。

2007年11月22日木曜日

KY

その場の空気が読めない人のことを<ケーワイ>というのだそうです。
ここのところ学校の授業を毎回、手助けしてくれている後輩から、先日
教えてもらいました。この後輩も高校生の姪っ子に教えてもらったそうです。

<ケーワイ>は<KY>のことで、つまりKは空気、Yは読めないの頭文字。

咄嗟にこの夏、阪神戦観戦の記憶が脳裏をかすめました。
めったに行かない甲子園球場を訪ねたのは、チケットを頂いたから。
おかげさまで元気いっぱいの阪神の応援を愉しませて頂く機会となりました。

ひときわ盛り上がる恒例の7回の攻防、阪神の攻撃開始と同時に沢山の風船が
宙を舞う光景のため、阪神サイドでは6回の攻撃終了後は
大人も子どもも男も女もとにかく風船の膨らまし準備に大わらわ。

それにしても相手の攻撃には全く関心のない様子もなかなか見事であり、
各回のそれは喫煙、トイレ等の離席タイムに充てられていました。
それが6回だけは風船準備!ハッキリ言って意気込みが違います。

ちなみにこのとき、初めて知りましたが、あの風船は意外に割れやすい代物で
膨らませている最中に、あちこちで威勢よくパン!と割れ、
そのたびに慣れていない当方はビックリしておりましたが、常連ファンは顔色一つ変えず、
ひたすら7回の応援準備に夢中の風情でいらっしゃいました。

さて、ツーアウトランナーなしの相手方攻撃は最後の打者を打ち取れば、
いよいよ風船が舞って、阪神の攻撃になります。
その瞬間を待って固唾を呑む阪神サイドの応援席。ところが最後の打者が粘ります。

とうとう阪神ファンの間から「空気読めよ!」と大きな声が聞こえ、
思わず苦笑が広がりましたが、それってどう?という記憶が甦りました。

かつて存在しなかった<空気を読む>という言葉の中に、
冷たく自己本位な目線だけが幅を利かすことのないように心しなければと思うのですが、、、。

2007年11月20日火曜日

焼きみかんレシピ

今シーズンの定番研修もおかげさまで終盤戦を迎え、残すところあとわずか。
振り返ってみますと、スタートしたのがまだ真夏モードの9月の初旬。

つまり夏の勢いがまだまだ旺盛な頃合で、核となる内容とは別に
その都度、用意させて頂くイントロやエンディングの内容もたしかに
この数ヶ月でずい分、様変わりしたことに感慨深く気付けます。

ちなみに今回は研修の中で使用したみかんを各自、お持ち帰りいただくことに
なったため、最後にお火焚にからめて<焼きみかん>のご紹介をいたしました。

お火焚(ひたき)はそもそも宮中の重要行事である、新嘗(にいなめ)祭が民間に
広まったもので、五穀豊穣を感謝し、来年の豊作を祈願し、行う神事です。

今月、多くの神社で行われますが、今週末の23日、勤労感謝の日に
伏見稲荷大社で行われる<火焚祭>が有名で大勢の参拝者が願い事を
書き記した護摩木を焚きあげ、家内安全、商売繁盛、火難除けを
神様にお祈りします。その際にお供えのみかんをその火で焼き、
それを食すと風邪を引かないといわれています。

それを自宅、風邪対策レシピにしたのが自称、<焼きみかん>です。

作り方は至って簡単。みかんのヘタを上にしておき、横半分に2等分します。
これを上下に重ねたまま、オーブントースターで焼くこと4,5分。
みかんの皮に黒い焦げ目が点在すれば、これで焼き上がりです。

熱いのでしばし、待ってお皿に盛れば、実に立派なデザートの風格です。
焼き上げて薄くなった皮をブドウの皮をむくような感じで扱いながら、
果汁が膨らんで見える実を召し上がってみてください。
いつものみかんがなぜかとっても美味しく香ばしく頂けます。
寒い朝、時間のない朝の簡単朝食としてもお薦めかも。

考えてみれば、夏の<冷凍みかん>に対抗して冬の<焼きみかん>は
これからの季節、絶対キオスクの人気メニューになりそうですが、、、。

2007年11月17日土曜日

書けない未来への懸念

立派な社会人を対象にした様々な研修会でその本題とは異なるものの、
フト、気になってお尋ねすることがいくつかあります。

それらは決して あらかじめどこかのタイミングで問いかけようと
仕込んでいるものではなく、そのときの話の流れや何かの関連でフト気になり、
たまたまちょっとお聞きしてきたものがほとんどでした。

そのうちにだんだん、そんな問いかけの中から、立派な社会人の苦手領域が
見えてくるようになり、この仕事で独立して動くようになってからは
かなり意図的に裏テーマ的に取り上げることも多くなりました。

たとえば、かなりベテランの営業系の方でも<敬語>や<名刺の授受>が
実は苦手で、自信がないという方は案外、多くいらっしゃいます。

あるいは長年、管理職にあっても<叱る>ということがトンとダメという方。

聞き上手が苦手・電話では上手にしゃべれない。人前のスピーチはご免!と
多少の謙遜を含みつつも、誰にも苦手が存在することを微笑ましくも思えます。

しかし、そんな中にあって謙遜なしの本音で、微笑ましくもなんともなく、
近年ダントツの注目株として、問題視すべきが<漢字>と認識しています。
特に<読み書き>で申せば、読めるが<書けない>事態はかなり深刻です。

その漢字力低下の一因は、やはりパソコンでしょうか。画面上で
変換して選択することが出来ても、<書けない>という実態が如実に真相を照らします。

どうやら<キーボードを打つ>ことと<手で文字を書く>ことは、
まったく別の意味と価値をもたらすことにそろそろ真剣に向き合う必要がありそうです。

書かないから書けなくなる。書けないから使わなくなり、やがて使えなくなる。

<書く>という作業の放棄が、何かとてつもなく大切なものを<欠く>ことに
向かっているように感じるのは大袈裟すぎる解釈でしょうか?

2007年11月16日金曜日

思いのパワーの点検を!

ここ数日、一気に気温の低下を感じる京都市内。
おかげさまでというか、ようやくというか、我が家のご近所の木々も
大慌てで紅葉支度に励みだした様子です。

とはいえ、京都御苑の各所の銀杏はまだまだ見頃はここからという有様で、
月末にかけて大いに楽しみな頃合を迎えたことだけは確かです。

しかし、ふとカレンダーに目をやれば、今日はすでに11月16日。
つまり11月も後半戦に突入という訳で、なんだか長い年月をかけて
身につけた季節の感覚とここ数年の実態の相違にあらためて戸惑います。

そんなたわいの無い、世間話を毎週、決まった曜日に顔を出してくれる
クリーニング屋さんとたのしく交わしておりますが、そんな訳で今年は
例年に遅れること1ヶ月あまりで、最近やっと衣替えの品々を
各ご家庭からお預かりし始めているとのこと。

かくいう我が家も、まだそこいら中に夏物、秋物が所狭しと混在し、
和洋折衷ならぬ、オールシーズン対応のような季節折衷の室内状況です。

そもそも片付けるということが苦手な傾向は今更、否定できる訳でもなく
かといって胸を張れる素養でないことは重々承知ながら、
そのあたりをしっかりと実践できない、はがゆさは年齢と共に
お恥ずかしい限りの課題として口にするのも憚られる昨今です。

その意味では、季節の歳時記に照らして潔く行われる、暮らし向きの
模様替えはいつか、ぜったい実践したい憧れの景色のひとつです。

この憧れはなかなか、実現いたしませんが、願うことこそ原動力。
願いもしないことが叶う道理はなく、年の瀬に向けていろいろな願いに
再度、思いのパワーを注入したいタイミングかも知れません。
何事によらず、強く願うことこそラッキーの種です!

2007年11月13日火曜日

土鍋にも旬!

京都生まれの京都育ちの割には、なぜか、しっかりした味付けが苦手ではなく、
むしろ、好みはそっち系かもと思えるほど、濃厚好みのような気がいたします。

たとえば、実家の母に言わせると<真っ黒>ということになる、
かなり濃い色のおだしの天ぷらそばを生まれて初めて訪れた
東京で食べたときにも正直、メチャ、美味しい!と思ったものです。

同様に初めて食べたときから大ファンになり、名古屋に出張したら
必ず訪ねるようになったのが、有名な味噌煮込みうどんの名店です。
お昼時ともなれば、行列は必至ですが、それをわざわざ並んで、
長い間待って頂くのも美味しさが増長されてこれまた感激です。

でも不思議なもので、あのモチ!っとした食感の麺が苦手!という方もあり、
微妙な味覚の違いとはいえ、あの美味しさがわからぬ不幸を気の毒に思うほど。

しかも有難いことに今年はかなり定期的に名古屋に伺うことが多かったため、
持ち帰った名店の味を我が家で頂く、楽しみも完全に定番化いたしました。

さて、我が家は数年前にオール電化に模様替えして、台所もIH導入。
その専用土鍋が昨シーズンの最後にひびが入り、使用不可となったため、
この秋の初め頃から、新しいIH対応の土鍋をずっと探しておりました。

ところがなかなか寒くならないせいもあり、時間を見つけてはマメに
売り場に足を運ぶものの、コレ!という代物がなく、しかもIHとなると
なんとなくまだよそ者扱いの風情がデザインにも価格にもバリエーションにも
そこはかとなく感じられ、選ぶ以前の課題に戸惑う有様の数ヶ月でした。

それが本日、やっとそれなりに気に入るものを見つけ、購入してきました。
さすがにデザインも一気に増え、少しは迷う楽しみも味わいつつ、
あらためて、土鍋にも旬の季節のあることをほのぼのと学ばせて頂いた次第。

2007年11月11日日曜日

壁を越える技術(著者:西谷昇二)

タイトル:壁を越える技術
著者:西谷昇二(代々木ゼミナール講師)
出版社:サンマーク出版
1、300円(税抜)

数字の1が4つも並ぶと、ただそれだけでなんとなくワクワクする感性が
我ながら不思議ではありますが、なんともこればっかりは理屈ではない分
コントロール不可の領域であり、それっておかしくない!といわれようと、
その他、どう思われようと厳然たる事実なので、しょうがありません。

という訳で、本日11月11日は個人的にはなんとも気分の良い
1日でしたが、思い起こせば、初めての<仲人>として晴れやかに挙式に
臨んだのが、かれこれ15年ほど前の今日のことになります。

最近では結納はもとより、仲人を立てること自体が激減し、
結婚式のスタイルもずい分変化しましたが、それでも今頃が年内最後の
挙式のピークかしらとなつかしい気分に浸る休日を過ごしました。

それにしても趣味が媒酌人といわれるケースを除けば、めったに
回ってこない役回りゆえに、緊張とぎこちなさと、そして脇役ながら
晴れやかさに貫かれる仲人さんの大役は実に充実感あふれる体験でもありました。

おかげさまで当方の念願通り、仲人は3組を実現して幸い、今のところ
いずこも仲良くやってくださっているようです。

ちなみに私の実家ではなぜか、昔から<家は3軒目でやっと思い通りのものが
建てられる>というのと<仲人は3組こなして1人前>みたいな妙な約定が
あり、これを何としてもクリアしたいという不思議な使命感に燃えております。

いずれにしても、壁があるから、頑張れるってことでしょうか。

とはいえ、人生、様々な壁があって、ソレが励みになることもあれば、
大いなる障害となって立ちはだかることもあります。
そこで本日、ご紹介する1冊は受験界のカリスマと称される代々木ゼミナール
講師・西谷昇二氏の<壁を越える技術>。

2007年11月10日土曜日

言葉を超えて、行動化

ようやく紅葉の気配がそこかしこに漂い始め、ここまで待たされた以上は
出来れば艶やかな自然の競演を是非、たのしませてほしいと願う昨今。

それにしても11月初旬を過ぎて、この様子では今年はまた、例年以上に
確実にクリスマスイルミネーションと紅葉の交ざり合う何とも不自然な
ステージがあちらこちらで展開されそうです。

この季節、高い山の頂にきらめく初冠雪とその裾野に残る紅葉の景色は
自然が織り成すハーモーニーとしてどこまでも美しく心に訴えかけますが、
紅葉の街路樹と華やかな人工のイルミネーションの混在は
残念ながら不協和音を奏でるばかりのように思えます。

年々、遅くなる紅葉と年々、早まるクリスマスの演出。
美観・景観論争にまたひとつ頭の痛い課題の様相でもあり、
観光都市ならではの賢い対策がどこかで検討されているのでしょうか。
味わい深い季節の姿との向き合い方にも、時代の智恵が問われるようです。

ちなみに我が家において、これからの季節に問われる智恵は日々、朝な夕なに
家の前にはらはらと散り積もる落ち葉のお掃除への向き合い方です。

マンションの4階建てにも匹敵する大木が林立する環境にあっては
落ち葉の量も半端ではなく、ご近所各位、かなりマメに掃き集めても
追いつかない日々がしばし続くことになります。

そういえば、この秋の初めあたりから我が家の前の通りを、早朝に
市内所定の黄色いゴミ袋を片手に出勤途上風情の男性がごみを拾いつつ、
北上される姿を何度か見かけ、その神々しさに感動しました。その姿は静かに
美しい環境への願いが言葉を超えて、行動の段階であることを語りかけます。

我が家の前の落ち葉だけでもお手上げ!なんて、ひ弱な姿勢から、
ここは勢いよく、華麗な脱却を目指したい!と、まずは言葉で決意表明を。

2007年11月9日金曜日

わざわざの醍醐味

今週も日曜日から東京に移動して数日、都内での研修後は
6日にグランドオープンした東京大丸にお邪魔し、全館、隈なく
ゆっくりと新しい意気込みの形を拝見してまいりました。

それにしてもさすがに東京!です。見るからに業界関係者のみならず、
実に多くのお客様で賑わう様子は、どこからどうやってコレだけの人が
集まってくるのかとあらためてため息の出る光景でもありました。

そんな中、個人的に嬉しかったことはレストランフロアはもとより、
別フロアに2店舗も<京都>が登場していたことです。
8階の紳士服売り場の奥に、なつかしい<イノダコーヒー>を
見つけたときにはまさか、東京初出店とは思いもよらず、そちらにビックリ。
上階の<都路里>同様、元気な京都ブランドに胸をはりたい気分でした。

ちなみにお邪魔したのは開店間もない時間帯でしたが、
新幹線でのランチを買い求めようとしたお昼前には、名店のお弁当は
軒並み品切れの紙が貼られていて、なんとも凄い様相を呈しておりました。

そういえば、かつての地下食料品コーナーも夕方の時間帯には
多くの出張サラリーマン客でごった返しておりました。
その在り様は見事にモダンに一新され、かつての庶民的な佇まいは、
もうどこにも見当たりませんでしたが、これからはオシャレで
気の利いたスタイルが東京の新名所として人気を集めることになるのでしょう。

それでなくても東京駅界隈はここ数年、どんどん新しい商業施設やホテルが
オープンし、出張の行き帰りの空き時間がたのしみなエリアに変身。もはや
<たまたま>ではなく<時間を作って訪ねたいスポット>といえそうです。

そして<わざわざ>足を運んで頂けるラッキーの醍醐味を継続するためには、
今更ながら、表面的な目新しさだけではなく、当たり前のことを決して
おろそかにしない原点の姿勢が問われていることにも、常に目配り、点検を。

2007年11月4日日曜日

京都花街の経営学(著者:西尾久美子)

タイトル:京都花街の経営学
著者:西尾久美子
出版社:東洋経済新報社
1、600円(税抜)

ここのところ、ますます次回予約が押さえにくくなった銀閣寺の名店に
昨晩は私の両親を連れて参上し、秋の味覚を堪能してまいりました。
夕刻になって急にクッと冷え込んだおかげで美味しいものが一層、美味に思え、
健啖家の両親が揃って、何度も、もうお腹いっぱい!と連呼する始末。

今年、喜寿の祝いを春に迎えた父と、来年夏にそれを迎える母は、揃って元気。
幸い、昔から病気というものにほとんど縁のない家系で、
私の両掌に刻まれている二重生命線も、そのおかげと感謝しております。

さらにその前日は京都検定講習をめざして、東京から上洛の知人のご接待で
ビアガーデン以来の上七軒の夜をなんともゴージャスに堪能しておりました。

総勢、6名の集いをコーディネイトしてくれた幹事さんのお顔の広さと、
縦横無尽の人脈とそのパイプの太さのおかげで、風情溢れる離れのお座敷で、
いまや舞妓さんブログで一躍、人気者の市まめちゃんを呼んでの会となりました。

人気ブログが本になり、化粧品メーカとも契約したりと日夜、多忙な
19歳の市まめちゃんは舞妓さん卒業まで、あと1年ほどながらも
すでに相当な落ち着きと得もいわれぬ風格が漂い、日頃、いかに
立派な多くの方々とのご縁があろうことかは
容易に察することの出来る風情でした。

それにしても中学を卒業して仕込み、見習いの数年をへて、
20歳に満たない舞妓ちゃんが多くの場合、親よりも年上の相手と
和やかに会話が出来る凄さは世界に誇れる歴史の一端を実に
見事にぐうの音もなく突きつけてくれます。

まだ、社会人になる前の19歳のときの我とわが身を思い出せば、そこには
まったく別の世界があり、伝統という言葉が急に重みを増して迫りくるようです。

そこで、本日はそんな京都に生まれ、京都が築き上げた
花街のビジネスの秘密に現代の目線でドーンと取り組んだ1冊をご紹介します。

2007年11月2日金曜日

ひたむきさの強さ

情報通でグルメな後輩が、北海道の<じゃが豚>の美味しさを
熱心に語ってくれたのはおそらく今年の春先頃でしたでしょうか?

それは外側がジャガイモをすり下ろして作った生地でモチモチ!
その中に豚肉が入ったお団子みたいな美味しさ!と絶賛の代物でした。

その後、真夏に北海道で仕事があった折には、ただひたすら仕事のために
残念ながら本場の<じゃが豚>を購入することすら叶わず、
いつのまにか、そんなことを全てすっかり忘れてしまっておりました。

だいたい、何事も忘れた頃が目安のようで、今朝、その後輩からメールが入り、京都市内の某百貨店の北海道展で<じゃが豚の実演販売>をしているとのこと。これはもう、案内というよりは、だから!とっとと<買いにゆきなさい!>という指令に違いないと有難く、嬉しく受け止めました。

幸い、出先からの流れで、十分立ち寄ることが可能だったため、早速
ご指示に従い、試食の上で、美味実感、多めに購入してまいりました。

なんとなく、イタリアンのニョッキみたいな感触を意識しておりましたが、
予想以上に表面のツルン!とした触感はある意味、初めての舌触りでしょうか。
個人的には大好きな白玉の4倍モードの大型みたいな、まん丸の水餃子!と
いう見た目と味は完全に水餃子というのが偽りない試食感想です。

結構、イケメンのお兄さんの解説も親切で、これからの季節には鍋の
脇役素材としても幅広く大いに使えそうです。

それにしても、こんなふうに頼まれもしない誰かが、
それも見ず知らずの誰かが思いがけずどこかで一生懸命に
宣伝してくれる力は智恵より、お金より、はるかに大事なものです。

気付かないどこかで、だれかがきっと応援してくれる、そんなはずの自分であるためのたったひとつのラッキーの種は<ひたむきさ>だけの気がします。

2007年11月1日木曜日

きれいが好き!が大道

空前の京都ブームという昨今の情勢を背景に、本年度の京都検定が
実施される12月9日までは、ほとんどのホテル・旅館がすでに予約で
いっぱいらしいという噂が飛び交っておりますが、それって凄いことですね。

これもひとえに関係各位のご尽力の賜物ということでしょうが、それが
数年後に一過性のブームとして潮が引くような事態にならないためには
今、ここでこそ、気持ちを引き締めて、上質なおもてなしの提供に一層
心して取り組んでいきたいと素直に想う心持です。

しかも幸い、ここのところの気温の状況等からすれば、ゆっくりめの紅葉が
かなりのロングタームで市内随所で眺められそうでもあり、せっかくの京都を
堪能していただける季節の舞台はさらに完成度高く、整いつつあります。

個人的には微力ながらも、様々なエリアでの研修や講演の余談情報として、
必ずこの手の紅葉速報等も織り込むようにして、宿泊客のみならず
近隣の日帰り観光客の方々においても、ぜひ、ベストタイミングで京都に
遊びに来てくださる一助になれば!と願って止まない次第です。

こうした小さな思いが重なり、やがてそれが活きた情報や日々の行動となって、
まわりまわって自らの生活圏の快適性や安全性の向上に直結することは、
決して上辺のきれいごとではない重要な課題です。

なぜならば、街が活性化することを通して街が潤い、そのことでまた街が美しくなり、
快適性が増す!というような善循環は、しかし一方でちょっとした
何かを怠れば、すぐに簡単に悪循環に転落する危険性も孕んでいるからです。

ちなみに先日、ここでご報告した、飛び込み晩御飯での不快体験などは、
まさに良くないスパイラルを育む、小さなズボラの種を見逃した結果です。

汚いよりきれいが好き!は万人の共通点です。故にまず、身辺も店もきれいにする!
これが間違いなくステキな智恵獲得の大道と言えそうです。

2007年10月31日水曜日

中途半端の功績

10月最後の本日はさわやかな快晴の中で夕刻を迎え、明日は11月、月初。

月初といえば、なんと言っても会社員時代の朝の<早出>を思い出します。
毎月の月初めは、いつもより早く出社して会社の近辺の大掃除を
社員総出で行っていたことがまるで昨日のことのようです。

おかげさまで、もはや体感感覚としてのソレは完全に消失しましたが、
通常の始業時間より、たかだか1時間ほど早く出勤することがが
毎月、とても苦痛だったという記憶だけはしっかりと残っています。

しかしその理由は、春は眠いし、夏は暑いし、11月ともなれば、早起きが
つらい。という程度のなんとも底の浅い理由でしかなかったように思います。

故にブツブツと並べ立てる文句も、決して会社の方針である<早出慣習>を
履がえさせるほどの説得力を持っているわけではありませんでした。

また完全にそれを無視して早出を拒否するほどの度胸があるわけでもなく、
むしろ、夜ともなれば、「明日は月初なのだから早く寝なきゃ!」と常に
意識のどこかが自重していた根底のひ弱さがありました。

そんな中途半端な自分が当時は不甲斐無く、情けない思いを抱いていましたが
今となってみれば、よくぞ中途半端と手を合わせて感謝したいくらいです。

なぜならば、決められたルールや約束事に従うことは組織においてのみならず
お互い様の快適を維持する上で非常に重要な課題であり、社会人の<信頼>の芽はここから生まれ、そこで育まれるものだからです。

その頃はまったく気付かなかったそんな事実に、若気の至りだけで、絶大なる信念もなく逆らう愚かさとそれが勇気ある行動と思える心境は紙一重です。

どっちつかずの中途半端な今は、もしかして遠い未来から振り返った時に
褒めてあげたいほど<ステキな智恵>の実践中かもしれません。

ちなみに中途半端な勢いでやっと写真もチェンジしました。

2007年10月30日火曜日

紹介の本質

我が家から徒歩5分ほどを南下したあたりはここ数年の間に、
どんどん街中化が進み、新しい小さな飲食店が増えつつあります。

基本的には若者向けの今風チックなお店が多いのですが、これがもしも
ほんの10年前の事態であれば、おそらく毎晩、かなりの確率で
嬉々として各店舗を渡り歩いたことと、胸を張って言い切れます。

しかし、残念ながら近頃は年々歳々、用心深くなり、いきなり知らないお店に
入る!なんて無茶なことをめったにしなくなっちゃいました。

ランチはまだしも、晩御飯においては論外。近所の行きつけはもとより、
一応、固定客扱いをして頂ける、どんなお店に対してもまずは予約の連絡を
入れてから向かうというのが基本のスタイルになっております。

それが我が家流としてすっかり定着した理由は概ね2つに集約されます。
ひとつめは行き当たりバッタリでは、ロクな目にあわないという経験から。
ふたつめは<味とサービスと金額>このバランスに保証がないからです。

ところが昨晩は様々な事情が重なり、止む無く、久々に飛び込み晩御飯。
かねてより、近隣では興味のあったお店でしたが、案の定、残念体験が
追加されました。味と値段はお手頃ながら、店内がどことなく汚い。

という訳で、よくよく考えてみれば、ここ数年内に知り得た新店は原則、
どなたかのご紹介ということにあらためて感慨深く、気付かされました。

この図式はなにやら人脈拡大の有り様にも、驚くほど類似しております。

人もお店も誰かに<紹介>したくなるような魅力と、
そして安心して<紹介>できる信頼の有無が何より大切という次第です。

この至極、当たり前のことがなぜ、万人のステキな智恵になりきらないのか、ここが大いに解せない点です。

2007年10月28日日曜日

オーラル宝田メソッド(著者:宝田恭子)

タイトル:オーラル宝田メソッド
著者:宝田恭子(歯科医師)
出版社:朝日新聞社
925円(税抜)

通常のステージに比べたら、ずい分と割高な感じがするホテルの
ディナーショウですが、今年もクリスマスイベントの顔ぶれが初秋には出揃い、概ね、営業販売の目処が立ち始める頃合いでしょうか。

親しい営業マン情報によれば、人気の高い方の場合はかなりのスピードで販売が完了するとか。もちろん、そうでない場合はギリギリまでの販売活動が展開されることになり、当日、半額とかを毎年希望してはハナで笑われております。

それにしてもいかに飲食付とは言え、やっぱり高い!と思う理由のひとつは
毎年、見事に代わり映えのしない食事内容のせいでしょうか。
どのホテルに出かけても似たり寄ったりのフルコースなのは、料理がメインではないからという決まりごとの感さえあります。

しかもアルコールフリーとはいえ、その後のショウのことを思えば、
そうそう、がぶ飲みするわけにもいかず、控えめにせざるを得ない点も
非常に辛口の評価に繋がる要因かと個人的には思っております。

とは言え、我が家も文句を言いながら、生来のミーハー的感性から脱しきれず、毎年クリスマス近辺にはどこかで誰かのショウに出かけております。

ちなみに密かな楽しみのひとつは、来場される方々の装いと顔つきの観察です。バブル全盛の頃に多く見られたステージ衣装さながらのゴージャス系から、
シンプルな会社帰り風情まで。装いの格差観は年々、広がって行くようです

しかし、さすがに顔つきは皆さん、だいたい輝いて見えます。それは高いお金を払っているからなのか、ワクワクしているからなのか。それとも場の空気の高揚感のせいなのか。どの顔も皆、嬉しそうにきらきらと光って見えます。

そんな顔つきの日常化を願いまして。

2007年10月24日水曜日

ケアレスミスへの警鐘

時代祭りにあわせて京都観光を楽しもうという人の流れに逆らうように
21日、日曜の夜に新幹線で東京に移動し、研修会とか打ち合わせで
数日を過ごして昨晩、京都に戻りました。

自称、コンサートツアー状態の12月の初旬までは毎週、こんな感じが続くため
エクスプレスE予約のポイントが大いに溜まって、きっと何度かはグリーン車が優雅に利用できる嬉しい限りの事態となりそうです。

それにしても携帯電話で手軽に自由自在に新幹線の手配が出来る
E予約は実に便利で、快適そのもの。本当に重宝しております。

まもなく利用し始めて約1年になりますが、ちょうど油断の頃合でしょうか、今回、初めて大汗をかく、失敗をしてしまいました。

事件は東京から京都に戻る指定席手配時に発生していましたが、本人は
そんなことは露知らず、いつものように時刻指定でスイスイ予約し、
発車10分前に受け取り専用機でチケットを手にして余裕で改札に向かいました。

さて、改札入り口で、発車ホーム表示を何気なく確認すると、
そこに乗車するつもりの<のぞみ号の発車時刻>がなぜか表示されていません。

アレ?という気分で手元のチケットを確認しようとしたのと、
頭の中のどこかでしまった!間違えた!と何かが炸裂したのがほぼ同時でした。
実は東京発ではなく、京都発のチケットを手配し、それをすでに発券して
手に持っているということに気付いたのは発車時刻のおよそ8分前です。

とにかく大慌てでJR東海の窓口に駆け込み、なんとか指定の取り直し手続きが間に合いましたが、冷や汗ダラダラの良い勉強をさせて頂きました。

便利さと背中合わせの自己責任の重さに改めて気付いた顛末は、しばらく続く
定期出張で慣れから生じるケアレスミスへの大音響の警鐘と相成りました。

このミスはJR窓口担当者いわく、とても多いようなので、各位ご注意のほど。

2007年10月18日木曜日

金木犀のエッセンス

すっかり秋らしくなった朝夕、そこかしこの街角でふいに漂ってくる、
金木犀の香りもそろそろ名残りの頃合を迎えようとしています。

だいたい金木犀の小さな花はその時々の風向きで、どこからともなく突如として目眩がするほどの芳しい香りを届けてくれる名手ではないでしょうか。

満開の枝に顔を近づけて嗅いで見ると、さほど強くはない香りなのに、
風に運ばれた、ソレには強い個性が香ります。

そして、その香りは朝の慌しい出勤の景色にも似合えば、
夕暮れの気ぜわしさの中のうら寂しい光景にも似合います。
はたまた休日の秋晴れの清々しさにも、なぜか相応しく溶け込んで、
その意味で個人的見解においては、香りの原風景的存在感があります。

しかもその香りを色にたとえるならば、決してソフトな淡いものではなく、
むしろ凛とした個性があって、強烈な色調のハッキリしたものといえます。

それでいてなぜか、どんな状況にも違和感なく、自然に溶け込むところが
憎いというか、凄いというか、不思議と感心させられる所以です。

自分らしく振舞おうと思えば思うほど、あちらにもこちらにもぶつかり、
おかげで対人関係がギクシャクした遠い記憶の中で、我関せずのこの香りは
とりわけメランコリー気分の深まるこの季節だからこそ、
得も言われぬ憧れの対象であったのかもしれません。

一般的に人の思惑などに我関せずの御仁はどうもあまり人付き合いが上手くないような誤解を持ちがちですが、実のところ、対人関係を滑らかに紡ぐ技能と独創的個性は決して相反しないということに気付いたのはごくごく最近のことではないかと思い至ります。

自分は自分!何があってもどこにいても!他にはない個性を貫く。
金木犀の香りの中にはそんな<ステキな智恵>のエッセンスがありそうです。

2007年10月17日水曜日

鮮度の力

最近、どうもブログが滞りがちのため、関係各方面から
心温まる、ご心配やご声援、あるいはどこか遠いところで遊び呆けて
いるのではないかという疑いまで、幅広く頂戴し、誠に有難い限りです。

ですが、残念ながら、どこにも行っておりません。また体調を壊している
のでもなく、単に物理的に時間が捻出できないという、力不足の状況下です。

それにしても<京都流>ブログの不思議現象は、マメに綴っている折には
ほとんどまったくといって良いほど、反応なし!なのに、ちっとばかし
お休みしておりますと、わざわざ電話などで様子伺いをして下さったりして
あらためて読んでくださっている方が多いことに驚かされます。

たしかに個人的な希望としては、本来、この時期ならば、
立体的な紅葉に彩られた白馬あたりで、秋冷のゴルフに連日、
うつつを抜かし、朝な夕なは温泉三昧なんて境遇が最高の贅沢です。

そんな願いも遠く虚しい今シーズンはせめて出張先の各地で
美味しいものに巡り会いたいと願うしかありません。

そんなささやかな夢が、この週初めの静岡出張ではその日の朝に捕れた
生しらすとなって実現しました。京都ではさすがにめったに頂けない一品です。
ちなみに鯨に似た触感らしい<いるか>料理は、今回はご遠慮しましたが
海の幸に恵まれた土地ならではのめずらしいものに沢山、出会えました。

やっぱり、情報も言葉も食材も<鮮度>に勝るものはありません。

そういえば、宿泊先の静岡のホテルでのこと。宿泊カードに
カタカナで印字された我が氏名は<ミズタニ イッコウ>となっていました。

<イクコ>を<イッコウ>と聞き違えられたのは明白ですが、『ドンダケー』の
発信者は今時、鮮度の旬であることを妙に実感させて頂きました。

2007年10月12日金曜日

嘘も方便!

これまでのパーマやカラーリング等の永年に亘るゾンザイな扱いの結果、
かなりパサパサで艶の喪失が明白な我が頭髪の実態を改善すべく、
思い切って具体的な行動に打って出て数ヶ月が経過しました。

当初から、自力での復旧はかなり難しいと判断して、
ならば現代美容業界の最先端技術での立て直しに全面的に依存する覚悟で挑み、
行きつけの美容院もそれは喜んで協力します!応援します!頑張ります!と
三拍子以上に声を揃えて気持ちよく、誓ってくれました。

もちろんそもそもが他力本願である以上、多少の出費は致し方なし。
幸い時間の捻出はその気さえなれば、なんとかなる環境ということも有り、
10日から2週間に1度くらいの割合でかつてないほど、涙ぐましい努力で
マメに美容院に通って、お金も時間も投資しております。

が、しかし見違えるような成果は未だ、遠く。意気消沈の昨今です。

美容院のスタッフも開口1番は元気良く、『いかがですか調子は?』と
尋ねてくれますが、その返答が『うむ?』と色よくない反応のせいもあり
最近では『やっぱりご自宅でのお手入れが肝心です!』みたいなことを
リンスの販売も兼ねて、やけに説教チックに語り始めたりします。

それって、つまり、、、これだけ投資をしているのに事態が改善されて
いないことを認めるワケ?という実に好ましくない雲行きの展開です。

もし『最初から比べたら、全然違います!』と言われたら、『そうぉ?』と
口を尖らせながらも内心は喜ぶ顧客の気持ちをなぜ、わからないのでしょうか。

瞬間、<嘘も方便>とはこのことなのかと思い至りました。

それは昔ながらの<ステキな智恵>の証、応援したい素朴な
気持ちが励ましのエールに変わるラッキーな瞬間は実はそこらじゅうに転がっていそうです。

2007年10月10日水曜日

ステキな智恵の対極

今日の京都は実に秋らしく朝からとてもさわやかです。

しかも幸い、本日は在宅デスクワークのため、たしかに山盛りの資料作成に
せっつかれてパソコンに向かってはおりますが、気分転換!などと言いつつ、
洗濯したり、お布団を干したり、愛犬のシャンプーのお手伝いをしたり、
我ながら、実に甲斐甲斐しい働きぶりです。

もちろん、その分、明らかに仕事的には支障をきたしておりますが、
考えてみれば、会社に勤務していた頃の夢のひとつがまさにコレ!でした。

すなわち在宅ワークなら、今日のように天気が良い日には、
その日のうちに乾いて欲しいような大物の洗濯も可能なら、
布団干しの気持ちよさも格別です。ついでにクッションやソファなども
ベランダに所狭しと並べて、そののどかな様子を眺めながら仕事が出来たら
どんなに幸せだろうかとその当時はよく思ったものです。

特に今日のような最高の秋晴れの日には、健気にそんな思いを抱えて、
オフィスの窓の外の抜けるような青空を睨みつけていたものです。

それが今、実現しているということに気付いて、深く感謝しているかというと、これがさほどでもないところに実に凡人の悲しさが滲み出て参ります。

もし私が神様なら、こういう手合いには絶対、目もくれないでおこう!と
強く心に思うだろうと素直に思えるくらい傲慢です。

ちょっとでも調子が悪いとブウブウ文句を言うくせに、何事もないときには
感謝をするわけでもなく、まして永年の夢が叶っている瞬間でさえ、その分、仕事がいまひとつだと不満の方に目が行く輩につける薬はありません。

かくして<ステキな智恵>の対極が鮮明になり、今度こそ感謝したいものです。

2007年10月9日火曜日

売りたい本音を超える価値

有難いことに接客現場で<ステキな智恵>の持ち主に巡り会えました。

その持ち主はこの秋から日本での展開が始まったばかりの
新しいブランドの靴の販売スッタッフです。

京都で取り扱っているデパートはまだ2店舗とのこと。
全国ではどことどこが扱っていて、どの靴がどんな売れ行きだとか、
人気の秘密はどこにあるとか。デザイナーの情報や
靴のデザインと秋のトレンドまでいろいろ教えて頂きました。

その時間は久しぶりに何かを<販売するため>に接客されたというよりは
ブランドを<紹介するため>の四方山話しを聞いたような気分でした。

売り場での会話はそれが売り場である以上、<売りたい>という
スタッフの本心がどこかに見え隠れします。
そしてそれはまた販売スタッフとしての超大事な認識でもあります。
が、しかし、その意識は顧客にとって通常はあまり好ましいものではなく、
時には誠意を感じにくくさせる最大の要因でもあります。

特に新規顧客と向き合うときには、上手なコントロールが肝心です。

さて、あるデザインが気に入りましたが、当方の希望サイズは売り切れ。
そこでひとつ大きめのサイズに挑戦したところ、その状態を見て、躊躇なく
『やはりワンサイズ小さめのほうがよろしいですね』ときっぱりひと言。

これは実に顧客サイドに立った親身なアドバイスに聞こえます。
なぜならば、そのワンサイズ小さめの靴は今、売り場にはないからです。

つまり<売りたい本音>を<何か別の本音>がわずかに上回る、その瞬間に
<ステキな智恵>と呼びたい何かが明らかに誕生します。
そしてそれこそが信頼への価値ある種に違いないと思うのですが。

2007年10月3日水曜日

プロのベーシックテーマ

個人的買い物パターンは昔から、割合はっきりしております。
基本的には非常に思い切りが良く、しかもかなり好き嫌いがはっきりしているため、ぐずぐず迷うことはまずありません。

よくも悪くも、即決即断型といえそうです。が、しかし迷わないから買い物に間違いがないかというと決してそんなことはなく、勢い衝動買いに走ってしまって、買っただけで未使用みたいなものも実は案外あったりします。

ですが、買わなかった後悔よりは買ってしまった愚かさを嘆くほうが
精神的な痛手が少なく、とりあえず買う!というスタイルで邁進しております。

さらに昨今では仕事柄、様々な買い物体験も非常に重要な学習チャンスであり、
大義名分やら錦の御旗がはためく分、正々堂々とお買い物を楽しみつつ
そこで<ステキな智恵>のヒント模索にも勤しんでおります。

さて、この休日。給料日後の月末でシーズン商品の販売に各ショップ共に
ノルマもビッグそうなデパートをめぐり、お気に入りのとあるブランドで
秋のスーツをエイッ!と奮発しちゃいました。さすがに担当スタッフの応対は温かく丁寧。誰だって買い物した瞬間は大事にされた心境にナイスフィット。

ところがどうにも合点がいかないのは、その担当者だけが温かく、その他の
スタッフは知らん顔という感じ。どうやら、どのスッタッフも皆、自分の顧客にだけ甲斐甲斐しいというなんだか不思議なショップ内環境が見えてきました。

おかげで担当スタッフが精算の間は、当方は完全に孤立無援状態で、無視。
買い物したのに、やけに居心地の悪い体験をいたしました。

接客業にあって、自分のお客様以外にも気配りが出来るかどうかは、
<ステキな智恵>のベーシックテーマかもしれません。
プロならプロらしく、そこのところ点検を!目配り、気配り全方位で!

2007年10月1日月曜日

ステキな智恵の探検隊

どの季節が好き?と尋ねられたら、だいたい『秋』と答えてきました。

なぜ?と理由を聞かれたら、『長袖を着て、汗をかかない季節だから』というのが、中学生の頃からの変わらない答えでした。
それだけ、<さわやか>というのが秋を好きな理由です。

しかし、いつの頃からか、オールシーズンOKの方向性が色濃くなり、
今はおかげさまでどの季節の良さもはっきりとわかる分、四季有る国に
生まれた幸せをしみじみ有難いと思っています。

春夏秋冬、このめぐる季節の素晴らしさを実感できることは
それなりの年月を生きた価値のひとつに間違いなく数え挙げられますね。

中でも10月は秋らしさの主役級であり、秋本番の大御所の月。

空も風も陽射しも何もかもが、こんなにも心地よく感じられるのは
なんといっても厳しい暑さを乗り越えてきたご褒美であり、8月、9月の
継投があればこそ、10月が一際、ステキな季節として輝く次第です。

そんなステキな季節の初日はすっかり恒例になったある企業の内定式でした。

およそ、半年先の社会人のスタートラインに気持ちよく望むために、
今からの半年間で是非、身につけておきたいこと。
あるいは見直しておきたいこと。さらにはしっかりと鍛えておきたいこと。
何より、春になったら出会うはずの沢山の人生の先輩に、出会いの瞬間から
目いっぱい可愛がってもらえる秘訣をしっかりとお伝えいたしました。

そこで、そんなフレッシュ気分にあやかって、こちらも気分一新。

今月からはごく日常的な対人関係をもっと居心地よくさせるための
<ステキな智恵>のアレコレを様々な視点から探検したいと思います。

2007年9月30日日曜日

丸山敏雄伝(著者:丸山敏雄伝)

タイトル:丸山敏雄伝
著者:丸山敏雄
出版社:近代出版社
1、500円(税抜)

人にはそれぞれ何某かの取り柄があるものです。

たとえば、手先が器用だったり、歌が上手かったり、片づけが手際よかったり、料理が上手い、字が達者も取り柄なら、お人好しとか、涙もろい、
あるいは世話好きや面倒見が良い、等もしっかりとその範疇でしょうか。

幼い頃から人懐こいなんていうのは実に羨ましい限りの取り柄ですね。

さて、こう考えてみれば、取り柄というのはいわゆる性格的な長所、短所とは異なり、どちらかといえば能力的な得手不得手に近いものを言うのでしょうか。

しかし、それは後天的に努力に努力を重ねて獲得したという美談とは程遠く、なんとなく気がついたら、いつのまにか出来た!とか、そもそもハナから、
そこそこ出来ちゃいます!みたいないい加減さの香りが俄然、付きまといます。

とすれば、誰もが一つや二つくらいは持っていそうな取り柄は、やがて
持って生まれた才能と呼ばれるような素晴らしさへの萌芽なのかもしれません。

となれば、取り柄と言っても、たいしたことじゃない等と謙遜して
自らの可能性や価値に思いがけず、つまらぬ低い評価を下すことや、
うかうかといわれなき、その評価に甘んじていること自体が
大いに問題と気付かなくてはならないのかも知れません。

自らの価値にしっかりと向き合い、人間としてよく生きる価値に目覚めることはつまるところ幸せな人生を送る秘訣に違いありません。

その秘訣を日々の行動として実践し、語り続けた丸山敏雄氏の1冊を
本日はご紹介いたします。

ちなみに、ご自身の取り柄にはどんなものがありますか?

2007年9月29日土曜日

耳にも心にも届く言葉

ようやく朝晩だけでなく、全体的に清々しい秋の気配が漂い始め、
おかげさまで寝つきもよければ、寝覚めも実にさわやかな頃合いを迎えました。
加えて、とても嬉しいことに今日はお休みです。

しかも火急の消化課題がすぐそばで、睨みを利かせていないことが、
とてつもない解放感をもたらしてくれる心地よい休日です。

そしてこの間、かなりのお気に入りでほぼ全放映をクリア。数えるほどしか、
見逃さなかったNHKの朝ドラ・<どんと晴れ>の最終回の朝でした。

盛岡の老舗旅館を舞台にここに嫁いだ、若女将奮闘記はいかにも
ありがちなストーリー展開ながらも、民話の座敷童を巧みにからませながら
今時ならではの外資の乗っ取り劇を最後の山場に盛り込み、あわやというところで若女将の人徳が老舗旅館存続の決め手になり、見事なハッピーエンド。

さて、登場人物の中でも、立派な東北弁の使い手はなぜか限られていましたが、
この言葉がなんとも耳に心地よく、実に温かくて素晴らしい。

いえ、厳密に申せば、東北弁に限らず、その地方ならではの訛りというか、
言葉とそのイントネーションにはどうも理屈を超えた包容力のような
柔らかさと親しみやすさとそして不思議な懐かしさがありはしませんか?

毎朝、そんな言葉に触れて癒し効果!を楽しんでいたのかも知れません。

そういえば、いつ頃でしょうか。朝日新聞のコラム<CM天気図>で
天野祐吉さんが、交通標語は地方の言葉のほうが説得力が大きい!として
紹介されていたものを読んで以来、とても気に入っています。
それは<飲んだら乗るな!飲むなら乗るな!なんぼ言ったらわがるんだ>

耳にも心にもスンナリ届く、そんな言葉の使い方へのヒントがどうも
このあたりにしっかり隠れていそうです。

2007年9月28日金曜日

優良品種の種

個人的スケールに照らせば、今月最後の仕事が本日、無事完了し
正直ホッと胸を撫で下ろしております。
なぜかと申しますと、今月は個人史的に見て、近来、稀に見る絶不調続きで
気力体力共に底辺を這いずり回った観があるからです。

振り返ってみれば、1日は恒例のゴルフの決勝大会で勢いよく始まりました。
ところがその直後から波乱含みの減速モードで、連日の体調不調。

基本は何があっても元気、ご機嫌の信条が人知れず、不安に揺らぎ、
いささか生命力の衰えを感じるような日々でもありました。

その生命力の源でもある体力にはそもそも2種類があります。

ひとつは<行動体力>と呼ばれるもので、たとえば、走るのが早いとか、
力が強いとか、見よう見まねですぐに何でもできるようになるとか。
俗に言う運動神経が発達しているのはこちらになります。

もうひとつは<防衛体力>と呼ばれるもので、たとえば風邪を引きにくい。
怪我をしにくい。あるいは筋肉痛が起こりにくい、マメなどが出来にくい、
仮に出来ても治りやすいなど、元来が身体が丈夫という方向性です。

個人的特性は明らかに後者であり、なんだかんだ言いながら、丈夫です。
そして事実はどうあれ、そう信じてきました。

ところが、どうやら今月はその信念を誰あろう自分自身が疑い、
勝手に取り越し苦労をしていたことに今朝、ようやく気付きました。

それにしても良くないイメージは良くない現実をこうも見事に容易く
実現させることを改めて体感し、おかげさまでラッキーの種を確信しました。
誰にナント言われようと良い想像しかしない!これぞ、優良品種の種です。

2007年9月26日水曜日

月明かりに見惚れて

有り難いことに私の自宅オフィスはフト、ベランダ側に目をやれば、
東の空が広がり、今この時間にあっては実に見事な満月が眺められます。

おかげで日が暮れて仲秋の名月がお出ましになって以降は、ついボンヤリと
見惚れては、ハッと我に返ってパソコンに向かい、またしばらくすると
ぼんやりと空を見上げる、そんな悠長な時間を今宵は楽しんでおります。

それにしても秋のお月さんというのはつくづく良いものですね。

昼日中の残暑を一気に忘れさせてくれる快適な気温に
耳に心地よい虫の音の絶え間ない合唱。そのロケーションに浮かぶ名月。
秋の役者が揃いました!と言わんばかりの風情がたまりません。

おかげさまで、この夏に丸10年を迎えた我が家を建てたときの目玉のひとつはそんなお月見のためにちょっと広めに工夫した東南のベランダです。

この時期限定企画として、出始めたばかりの秋の食材を七輪であぶりつつ、
名月に照らされつつ、時には家人と気分を変えての夕食。

時には友人たちを招いての月見の小宴風で、ちびりちびりと杯を傾ける、
そんな贅沢な願いを叶えてくれる今こそが絶好のタイミングです。

もちろん、時にはせっかく満月がどしゃ降りの雨のために拝めず、散々な目にあったこともありましたがそれはそれで記憶に残る愉快な思い出です。

問題はその企画すら立てられず、この瞬間を迎えてしまった今年度の状況です。
そしてその努力不足を咎めるでもなく、ただ、ただ、見事な満月。

何かというと責任転嫁で反省のかけらもない昨今の風潮にまみれぬよう、
良くも悪くも謙虚に努力不足を反省して、楽しい日々の設計にも努力を
怠るまいとしみじみ思える月明かり、やっぱり秋はいいものです。

2007年9月24日月曜日

自由業、考察

今日までお休み?今日から仕事?はその企業の業種やら年間休日との関係で
様々であり、案外、今日はもう仕事です!という方々も多くいらっしゃいます。

反対にそもそも3連休自体が仕事ですから!という方も最近は周りに増え、
それはそれで混み合わない時期に休暇の取れるメリットが魅力のパターンです。

今日までの3連休をはずして、明日からお休み!で値段も安い北海道まで
ゴルフに行ってきます!なんてのは明らかに後者組でしょうが、
働き方や休み方のバリエーションが多岐に亘れば、いろいろな場所の混み合い方を分散化できて、年間を通してバランスのよい収支にもなるのでしょうか?

かくいう当方は今では完全に独自のワークスタイルが育まれつつある最中で、
それはかつてのサラリーマン時代とは明らかに異なる様子で
着実に新しい模様を日々の有り様の中で紡ぎ始めてくれております。

そしてそれは平たく申せば、仕事のある日が働く日であり、その準備に勤しむ日も同様に働かなくてはならない日。そしてそれ以外が休日という按配です。

故にある意味、メチャ不規則でもあります。
つまり何某かの法則性がそこには非常に見つけにくく、
俗に言う世間のカレンダーとは違う流れの中に漂い始めた観が
ともすれば不安でもあります。

もちろんソレこそが自由業!の自由たる所以であり、実は密かに長い間、
憧れ続けたスタイルではあるのですが、なかなかどうして
そう簡単にしっくりとなじむはずもなく、依然、借りてきた猫状態は
我ながら可愛くもあれば、なんともじれったくもあります。

どうやら、自由であるということの清々しさと背中合わせの責任の重さに
やっと気付いたということでしょうか。カレンダーに照らせば満月は明日?
仲秋の名月は拝めそうもない今宵、遅ればせながらの考察まで。

2007年9月23日日曜日

ホンモノの日本語を話していますか?(著者:金田一春彦)

タイトル:ホンモノの日本語を話していますか?
著者:金田一春彦(故)
出版社:角川書店(新書レーベル)
571円(税抜)

残暑厳しいとは言いつつ、なんとなく嬉しい気分の三連休続きの初秋です。
遅めの夏休み消化もこのあたりまでが最後のチャンスでしょうか。

さて、そんな中、昨日、ろぶさんが写真でご紹介くださった通り、町内の梨木神社さんでは恒例の萩祭りが今年もまた静かに厳かに執り行われています。

昨日、本日共に雅楽の音が寺町通りを越えて我が家にも届けられ、
せっかくの休日なのに、パソコンに向かいっぱなしの殺伐とした気分をスーッと部屋毎、洗い清めていただけるような味わいにひたすら感謝しております。

毎年の事ながら、まだ残暑の風情のほうが強いこの時期に、秋を誘い出すかのような境内では、真夏から咲き始めた萩が最後の見せ場を迎えています。

その色とりどりに咲き誇る萩に揺れる沢山の短冊とそこに詠まれた思いの歌はしばし、日常の喧騒を忘れさせてくれる風情にも溢れています。

なのに、なのに、どういう訳か、毎年、はっきりいって相当、人出の少ないことも特徴のひとつに数えたくなるようなお祭りでもあります。

そもそも知名度が低いのか、足の便が悪いのか、はたまたイベント性に
乏しいのか、あるいは何某かの行楽シーズンに邪魔される宿命のタイミングなのか。どう贔屓目に見ても町内行事の域をでないような有様です。

実はこの数日間は境内の人気スポット、染井の名水が汲めないことになっていますが、もしかしたらそれが原因なのでしょうか。
ごく普通の日のほうが、絶対集客力があるように思えてなりません。

さて、いつもより違法駐車の少ない窓越しの景色をそんな気分で眺めながら、掃除のかたわら、見つけたなつかしい1冊をご紹介します。

2007年9月22日土曜日

誠実、不誠実

いつの頃からか、年を重ねれば、どんどん穏やかになり、めったなことでは
怒らなくなるのだろうと長い間、信じてきました。

それはありとあらゆる物事に対しての思慮分別が深まり、些細なことには動じない懐の深さは経験を重要な糧として育まれるものと思っていたからです。

が、しかし本当のところはどうなのでしょうか?
どうも年齢だけが頼りの綱ではないことをあらためて痛感する週末です。

その理由は日々、こんなにも分別に溢れた穏やかさの獲得を目指しているのに、
それが木っ端微塵に吹き飛ばされるような、実に大人気ない怒り爆発の事態に遭遇し、まだまだと未熟極まりないと思い知らされたからです。情けない。

海より深い反省の傍ら、山より高くあれと願う自身の志に照らしてみれば、
頑として譲れずない厳しさの貫徹にも強い憧れがあるせいかもしれません。

とりわけ、仕事を共にする仲間に対しては良い仕事をしたいという
素朴で純粋な期待がそれを増大させるきらいはたしかに濃厚です。

しかし、完成度の高い仕事を目指す以上、プロセスもまた万全であらねばならず、そこにかける情熱や時間は量ではなく質こそが問われるはずです。
但し、それは決して仕事の出来不出来を問うのではなく、
はたまたその優劣でもなく、もっと根本的な姿勢の質への願いなのです。

それは何であれ、今、与えられた仕事に真剣に向き合う誠実さへの期待です。
しかも、誠実か不誠実かは理屈を超えて伝わるものだからこそ、
断じて見逃すわけにはゆかない代物であり、言葉は説得力を失速させます。

本心の不誠実さを上辺の言葉でごまかせても、そんなことには価値のないことを怒りでしか伝えられない能力の限界。それを言葉にして伝えきれない限界。強い痛みを伴う、この実態把握を言葉の道場の鍛錬課題に心して掲げます。

2007年9月21日金曜日

悟りの極意

何事によらず、出来ない理由の筆頭はなんと言っても<忙しい>という事情に尽きるのでしょうか。はたから拝見している限りはどう贔屓目に見ても段取りが悪いだけだったり。先送りにした結果、余計な手数が増えたせいだったりというようにしか思えない場合も当の本人はそうは思わないのが世間の相場です。

かくいう私自身も人には言うまいと相当、覚悟を決めていても、何かの不手際やご無沙汰の理由を気がついたら忙しさのせいにしていたりします。

さらにこのあたりの事情が知識としてしっかり備わっている場合、ことが進捗しない状況への言い訳は単に忙しいの一点張りではなく、<やる気はあるのですが、時間がなくて>という具合に微妙に変化してゆくことになります。

ただし、どう取り繕ってみても、仮にその言い分の精度が100点満点の
レベルであっても所詮、言い訳は言い訳。このことをわきまえていないと
相当聞き苦しく、言えば言うほど価値を下げることになってゆきます。

それは簡単な約束ひとつも守れないのに、まわりが自分を信頼してくれない!と嘆く愚かさが、せいぜい20代前半までにだけ許される特権であるように。

しかもそれはやがて社会の常識という大きな壁にぶちあったってきちんと自らを律する方向に修正される前提で容認されるべき特権でしかないように。

どんな場合も事実は、厳然とそこにあり、それを変えるのは行動のみです。

さて、永平寺の管長によれば、『悟り』とは
『毎日、同じ時間に同じことをすること』だそうです。

それは人が見ていようがいまいが、自らのために行う大切な何かであって、
そうである以上は何事にも優先して、あるいは必ず取り組まねば成らない何かであるはずです。そしてそれを継続して獲得する成果とその継続そのものから育まれる自信という価値だけがラッキーにも悟りという頂への道筋を示唆してくれるようです。毎日、欠かさずにしていることは何ですか?

2007年9月20日木曜日

見慣れた光景の別の姿

我が家の市内移動手段は多岐に亘ります。
季節の良いときはトレーニングを兼ねて歩く!時間優先時は地下鉄、私鉄。
あるいは自宅から最も近いバス停から市バスで観光気分まで。

しかし、この夏の猛暑のせいで最近はタクシーにお世話になりっぱなし。
習慣とは恐ろしいもので、毎日、続くとそれが当たり前に思えてきます。

梅雨の頃までなら徒歩でしか移動しなかった近隣にもタクシー。
ちょっと荷物がかさばるとタクシー。時間がないからとタクシー。

歩く理由も歩かない理由も実に都合よく生み出されるものです。

そんな怠惰な習慣を反省した本日は久々にバス復活の吉日と相成りました。

このけなげな決意とその実践へのご褒美のように、いつもなら見逃していた
市バスならではの光景の中にちょっと楽しい発見がありました。
それは車内での<両替要請>への乗客の反応です。

よくある光景ながら、乗客が1万円札を出したらおつりがないという事態です。

いつものように運転手さんのマイク越しの声が『どなたか1万円札、両替していただける方はいらっしゃいませんか?』と尋ねてきます。

その言い方はたいてい不鮮明で、うっかりしていれば聞き逃しそうなアナウンスです。ところが不思議なことに車中の大半の乗客がきちんと反応しています。

ごそごそと財布を取り出して中身を確認したり、あったかな?と首をかしげて頭の中で点検している様子だったり。動きは人様々ですが、瞬間、車中には
とても見事に見知らぬ誰かの窮地を救え!という温かな空気が醸成されました。

見慣れた光景の中に別の何かを見た本日はなんだかとても得した気分です。

2007年9月19日水曜日

ビックリの連続

先週、前半の東京出張では研修会のほかに商談の予定があり、久々に五反田
エリアに出向いて、およそ2時間ほど滞在しておりました。

その帰り道、五反田駅に向かう道すがら、突然!『オミズ!』と実に懐かしい呼び方で、しかもやけに懐かしい声が耳に飛び込んできました。
声のほうに顔を向けてビックリ。通りに面した大きなビルの入り口になんとも懐かしい先輩の昔と変わらぬ姿がありました。

サラリーマン時代にとても親しくさせて頂きながら、最後は諸般の事情で送別会もままならぬまま、疎遠になってしまっていた先輩との偶然の再会の瞬間。そのビルが勤務先だそうで、事実は小説より奇なりとはまさにこのことです。

いかに狭い島国とは言いながら、この広い大都会の東京でこんなふうに巡り会うなんて、よほどのご縁としかいいようがありません。ゾクゾクしちゃいます。

さて、数日後、再び訪ねた東京で今度は家人とその友人の3人で
神田のとあるお鮨屋さんにお邪魔しておりました。
こちらは帝国劇場にその分店がある老舗、しかも美人女将。しかも美味しい。

威勢の良い板さんの見事な手さばきは江戸の情緒たっぷり。
芸能人御用達の様子は至る所に飾られた女将さんとの記念写真の語る通り。
この日は元関脇の寺尾さんが若いお相撲さんとご一緒にすぐそばで
勢いよく召し上がっていらっしゃいました。

翌日、我が家に戻り、またもやビックリ。
京都の四条烏丸勤務だった後輩が、神保町の三菱東京UFJに転勤しました!という挨拶状が目に留まったからです。なんと、前夜のお鮨屋さんとは目と鼻の先の位置関係です。これまた何やらえもいわれぬご縁を感じる次第です。

こういう不思議な何かの意味の謎解きにはもってこいの秋らしい夜です。

2007年9月18日火曜日

勇気を持って告白

先日、初対面のある方から『実物はソフトですね』と意味不明ながらも
どうも<ほめ言葉?>と思えるようなフレーズをつぶやくように頂戴しました。
直感的な嬉しさの余り、『何がですか?』と問い質しましたところ、写真より実物の方がソフトであるというお褒めの言葉と判明致しました。

さて遡る事、約一月。同様に初おめもじの紳士から『写真よりはずっとステキですよ!』とこちらはまちがいなく<ほめ言葉>を頂きました。

何のことかと申しますと、実はこのブログの本人顔写真のことです。

勇気を持って告白いたしますが、ブログスタート以来、1度も変更なしの
顔写真は自分ではなかなか賢そうで良い!と思い込んでおります。

加えて、さらに勇気を持って告白するならば、変更の仕方がわかっていないという非常に低い次元の原因も抱えてはおります。

ところが一部のご高説によりますと、実物の方が素晴らしいらしいのです。
これはもう驚き以外の何物でもなく、本人もビックリ仰天の事態です。
もしかしたらいつのまにか、美しく進化したのではあるまいかと
まじまじと鏡を見つめたりも致しましたが、真実はさておき、
写真は変えたほうが良いということだけが結論のようであります。

ついでに更なる勇気を持って告白いたしますが、もうひとつ、ビックリ仰天したことがあります。それは<メッセージ>なるものの存在をまったく知らず、つい最近になって、それを知ったことです。

お恥ずかしい限りですが、メッセージとして温かな励ましの声をお届けくださっていた方々にこの場を借りて深くお詫び申し上げます。

知っていることより知らないことの方が多いのは人生、究極の真理ですが、
あまりにも低次元ですと顔が上げづらいのも究極の心理です。
顔写真の変更もほとぼりの冷めた頃合にこっそり衣替えを企みます。

2007年9月17日月曜日

一流の証

サラリーマン時代には毎週、東京。あるいは数日おきに東京往復も決してめずらしくなく、そのおかげで都内の一流と称されるホテルにもけっこうお世話になり、たしかにその都度、出張規定以外の自己負担はかさむものの、それには代えられないほどの貴重で有意義な沢山の経験をさせて頂きました。

そんな一頃を懐かしく思い出すような先週の状況。週末にかけての2泊は穏やかな環境での体力温存を最優先に考え、加えておもてなし力の定点観測的な意味合いも兼ねて、老舗のホテルオークラに半年振りでお世話になりました。

幸い、ちょうど同じタイミングに東京での所用が生じた家人と2人だったせいもあり、一仕事終えた夕刻からホテル内のショッピングアーケードを眺めてまわり、そのままどこにも出掛けずに、ホテルの中のレストランでの夕食は
ある意味、ずい分久しぶりの体験でもありました。

東京に限らず、ビジネス出張でのホテルライフは眠るための空間重視になりがちで、パブリックスペースの醍醐味はせいぜいが朝食時くらいでしょうか。

それだけにプライオリティはリゾートホテルのソレとは異なり、基本的に
移動における便利さとある程度のクオリティが保障されていれば、安いに越したことはないという選択肢が上位に浮上することになります。

が、しかし仕事柄、話題のホテルやそのおもてなしの実体験も非常に
重要なテーマであり、日本を代表する老舗、一流ホテルはもとより、都内に
目白押しの外資系高級ホテルにも、バランスよく、お世話になりながら、
サービスのあり方の熱心な観察者であり、探求者でいたいと願っています。

さて、ホテル内での夕食時。いつもに比べてやや酒量を控えた分、余りそうになったワインボトルを、部屋に持ち帰っても良い?と悪気なく、若いウエイターに尋ねてみると即座に「はい」と実にさわやかなお返事を頂きました。

その笑顔と声は当たり前の対応ひとつも、こんなにも感じ良く、清々しく供することが出来るという、一流の証そのもの。良い気分までもご馳走様でした!

2007年9月16日日曜日

カンブリア宮殿

タイトル:カンブリア宮殿
出版社:日本経済新聞社
1、600円(税抜)

自宅のパソコンに向き合うこと自体が、時間的に不可能だった1週間が
なんとか無事に終了し、昨晩、やっと我が家に戻ってまいりました。

おかげさまで連日の研修モードも結果的にはたのしく有意義に取り組ませて
頂きましたが、今回は出足からかなり体調的に不調モードであったため、
関係各位には、ずい分、ご心配やらご迷惑をおかけしてしまいました。

それにしても7日間連続、点滴のような高価なドリンク剤の摂取と真剣な神頼みで、体調と元気のやりくりをしたのは今回が初めての体験でした。

振り返ってみれば、おそらくクーラー等による寝冷えが原因の初期の風邪症状での微熱、喉がれ、関節の痛みという顛末であったと判断していますが、仕事柄、あらためて体調管理の重要性と油断大敵を深く反省しております。

何はともあれ、その安堵感から、本日は久々に全身が見事に弛緩モード。

ようやく午後もかなり遅くなってから、パソコンを立ち上げ、おそるおそる
溜まっていたメールの点検に取り組みはじめました。

幸い、うろたえるような大事件メールもなく、返事の遅延を理由と共にお詫びすればお許しいただける案件ばかりでしたが、それに紛れて、ナント、若干名とはいえ、有志の方々から、ブログ更新、要請が届いておりました。

なんとも励ましのお言葉が嬉しい限り。この場を借りてお礼申し上げます。

気分、体調共にリハビリ中ということで、本日は先週、新幹線で読んだ中の
1冊をご紹介いたします。

テレビ東京系月曜午後10時から放映中の村上龍氏のトークライブ番組で、
日本を代表する経営者との対談記録です。

2007年9月9日日曜日

心を揺さぶる語り方(著者:一龍齋貞水)

タイトル:心を揺さぶる語り方
著者:一龍齋貞水<いちりゅうさい・ていすい>(重要無形文化財保持者)
初版:2007年8月10日
出版社:日本放送出版協会・生活人新書
700円(税抜)

曇り空ながら、休日のさわやかな朝です。おはようございます!!

さて、至って個人的なことながら、仕事柄、秋本番を迎え、今日から出張続きで、研修が集中するモードに元気良く、突入いたします。

前半は東京から静岡、一旦こちらに戻って大阪方面、そこからまたトンボ帰りのように東京に舞い戻るという慌しさも、実は内心、どこかでウキウキモードにしっかりと繋がっております。

その最大の理由はなんと言っても、数回に亘る、新幹線の往復の時間が
ゆったりした<読書タイム>として満喫できそうな可能性が高いからです。

もちろん、いつもはそんな悠長なことなど夢のまた夢で、新幹線乗車と共に
何かの原稿作成に追われたり、到着直後の何某かの準備のために一心不乱に
髪振り乱すような時間となってしまうことが大半です。

あるいは仕事が終わって、グッタリと熟睡モードが最優先されたり、
時には夏休みの家族連れ旅行気分の賑やかにそれさえも許してもらえず、
せいぜい週刊誌の斜め読みに貴重な数時間が搾取されることになったりと
思うに任せないのが昨今の出張事情です。

ところが今回は実に久々に、たのしい読書に充当できそうな幸せな予感です。

多少、荷物はかさばりますし、朝一の飛び込み案件の対応に、予定時刻の変更を余儀なくされましたが、それでも移動時間中の穏やかさは守れそうです。

さて、そんな本日、お薦めの1冊は読書の秋にふさわしく、
格調高い人間国宝の作品です。

2007年9月8日土曜日

挨拶言葉の使い分け

漠然とわかっているようでいて、あらためて問われると答えに困ってしまうことや、はっきりとした根拠もなく、なんとなくそうしているというようなことは平凡な日常の中で思っている以上に沢山、ありそうです。

昨日の<掃除の目的>もそのひとつなら、つい最近になって、思いがけず
気付かせて頂いたこととして<挨拶言葉の使い分け>があります。
ちなみに朝の挨拶の定番は何ですか?
おはよう!ですか?おはようございます!ですか?それとも混在型ですか?

個人的には家でも、仕事場でも概ね「おはようございます」。しかし、よく考えてみれば、かつてのサラリーマン時代の職場においては、同僚、部下、後輩、及びご近状や親戚の子ども達に対しては、「おはよう」と使い分けていました。

なぜ?と聞かれたら、なんとなく!と即答してしまいそうですが、やはり敬語として<ございます>の有無を相手によって使い分けていたように思います。

ところが先般、ある方から「私は誰に対しても、おはようございます!です」と伺いました。特にご近所の小さな子どもに対しても、親御さんに言うのと同様に、「おはようございます」と声をかけられるそうです。

その理由は、大人から「おはよう!」と声をかけられたら、子どもは子どもなりにどう答えればよいのかと悩むからというご意見でした。相手と同じように
「おはよう」と返してよいのか、「おはようございます」と言うべきなのか。

その点、大人からの物言いが「おはようございます」であれば、悩むことなく、この言葉が朝の挨拶の言葉として、自然に身につくはずとの見解でした。

相手によって言葉やその言い方を変えることの不自然さは、一方で美しい敬語文化の見事な醍醐味でもありますが、その使い分け根拠の曖昧さが時に微妙な快不快を生む可能性をはらんでいると考えるならば、いつ誰に対しても同じ言い方は言葉の鍛錬において思いのほかに重要なことかもしれません。

2007年9月7日金曜日

掃除の目的

おかげさまで今週末あたりから、さすがに秋のハイシーズンらしく、
いくつかの企業の研修会やら団体のセミナーなどが連続し、
絶対に身体を壊すわけにも、倒れるわけにもいかない状況にあります。

これは個人的にはとっても嬉しいことながら、その準備やら調整やらに追われ、
それでなくても日頃から片付かなさにおいては、人一倍課題の多い
我がデスク及びパソコンまわりはかなり見苦しく散らかり放題の有様です。

どうも昔から最も不得手な領域のひとつが<整理整頓>という課題であり、
いくつになっても如何ともしがたい頭の痛い状況がここに展開されています。

そういえば、サラリーマン時代に、雑多な資料が山積みで見るも無残な机の上を見咎めた、ある後輩から、冷ややかに質問されたことがあります。

その質問は<掃除の目的とは?>という非常に難易度の高い直球でした。

唐突な質問に戸惑いつつ、なんとかその場しのぎの賢い答えを模索したものの到底、思い浮かぶはずもなく、常日頃の思うままに率直に返球した答えは
<汚れたところをきれいにする>というものでした。

これを聞いた後輩はしばし呆れた顔をしつつ、でも穏やかに諭してくれました。

そもそも<掃除の目的とは>=<綺麗な状態を維持すること>なのだそうです。

つまり、汚くなったから綺麗にしましょう!ではなく、きれいな状態をいかにキープするか!この根本的な視点の違いこそが行動の差の大元であることに
大きな衝撃をもって気づかされた瞬間でした。

以来、行動を変えるためには、考え方を変えねばならないという大命題を、
ラッキーの真髄と心得えて精進しておりますが、ちっとも身についていない
実践力への鍛錬不足を深く濃く反省せざるを得ない週末です。

2007年9月4日火曜日

ほめ言葉の源

<成果をほめる>ということは、その成果に繋がる何某かの行動をしっかりと観察し、その価値を評価するという一連のプロセスがあり、結果だけを見て
ほめちゃおう!というような都合の良いものでは決してありません。

その意味では<ほめる>も<叱る>も労力は同じ。もっと冷静に見るならば、仕事の指示の段階から、手抜き厳禁の姿勢が問われることになります。

たとえば得意先への表敬訪問の手土産を準備するよう指示した場合、そもそもどのようなものがふさわしいのかというジャンルやら過去のリストやら、予算的なこと、季節的な配慮など、それなりの情報提供がなくてはなりません。

しかもそれを聞いている部下、後輩、担当者の顔つきを見ながら、理解度合いを斟酌することが指示する側の重大な責任でもあります。

期待したことがその通りに為されるか、成されないかは案外、この段階の手抜かり度合いに直結しています。なぜならば、解釈の違いもさることながら、大元の理解レベルにも相当な個人差があるからです。

新幹線の座席指定の手配ひとつも、慣れてくればあらかじめ第2、第3希望くらいは確認した上で対処するようになりますが、初めはそれすら難題です。

何時何分初の<のぞみ○号>の禁煙席!とだけ聞いて、駅まで行って、
満席でした!と舞い戻ってくるのは、よくある無駄足のパターンです。

それだけに指示段階でいくつかの代案を考え、用意できるならば、それなりの成果が見えてこようというものです。もしかすると、この見届けの有無こそが、労をねぎらう自然なほめ言葉の生みの親なのかも知れず、その意味でほめる力の源はゴールではなくスタートラインにあるのかもしれません。

「こんなこともできないのか」と叱らずに済む指導のヒントが、見えますか?

2007年9月3日月曜日

成果をほめる!

どうもこれだけ一気に涼しくなりますと、それはそれで戸惑うと申しますか、これもまた異常気象の為せる技なのかもしれませんが、うす曇の空になんだか秋の気配が非常に色濃く漂い、どこか困ったような複雑な面持ちになります。

とはいえ、永年お世話になった、ファッションアパレル業界や多くの流通業界では、季節の移り変わりは緩やかでない方が大いに有難く、これだけ潔くバトンタッチしてくれますと深い感謝に止まらず、自然と満面の笑みで温度計などに向かって褒め言葉を連発したくなるような嬉しい事態と拝察いたします。

ご承知の通り、そこかしこのデパートやショッピングセンターの衣替えは一般の生活気分よりは一足早く、ちょうどお盆休みあけくらいからは、順次、秋の演出に切り替えが始まり、夏物はもはやどこを探しても見当たらない様子です。

ところが通常は今頃はまだ秋とは名ばかり、当然ながら残暑も厳しく、秋物どころか、扇子もタオルハンカチも日傘も手放せない現実が往々にして9月の
下旬あたりまでは続くことになり、落ち着いた装いや新製品のディスプレイを
横目で眺めつつも、実売には遠く手の届かない我慢の日々となります。

つまり秋物商戦はあくまでも9月だから!という季節のイメージが何より最優先され、その先行モードと現実のアンバランスがお定まりの状況という次第。

ところがドッコイ、今年は現実と暦の滑らかな融合がかくも見事に展開され、勢い秋物の出足好調!という構図が予測され、その<成果>は幕を閉じて見なければわかりませんが、関係各位の期待は大きく膨らみそうです。

さて<ほめるコツ>は、まさにその<成果>をほめることでもあります。

何某かの具体的な行動がもたらしてくれた成果こそ、掛け値なしに賞賛に値するもの。『お蔭様で!』というねぎらいの言葉と共に必ずほめたい瞬間です。

2007年9月2日日曜日

あの有名人たちが成功した法則!(著者:來夢)

タイトル:あの有名人たちが成功した法則!
著者:來夢(らいむ) 
監修:神田昌典
出版社:大和書房(文庫)
648円(税抜)

個人的イベントとして恒例のゴルフの決勝大会が昨日、無事終了いたしました。結果はチーム2名の合計スコアが187で第12位という成績でした。

関係各位の皆様にこの場を借りて、ご報告申し上げます。
熱いご声援、そしてこれ以上の日焼けへのご心配等、ありがとうございました。

7月の予選大会の<スコア175>で、第3位通過という輝かしい戦績には及ばなかったものの、予選はレディスのティーグラウンドに対し、決勝はもう少し難易度アップのレギュラーティに時折バックティという設定のため、
冷静に考えてみて、まずまずの出来ではなかったかと思い返しております。

それにしても仕事の傍ら、いつも気がかり事項ナンバーワンとして
君臨していた課題が消化され、充足感と同じくらい寂しい気分になるのは、
すっかり秋らしくなった気温と弱々しげな蝉の鳴き声のせいでしょうか。

振り返れば、6年に及ぶ歴史の中で今回が1番良い成績を収めることが出来、
あらためて、応援してくれた家族やチームメイトに感謝、健康・体力に感謝、参加が出来た環境に感謝。それなりに頑張って練習とその時間捻出に悪戦苦闘した自身にも感謝。さらには記録的な猛暑の中を練習ラウンドに
おつきあいくださった皆々様に深く感謝いたします。

とはいえ、その感動の乾杯をお預けにしたまま、昨晩は夜の8時半から
とあるセミナーの仕事があり、我ながらタフな1日を無事、完遂した次第です。

何はともあれ、今年の夏も終わったぞ!気分の本日のお薦めの1冊。

細木先生の来年版もすでに発売されている中、ニアリーな路線ではありますが未来設計の比較検討素材として、お目通し頂くのも一興かと存じます。

2007年8月29日水曜日

繰り返す力

<ほめる>ということと、<叱る>ということは
決して対立する概念ではないといつの頃からか考え始めていました。

なぜならば、どちらもが<人を育てる>ための重要な手段と言えるからです。

俗に[ 役者殺すに刃物は要らぬ、、、]等と申しますが、つまり<ほめ殺し>なる言葉があるように、ひたすらほめちぎれば、人は有頂天の高みに登り詰め、
傲慢になり、努力を忘れ、やがて才能さえ枯れさせ、
簡単に自滅するという展開を意味しています。

では逆に日々、叱り続ければ、どうなってしまうのでしょうか。
おそらく非常に萎縮して、終始、周りの顔色を伺いながら、意見ひとつも述べられない可能性が生気のない雰囲気と共にぼんやりと見えるようです。

どちらも極端に偏れば、残念な結果に辿り着きそうですが、この両輪を
上手く機能させることが、実は優れた人材育成の大きな鍵といえます。

<ほめる>ということを引き立たせるためには、時に厳しく叱るという覚悟が
その土台になくてはならず、要するに全体を見渡す大きな視界が問われます。

同様に<叱る>ということを真に機能させるためには、
相手の良いところをしっかりと把握し、いつでも<ほめられる>という土台があってこそという真理にきちんと向き合わねばならないはずです。

その視点に照らせば、<ほめる>コツの2番手は<繰り返し>と気付きます。

すなわち、いつでもほめられるくらい、しっかりと認識している相手の
良いところは、<いつでも><何度でも><おなじことでも>ほめるという
<繰り返し>でグングンと丈夫さを増しそうな気がしませんか。

これは、簡単すぎて見落としがちな究極のコツかもしれません。

2007年8月25日土曜日

角を取らずに丸くなる

最近、めったに耳にすることはありませんが、人材育成の定番フレーズとして、昔はよく『もうちょっと角(カド)が取れて丸くならないとね』という表現で、上司や先輩が出来の悪い部下、後輩を諭したものです。

個人的な記憶としては40代に手が届きそうな頃まで、
事あるごとに実によく聞かされた言い回しであり、如何に不出来であったかの動かぬ証拠として、懐かしい言葉の響きでもあります。

平たく申せば、対人関係での揉め事が多い場合にこの言い方でたしなめることになりますが、どうも納得がいかず、ある日、辞書を引きました。
だいたい<角>とは何なのか?

短所や欠点というような意味合いであることは百も承知でありながら、
腹立ち紛れに辞書を調べてみると、その1番めには<物のとがって突き出した部分>とありました。次にあっさりと<隅>とあり、
その次には<道の曲がり目の所>とありました。予測していた表現はようやく
4番目に<不必要に感情を尖らせ、衝突しやすいこと>と記されていました。

このとき、目からウロコでストンと理解できたことがあります。

それは角は突き出した部分というだけで、だから良くないとは限らない!という発見でした。さらに自己流解釈を発展させれば、他よりも突き出している分、鍛え方によっては長所にも武器にもなるかもしれないと希望が膨らみました。

尖った所を削り取って、当初の面積を小さくして実現する<丸>ではなく、
突き出したところをさらに強化し、その得意領域を隣接部位に拡大し、この要領で突き出すところをどんどん増やせば、それはやがて限りなく丸に近づき、しかも当初の面積を越える大きさの<丸>になるはずと考えました。

前者を内接円、後者を外接円アプローチと名づけ、以来、角強化、実践中。
突き出た良さを、ほめて磨いて磨きぬく体質強化の週末となりますように!

2007年8月24日金曜日

記憶の不思議

今は亡き、鳳啓介氏と、今もお元気でご活躍中の京唄子氏の漫才の中で
1番のお気に入りは、ボケ役の啓介氏が妙に気取りながら言う口癖の
<忘れようとして、思い出せない>というピンボケフレーズでした。

同世代のある企業の役員さんは未だにこの言い回しを日常的に使用されていて、
年々、増加するきょとん!とした反応にめげない根性を尊敬すらしております。

つまり、忘れようとして、見事に忘れちゃった!ということなのですが、
実際には<忘れようとして忘れられないこと>と<思い出そうとして思い出せないこと>はどちらが多いのだろうと真剣に考えた記憶すら、なつかしい。

さて本日、忘れようとはしていなかったのに実に長い間、完全に忘れていた
ことをある方との打ち合わせの中で唐突に思い出しました。

それは私の中ではかなり衝撃的な出来事であり、そのおかげで明らかに意識のステージが変化したような、それなりの出来事でした。

あるいは明解に自らの価値観の拠り所に気付かされた出来事だったはずですが、日々の歳月の中で過去の多くの記憶の中に完全に埋没していました。

それにしても記憶のメカニズムって、本当に不思議ですね。
何かを思い出すまでの間は一切、意識の端っこにすら存在していない情報が
いったいぜんたいどういう仕組みでどうやって再生されるのでしょうか。

ある何かをきっかけにメチャ鮮明に甦える記憶は、その一瞬前までは
どこにどうやって身を潜めているのでしょうか。
反対に2度と思い出せないことはどこに封印されてしまうのでしょうか。

そこには人間の理解を越える何かがありそうな気がしませんか?
そしてそう考えたら、忘れることも、思い出すことも、とんでもなく
ラッキーな何かの思し召しなのかも知れませんね。

2007年8月21日火曜日

声に出す、言葉にする

明日は朝から終日セミナー。その準備で、あちらこちらからのネタ帖やら、
記事のファイルやらを引っ張り出して悪戦苦闘の夕刻、数時間。

とあるテーマを探しつつ、その勢いでつい本論と関係のないものにも、
読みふけってしまうが故にそもそも時間いっぱいの制限枠が
どんどんずれ込んで、またもやこんな時間に相成ってしまいました。

でもおかげで、なつかしいネタ帖からちょっとご紹介したい記録を
見つけました。それは数日前にご紹介した神様のポジションは南向きが多いという話の大元である、ドクターコパ氏に関する記録です。

手元のノートには2004年7月27日とあり、朝のハナマルマーケットで
ハナマルカフェのゲストとして登場された時のお話が走り書きしてあります。

実はコパさんは祖父の代からの大工さん家系で風水はもともと
その職業には不可欠な知識だったそうです。その知識を活かして、建設会社を経営される中で、幸運になる家への工夫を施していたら
何軒も上手くいき、その種明かしを10年位前から始めたら
それがあちらこちらで噂になって、本を書くまでになったのだそうです。

うろ覚えだった神様のポジションについては、そもそも人間は顔が北を向くと意識が集中するようになっているので、神社などは拝む人の意識が集中しやすいように北に神殿を配するのだとメモってありました。

人生、何事にも古くからの知恵やコツがあるなら、大いに参考にさせて頂きたいとあらためて、一人深くうなづいている次第です。

そういえば、あの立木義浩氏は上手な写真を撮るコツ、いの1番は
レンズのキャップをはずすこととおっしゃっていました。

さすれば、上手な<ほめ方>のいの1番は<声に出す、言葉にする>なのかもしれません。以心伝心を持って貴しとするDNAにはここが原点かも!

2007年8月20日月曜日

ほめるコツ

<ほめ言葉>というテーマを掲げながら、ついフラフラと暑さのあまり
蛇行を重ねておりますが、決して本題を忘れているわけではありません。
そこで早速、軌道を修正したいと思いますが、何といっても今日は週初め。

しかも多くのビジネスマンにおかれましては、連日の猛暑に
総攻撃され続けたハードなお盆休みが良くも悪くも終わり、
おかげでいつもの休日以上にぐったりと疲れきった身体を鞭打つようにして
出勤され、『アー、今日から仕事か』という気分の記念すべき長い1日が
ようやく終了したあたりではなかろうかとお察し申し上げます。

そこで本日はあくまでも軽めに、1日のクールダウンタッチで
<ほめる>時のコツを2つご紹介してみたいと思います。

<ほめる>コツ・いの一番は何といっても、<人前でほめる>です。

会議やミーティング中然り、打ち合わせや報告を受けているときなど、
社内ならば、いつどのタイミングでも、堂々と人前、仲間の前でほめる!
これが相手の気分を最高に盛り上げる効果的なほめ方の基本といえます。

<ほめる>コツ・意外な1番はナント言っても<かげでほめる>です。

大勢の人前でほめるのが<ほめ方>の王道だとすれば
影でこっそりほめるのは、すなわち<人づてにほめる>という一種の
ひねり技であり、これがまたほめられた側からすると
思いのほかに嬉しいものであったりします。

どなた様もこれまでに1度くらいはご経験がおありかと思いますが
上司から面と向かってほめられるのはそりゃ嬉しいものです。が、しかし
人づてに『A部長が貴方のことほめてたわよ』などと言われると、
不思議なほど大きな喜びがこみ上げてまいります。

人間心理の微妙な可愛らしさに乾杯したくなりませんか。

2007年8月19日日曜日

さくらパパ・ヨシロー語録(著者:横峯良郎)

タイトル:さくらパパ・ヨシロー語録
著者:横峯良郎
出版社:岳陽舎刊
1、400円(税抜)

天気予報を信じて少しは涼しくなった気分だけでも有難い本日。

久しぶりに丸1日、一心不乱にパソコンに向かい、かなり優秀な原稿作成マシーンと化してようやく予定の領域になんとか辿り着けたような現在の状況です。

元を、質せば自らの不徳の致すところが原因なのですが、
急な変更やら飛び込みの依頼やら予定の前倒しやらが重なるときは
重なるもので、それも含めて読みが甘いといえばそれまでながら、
実に青息吐息の1日を過ごすハメになってしまいました。

さらに8月に入ってから、時間を見つけては密かにマメに通っている
ゴルフのトレーニング疲れもどうやらピークに達し、おかげさまで
身体のあちらこちらが筋肉痛で痛いわ、部屋は暑いわ、締め切りは迫るわ
というなかなか充実の三重苦を堪能する1日と相成りました。

せめて少しでも早くと願った天候の崩れも、ようやく夜になって、やっと
その気配を漂わせ始め、先ほどから遠くで聞こえ始めている雷の音が
まもなく雨を運んでくるのでしょうか。

やっと仕事の目鼻がついた余裕で、窓の外に目をやった途端に、
大粒の雨が今、降り始めました。これで涼しくなりますように!

何はともあれ、9月1日の決勝大会に焦点を絞って、
ちょっとでも上手になりたいゴルフなのですが、これがまた本当に難しい。

なんで藍ちゃんや、さくらちゃんはあんなに上手で、しかも飛ぶのでしょうか。

ゴルファーならずともうらやましい限りの才能を育てたヨシローパパの本を
本日はご紹介いたします。

2007年8月18日土曜日

北向き、南向き

日が暮れて、多少なりとも過ごしやすさに安堵する本日の我が家の界隈。
さわさわと木々をはためかす風とかすかに聞こえる頼りなげな虫の声音に、
猛暑の記憶もほんのわずかに癒されるようです。

さて、実はここの所、寝ても覚めても考え続けている案件があり、なかなか
妙案浮かばず、ただ今、現在、生みの苦しみ継続中であります。ウーンと唸った回数で成果が出れば良いのですが、そうは問屋が卸さない最中です。

悩んでも苦しんでも答えの見つからない状況にあっては、昔から、
神頼みしかない!と非常に他力本願な本質がちゃっかり顔を見せます。
という訳で、毎朝、お向かいの梨木神社さんに手を合わせて神頼み中。

ちなみに8月に入ってからようやく、課題の朝ウォーキングを再開することが出来き、概ね毎朝、5時から6時頃に京都御苑の大外になる<森林浴コース>をせっせと万歩計を身につけて歩いております。

そこそこのスピードでテンポ良く歩いてゆくと1周で約45分。
歩数にしてみると平均6000歩と相成ります。

そのゴールポジションとして、梨木神社さんに伺い、朝から行列の出来ている
染井の名水をごくごく喉越しさわやかに頂き、どっと噴出した汗を拭い、
さわやかな心持で威勢よく拍手を打って真剣なお願いを続けております。

そもそも明解な持論のひとつが<願わないことは叶わない>である以上、
逆転すれば<一生懸命願えば、必ず叶う>と晴れやかに信じております。

ちなみに風水のドクターコパ氏によれば、神様のポジションは南向きが多いそうで、よって拝む方向は北向きとなる次第。このことから北を向くと集中力が高まるらしく、真剣に何かを考えるときには北向きがよろしいようであります。

私のデスクもパソコン画面が南向き、よって北向きで書いております。

2007年8月16日木曜日

夜空を染める、大文字

我が家のご近所の清浄華院では昨年から、放下鉾のお囃子方の生演奏が
送り火の前後に艶やかに境内で奏でられます。

どういう主旨の催しなのか、はっきり理解していないのですが
昨年は東京やら名古屋からのお客さんと共に送り火の後に、拝聴し、
今年は送り火の前にお邪魔して夏の風情を味わってまいりました。

万灯篭のほのかな灯りに照らし出される境内。

そこに鳴り響く、お囃子は一切合切のややこしいことや、
京都の夏の暑さや憂さを払わんとしてくれているかのようです。

さて、我が家の送り火・鑑賞スポットは定番の場所が決まっています。

それは寺町広小路の梨木神社を右手に眺めながら、京都御苑の清和院口御門を
入って、迎賓館の気配を右手に眺めながら少し西に進んだあたりです。

五山の送り火といえば、ここから目と鼻の先の出町の橋界隈が王道ですが、
その分、人混み具合も生半可ではなく、かなりハードな鑑賞になります。
それに比べれば、まちがいなく穴場の鑑賞スポットといえそうです。

幼い頃から毎年、ほぼ欠かさずに拝み続けている送り火を初めて
京都御苑の中から眺めたときの感動は、東山如意ヶ嶽を染め上げる大文字を
雑踏とは無縁のひっそり静かなロケーションで独占したことにありました。

しかしさすがにここ数年は、口コミから観光スポット化したようで、年々
鑑賞の人が増えてくるのが嬉しいような、寂しいような心持ちです。

最初に火が灯る<大文字>はご先祖様のこと。そのご先祖様が、次に燃え上がる<妙法>を聞きながら、西加茂の<船>に乗って、<左大文字>を眺めつつ、あちらの世界への<鳥居>をくぐって、戻ってゆかれるのだそうです。

2007年8月15日水曜日

お盆の宵に!

36度とか、37度といった記録的な猛暑続きのここ数日。

まるで体温に追いつけ追い越せモードの気温の上昇に
全面的に敗北宣言をしている有様ですが、事態は容赦なく厳しさは緩みません。

この暑さの中、ちなみにここ数日あたりはやはり、大多数の皆様におかれましては恒例のお盆休みという状況なのでしょうか。

実は個人的体験としては、会社まるごとの夏季一斉休暇という時代は
ずい分前に終焉を迎え、夏休みは各自が好きなときに取るスタイルが
長かったせいで、大概はお盆を外して休暇を取得しておりました。

その分お盆休みは出勤せざるを得ないのですが、ドッコイこれがかなり快適。
電車は空いている、仕事には集中できる天国日和の記憶しかありません。

加えてフリーになった現在ではそもそもの休日の感覚自体がかなり
世間一般とはズレが生じ始めているような気がしてお尋ねした塩梅です。

しかも夫婦揃って京都生まれの京都育ちのため、帰省という手間や
大変さがない分、逆にふるさとへの郷愁やロマンもなく、
お盆休みの有難みや重みがもともとにおいて希薄なのかもしれません。

それでもいよいよ明日に迫った、大文字の送り火はやはり夏の大事な風物詩。

そして明日の夜、その送り火を道案内にしながら、
あちらの世界に帰ってゆかれる魂が今はここに、すぐそばに
在ると思って、しばし思い出を辿ってみれば、なつかしい祖父や祖母の顔が
ありありと思い出され、そこには故郷ならぬ生命の原風景までが広がります。

遠い記憶の中の温かく嬉しかった<ほめ言葉>にも巡り合えるかも、、、
今宵は静かに、今は亡き大切な方との思い出でしばし、暑さを忘れませんか。

2007年8月12日日曜日

アザースという日本語

記憶に残る、研修会はなんと前日のブログのコピーを事務局の方が用意して
配布してくださる!という思いがけない状況でスタートいたしました。

当方の勝手な自己満足の感無量度が常識の枠をはるかに越えていたせいか、
はたまた事務局の限りなくお優しいお心配りの賜物か。

ブログコピーの配布された直後の研修会場はしばし、感動渦巻く、ファイナルステージの様相を呈しましたが、さすがにそこは海千山千のベテランメンバーの身のこなしで、号泣も絶叫もなく、穏やかかつ和やかな空気方向にハンドリングされ、しっかりとした締めの1日に盛り立てて頂きました。

さらに終了後は交流懇親会まで設けて頂き、本当に感謝しております!
この場を借りて関係各位に深く厚く御礼申し上げます。
それにしてもお酒の席では時間があっ!という間に過ぎてしまい、
後でゆっくりそばに移動して、お話しようと思っていた東京の皆さん!
大変、失礼しました。秋からの研修でそちらに伺った折にぜひご一緒ください。

さて、なんとも充実した気分で京都駅に戻ったのが22時を少し回ったあたり。

心地よい疲れのままにお決まりのタクシー乗り場へ向かう途中、
大きなスーツケースを引きずる若い女性2人に道を尋ねられました。
目指すは四条河原町、しかもここから徒歩で。目的地はそのあたりの漫画喫茶。
いくら狭い京都でも荷物の多さから推測すれば1時間はかかりそうです。

幸い気分は最高、かつほろ酔いの好条件に加え、当方の帰り道でもあるため、見知らぬ若い2人を乗せて出発進行!四国から遊びに来て、今日が2泊目、
あさっては仕事なので、明日には戻るとのこと。だからお土産もいっぱい。
それにしても社会人とは。しかも漫画喫茶。しかも女性です。

嬉しそうに四条河原町で何度も手を振る2人が言う「ありがとうございます」は明るくさわやかだが、なぜか「アザァース」にしか聞こえない。
惜しい!と感じさせる、不思議なご縁がこうしてまた背中を押してくれます。

2007年8月10日金曜日

出会いには感謝を!

この春から担当させて頂いた、ある企業の研修がおかげさまで予定通り
順調に進み、とうとう明日、最終回を迎えることになりました。

本日は朝から日が暮れるまで、まるでサウナ風呂状態の1日でしたが、
24名の参加者のフルネームを何度となく反芻しながら、その準備に没頭。

顔と名前だけでなく、その声や話し方や身体全体から溢れる雰囲気までもが
しっかりとインプットされた分、なにやら別れを惜しむモードがかなり色濃く
我が身に漂い始めております。こういうのも加齢の為せる技なのでしょうか。
妙に切なさがこみ上げたりして、勝手に感無量状態で困ったものです。

それにしてもつけっぱなしでは身体に悪いからと、クーラーを切った途端に
吹き出す汗にまみれながら、どこかしら気分だけはセンチメンタルな秋模様の姿は冷静に眺めれば、相当漫画チックで笑える有様です。

たまたま、別のステージの研修が秋から新たに始まるため、決して永遠のお別れでもないのですが、ひとつの区切りに対してこんな気分にさせて頂けるのは
きっと素敵なご縁であった動かぬ証拠とあらためて感謝したい思いです。

仕事柄、通年で見れば、かなり沢山の方々との貴重な出会いを頂くものの、
そのご縁の先行きは実に様々です。

心から、よい関係を願っていてもなぜかしらギクシャクした方向に進んでしまうものもあれば、さして努力をしたわけでもないのになんとなくトントン拍子に心地よい方面に転がってゆく場合もあります。

こればっかりは、どうも人智を超えた何かがそこに自然の摂理として
見事に介在しているような、年々、そんな思いが深まってゆきます。

良くも悪くも、それも含めてご縁という次第なら、相手はどうあれ、未来はどうあれ、自分の気持ちにだけは責任を持ち、出会いに感謝を忘れないこと。
これ、絶対にラッキーの王道です。

2007年8月9日木曜日

顧客の悩み

永年のヘアカラー習慣は年齢的な課題も加わって頻度が増し、
これに好き好んで炎天下で紫外線を浴びる生活習慣の日々が加勢して、
ここ数年の個人的気がかり事項の筆頭はパサパサのダメージヘアです。

なんとかしなくちゃいけないと気になりつつ、具体的な手が打てず、
放置し続けた課題に遂にきちんと向き合うことにいたしました。

この気分は強いて申せば、かれこれ7年前に長い間、吸い続けたタバコを
スパッとやめた感覚にとてもよく似ています。

20歳になる直前から吸い始めて、45歳の誕生日の朝をもって、やめた経緯は、それ以前の数年をかけて、実に沢山の事が気になってしょうがないからだったように今、あらためて思えます。

たとえば、身体に良くない。吸える場所が少ない。禁煙のレストランなどでは落ち着かない。自宅の壁が汚れる。火の始末が気になる。吸わない人に気を使わなくてはいけない。ライターを常備せねばならない。お金も掛かる。

幾重にも積み重なった気がかりに背中を押されるようにして実現できた禁煙は
我ながら一切、苦痛もなく、今ではタバコの煙が苦手という有様です。

さて、ダメージヘア対策は行きつけの美容院での徹底ケアを決意して、
時間もお金もかけましょう!という固い覚悟の代物です。

ところがこの決意と頻度で美容院に通い始めてみると、スタッフの技量の差が如実に体感され、思いがけない悩みに向き合うハメになっております。

シャンプーもマッサージも下手だと耐え難く、かといって文句を言う勇気もなく悶々と無口を通す分、上手なスッタフに対しては、ほめ言葉がスラスラと言葉になって溢れます。<さすがね、お上手!><さすがですね>と連呼しておりますが、この顧客の悩みはいつか読み取ってもらえるものでしょうか。

2007年8月8日水曜日

夜空の花火に!

8月の声を聞いて早くも8日めの今日、8月8日。

京都市内にも夏らしい入道雲がくっきりと姿を現していましたが
毎年、ぞろ目のこの日がなんとなく好きです。

いかにも夏らしい数字の並び!というだけでなく、サラリーマン時代に
あっけらかんとした性格で決断の早かった上司の誕生日でもあり、その方の
印象と誕生日へのお祝い気分がブレンドされ、おめでたい日の印象を形成。

だいたい、末広がりの八が二つ重なる以上、何が何でも
きっと良いことがあるに違いないという根拠の浅い理由も加わります。

さらにたしか、毎年この日は琵琶湖の浜大津の花火大会のはず。
この界隈の花火大会の中では、かなりゴージャスかつ大規模なものです。

そう言えば、うっかりゴルフの帰りに名神で通過しようものなら、
大津あたりで異常な渋滞に巻き込まれて大変な目にあったことも何度かあり、おかげさまでしっかりと記憶にインプットされた気がいたします。

加えて、会社の組合企画などで<お弁当にビールがついて、参加費500円>
みたいな花火観賞企画もあり、結局、1度も参加はしなかったはずなのに、
なぜか、しみじみと懐かしい記憶の1ページになっているようです。

そういえば今年は、いつかはぜひ、拝みたいと思っている、PLの花火大会の<S席のお誘い>があったにもかかわらず、出張が重なって断念したばかり。

そして今日も、きっと今頃、、、綺麗なのだろうな、、、と思いつつ。 仕事です。

あまりの美しさに感動して、つぶやくように声に出る言葉は<見事ですね>
もちろん、誰かに手際の良さを<ほめる言葉>として威勢よくも使います。
<お見事です!><実に見事です>と惚れ惚れした時に使いたい言葉です。

2007年8月7日火曜日

ほめ言葉の種

お互いに快適に気分よく暮らすために、家庭でも職場でもご近所でも
しっかりと身につけたい<ほめ言葉>ですが、覚悟を決めて、勢い込んだら
上手くなるわけではなく、そこには地道な実践の積み重ねが問われます。

そこで日頃から、さりげなく<相手の言動>を認める言葉を
声に出して言う訓練を自らの課題に掲げておくという策が効果的です。

これは文字にすれば、どうということのないように思えますが、実際に
挑戦してみればかなり難しい課題であることにすぐに気付けます。

なぜならば、<相手の言動>を認めるためには、相当まわりの人間の言動に
素直な興味、関心を持って<観察>をしなければならないからです。

しかもそれは誰かの言動を批判したり、揚げ足を取るための<監視>ではなく、
やがて褒め言葉の種となる事実への素朴な<観察>を標榜しています。

大好きな誰かのことならいざ知らず、どうでもいい程度の誰かのことを
常時、さりげなく気を抜かず観察することはかなり難易度大のテーマですね。

しかし、ごく日常的なありふれた光景の中で、誰かの何かを声に出して、
言葉として認めるというクセ付けなくして、それを<褒める>という次元に
進化させる手立ては見当たらないようにも思えます。

何かを褒めるということは<認める>ことこそが原点です。

たとえば、エレベーターを使わずに階段利用で健康管理に努めている誰かに
対して、「いつも階段ですね」と声に出して事実を認めることが出発点。
やがて、「いつも階段なんて、すごいですね」と心底、感心していれば、
自然な<ほめ言葉>がそこの生まれることになります。

自分以外の他人に無関心では芽生えない種がそこにあります。

2007年8月6日月曜日

★目で言いたい言葉

札幌での研修は道内に多くの店舗を展開されている、大手専門店の店長さんが対象でした。札幌を中心に数店舗と苫小牧、旭川、釧路、登別からの面々。

久しぶりの店長集合研修ということで、モチベーションアップを軸にしつつ、テーマは多岐に亘りましたが、その中のひとつとして、グループワークで
挑戦して頂いたのは、<ほめ言葉>のボキャブラリーの点検です。

お客様へはもとより、職場の上司や同僚、何より日々、店舗で接する運命共同体のスタッフの意欲喚起と効果的な指導の鍵を握る重要な言葉の点検です。

<ほめ言葉>と一口に言っても誰がターゲットなのか。どのタイミングで言うのか。何を言うのかなど、あらためてそうしたことをいちいち意識しつつ、
それらの言葉を切り取って羅列しようとするとこれが思いのほか難題です。

日頃、使い込んでいるはずの言葉や言い回しが思うようには出てきません。
そして実はここに肝心要の大きな気付きが隠されています。

すなわち、もし、いつもスラスラと滑らかに周囲の人を褒めているならば、
その言葉は確実にいつも通りスラスラと出てくるはず!ということです。

ところが、もどかしいほど、いつものように出てこないのは、
すなわち、イメージしているほどには言っていないからに他なりません。

心がぐらっ!と揺さぶられるような<ほめ言葉>から、さらりとした微笑みが似合うような軽い<ほめ言葉>まで、そのときその場にふさわしい言葉の在庫の確立のためには、定期的に言葉の洗い出しが必要です。
そしてその言葉をどんな言い方で言うのか。言う練習も当然、必要です。

では実践のヒントとして、かなり優れていると思うときに、間髪いれずに
使いたい言葉として「すばらしいです」をお薦めいたします。
この言葉は漫画なら目の中に最低2つは星を飛ばして言う勢いです。
キラキラのアイコンタクトで言葉に一層の輝きを添えましょう。

2007年8月5日日曜日

眠りながら「綺麗」になる本(著者:西原克成)

タイトル:眠りながら「綺麗」になる本
著者:西原克成(医学博士)
出版社:三笠書房(王様文庫)
476円(税抜)

北の大地、札幌への出張は数えてみれば、1年半ぶり。
しかも真夏の8月に避暑気分が味わえる、絶好のロケーションでもあります。

そこで当然の事ながら、今回のスケジュールが飛び込んできた
6月初旬の段階では、果てしなく楽しいプランが矢継ぎ早に頭に浮かび、
まずはゴルフ!できれば話題の旭山動物園!可能ならサミット前に
ウィンザーホテル洞爺にと、めまぐるしく要望がフラッシュします!

もちろん仕事で伺うのですが、前後にどんなオプショナルツアーを
プラスさせるかはあくまでも個人的な裁量の問題です。

但し、我が家の場合、最大の難問は愛犬バレンのお留守番問題でしたが、
幸い、昨年、優しくて素敵なペットシッターさんとの出会いがあり、
通いで面倒を見て頂けるようになり、ナントこちらの都合もOKでした。

ところが、段取りの詰めにかかり始めた矢先にまるで事情を察知したかのようにワンちゃんの体調があちこちおかしくなっての病院通いの日々。
致し方なく、プラスアルファの小旅行企画は断念した次第です。

さて、内心の残念さをわずかに抱えつつ、伊丹から2時間の空の旅。
迎えてくれた新千歳空港は台風の影響で涼風どころか熱風モード。
当然、札幌市内も蒸し暑く!むしむしと京都とちっとも変わらない有様です。
しかも断続的な雨、その意味では室内の研修にはうってつけの好条件でした。

さて行きの機内で読みきった1冊が本日のお薦めです。

およそ5kgの頭の重さが顔や歯並びの歪みの原因とならないようにあお向けに寝ることの大切さにはあらためてビックリ!<あお向け・小の字・枕なし>
なぜ枕が不要かも重力及び口呼吸との関わりで大いに納得できます。

2007年8月1日水曜日

御礼と2年目の思惑

夏空がドーンと広がる今日、8月1日。
気分的には子供達のように、夏休みモードでのんびりと過ごしたいのですが、
現実はそうは問屋が卸さないのは大人の皆様のご同様の実態でしょうか。

さて、昨日のブログに関しましては、沢山のお祝いメッセージを頂き、
本当にありがとうございます。とても嬉しく読ませて頂きました。
個人的にパソコンや携帯にメッセージを下さった方々にも
この場をお借りして、心から御礼申し上げます。

日頃はなかなか困難な<自画自賛>がこんなにもおおっぴらに各方面から
お許しいただけて、とても幸せです。

もちろんこれからもブログは続けて参りますが、この1年間の実践で、
学ばせて頂いた事を上手に活かしながら、新たな目標を掲げたいと思います。

ちなみに毎日、ブログを更新しておりますと、その更新時間がいわば、
在宅証明みたいなことになるようで、その直後に電話が掛かってくると
いうような愉快なことが沢山あります。メチャ、タイムリーな反応です。

あるいは旅行に行く!と言ってたくせに、きちんと更新されているせいで、
挙動不審に思われたり、「今どこ?」と携帯で問い詰められたり。

それはそれでかなりおもしろい!と実は内心、楽しんでいたりします。
この楽しさを手放せるはずもなく、そうした側面からも今後ともマメに
書き綴って参りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

しかしながら、公私共々の周辺各位への情報精度の標準化と信憑性の復活、
そして個人的な負担の軽減を踏まえ、これからは<出張及び休暇並びに業務多忙時、及び一身上の都合などの場合>はお休みさせて頂きまぁーす。

という訳で、早速、明日から数日、研修で札幌に出張いたします。
数日後に札幌の涼風報告をお届け申し上げます。

2007年7月31日火曜日

トレビアーン!365

京都では朝から真夏日の今日は7月の最終日、31日です。

ごく個人的なことではありますが、これまでの人生においてこの日が
特別な意味を持つことは、たしか なかったように思われます。
という程度の曖昧な記憶に紛れてしまう数多くの1日に過ぎませんでした。

ところが、今日はちょっとばかり、様子が違います。
実は本日、ブログの更新記録、連続365日をこの稿で達成いたしました。

岡村さんや事務局ののぶさんにお声を掛けて頂き、
昨年の8月1日から、ラッキー水谷のブログをスタートして
今日でちょうど1年間を書き続けたことになります。バンザイ!です。

ブログのスタートにあたっては実は密かに目標を掲げておりました。

その目標とは<とにかく毎日、更新する>それを<1年間、継続する>
しかも<ワード原稿の量をA4用紙1枚分くらいで統一して書く>
この3つを自分の中のハードルにして、毎日エイ!っと飛び越えてきました。

とはいえ、パソコンが持参できない出張やら休暇の期間などは、まとめ書きした原稿を事務局にお願いして、更新手続きをお助け頂いたこともありました。

また研修が連続していた秋頃には、毎朝4時に起きて書いていました。
ゴルフでグッタリの日も書き上げるまでは飲まない!で踏ん張りました。

<決意したら出来る!>ということを身をもって体験させて頂き、光栄です。

その目標達成の日にどんな内容を書くことになるのか、さすがにこれは
1年前には想像すら出来ませんでしたが、なんとも間の良いことに、
ここのところのベーステーマは<ほめ言葉>ではありませんか!

では、惜しみなく、威勢よく!<トレビアーン!すばらしい!すごい!>

2007年7月30日月曜日

花火のように威勢よく!

<ほめ言葉>の効能はなんと言っても<気分の良さ>にあります。

ごくごく日常的な朝夕の挨拶代わりのようなものから、かなり露骨に魂胆が
見え隠れするようなものまで、<ほめ言葉>の種類は千差万別です。

前者においては ご近所でお互い様の庭の手入れの良さを褒めあったり、
飼っているワンちゃんのお利口さん加減をほめてみたり、あるいは
何某かの当番へのねぎらいを込めて、手際の良さをほめたりします。

こちらは実に罪もなく、根拠も浅く、他愛無いながらも
社交辞令としてはしっかりと確立されている領域でもあり、
これが使いこなせるようになって初めて一人前!といえそうです。

一方、後者はビジネス上の思惑がらみでかなり温度差がありそうですが、
たまたまそばで聞いていると、思わず目が点になって、
あやうく噴出してしまいそうなほど、見え透いたものもあります。

そんなときは思わず、両者の顔をまじまじと見つめることになりますが、
そこであらためて驚かされるのは、言っている方はもとより、
言われている方も案外、まんざらでもない様子であることです。

しかも仕事上においては、その結果、気持ちよく仕事に取り組んで頂くことが出来、さらにその仕事に対して、予想以上の成果を収めて貰える事も期待できるならば、<ほめ言葉>効果に注目しないわけにはゆきません。

そこまで<歯が浮くようなことをよく言えますね>と内心、感心しながら
冷静に観察を続けさせて頂いた、サラリーマン時代の結論としては、
<ほめ言葉>は相当、お上手が勝っても見事に通用すると確信しています。

逆に申せば、遠慮がちではせっかくの効果が半減するかも。故にほめるときには思い切ってドーンとほめる!花火みたいにドドーンと威勢よくがコツです。

2007年7月29日日曜日

ひかりの空(著者:はかざま鋭二)

タイトル:ひかりの空
著者:はかざま鋭二
出版社:小学館(ヤングサンデーコミックス)
505円(税抜)

毎年、この季節には個人的に少し緊張する舞台として、日経新聞社が主催している<企業対抗レディースゴルフトーナメント>に出場しております。

この大会は正式な競技会としての運営が始まって今年で6年目になりますが、
その1年前に行われた前哨戦的な開催を入れると事実上は今年が7回目。

そもそもはチキンラーメンの日清食品が経営母体である、日清都CCが
女性ゴルファーの発掘、開拓、囲い込み!というような狙いで日経新聞や
テレビ大阪とタイアップして始められたものになります。

このため、事実上の第1回大会は競技というよりは、ゴルフのイベント!

ゴルフ大好きタレントの岡本夏生さんやブレイクする直前の叶姉妹の妹、
叶美香さんなどの女性タレントチームの参加もあるなど、実に華やかで
和気あいあいのリクレーションモードの構成でした。

これがどうもそれなりの反響があったようで、翌年からはしっかりした
競技スタイルが組まれ、年を重ねるごとに参加者も増え、今や全国から
腕に覚えのある強者が参加する大会に発展したという次第です。

さて、今年度の最終予選日が本日行われ、元気に参加してまいりました。
毎回30チームが参戦し、2名のトータルスコアで上位10チームまでが
決勝に進めますが、相棒のおかげでナント第3位で予選を通過いたしました。

一応、6年間、連続で決勝にまで進んできましたが、今回はかなりの快挙です。

そこで本日は気分の良い余韻に浸りながら、たのしくゴルフを眺められる
1冊として<ひかりの空>という漫画をお薦めします。

2007年7月28日土曜日

責任泥棒

誰にだって、長所もあれば、短所もあります。その両方がきちんと見えるようになるためにはお互い様にかなりの根気と長い歳月が必要なようです。

このため、たいていの間柄では完全理解などは求めず、
適当なところで妥協して後は<見ない・掘り下げない・追求しない>という
姿勢でバランスの良い人間関係を目指して行くものかもしれません。

とりわけビジネスモードでは、特別に相性が良くない限りは
ある程度の距離感は絶対に必要であり、そのおかげで余計なものはあえて
見なくても済む工夫が施されているかのようです。

誰に教わったフレーズなのかは忘れてしまいましたが、自身の備忘録に
「もし、相手の短所を指摘しようと思うのであれば、相手の長所がすべて理解できてからにしなさい」と書きとめてあります。

考えてみれば、自分の長所、短所さえも自信を持って把握、分析できないのに、どうやって他人のそれがすべて把握できるのか、はなはだ疑問です。

ということは、すなわち、そんなことは一生かかっても無理ということであり、転じれば、そんなことはしてはいけない!という意味になります。

誰かの長所をすべて理解して、短所の指摘に取り掛かるような、そんな時間があるならば、自分のなすべきことに集中しなさいということでしょうか。

そういえば、<責任泥棒>という言葉があります。

たとえば、いつも遅刻ばかりしている誰かさんの<時間にルーズ>という短所を心配して、アレコレ気に病むことは、その本人が負うべき責任を勝手に背負い込むことであり、ハッキリ言って余計なお世話という意味合いです。

人の責任を盗むような暇があるなら、自分の責任を全うしてからにしましょう。

2007年7月27日金曜日

自然へのほめ言葉

真夏日の炎天下で、まるで難行苦行のようにゴルフに興じておりますと
これからの季節は<にわか雨、夕立、雷>等に頻繁に遭遇いたします。

特に雷に関しては、個人の都合ではなくゴルフ場の判断でプレイ中断の
サイレンが鳴り響き、指示が出されます。
これが解除されるまで、長いときには1時間近く、特にたいていは集中的な雨を伴うため、非難小屋の蒸し暑い中で待たなくてはなりません。

こうした状況にあってはつい文句が言いたくなりますが、個人的に好きなものとしては、ある御仁の口癖で<ひと雨、300万、いいですね>という
まるで<自然へのほめ言葉>のようなコメントがあります。

どういう意味かと申しますと<この広大なゴルフ場に、もし一斉に水撒きを
したら、少なくとも300万円くらいの大金がかかりそうなところを今日は激しい雨のおかげで得が出来ていいですね!>という意味になります。

一向に降り止む気配のない雨と雷雲を拝みながら、そのことを憾んだり、
嘆いたりせず、まったく別の解釈でもって、自然のもたらすものを<ほめる>に転じるところが絶妙です。

仮に散水したとして、実際にどのくらいの経費が必要なのかは知りませんが、不思議な説得力のある言い方の中に、自然への逆らいがたい敬意と感謝の気配。
しかも自らの置かれている環境をできるだけ肯定して、ぐずぐずと文句だけは言うまいと決意している潔さが小気味良くはありませんか?

さて、このコメントに<なるほどそりゃいい>と賛同する方、半分。
かたや<そんなにかかるもんか>とか<ゴルフ場は儲けても、
我々の時間は損だよ>と何某かのイチャモンをつけて反対する方、半分。

人の見方は様々ですが、どちらが正しいとか、間違いというのではなく、
どちらがラッキーなものの見方かと問えば、、、さてどうなのでしょうか。

2007年7月26日木曜日

いいですね・バリエーション

<ほめ上手>の原点にあるのは言うまでもなく、相手の存在を<認め>
その言動の良し悪しをありのままに<認める>ことにあります。

たとえば、毎朝誰よりも早く出勤している誰かに対しては
「毎朝、早いですね」と声をかけることが<認める>ことになります。

反対に毎朝、遅刻寸前の相手にも<毎朝、遅いですね>と認めます。

つまり、評価を交えずに事実を指摘することが基本のステージであり、
その<認める>ことの先に<ほめる>が出現します。

故に<毎朝、誰よりも早いという行為>が素晴らしいと思えるなら
「毎朝、早いですね。さすが!といつも感心しています」と言えば、
これが<認めたものを評価する>すなわち、<ほめる>ことになります。

あるいは毎朝という継続性に注目して、
「毎朝、必ず実行できるのはよほど自己管理能力が高いからですね。
とても素晴らしいお手本として是非、見習わせて頂きます。」と言えれば、
かなり好感度の高いほめ言葉になります。

つまり、<ほめる>ためにはまずは<認める>ことが不可欠であり、
できるだけ具体的に認めることが、上手なほめ方への基礎課題といえます。

そこで<いいですね>という超便利フレーズも
できるだけ具体的な指摘を絡ませながら使いこなしたいですね。たとえば、、

<いつも元気が良くていいですね!><笑顔がいいですね。>
<そのやり方がいいですね><姿勢がいいですね><立ち方がいいですね>
<今年の新人は皆、返事がハキハキしていていいですね>
<今回の新製品はなかなかいいですね><あっ、今のひと言、いいですね>
<予想以上にかなり、いいですね><この音楽、最高にいいですね>
<いい出来上がりですね><いいですね、この線でいきましょう>等など。

2007年7月25日水曜日

広範囲で使いたい<いいですね!>

誰かの何気ないひと言で、スッと気持ちが晴れて気分爽快になれることがあります。反対にちょっとした言葉が胸に突き刺さり、気が滅入る事もあります。

とりわけハイストレスな現代社会においては、ビジネスシーンのみならず
様々な生活シーンの中で油断も隙もない勢いでイライラの種が激増中。

このリスキーな環境を巧みに泳ぎぬくためには、心身のバランス感覚を
日頃からきっちりとメンテナンスして、鍛えることが求められます。
その上で、<自画自賛・上手>の習慣化があれば、鬼に金棒です。

でも、誰か他の人に褒めてもらえるほうが金棒度はさらにアップします。

つまり本音で言えば、人は誰だって、いつだって、ほめられたい!生き物です。
しかもいくつになっても、ほめられたい。偉くなってもほめられたい。
どんな些細なことでもほめられたいし、何度でも繰り返しほめられたい。

この人間の本音をどこまでしっかりと理解しているかが、実は
<ほめ上手>への案外、重要な鍵を握っております。

なぜなら<ほめ下手>の本音はそんな歯の浮くような<ほめ言葉>を
誰も本気で喜ばないはず!とどうも本気で思っている節があるからです。

だからこそ、あえてほめたりしないという流れが形成されます。

その結果、些細なことは言うに及ばず、相当にほめやすい絶好の機会すら、
見逃してしまうことになり、相互の関係は思いとは裏腹にだんだんと
居心地の良くない方向にハンドリングされることになります。

気持ちの中で、<いいな!>と思ったときにとにかく声に出してみませんか。
それが何であれ応用範囲が広いのでケッコウ使えます。
シンプルかつ、言いやすく、受け止めやすい<いいですね!>という言い方は
<ほめ上手>のウォーミングアップモードとして毎日ご活用のほど!

2007年7月24日火曜日

自画自賛のすすめ

<自画自賛>といえば、なんだかちょっと愚かなイメージが浮かびますが、
自分で自分のことをきちんと認められることは実はとても重要です。

しかも、うぬぼれや思い込みではなく冷静に、客観的に自己を見つめ
良い点は内心、密かに絶賛し、悪い点については真摯に反省するためには
よほどしっかりと自己分析が出来なければなりません。

しかも自らの良さがわからない人間に他人の良さがわかるはずもなく、
その意味からすれば、<ほめ上手>を目指す以上は
まずは<自画自賛上手>であらねばならないという図式が見えて参ります。

ところが<謙遜>を最大の美徳と認知する従来型の日本人的感覚から申せば、
<自画自賛>は愚の骨頂であり、周辺各位のご賛同を頂けないばかりか、
叱責、批判、中傷、憤り、陰口等の矢面に立たされることになります。

しかし、自分に対しての最大の理解者である立場から、意欲喚起のための
温かな声援や自信を強めるための<ほめ言葉>はなくてはならないものです。

そこで他者の目や耳を気にせずに、安心して自分自身を褒めちぎるために
寝る前のひとときが大変、効果的といえる次第です。

しかも、いわゆる<潜在意識>に働きかけることで暗示効果の増大を狙うなら、
<眠りに就く前>だけでなく、<目覚めた直後>も大きなチャンスです。

なぜなら、この2つのタイミングは<潜在意識>と<顕在意識>が、
ちょうどバトンタッチをして入れ替わるタイミングになるからです。

このタイミングに意識して<良いイメージ>を持つこと、つまり自分をほめる習慣は人生を思い通りに構築する上において、どうやら本当に重要なことの
ようですが、バカバカしいと一笑に付すか、信じるかは自由です。

今日も眠る直前は<自己反省>でなく、<自画自賛>でいきましょう!

2007年7月23日月曜日

ほめ上手への心構え

<大人の話し方>というベーステーマのもとに、ここしばらくは
【相手の気分を損なわない、お断りの仕方】を取り上げてきましたが、
ビジネスシーンで多少なりともお役に立っておりますでしょうか?

何かひとつでも実践のヒントになっていますことを願いつつ、今日からは
ガラリと方向性を変え、【対人関係の潤滑油となるような、上手なほめ方】を
サブテーマに掲げて、様々な言い方を整理していきたいと思います。

とりわけ、昨今の大きな傾向としては【叱る】ことに比べれば、
【ほめる】ことの方が簡単なように思われがちです。

しかし、なかなかどうして相手の心にズシン!と響くような、
心地よい<ほめ方>は難しいものです。試しに思い出してみてください。
ほめてくれた相手のことがしみじみ好きになるような
そんな<ほめ言葉>の記憶として、即答できるものがいくつありますか?

せっかくの<ほめ言葉>がいかにもお世辞、見え透いたベンチャラではなく、生涯忘れられないような、見事な本物であるためには
<ほめるに値する良さ>をビシッと見極める眼力が何より問われます。

さらに加えて申せば、<ほめ上手>は<ほめられ上手>の産物でもあり、
これまでにほめられた経験が如実にものを言う課題でもありそうです。

この点について、冷静に眺めてみれば、日本人はどう贔屓めに見ても
<ほめ上手>とは言いにくい民族の歴史があります。

それだけに、<ほめる>ということが簡単だなどと心得違いをせず、
心して取り組むべき課題であるという謙虚な認識を持つことが出発点です。

まず、その心構えが出来たら今日のところは<自分で自分をほめましょう>
これも立派な練習です!特に就寝前がいろいろ意味で効果、大です!

2007年7月22日日曜日

となりのクレーマー(著者:関根眞一)

タイトル:となりのクレーマー
著者:関根眞
出版社:中公新書ラクレ
720円(税抜)

<遠慮がなぜ上品な強情?>と思われた方のために、補足をいたしますと、
講演やセミナーの会場を思い浮かべて頂くとわかりやすいかもしれません。

一般的に席が自由になっている場合は、概ね真ん中あたりから順次、
埋まってゆくことになり、なぜか演壇に近い側は敬遠されます。
このため開演まじかになって、後ろの席が混み合う中でも前の方は空席で
ガラガラと言う状態は実によくある光景です。

そこで当初から「どうぞ、前の方のお席が空いております」と
案内を繰り返している事務局スタッフの声が一段と高くなり、耳を貸さない
顧客の移動誘導のため、会場整備に大汗をかく段取りになっております。

あるいは何かの会合等の場面でも、これと似たような光景が展開されます。
入り口に近い方から順次、席が埋まってゆくのは、百歩譲って、お互いの適度な<遠慮感覚>としても、前の席がガラガラなので少しづつ詰めてください!と案内されたら、移動するのが<大人のマナー>ではないでしょうか。

ところが多くの方が一度、席を決めたら絶対にそこから動かない!
という実態が恐ろしいほど常態化しております。

この光景を冷静に眺めていると<遠慮>がなぜ強情なのか、一目瞭然です。

その有様はまるで<岩にアワビが張り付いた如く>に頑なですが、
ご本人はおそらく<上品に遠慮した>という自覚しかお持ちでないはず。
かくして微塵も悪気のない分、その根本の強情さは一向に改善されないまま、
また今日もどこかで案内係を困らせる事態が展開されるはずです。

同様にどこまでが正当で、どこからが悪意かという判断が非常に難しいながら
考えさせられる1冊として、ご紹介したいのが「となりのクレーマー」です。
サブタイトルは「苦情を言う人」との交渉術とあります。

2007年7月21日土曜日

遠慮の便利さと加減

季節はずれの台風一過が間違いなく青空を広がらせ、
そこから一気に梅雨明け宣言の展開を密かに予測しておりましたが、
一向にスッキリしない空模様のまま、早くも週末の土曜日を迎えました。

本日は先週に引き続き、朝から1日、名古屋でお仕事。朝7時半に家を出て
さきほど戻りましたので、移動込みの都合12時間勤務という次第です。
とはいえ、最近の名古屋までの道中は昔とは大違い。
とにかく京都、名古屋間は本当に近くて、便利になったものと驚きます。

新幹線の<のぞみ>なら片道40分弱。これはまさに、近隣の在来線感覚。
おかげさまで大阪や京都市内での研修と
時間的にもさほど変わらない気分で向き合うことができます。

さらに新幹線の座席指定が取れる分、ラッシュアワーといえども、
行き帰りはゆとりの移動という方がふさわしいかもしれません。

加えて、個人的には今年から活用している携帯からの新幹線の
<エクスプレスE予約>で、切符の手配も座席の指定も自由自在!

おそらく出張の多い方はすでに皆さん、ご利用のことと存じますが
使い始めてみると実に便利で、絶対におすすめの代物です。と、ついつい
だれかれ構わず、無理強いしたくなるのが、どうもいけないクセのひとつです。

そこで、あまり興味や関心のないことに対して、こんなふうに詰め寄られた
場合に遠まわしにさらりとさりげなく断わる言い方として
<ご遠慮いたします>や<遠慮させていただきます>が便利です。

やんわりソフトな言い回しの上になぜか、添える理由もさほど明解でなくても許される気配があります。「今日はちょっと、遠慮しておきます」という具合。

但し、あまりにいつも遠慮ばかりしていると<遠慮は上品な強情>などと
言われたりしますので、何事もさじ加減が難しいものです。

2007年7月20日金曜日

率先垂範への鏡

昨年から、とある学校で実施しております、夏休みまえの
3日間連続<夏季集中マナー講習>が昨日、無事終了いたしました。

向き合う相手が全員18歳ということを除けば、日頃のセミナーと展開は同じ。

近頃、すっかり定番化した質問にも子どもらしく実に屈託なく答えてくれます。
その質問とは<今朝、家族に自分から朝の挨拶をした人?>というものです。

だいたい半数が手を挙げ、半数が首を傾げながら何で?という顔を見せます。
「今朝のことなんかおぼえていなーい!」と口を尖らせる輩もいます。
つまり挨拶レスが半分はいるという、この実態はある意味、衝撃です。

どうやらクラブ活動の人間関係においては、それなりに挨拶や敬語が
実践されているようですが、それ以外ではなかなか悲惨な状況が現実です。

どうりで社会人の新人研修の挨拶程度にやけに時間がかかるはずです。

自らの存在証明としてのあいさつの意義とその具体論の獲得。
それが立派な大人への必須用件として、当然の躾だったのは遠い昔の話。

あらためてガツンとさわやかにこれを正す方法論の構築が間違いなく急務です。

さらに、不機嫌な顔つきと態度の修正!これも顔や身体の筋肉が
完全にそれを覚えこむ前に何とかしたいテーマです。しっかりしたアイコンタクトひとつも練習なくして身につくはずはありませんから。
では、あの無反応やだらしない姿勢を一体、どこで誰から学んだのでしょうか?

ここまで掘り下げてはじめて、お手本である大人の責任に思い至ります。
ちなみに朝の挨拶は間違いなく、自分からなさっていますよね、どちら様も?

そこでこの夏休みは大の大人が日々の言動を改めて見直し、良いお手本を意識して実践あるのみ!そしてそれこそがお互い様のラッキーの種になるはず!

2007年7月19日木曜日

はっきり断る時

<白紙に戻す>と言う意味はもとの状態、すなわち出発点に立ち戻って
そこからイチから出直したい!ということをあらわしています。
なので、考え方ややり方を見直して、再出発したいと言う意味になります。

これに対して言葉の雰囲気が非常に良く似た言い回しながら
<この件は、なかったことにしてください>というのは意味が異なりますね。

こちらは元に戻って仕切り直すのではなく、ニュアンスとしては<この件は
はじめからなかったことにしてください>ということになります。
つまり別の言い方をすれば、かなりストレートなお断り表現です。

何らかの話が途中まで進展していながら、こういう物言いにならざるを得ない事態というのは心情的にも、経費的にも出来れば避けたいものですが、時には致し方ない決断のひとつとしてきっぱりと口にしなくてはなりません。

同様に様々な事情から、はっきりと断らざるを得ない場合は、
<お断りさせていただきます>とピシャリ!といえなくてはなりませんね。

だいたいにおいて<ノー>というのが苦手な国民性ではありますが、生半可な
期待を持たせて2度、3度とご足労頂ながら、挙句の果てにやんわり
お断りするのはなんとも手前勝手な自己満足ではないかと思われます。

お断りするのが心底検討した結果ならば致し方ないものの、そもそもかなりの確率で難しいと判断されるものであれば、お互い様のためにきっぱりと意思表示するクセ付けは道義的にも誠意溢れる対応のひとつと捉えたいものです。

但し、いわずもがなではありますが、それなりの理由を述べて断りたいもの。
<とても残念ですが、○○の事情で、お断りさせていただきます>

一般的な理由としては<社の方針で><スケジュールの都合で><健康上の理由で><家庭の事情で><一身上の都合で><諸般の事情で>などがあります。

2007年7月18日水曜日

仕切り直したいときに!

ビジネスであれ、プライベートであれ、向き合う相手の気分を害さず、
出来るだけ穏便にことを運びたいと思えばこそ
お断りの物言いにもあれやこれやと悩む次第で、相手の感情や立場など
どうでもよいと思っていれば、ハナから気にもならないのが人情です。

それだけに逆転して考えてみれば、いかに言い分が正当であろうとも、
そうした気遣いの一切ない合理的な対処の仕方や物の言い方では
相手のことなど一切気にかけていない姿勢と受け止められても
致し方なく、それでは対人関係は実に気まずいものになってしまいます。

商売に限らず、あらゆる人間関係は持ちつ持たれつ、長い目で見れば
どこかで必ず何某かの接点が繰り返し生じる可能性があります。

そんな未来に対しての広い視野を持ちつつ、どんなご縁に対しても
誠意ある対応を大前提にした表現方法をいつも心がけたいものです。

とりわけ、お互い様に合意の上で進めてきた何かを仕切り直す必要が
生じた場合や、元の状態に戻して、イチからやり直さざるを得ない場合など
ぐずぐずと悩んで後戻りできない状況に追い込まれる前に思い切って、
<この件は白紙に戻させてください>という言い方で仕切り直しを願い出ます。

これは時には長期プロジェクトの終盤で、思いがけない事態として止む無く
生じる選択肢でもあれば、ごく日常的な打ち合わせのひとコマで混乱した
ディスカッションをスッキリとやり直す時の申し出の言い方でもあります。

そろばん塾での<ご破算で願いましては>の掛け声のように、ここから
新たな計算が始まりますよ!という明るい仕切りなおしモードが
理想ではありますが、かなり深刻な事態も十分に想定されます。

故にそれまでの労力をフイにする!ことに対しての謝罪が先になり
まずは<申し訳ありません>と詫びてから、続ける言い回しになります。

2007年7月17日火曜日

誠意や謙虚さへの姿勢

今朝、久しぶりに東京で仕事をしている後輩と電話で話をしました。

以前は同じ会社にいた仲間ですが、彼女は麹町のオフィスに、
私は京都の本社勤務でしたが、東京での社員教育の折には資料の準備や
会場の準備、お弁当やお茶の手配など様々な裏方をいつも気持ちよく
しかも抜かりなく万端、手助けしてもらっていた間柄です。

その頃の彼女の主な仕事は<社員、アルバイト等の採用関係全般>でしたが、
テキパキとした仕事ぶりの中にも温かな人柄の良さが感じられ、
それでいて見た目はケッコウ今風のイケてるお姉さんでもあり、
社内では老若男女を問わず、人気の会った御仁と拝察しておりました。

そしていつのまにか歳月が流れ、私は独立してフリーのコンサルタントに。
彼女は転職し、大阪に本社がある人材ビジネス会社の東京事務所に勤務。

そんな彼女にお願い事があり、なつかしい声を聞く運びと相成りました。

さて、久しぶりに聞く彼女の<声とその話し方>は実にさわやかで
歯切れが良くて、聞き取りやすく、感じもよくて文句につけよう無し!
なんとも素晴らしい後輩に恵まれていたものだとあらためて痛感し、
おかげさまで朝から気持ちの良いプレゼントを頂いたような気分です。

そして夕方、彼女からお願い事に関する進捗状況報告のメールが届きました。
お願いの件に関しての対処の仕方と今後の予測、そして最後のメッセージは
<なんとかお役に立てたらと思っております>と結んでありました。

100%意向に添えるか、どうかわからないけれども、そうできるように
頑張りたい気持ちを誠意をもって、謙虚に伝えたい時に使いたい言い方です。

目に見えない<誠意>や<謙虚さ>は見えないからこそ、感じるもの。
感じるものだけに理屈ではなく伝わること。ここに姿勢の根幹が問われます。

2007年7月16日月曜日

予約の取れないお店

ここ数年、全国的に<予約が取れないお店>が急増中のような気配です。
特に空前の京都ブーム!なんていう状況の京都市内にあっては、
個人的に確信を持って言える、そういうお店がすぐさま数店は思い浮かびます。

昨日はその中ひとつ、祇園の和食店に初めてお邪魔することが出来ました。
ご一緒したのは友達夫婦と、その友人で大の京都好き!という御仁。
この春に四苦八苦して、ようやくこの和食店の予約を取り、その際に
次なる予約をしておかれたのが昨日の夜の席という次第です。

ところが諸般の事情で当初予定の面子が揃われなくなり、そのおかげで、
思いがけず当方に話題のお店に伺うチャンスが巡ってまいりました。

美味しく食べて、そこそこ飲んで、おひとり2万円強という設定は
決して安くはありませんが、コストパフォーマンス的には納得度大!

予約客で満席の店内がすべてを物語っておりますが、他の予約の取れない
お店同様、商売とはかくありたいものと痛感させられました。

それにしても、人気の高いカウンター席の年内予約が昨日時点で、もはや難しいのは驚き。結局、次回もテーブル席で秋の味覚の頃を予約いたしました。

連日、予約で満席のお客様の大半がおそらくはこうしたスタイルで
次回をキープしてゆかれるのが、至極当然の成り行きであるとすれば、
新規客にとって最初の訪問のハードルがいかに高いかが窺い知れます。

かくして<予約の取れないお店>は<ますます予約の取れないお店>へと
善循環スパイラルモデルが進化発展してゆく様相です。

この見事な方程式の根幹にあるものは何なのか。
それをシカと見定めるため!あちらこちらの<予約の取れないお店>の常連化を目指してみたいと思ったりしている今日この頃です。

2007年7月15日日曜日

<人は感情から老化する>前頭葉の若さを保つ習慣術(著者:和田秀樹)

タイトル:<人は「感情」から老化する>前頭葉の若さを保つ習慣術
著者:和田秀樹(精神科医)
出版社:祥伝社新書
740円(税抜)

祇園祭のまさにこのタイミングをめがけて台風が接近!などという
記憶が皆無に等しい分、昨日は<鉾>は大丈夫かしら?とアレコレと勝手に
遠く離れた名古屋の研修先で気を揉んでおりました。

しかも昨夕は研修後に以前、勤めていた会社の名古屋の担当の方々と
御飯会を企画し、とても楽しみにしておりましたが、これも止む無く断念。

予定通り、研修を終了したその足で新幹線に飛び乗り、無事戻りましたが、
夕方の6時ごろ、JR名古屋駅界隈は実に激しい雨が降っていました。

さて仕事柄、地方での研修やら講演も多く、時にはこういう非常事態に遭遇し、
仕事は問題なく終了できても、その後の移動に大いに支障が出て、
結局、身動きが取れずに現地で宿泊!という経験も数多くあります。

東京、京阪神ならば、土地勘もあり、急に宿泊といっても気分的にも
なんとかなりますが、情報に乏しく地理不案内な移動先で、
しかも台風やら思いがけない災害、事故などで、なんとかなると思って駅に
着いたら、不通!かつ復旧の目処立たずとくれば、正直、瞬間、うろたえます。

直近では、3年近く前に岡山で講演後、接近していた台風のために山陽新幹線が止まってしまい、岡山城に隣接するホテルに宿泊したことがあります。
文字にすれば、なんということはありませんが、実際にその現場に身をおけば、判断に迷ったり、心細かったり、手配に手こずったりと相当、疲れるものです。

それでも多くの場合、<経験する価値>が<経験しない価値>に勝ります。
そして経験のためには、<行動>が無くてはならず、そこに生じる事態に
伴う何らかの感情が、実は老化にも大いに影響するという1冊をご紹介します。

2007年7月14日土曜日

言葉の力

言葉は生き物とよく言われます。時代と共にどんどん変化するものだから。

そして言葉がなければ、ものを考えることさえ出来ないことに
しっかりと気付くことが出来れば、言葉に対しての姿勢が少しずつ変わります。

たとえば、梅雨の合間の晴れ間にすっと鮮やかな虹が掛かることがあります。

あの虹の色を私達、日本人は7色と習い、そしてたしかにそう見ることが出来ます。色の順番は赤橙黄緑青藍紫<セキドウオウリョクセイランシ>と覚えています。

しかし、同じ虹を見て、この地球上にはそれを5色と認識する民族もいれば、たった3色と答える民族もいます。詳しくお知りになりたい場合はネットで調べて頂ければ、世界の国別に何色と認識しているかが紹介されています。

これはいったいどういうことなのでしょうか。

虹そのものは同じだけれども、見る場所や、時間帯やあるいは
私達の目の色などによって、見えるものが異なるということ。
いえ、そうではなくむしろ微妙な色の違いを表現する言葉がなければ、
明解な区別はできないということを意味しているのではないでしょうか。

日本は色を表わす言葉の数がおそらく世界一多い国です。
いえ、色だけに限らず、月や風や雨の降り方に関しても
実に沢山の言葉を育んできた文化が日本にはあります。

新緑に降る梅雨の走りの雨が青梅雨<あおつゆ>・卯の花を腐らせる長雨を卯の花くたし<うのはなくたし>・陰暦5月の長雨は夜も闇が深いため、五月闇<さつきやみ>・曾我物語の仇討ちにちなんだ虎御前の涙雨の虎が雨<とらがあめ>・梅雨明けの頃に急に強く振る雨を送り梅雨<おくりづゆ>等など。

強い台風の雨が気がかりな中、今日は名古屋で研修。無事に戻れますように。

2007年7月13日金曜日

結構、けっこう、ケッコウ

時々、接客販売の現場で眉間に縦皺の事態に遭遇します。
概ね、進物などの手配のやり取りの最後に「こちらでけっこうでしょうか?」という言い方が飛び出して、その瞬間、当方の眉間に皺が生まれます。

この言い方をするのがいかにも<アルバイト、学生、未熟>と
3拍子揃っていれば、まったくしょうがないな!と呆れるだけで済みます。

ところが、たとえば老舗デパートのお客様サロンのカウンター越しの
やり取りで、それなりの<妙齢、ベテラン、しかも正社員風情>の
口から出た場合には、間違いなくくっきりと濃い縦皺が刻まれます。

それにしても<けっこう>という日本語は実に使い方が難しいですね。

何かの確認をする場合ならば、「こちらでよろしいでしょうか?」と尋ね、
これに対して、お客の方が「はい、それで結構です」と了解の意向を伝えます。

あるいはお茶のおかわりを問われて、「いいえ、もう結構です」と断ります。
また、「結構なご身分ね」などと言えば、まちがいなく嫌味モード。

さらにはお茶会等で「誠に結構なお点前で」と<見事で有る>とか、
<とても素晴らしい>という意味のほめ言葉にもなります。

さらに相手の好意に対して、傷つけずにお断りしたいときには
「大変、けっこうなお話だとは思いますが」ときちんと認めた上で、
「今回は見送ります」とか「見送らせていただきます」と続けます。

さて、1963年発行の愛用のボロボロの辞書を引いて見ますと、そもそもは<構えを作ること・組み立てること・構え・規模>とありました。

「結構、間に合う」なら、<何とか上手く!>という意味にもなりますが、
これほど柔軟な言葉に向き合うためには、柔軟な姿勢が大いに問われる次第でそれを鍛えるためと考えれば、結構、ラッキーな言葉なのかもしれませんね。

2007年7月12日木曜日

役不足の意味

日本語の難しさを痛感するひとコマとして、謙遜して「力不足ですので」と
言うつもりを「私には役不足ですので」と言えば、失笑を買うことになります。

なんとなく同じ意味合いというように誤解される向きも
わからなくはありませんが、この2つはまったく反対の意味になります。

<力不足>は<自分の力量では手に負えない>つまり、自分の能力が
未熟なのでお断りせざるを得ないということを言い表しています。

反対に<役不足>は<役目が軽すぎる>ということを意味しており、
自分の能力ならば、もっと重要な役が出来るのに
この役では納得はゆかないというクレームの意向を表わす言い方になります。
なので、めったに自分を主語にして使う言い方ではないと心得たいもの。

ドラマの台詞タッチで眺めれば、第三者が「あの方にこのポストでは
いかにも役不足じゃないですか?」というような使い方が妥当となります。
<そういえば、今晩のドラマ、楽しみにしています!>
でも努めて冷静に思い起こしてみれば、過去のどこかで、何気なく、
悪気なく、言ってしまっていたような気がいたします。
少なくとも個人的には絶対、謙遜して使った記憶があります。

もし、かつて身近で耳にされた各位にあっては、己の力を過信して豪語したのではなく、単なる軽率な言い間違いであったことを反省して弁明いたします。

いずれにしても、この混乱の原因は角を立てずに穏やかに
断りたい時の定番フレーズとして「私ではお役に立てそうもありません」
という言い方が存在することにありそうです。

明解に断る理由があるときだけでなく、やや逃げ口上の断り方としても汎用性が高く、便利な言い方ですが、<役に立てない>ということから<役不足>も同義語として解釈されてしまったように思えます。気をつけたいですね!

2007年7月11日水曜日

力不足ですので!

昔から梅雨と言えば、6月というイメージが出来上がっておりますが
実際はどう考えても6月中旬から7月中旬の1ヶ月を意味していそうです。

これまた、地球温暖化のせいで微妙に時期がずれ込んだせい?
と思いたいところですが、あにはからんや。京都市民なら良くご存知の通り、祇園祭の頃合が概ね、梅雨明けと相場は決まっております。

京都はここから年に1度の大イベント・祇園祭一色に染まってゆきますが
その宵山のどこかでは必ず夕立、雷、の梅雨明けのセレモニーが
自然のしきたりのように見事に組み込まれております。

同様に、菊水鉾の町内に暮らす友人からは毎年、今頃になると、ちまきの販売担当当番の日時がメールで送られてまいります。
こうして祇園祭が大きな季節の変わり目を睨みながら、梅雨の幕引きと
京都の夏の始まりを運んでくるかのような風情もまた味わいのひとつ。

そう言えば、昨年は巡行当日が激しい雨に見舞われ、大勢の見物客や観光客がお気の毒でなりませんでしたが、見方を変えれば、めったにない天の演出に
強く記憶に残るお土産話のひとつが織り上げられたのかもしれません。

散々な目にあったことが、かえって、おもしろ、おかしく、なつかしく、
何より大切な思い出になることはしばしば起こりえます。
はてさて、今年はどんなドラマが用意されていることやら大いに愉しみです。

そんな大きな期待を寄せられた時、しかし<自分には無理だ>と思うときの
お断りの定番フレーズは「私では力不足ですので」という言い方になります。

残念ながら出来そうもない、荷が重い、と判断したときに謙虚に冷静に
「ありがとうございます、でも私では力不足でご迷惑をお掛けしてしまいそうなので、誠に申し訳ございません」という言い方でお断りをします。

但し、いつも「力不足ですので」では、努力不足でしかありませんが。

2007年7月10日火曜日

お気持ちだけ!シリーズ

新聞の天気予報欄に見事に傘マークが並んでいる今週。
たしかにホッと一息ではありますが、今日はその予報通りにいかにも
梅雨らしく、時折、強い雨が降ったり止んだりの1日となりました。

実はその悪天候の中、本日が指定練習日であり、明日から本番を迎えるのが
【京セラソーラーレディスオープンイン朝日野】の記念すべき第1回大会です。
LPGAシニアの女子プロの大会はこれが初めてのことになるそうです。

滋賀県の<朝日野CC>で明日あさって開催されますが、アマチュアゴルファーの端くれとして少しでもマシな天候を祈りたくなる想いでいっぱいです。

あいにく仕事があって観戦という訳にはまいりませんが、
女子ゴルフ界の往年のスター達の活躍を楽しみにされている方も多そうです。
もちろんそのファン層はといえば当然、それなりの年齢層に高めに集約されることになり、それを考えますとやはり悪天候は観客動員においても影響大です。

さすがにプロの選手各位にあっては雨くらいの悪天候は
何の障害にもならないことと思うのですが、せっかくの初大会ならば!
という運営サイドと観客の視点に立てば、せめて曇り空を願いたくなります。

<もしご近所なら、クラブハウスにテルテル坊主を吊るしちゃいそうです。>

というような、実に気持ちは有難いけれども、その申し出は困ります!とか、
受け取れません!という時に使いたいのが「お気持ちだけ」のシリーズです。

一般的には「お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします」といいます。
あるいはもう少しフランクに「お気持ちだけで十分です」や
「気持ちだけもらっておきます」と軽いタッチで使うことも多く有ります。

反対に何が何でもお断りするしかない場合は少しかしこまって
「お気持ちは十分に頂きました。これ以上は頂く訳にはまいりません」
とはっきり気持ちを伝える言い方になります。

2007年7月9日月曜日

不調法で!

7日に実施した先輩のハッピーリタイアを祝う<七夕の会>はすでに企業を
リタイアされた方と、もともと企業に属さないが故に生涯現役組みの方と、
一部企業戦士現役派の概ね3パターンで構成されておりました。

おかげさまで年齢的にも精神的にも大人の会の趣が強く、振り返ってみますと終始和やかな中にも節度やら配慮がそこかしこに行き届いておりました。

当日は司会進行やら、ありとあらゆる雑事に追われ、そんな冷静な観察が
出来るはずもなかったのですが、そういえば、お部屋の中でタバコを吸う人が
いらっしゃらなかったことに今になって気付きました。

でも参加者の中で何人かの愛煙家も存じ上げております。
そう思ってよくよく思い出してみると、広い廊下の端っこで携帯通話を
されている方やそこでタバコを吸っている後姿がうっすら思い出されます。

お部屋の中は禁煙!と申し上げたわけでは有りませんが、昨今の情勢やら
クーラーとの関係で窓が開けられない環境ではそんふうに自主的に外での
喫煙に心してくださったあたりは、さすがとあらためて感謝しております。

なぜかと申しますと昨今はそれでなくても肩身の狭い愛煙家の方に
「吸ってもよろしいですか?」と聞かれて「いいえ、ご遠慮ください」と
きっぱりお断りするのは実は相当に勇気のいることです。

故に本当は迷惑だけれど致し方なく「どうぞ」とお返事せざるを得ず、
一旦了解したら最後、遠慮なくスパスパと煙に巻かれる始末です。
だからハナから禁煙の店しか行かないというスタイルも急増中です。

その昔はすすめられたお酒やタバコをお断りするときには「不調法(ブチョウホウ)で、申し訳ありません」や「すみません、不調法で」が定番の言い方でした。

今時はまさかタバコを勧められることはなくなりましたが、
お酒に関して、最も手っ取り早く効果的なのは「車ですから」のひと言。
「不調法で」はもはや死語に近い分、かえって新鮮かもしれませんね。

2007年7月8日日曜日

千年働いてきました(著者:野村進)

タイトル:千年働いてきました
著者:野村進
出版社:角川書店
705円(税抜)

前日の天気予報では絶望的な気配が漂っていた七夕の夜の天候でしたが、
幸いなことに好転し、昨日は天空デートが実現した模様で何よりです。

だいたい七夕は毎年、雨が多いのですが、昨晩はせめて曇り空を切望。
なぜならば、この6月末に某企業を退任され、翌7月早々に還暦を迎えられた
人生の先輩の<ハッピーリタイアの会>が予定されていたからです。

しかも幹事を仰せつかっておりましたので、参加者の足のことを考えれば
出来るならば、ドシャ降りだけは遠慮してほしいと思うのが人情です。

ちなみにここ数日、サラリーマン時代の思い出を手繰っておりますので、
その路線を踏襲しますと、個人的な特技のひとつとして自負していたのが
実は<各種祭事系宴会の幹事役>でありました。

テーマに合わせたコンセプト作りから始まって、日時場所の設定から案内状の作成、式次第の構成にサプライズ企画の仕込み。さらには協賛や差し入れへのお願い。記念写真の段取りや交渉から当日の司会進行まで何でもこい!です。

そんな経験を活かしつつ、昨日の演出は七夕にちなんで立派な笹を用意し、
参加者各位にその場で書き記して頂いた短冊を飾りつけて記念品で贈呈。
氏の新たな旅立ちを祝うエールが夜空の星のように艶やかに笹を彩りました。

さてお集まりの顔ぶれは氏の交友関係の広さを物語り、尺八の祝奏に始まり、宮川町のお姐さんの祝舞に、落語家さんの小噺。祇園の老舗クラブのママの艶話に締めはシャンソン歌手の生歌声を大いに楽しませて頂きました。
その他にも舞踊家や政治家や実業界のお歴々まで多種多様なお顔触れでした。

まるで<自分らしい人生の生き方>の見本市会場みたいな中で、年齢でも肩書きでもなく、好きなことや出来ることを貫く価値を再確認した気分です。

そこで本日ご紹介したい本は<そんな何かを貫き続けた老舗企業>大国ニッポンの有り様を取り上げて、大いに話題の1冊。

2007年7月7日土曜日

七夕の願い事

そういえば、遠い昔のサラリーマン時代にどうしても納得ができず、
受け入れがたいまま棚上げしてきたのが<本音と建前>という課題です。

当時はとかく職場の人間関係において<本音と建前>を使い分けることが、
一端のビジネスマンの証とされていたような時代のしかも真只中。

つまり思っていることをそのまま言っちゃ絶対にダメ。
内心はどうでアレ、上辺は上手に相手に合わせて、建前を貫くことが基本。
<イエスマン>という言葉がやけにもてはやされた頃でもありました。

やがて出世して本音がまかり通るようになるまでは、とにかくハイ!で
走りぬけ!というようなご指導を事あるごとによく聞かされました。

そしてそれはある意味、ビックリ仰天の衝撃でもありました。
嫌なものをイヤ!と言ってはいけない。黒を白といわなくてはいけない。
やんわりと遠まわしは許されても、ストレートに何かを
言ってはいけないことを社会人になって初めて知りました。
もし会社に入っていなければ、知らないままに人生を過ごしたかもしれません。

やがてそれがひとつの対人関係の作法であって、穏やかな他者配慮の願いが
根底に秘められたものであることに気付くまでどれほど時間を要したことか。

そしてこれもよく考えてみれば最初にそれを教えてくれた方の<ものの言い方のニュアンス>のせいであったのかも知れないと最近になって思い至ります。

これを建前風に申せば、当時、あまりにもストレートに何でもズバリと
耳の痛いことを言い切る当方の気性に対する親心であったのかもしれません。
でも本音で申せば、何でも言いたいことを言う、そんな新人が
可愛いはずもなく、ただ憎たらしい気持ちで押さえつけたかっただけなのかも。

大切な何かを歪みなく、ありのままに伝えられる言葉と気持ちと
その話し方を本当にちゃんと獲得したいと願う、今日は年に1度の七夕です。

2007年7月6日金曜日

微妙なニュアンスの違い

<大人の話し方>という観点で個人的な思い出を紐解いてみると
社会人になって間もない頃はとにかく毎日が驚きの連続で彩られておりました。

ひたすらさわやかで元気!を要求された朝の挨拶から始まって、
ちょっとした離席や外出にも、挨拶チックな声がけが必要であること。
しかもそのためにはいつもちゃんとした納得のゆく理由が必要であり、
<ただの気分転換!>みたいなことは許されないということ。

さらに加えるならば、新人の間は特にそうしたことのひとつひとつを
先輩や上司にきちんと了解を取らなくてはいけないこと。

本当に何にも知らなかったなぁー!だから何一つ出来なかったなぁーと
あらためてレベルの低さに我ながらあきれてしまいます。

今、考えてもよくぞ、鍛えてくださいましたと感謝の念に耐えませんが、
今、考えてもやっぱり難しいのが話し方に問われる<微妙なニュアンス>です。

同じ言葉でありながら、その話し方のニュアンスで<イエスかノーか>を
判断しなくてはいけない場面は日常生活のそこかしこに点在します。

たとえば、ご紹介くださった方の手前、お話だけは聞かせて頂いたけれども、この話はここまで!というような時には「一旦、お預かりいたします」と
言う言い方でお断りをします。この場合、決め手は前に添えるひと言です。

<一旦>とか、<いちおう><とりあえず>や<それでは><じゃー>など、
どれも決して前向き、積極的ではないニュアンスの一言になります
なので<預かることにだけ致します>という意味でのお断りの言い方です。

では逆に、本気で検討する前提でお預かりするときにはどうするか。
その場合には<確かに>を添えて「確かにお預かりいたします」ときっぱり!
こんな微妙なニュアンスの違いを読み取るための惜しみない努力は、
きっとラッキーな体質にも磨きをかけてくれるはずです。

2007年7月5日木曜日

問題意識へのプロセス

<大人の話し方>の完成度、並びに好感度向上を目指す日々は、良い意味で自らの受け止め方を見つめ直すための絶好の機会!の様相も見せ始めております。

あらためて考えてみたら、人様の物言いに対しては往々にして
<カチン!と頭に来たり><ムカムカ腹を立てたり>が多い自分がいます。

時には<ガツンとしてやられたり><思いがけずシュンとさせられたり>
もちろん<ウルウル感動><メソメソ感激>だって、結構ありますが、
もし感情の喜怒哀楽の量的比較をしたらどうなるのでしょうか。

この際、質はさておき、あくまでも量を単純に比較してみたら
なんとも<怒>が多くない?という自問自答モードに突入いたします。

たとえば、度忘れ、物忘れ、不注意、不器用等の自分自身に対して
もちろん怒ることはありますが、この場合はやはり身びいきから
採点は至って甘いものにもなってしまい、問題意識には変換されません。

ところが誰かの不用意な発言に対しては実に厳しい追求が展開されます。

このことを物凄く都合よく見方を変えて解釈してみれば、
基本的に誰かの何かの発言に対して常にきっちりと<反応すること>で
沢山の気付きを頂き、それが問題意識に変換されていることになります。

1度じっくり<考えておきます!>と受け止めたい課題ではありませんか?

さて誤解のないように補足させて頂くと、すべての<考えておきます>が
NOという意味ではもちろんありません。お得意先とのやり取りや仕事仲間や上司と部下において活用されるそれは間違いなく言葉通りの意味となります。

あくまでも遠まわしの断りに用いるこの表現は、日本語ならではの言い回しであって、国際社会では誤解を招くかも!という認識も大事ですね。念のため。

2007年7月4日水曜日

「考えておきます」のニュアンス

<大人の話し方>の良し悪しや、出来不出来に関しては、
実際のところ企業内の審査や検定試験みたいなものがあるわけではありません。

故に絶大なる根拠を持って、「今の話し方はアウト!」とか、「今みたいな言い方はセーフ!」というのをその都度、判定しにくい課題でもあります。

つまり明らかに間違っている言い回しや、どう考えても納得できない壁に
追い詰められない限りは「まぁいいか!」とお互い様に見逃してしまわざるを得ない非常に厄介な性質を抱えた課題と捉えることができます。

加えて、昨今のコミュニケーション不足や敬語表現力の低下が
これを加速させ<問題な日本語やその言い方>の増殖はかなり深刻です。

さらに、もし<まちがい>であっても勢いその使用人口が過半数を超えたら、
正解!にしてしまいそうな事態が見え隠れすることも大問題です。

言葉とその言い方、話し方は確かに時代と共に変化するものではありながら、その変化のさせ方には今を生きている大人としての
凛とした決意と姿勢がなくてはならないと個人的には受け止めています。

とりわけ、ここしばらくのベーステーマである<断り方>に関しては、
出来る限り、相手の気持ちを斟酌しながら、
こちらの都合もご理解いただきたいという切ない気持ちのやり取りを
<大人の話し方のフレーズ>として追いかけたいのが本意です。

これを別の角度から眺めてみれば、そういう言い方が出来れば、
とりあえずは合格!みいたいな便利な表現であるのも事実です。

いわゆる、お茶を濁す言い回しと捉えられがちな<考えておきます>も
そのひとつではないでしょうか。
決してごまかしているのではなく、「今回は関心がありません」という気持ちを柔らかく伝えたいフレーズであることを言う方も言われる方もきちんと認識しておきたいものです。

2007年7月3日火曜日

木版本源氏物語展のご案内

京都御苑の東、丸太町と今出川のちょうど真ん中あたりに
萩で有名な梨木神社があります。
ここはご存知の通り、染井の井戸の名水が人気で、このお水を頂くため
朝早くから夕刻まで人の列が途絶えることがありません。

このため寺町通りは1日中、不法駐車が絶えませんが、
沢山のお水を運ぶ側からすれば致し方ない事情でもあります。

我が家がこの地に居を構えて、ちょうど10年になりますが、
毎日お水を汲みにこられる多くの方の姿を見るたびに、
あらためてここのお水の人気の高さに驚かされます。

そういえば、梨木神社の西側には御所との間に鬱蒼とした木々に覆われた
静かな道があり、そこでは毎朝6時半からラジオ体操が行われています。

1年365日、真冬も真夏も変わることのない光景に
時々ズシンととてつもない重みを感じたりいたします。
どこからともなく人々が集まり、そして去ってゆく朝のひと時と
その空間にはなんだか悠久の時間の醍醐味が広がります。

今からの季節は特に清々しい気分が味わえるので、こっそりお薦めです。

さて、その梨木神社のお向かい。寺町広小路を上がった東側にある
盧山寺方丈で7月1日から31日まで
<源氏物語千年紀の雅・木版本源氏物語展>が開催されております。
毎日午前9時から午後4時まで。

このお寺が最も賑わうのは年に1度、真冬の<節分>の折ですが、
今は桔梗も見頃を迎えていますので、京都流の皆さん、ぜひどうぞ!

はるかな歴史のかなたで、かの紫式部が「源氏物語」「紫式部日記」等の
大部分をここで執筆した記録を実際に眺めるチャンスです。

2007年7月2日月曜日

上七軒の夏の開幕

天気予報通りに夕方から雨の降り出した昨夕は、上七軒のビアガーデン初日。友達夫婦と一緒に東京から出張の後輩を引き連れて出掛けて参りました。

その我々の姿が今朝の日経新聞にちらりと写っているらしく、朝から
メールでお知らせくださる方があり、我が家では日経をとっていないので
早速、入手しましたら確かにきっちりと写っておりました。

そういえば、私達のすぐそばのテーブルで沢山のカメラマンが若い女性と
舞子ちゃんたちに何度も乾杯のポーズを取らせて撮影しておられましたので、その端っこに思いがけず証拠が残ってしまったもののようです。

ここ数年うなぎのぼりの人気を誇る、上七軒ビアガーデンには
いろいろなご縁があって、毎年よく足を運ばせて頂いております。

その昨年の様子のひとコマがそれこそ今年のある踊りの会のパンフレットにも
バッチリと写真紹介されていて、どうも上七軒と写真、しかも偶然と言うのが今年度の何かを示唆しているようでもあります。

あいにくの雨にも対処できる体制への改装もここ1,2年をかけてスッキリと整い、おかげさまで風情たっぷりの景色の中、顔なじみの女将さんや有名きれいどころのお姐さん方のお姿も拝見し、京都の夏の始まりを感じたひと時でした。

とりわけ、東京から参上の我が後輩はかなりの頻度で京都出張しているにも
かかわらず、初めての上七軒だったそうで感動ひときわ、大喜びでした。

本人いわく、大都会のビアガーデン、イコールデパートの屋上という構図が
こんなに心地よい風情で塗り替えられたら、誰だって評価したくなるとの事。

「こんなに素敵な処にお連れ下さってありがとうございます。とても嬉しいです。」と<大人の言葉使い>できちんと感謝と感動が伝えられる後輩は、いつもながら、さすがです。その笑顔とキリリと伸びた背筋が一層輝いて見えたのはこれまた季節限定、夏の上七軒の風情のなせる技なのかも知れません。

2007年7月1日日曜日

骨盤でやせる(著者:松岡博子)

タイトル:骨盤でやせる
著者:松岡博子
出版社:宝島社新書
700円(税抜)

決意のわりに今年の出足が鈍いまま、とうとう7月を迎えてしまいました。
何のことかと申しますと、ゴルフの練習とラウンド実績です。

毎年、年明け早々の新春杯で初打ち後は寒さを理由にお休みし、
花粉の季節が終了する頃まではぴたりと冬眠スタイルのマイゴルフ。

その後、研修の多い春先のガマンの峠を乗り越えたら、そこからは
本来はガンガン!ゴルフ三昧の楽しくも健康的かつ、よくやる分、勢い
上達気分の日々が繰り広げられるはずなのですが。

今年はどうも不本意な展開。これを本日を機に一気に改善モードに切り替え、
日焼けと戦う実態へと大幅チェンジへの決意をひとり固める月初です。

しかも、今年で6年連続出場を誇る、ある実業団の大会予選が
今月末に予定されており、もはやグダグダ言っている時期ではありません。

今年もなんとか予選通過を達成し、6年連続での秋の決勝進出をかけ、
しばし燃えるアマチュアゴルファーに変身せねばなりません。

その決意をあざ笑うかのようなハンディキャップ変更のハガキが
半年に1度、7月1日付けで昨日届いております。
あきらかに腕前が落ちていることを証明してくれる数値を
横目で睨みつつ、この屈辱をバネするしか他に妙案は浮かびません。

さて、プロアマを問わず、多くのゴルファーの悩みの種の一つは
何といっても腰痛ではないでしょうか。
その腰痛はもとより、頭痛、肩こり、ダイエット、アンチエイジングの
すべてに関わる<骨盤>に関しての1冊を本日はご紹介いたします。

2007年6月30日土曜日

まるでダメなら、、、。

現在、インドネシアでお仕事中、しかも単身赴任中の先輩が出張兼休暇で
日本に戻ってこられ、先日ゴルフをご一緒いたしました。

この4月で齢62歳を迎えられたそうですが、とてもそうは見えず、毎週の休日には「することがないから必ずゴルフ場にいるよ!」とおっしゃるだけあって、日焼けした肌が若々しさに一層拍車をかけているのかもしれません。

さすがに往年の切れ味鋭いショットは今回はあまりは拝見できませんでしたが、
かの地の仕事が契約更新で継続決定!とのことらしく、ゴルフ仲間で年内にはお邪魔しようという話で大いに盛り上がった1日となりました。

それにしても若い頃から世界中を飛び回ってこられた強みはなんと言っても語学力。英語と中国語を軸にいくつかの国の言葉が話せるのはうらやましい限り。

加えて、生来のおしゃべり好き。さらに久々の日本で日本語トーク。
朝からラウンド終了後のティータイムまで続いた<機関銃トーク>は
一切の疲れを見せないハイテンションで、これもまた若さの秘訣でしょうか。

おかげさまでゴルフは4人一組のため、1対3の聞き役分担が可能となり、
なんとか3人がかりで元気溢れる楽しい会話に付き合えた次第です。

それにしても、この先輩は昔から変わりなく楽天的でいつも上機嫌です。
冷静に考えてみれば、この年齢の日本人男性にあっては非常に稀な存在かも。
あらためて、素直にその底抜けの明るさの徹底力に尊敬の念を抱きました。

ミスショットをした先輩が「今のショットはまるでダメだね!」と明るく
反省されたので「めずらしいですよね」とまともに返答したら、「まるでダメなら三角はどうよ!って突っ込んでくれなきゃつまんなーい」と諭される始末。

実年齢より精神年齢!不機嫌より上機嫌。ローよりハイテンション!
いろいろな嬉しいガツン!を頂いて、元気な7月を迎えられそうです。

2007年6月29日金曜日

希望に添えないとき

世の中には間違いなく意思決定の素早い人とそうでない人がいらしゃいます。

良いとか悪いではなく、タイプの違いと申しますか、先送りが苦手なタイプと
それが苦にならず、棚上げのままで過ごせるタイプに大別できるようです。

しかもそれは判断材料の量や質に左右されず、早い人はいつも早い。
遅い人はいつも遅いと言う傾向を強く保有しているように思えました。
この見解はかつてのサラリーマン時代の個人的体験に基づくものなので
あえて過去形表現に拘りましたが、世間一般はいかがなものでしょうか?

だいたい<巧遅拙速>という言葉があるように、取り繕った分、遅くなるよりは、稚拙であっても速い情報の方が重要ということだと思いますが、その流れで即決即断なんてことはめったになかったように思い出します。

たしかに正直どうしたらよいのか、本当に悩んでしまうことも多く、
いっそ<好き嫌い>で決められたらラクなのにと誰もがしばしば思います。

そして、これが案外まぎれもないひとつの<意思決定の本質>だったりします。

となれば、意思決定が早いということは見方を変えれば、日頃から好き嫌いがはっきりしているってことになるのかもしれませんね。
故にグズグズ悩むことなく、即座に選択可能ということなのでしょうか。

自身に照らせば、かなりの確率でうなずかざるを得ない仮説ではあります。

さて、残念ながら相手の希望には添えないという意向を込めて断る場合、
「ご希望に添えず、申し訳ございません」や
「ご要望通りにはいたしかねます、申し訳ございません」と言いたいですね。

ハナから不可!であっても、「できません」「無理です」「ダメです」「やってません」「ありません」とぶっきらぼうに言われたら人間関係にひびが入ります。
ちょっとしたい言い方の中にラッキーの種を育む肥料が隠れていそうです。

2007年6月28日木曜日

即答できないときのフレーズ

昔から<急ぐ仕事は忙しい人に頼め>と申します。
一見、無茶な注文のようですが、不思議と真理をついた視点で
実際、合点のゆくことが多くあります。

たしかに忙しい人ほど要領が良いからなのでしょうか。
<イエス、ノー>のジャッジも含めて反応が素早いことは確かです。
グズグズ、モタモタと悩まない分、結果としてその仕事にかけられる
時間の総量が多くなることも幸いするのかもしれません。

即断即決、パッパと決めることはひとつの才能のようですが、もしかすると
決して先天的なものではなく、ある意味、習慣の産物ともいえそうです。

そういえば、サラリーマン時代に<誘われたら断らない>という黄金律を
実践している先輩がいらっしゃいました。
それはそれで凄いものがありまして、ありとあらゆるお誘いに対して
この基本姿勢が決まっていれば案外、ラクかもしれません。

いついかなる案件も予定が入っていなければ、答えはイエス。
先約があればノー。単純明快にしてなかなか見事なスタンスです。

<ウーン、どうしようかな?>という気分をハナから排除する姿勢の徹底は
潔く清々しさすら感じたものですが、体力的には相当厳しいものがあります。

さらにビジネスにおいては、我が身の体力やスケジュールだけを考えて、
その場で判断できることは少なく、即答出来ないことも多々あります。

誠実に対処したいと思えば思うほど、慎重にならざるを得ないこともあります

そんな状況下で中途半端な即答はむしろ無責任とも言えます。
そこで、そんな場合に使いたい定番フレーズは誠意を込めて
「いつまでにお返事を差し上げればよろしいでしょうか」あるいは
「お返事は今でなければ、いけませんでしょうか?」と問いかけます。

2007年6月27日水曜日

立派な理由のない時の断り方

だいたい何事に関しても文句が多い!ということは、よく言えば、
度胸があって、気付きのアンテナがしっかりしている証拠です。

そもそも何某かのしっかりした見識とか、判断基準が確立されていない場合は
文句の種が見つけられるはずもなく、言いたくても言えないのが普通。

極論すれば、重箱の隅をつつくようなクレームは、出来れば御免こうむりたいものの、
かなりの見識がなければつつけないコーナーともいえます。

そうは言いつつ、逆に悪く言えば、ただの文句好きという場合も往々にして見受けられます。
好き嫌いが激しくて、わがままというだけかもしれません。

日頃、どちらのウエイトが高いのかという微妙なバランスで
その人物評価は天地ほども変わってしまうだけに大いに気をつけたい処です。

日々、立派な大人を標榜される方々はおそらく文句の言い方ひとつも
ただ、言えばよいのではないことを熟知なさっているが故に、
喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、そのたびにストレスが溜まる図式です。

そして何かをピシャリと断ることもまた然り。決して容易ではありません。
とはいえ、断らなければ、また別のストレスを抱え込むことになります。

そこで立派な理由はないけれども、なんやかやの雑事に追われているために、
お断りしたい時には、「今、取り込んでおりまして」や「今、ちょっと手が離せなくて」や
「今、忙しいので」という言い方が一般的に便利です。

この場合にもクッションフレーズとして<申し訳ない>を先に添えれば、
今は勘弁して欲しいという低姿勢のニュアンスが伝わりやすくなります。

但し<その場しのぎの方便>と絶対に取られたくない場合には、<今はダメ>だがいつならば可能という意味で別の提案を添えておけば誠意が伝わります。
「いま、バタバタしていますので、夕方にお願いします」という具合です。

2007年6月26日火曜日

上手にNOを言う練習

<大人の話し方>として土台に問われる認識のひとつは
間違いなく<お互い様に平等、対等>という視点ではないかと思っています。

そしてそれは<もてなす側>と<もてなされる側>の関係しかり。
上司と部下然り。医者と患者においても何ら変わらない根本の認識です。

ところが現実問題としてはその瞬間毎のお互いの立場が最優先され、
妙に偉そうぶったり、卑屈になったりと我身の周辺も忙しい限りの難題です。

特にビジネスにおいてはさまざまな要因から否が応でも力関係が決まってしまいがちですが、それはそれで尊重しつつ、内心は上辺の上下関係に振り回されることなく、微動だにしない自己の視点と姿勢確立に努めたいものです

その揺ぎ無い姿勢が<大人の話し方>の土台として言葉の端々に
品性を漂わせてくれる頂をお互い様の快適のために目指したいものです。

しかもその快適さを損なわず、言いたいことをきちんと言うためには
度胸だけでなく問われるものがあります。
そこで相互の関係性や職場の人間関係等から見て、結構、
難易度の高い課題として<NO>の言い方に注目したいと思います。

ずいぶん以前に<NOと言えない日本人>という本がベストセラーになりましたが、<嫌なことをイヤ!>とはっきり言えない体質を相変わらず引きずる中、
言いにくいお断りフレーズを<大人の話し方>という視点で
媚びず、甘えず、へつらわず、さりとて不快感を与えずに言えたら素敵です。

日常的に活用頻度が高く、便利なお断りのためのクッションフレーズとしては「残念ですが、、、」という言い方があります。

主としてお誘いや依頼事項に対して、何らかの理由で無理だということが
ハッキリしている場合に、この言葉を添えます。
たとえば先約がある場合。時間が取れない場合等、「予定があるからダメです」という前にひと言、「残念ですが、、」と添えるだけで言い方が和らぎます。

2007年6月25日月曜日

グルグル渦巻く疑問

過去に治療した歯に不具合が生じ、そのメンテナンスが契機となって、
この際、そこかしこの気になるところに順次、手を入れるための歯医者さん
通いがここ1年近く、断続的に続いております。

いわゆる<きちんとケアしましょう!>という視点と思い切って
<きれいにしましょう!>の二大路線のため、当然のことながら保険外価格とも向き合わざるを得ず、財布と相談しつつ慎重にお世話になっています。

それにしても歯医者さんのスタイルは環境的にも技術的にも飛躍的に進歩しましたが、<まな板の上の鯉>の気分は正直、何度通っても苦手です。

「大丈夫ですよ!」とどれほど優しい声で言われても、
潜在的な恐怖心には効果はなく、目隠しタオルが顔に乗せられた途端に
ドキドキと心臓が鳴り出しそうな気分は子どものときのまま。

もしかして、そのせいでしょうか?

お医者さんも歯科衛生士さんもいい年をした患者に向かって
どこか話し方が<子ども扱い>に思えてしまうのは。まさか、私に対してだけ?

そう思って、耳を澄ませば、他の患者さんも似たような話しかたです。

お世話になっているとはいえ、それとこれとは別!と考えるのは私だけなのでしょうか。それとも他の人は何も気にならないのでしょうか。
だから誰も何も言わないのか。言えないのか。言っちゃいけないのか。

歯医者さんに行くたびにそんな疑問がグルグル渦巻く体験が待っています。

いずれにしても、そういうことを<文句>ではなく、
きちんと<意見>としてやり取りしにくい<何か>があると思いませんか?
そしてその<何か>と向き合うことが、
<大人の話し方>のひとつの入り口なのかも知れませんが。

2007年6月24日日曜日

犬と話をつけるには(著者:多和田悟)

タイトル:犬と話をつけるには
著者:多和田悟
出版社:文春新書
680円(税抜)

ずい分若い頃から「いつかはきっと!」と願い続けて
密かに憧れていた某老舗エステサロンのメンバーになって早や、3年。

おかげさまでサロンの店長やスタッフともずい分親しくなり、勢い
様々なイベントや会合へのお誘いも多く、たのしい出会いに恵まれています。
もちろん、生来の出たがり気質もあってのことですが、大規模な会で乾杯の発声などの大役も根が好きなので苦にはならず、結構重宝されております。

さて、そうした会合で知り合った、ある素敵なメンバーさんとは
初対面から気が合いそう!と直感し、今では楽しいメール友達です。

この春に出会いがあって、その後、隔週ペースでのやり取りを重ねる中、
あらためて世の中には凄い方がいらっしゃるものと感心させられてばかり。

ちなみに個人情報保護法に触れない程度に、ご紹介してみると
① 妙齢のスタイル抜群の美人の上、気取りない明るい人柄であること。
② この某有名サロンが京都に出店した当初からのメンバーであること
③ 国内に別荘がいくつかあり、季節で暮らし分けておられること
④ご自宅に数百本収納のワインセラーがあること
⑤ ワンコ3匹の食事を栄養バランスを考えて、すべて手作りされていること

まだまだ、挙げればキリがありませんが、
なんと言っても個人的にビックリするのは③と⑤でしょうか?⑤に至ってはそういう資格も取得されているらしく、子犬のときにアトピーだったワンコ達を食事療法で完治させた実績をお持ちですから、素晴らしいとしか申せません。

ペットフード育ちの我が家の愛犬には絶対、聞かせられない話です。

さて、些少の反省を込め、近未来の愛犬の老いに向き合う姿勢構築のため、
あるいはペットと上手に向き合うための学習本としての1冊が今日のお薦め。

<盲導犬クイール>といえばこの方ですね。

2007年6月23日土曜日

後悔ではなく反省

昔から<2度あることは3度ある>と申します。

そこで今でも2度続けて、どこかに手や身体をぶつけたときなどは、
転ばぬ先の杖がわりにわざとどこかにコツンと手を当てて、
3度めの災いを避けるおまじない!みたいなことを致します。

ところが、なるべくしてなる!という昨日のロジックで言えば、だからそうなることは自明の理ってことに気付くことこそが災い回避の王道といえます。

つまり急いでいてもあわてて、いい加減に扱うな!ということだったり。
最後まで手を抜かずにきちんと見ながら片付けなさい!という意味だったり。

そうでなければ、3度目は目先のごまかしで一旦回避できても、
またぞろ似たり寄ったりの出来事に遭遇しますよということのようです。

これって、たとえば何十年も野菜嫌いでお肉しか食べなかったら、中性脂肪で血液ドロドロになります!みたいなことだと考えたら、至極当たり前な話。
だから3度どころか、4回も5回も起こることがむしろ自然です。

おかげさまでこんなふうにいろいろなことが
どんどんはっきりとわかってくるというのも人生キャリアの醍醐味です。

そしてそれは多くの人類の歴史に学ぶことと同様に
一人ひとりの日々の体験こそが教師であるようにも思えてきます。

そういえばお医者様の石原結實氏がシグネチャーという冊子の中で書いておられましたが、<ゆっくり歩く人ほど転びやすく、1度転んだらまた転ぶ>のも足腰の筋力低下の結果に他なりません。

起きてしまった何かをグズグズと<後悔>するのではなく、
2度と繰返さないために原因を見定める<反省>の先に別の未来が広がります。

2007年6月22日金曜日

反省の関所

何事によらず、冷静にじっくり観察をしていると、たまたまそうなったのではなく、なるべくしてなったということがはっきりと認識できることがあります。

これをジェームズ・アレンやオグ・マンディーノなどの人生哲学の大家の言葉を拝借して申せば、目の前の結果は原因があればこその必然であり、平たく申せば、なるようにしてそうなった以外の何物でもない!ってことになります。

どれほど地団太を踏んでも自身の蒔いた種に他ならないと言うこと。

たとえば、約束の時間に遅れる人ってかなりの確率でいつも遅れませんか?

何を隠そう、かつての私自身がまさにそのパターンでした。
そして遅れてしまう事情や理由は、いつも驚くほど沢山ありました。

出ようとした瞬間に電話が掛かってきたこともあれば、予定していた時間にバスが来なかったり、タクシーに飛び乗ったのに道が混んでいたり、電車の故障もあれば、待ち合わせ場所の勘違いもありました。

仕事の時には打ち合わせや会議が長引いたせい、いつも必ず、「だからしょうがなかったのよ!」という何かがちゃんとそこにありました。

待たせた相手に「ごめんなさい!」と詫びつつ、その一方では性懲りもなく
繰返した自己正当化のための責任転嫁は今にして思えば百害あって一利なし。

若気の至りの頃ならいざ知らず、いい年をした<言い訳け上手>なんて、
カッコイイはずがなく、気の毒でしかありません。

何かを謝罪しなければならないときは、ここが肝心要の関所。
何がいけなかったのか、しっかりと自らに反省点を見つけることがとても重要です。口先だけの反省ではなく、「この点がいけなかった」と明解に反省できたとき、「反省しています」という言葉にラッキーの種が宿ります。

それが出来ない間は、似たような過ちが何度も繰返されることになります。

2007年6月21日木曜日

加齢に比例する実感

昨日、放映されていたNHKの生活ホットモーニングの特集は
<愛犬の老いに向き合う>という、なんとも時代を象徴する内容でした。

人間社会のみならずペットの世界にも押し寄せる高齢化現象。

飼い主としてこれにどう向き合うかという様々な取り組みは、飼い主の端くれとしては大いに参考にさせて頂きたい為になる内容でありつつも、一方でここまで平和の究極に突っ走っていいのかという気分も芽生える複雑さ。

何はともあれ、我が家の愛犬ラブラドールレトリバーも
この年末に満10歳を迎える以上、立派な老犬の域に到達しております。
飼い主及び、ご近所さんの間では通称「バレンちゃん」と呼ばれていますが
血統書上の正式な名前はバレンタインと申します。

普段はこの正式名できちんと呼ぶことはめったにありませんが、
唯一、かかりつけの獣医さんにおいてのみ、それで呼んで頂けます。

ちなみにこの獣医さんのスタッフの電話応対は毎回、凄くて驚かされます。

何が凄いかと申しますと、時々、電話をして「水谷です」というだけで
即、「バレンタインちゃんはお元気ですか?」と反応が返ってくることです。
たまたま、水谷という患者は我が家だけなのでしょうか?

仮にそうだとしても、飼い主はともかく、そのペットの名前まで
きちんと諳んじているなんて、凄くありませんか?
いったいどんな工夫があるのか教えてもらいたいくらいです。
もしかすると携帯電話のアドレス登録のような感じで、ペットの名前が
電話機のディスプレイに表示される仕組みになっているのでしょうか?

それならば、どこかの不行き届きな美容院にもぜひ、教えて上げたいものです。

かくして、日々の努力や創意工夫は必ずどこかで評価され、確実に信頼の芽を育むものであることは加齢に比例して濃くなる実感のひとつでしょうか。

2007年6月20日水曜日

誠実に決意をこめて!

梅雨の晴れ間の真夏日モードの本日はオフ!

そこで平日の醍醐味を満喫すべく、行きつけの美容院に予約電話を入れました。
「こんにちは、水谷です。1時からカットとカラー、いけるかな?」

普段なら、これでスイスイとことが運ぶはずなのに
今日は「すみません、下のお名前は?」と聞かれてしまいました。

新人さんかな?と思いつつ、フルネームを名乗って待つことしばし。
すごく久しぶりに保留音を聞かされました。
その挙句、指定した時間に対して「その時間は大丈夫ですけど、、」とのお返事。
悪気ないのはわかりますが、本来は「お待ちしております」と言うべきところ。

長年の固定客に対して、こういう対応ってかなり具合が悪いのですが、
この程度をわざわざ店長に注意するのは、はっきり言って面倒くさい。

とは言え、気持ちの底にうっすらと埃が積もるような不快感は拭えません。
やがて、そのうっすらが何層かになったとき、ドカンと落ちる雷になるのか。
何も言わず、見切りをつけることになるのかはわかりませんが、ちょっとしたことが信頼失墜の契機となることを肝に銘じたいと痛感する瞬間です。

そう考えたら、大小を問わず、クレームを言ってくださるってことは本当に
有難いことですが本気でそう思っていない、気付いていない経営者、管理者、そして当事者も実際はビックリするほど沢山いらっしゃいます。

ピシャリ!と耳の痛いご意見に対して、あろうことか露骨にいやな顔をする!なんてことが朝飯前技にならないようにくれぐれも注意したいものです。

もしこうしたご指摘やお叱りを受けたら、不愉快さへのお詫びの言葉に続けて
誠実に言葉に決意を込めて、「二度と起こさないように気をつけます」
あるいは「今後このようなことのないよう、気をつけます」と言います。

2007年6月19日火曜日

潔く認める言葉

最近、ヒヤッ!とすることの代表選手はまちがいなく自転車の存在です。
以前にも書きましたが、どんどん走行マナーが悪くなる一方のようですね。

歩道を歩いていてスッと後ろから追い越されるときに、
あわや接触!みたいなことが日常茶飯事なので、結構恐いし、危ないし。

さすがに犬を連れていて、歩道を占領して歩いているときには
何らかの合図をしていただけますが、
なんとかならないものかと思案の深まる課題です。

運動神経の塊のような若さゆえの自信過剰の強引な走行は
正直、いつ事故につながっても自業自得といいたくなるほど乱暴でもあります。

反対に見ているこちらがドキドキするようなお年寄りの走行も恐ろしい。

さて、そんな事故につながりそうな<不注意>の種は
自転車走行のみならず、職場でも大小さまざまに存在します。

悪気なく、ちょっとした油断が重なった不注意が原因となるトラブルが
どれほどの大事件になるかは時の運、不運みたいなものかもしれませんが、
「やってしまった!」と気付いたときには潔く非を認める体質が得策です。

自分自身の準備不足や配慮不足、あるいは注意不足のみならず、もう一歩念を押しておけば防げたような点検不足も含めて、そこから生じたミスに対しては「不注意でした、申し訳ありません」と頭を下げるしかありません。

事態の深刻さによっては「私の不注意からどんでもないご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」と謝罪して、最敬礼の90度まで頭を下げます。

「明らかに私どもの不用意でした」や「私の点検が不十分でした」等など。
背筋の伸びた敬礼動作とともにしっかりと謝意を表わします。

2007年6月18日月曜日

咄嗟の醍醐味

<いつでも、どこでも、誰に対しても>サラリと使えるようになりたい
<大人の話し方>は実はコミュニケーション・ストレスの軽減にも効果的です。

なぜなら<自分の意思や感情>をできるだけ正確にわかりやすく、そして上手に、相手に伝えることが出来れば、それだけで話す側としてのイライラ感はゼロに近づき、もどかしさストレスからは脱却しやすくなります。

ところが実際には言いたくても上手く言えない。
あるいはどう言えば良いのか、わからない。適切な言葉が見当たらない。
さらにはこの言い方で間違っていないのか自信がない、等など。

そんな各人各様のもどかしさや気持ちの葛藤が困った表情や額ににじむ汗で
相手に伝われば良いのですが、懸命にうつむいて言葉を模索する態度が
ただ反抗しているかのように見て取られることも残念ながら有り得ます。

こう考えてみると<大人の話し方>の醍醐味は咄嗟の反射神経フレーズで、
まずは揺ぎ無い【誠意】を見せることにあるのではないかと思い至ります。

となれば、困った事態のときほど有効という見方も出来ます。

そこで困った事態に直面した想定で、言葉とその言い方で、
誠意ある<大人度アップ>を目指したいと思います。

たとえば、職場で先輩や上司から、何某かのミスを指摘された場合に
よくある光景は「あれ、おかしいな」や「えっーとこれはですね」と
しどろもどろでゴチャゴチャ言い始めるパターンです。

指摘された通りのミスならば、四の五のいわずにスパッと一言。
「気がつきませんでした」と素直に謝るのが好感度大です。
「気がつかなくてすみません」や「気がつかず、失礼しました」等

さんざん言い訳や弁明をした挙句、最後にこの表現に辿り着くのでは
効果はゼロに等しいと心得たいくらい順番が大切です。

2007年6月17日日曜日

ひらめき脳!(著者:茂木健一郎)

タイトル:ひらめき脳<0.1秒で人生が変わる!>
著者:茂木健一郎(脳科学者)
出版社:新潮新書
680円(税抜)

<大人の話し方>が目指しているものは、結果としての良好な対人関係です。
その良好さがもたらす相互の居心地の良さや
その集積としての快適環境の創造こそが心底、目指しているものといえます。

それだけに初対面の相手以上に身近な職場の仲間や
長いおつきあいの相手とのごく日常的な会話の中でこそ、
鍛えたい課題でもあります。

めったにおめにかからないような遠方からのお客様やご新規様に向けては
出来るけれども、毎日お顔をみるようなご贔屓様には出来ないという
<よそ行き発想>ではなく<いつでもどこでも誰にでも>が至上命題です。

そのための言葉と動作とそして身体の雰囲気。存在そのものが問われます。

考えてみれば、長い時間をかけて連綿と引き継いできた人間育成の根本課題としての<躾>への見直しこそが、お互い様の<快適>創造のために早急に着手せねばならない最重要課題に相違ないという次第です。

どこかのタイミングで受け損ねたバトンを完全に見失ってしまう前に、何も持たぬまま走ってきた距離を勇気を持って後戻りし、そこから拾い上げてしっかり握りなおして、もう1度走り始めることがいま、必要なことです。
やり直す勇気さえあれば、きっと出来ると信じています。

それにしてもグングンと不快指数が高くなるこれからの季節に向けて、
対人関係の不快指数軽減のためには勢い、即効性の高い荒技へのニーズも強まります。そこで本日お薦めしたいのは、不快モードの他人はさておき、まずは自分の殻を自分のために打ち破るための手掛りとなる1冊。

2007年6月16日土曜日

身構えないための心構え

<大人の話し方>を意識するとそれだけで、
いつもよりちょっと背筋が伸びるような感覚が伴いませんか?

ほんのすこしよそ行きの雰囲気で、わずかに背伸びして、
爪先立ちのようなイメージとでもいいましょうか。
やがていつの日か、それが上手に出来るようになるために
誰もが通らなければならないレッスンのプロセスがそこにはあります。

但し、妙に<身構えて>しまわないようによくよく注意したいものです。

それって微妙な違いなのですが、相手に与える印象はずい分異なります。

たとえば、とても偉い方にご挨拶する場合に決して粗相があってはならないからと緊張しすぎると、反ってギクシャクした動きになるようなものです。

真面目に真剣に向き合うことはとても大切ですが、
普段以上のことは俄か繕いで挑戦しても出来るはずがありません。
この前提に素直に向き合えれば、自然体ながらも
精一杯背筋を伸ばした、好感度な身体モードが完成されます。

反対に何とか実物以上に良く見せようとか、虚勢を張ろうとすると、
途端に余計な力が加わって、見事に<身構えた姿勢>が出来上がります。

ちなみに<身構える>という身体には明らかに戦いのモードが存在します。
つまり敵対的交渉の雰囲気を無意識の内に纏っていることになります。

その<身構えた>状態で、心を開いた良いコミュニケーションが
はかれるはずもなく、事態は決してよい方向には向かいません。

相手との良好な関係を真に願うならば、お互い様に<構える>のではなく、
目下に対しては<受け入れる>と思うことがポイント。
目上に対しては<懐に飛び込む>つもりで接する練習が必要です。

2007年6月15日金曜日

言い訳は<百害あって一利なし>

今月も今日で半分経過、折り返しです。

しかも週末の金曜日なのでいっそうキリの良い気分を覚えるのは、おそらく完全週休2日制のサラリーマン時代の記憶の為せる業ですね。

かつ至って個人的な事情ではありますが、来週早々に<ちょっとした記念日>が迫っていることもあり、なんだか勢い背筋が伸びてきそうな週末です。

さて、すっと伸びた背筋は実に美しいものですが、自然体で常時これが実践できるようになるためには、やはり日々の鍛錬が必要です。
同様に<大人の話し方>もよそ行きモードのときだけ使用可ではなく、ごく日常的な場面での実践を心がけてこそ上達も早くなるというもの。

そこで昨日の<言ってもしょうがないこと>の代表選手として、何らかのトラブル発生時の<言い訳>に注目いたします。
<大人の話し方>では原則として<言い訳はいかなる場合も厳禁>です。

「えー、なんで!」とか、「そんなー」とか一切なしで、ダメなものはダメ。
「いえ、それは、、」も「そうじゃなくてですね、、、」も百害あって一利なし。

たとえば遅刻した場合も、何かミスをしてお叱りを受ける場合も、お客様からのクレームも、とにかく何某かの事情で相手から注意されたり、叱られたり、意見される状況に立たされた場合、<言い訳>ほど事態を悪化及び複雑化させるものはないと心得ておきたいものです。

<大人の話し方>としては何はともあれ、相手に迷惑をかけた、不愉快にさせたことに対して、まず素直に謝ることを優先させます。
基本の言葉は「失礼しました」もしくは「失礼致しました」です。

潔く、素直に非を認められる謙虚さは成長のための必須能力であり、最大の栄養素でもあります。ラッキーな体質獲得のためにこれは絶対、早期獲得を!