2007年1月31日水曜日

おもてなしのサプライズ

1月の最終日も<東京サプライズ>がらみでつらつら回想を。

今回の東京では虎ノ門にある某財閥系の老舗ホテルに宿泊しましたが、さすがに相当な期間に亘って日本のリーディングホテルとして君臨しただけの格式とハイクラスのおもてなし力をそこかしこに味合わせていただきました。

到着したのは土曜日の午後、平日ならばビジネスマンで賑やかな界隈も休日とあって驚くほどの静けさの中、タクシーもスイスイ走り抜ける心地よさ。
さすがに名門ホテルも今日当たりは閑散としているのかと思いきや、あにはからんやレストランもカフェもバーもほぼ満席。

翌朝の朝食に至ってはかなりの金額にも拘らず、かつ日曜の朝なのに長蛇の列。
たしかに人口密度が京都とは比べ物にならないとはいえ、つくづくとその底力を拝見させていただいた次第。しかもメニューそのものはどこのホテルでもお見受けするバイキングスタイルながら、その食材へのこだわりや新鮮さは一口食べてみれば、さもありなんと手をうちたくなる秀逸さ。偉そうに言えるほどのグルメでは決してありませんが、またもやさすがと唸ってしまいました。

それにつけても立派なのは、このホテルで働いている方々の応対の良さにあります。フロントもベルボーイもレストランの案内係りもレジのお姉さんも、皆、フレンドリーで温かく、丁寧だけれど気取りはなく、何より表情が穏やか。
ともすれば、一流ホテルにありがちな慇懃無礼さはかけらもなく、その対人対応力の完成度の高さが正直、今回最大のサプライズだったかもしれません。

精算時のフロント応対も見事でした。幸い空いていたこともありますが、当方に向き合っているスタッフ以外のその他のスタッフもごく自然な笑顔、雰囲気力がパーフェクトに身についていて、そのトータルな空間としてこそ格調の高さが生み出されることをシカと教えられた気がします。それにしても、どのスタッフの口角も見とれるほど、きれいに上がっておりました。( 口角のことが意味不明な方は昨年夏から秋にかけてのこのブログをぜひ、ごらんください。)

さすが!という評価の源泉はつまりそういう細かな実践の継続にあり!としみじみ思い至ります。

2007年1月30日火曜日

備え有れば、サプライズ

早いものでまもなく如月。今年も快調に流れる日々の速さを実感しつつ、東京での<古希の会のサプライズ>を通して、つらつら思うところの続きです。

有名人で年齢サプライズの代表株はなんと言っても女優の森光子さんかと思いますが、どうせならきれいで、元気で、年を重ねたいのが人情です。
ところが現実は思うに任せず、腹立たしいほどの個人差をもたらします。

大変個人的なことながら、私の周りには昨年から今年にかけて、70歳を迎える先輩がなぜか相当数おられます。この実物大の比較を悪気なくさせていただくだけでもかなり個人差があることが全くもってよくわかります。

故に一概に申せないことは百も承知ながら、しかも専門的根拠など一切、ありませんが、私の周りだけの現象でみるとどう贔屓目に見ても男性の方が老けておられるようです。否、女性が異常にお若いというべきでしょうか。

男性の方々はハッキリ言って年相応です。お世辞にもお若いとは言いにくいくらいにほどよく加齢の痕跡がそこかしこに出現しておられます。
つまりある意味、自然。ところが女性の方は背筋は伸びているは、肌はつやつやだわ、表情は活き活きしているわ、意欲は満々だわといささか不自然な気配。

もちろん、男性の中にも負けず劣らずの御仁はおられますが、かなり少数派。
明らかに女性優位です。これって結局、それなりの対策のツケみたいなものがあるときを境にドッと出てきてしまうのではないかと実は注意深く観察中です。

それはたとえて申せば、防災準備みたいなもので、いざとなってからでは遅い備えの範疇にどう向き合ってきたかの結果のようでもあります。故に女性でも年齢なりに、あるいはそれ以上に老けている方だって沢山おられます。

ダイエットやアンチエイジングが不正の末の大きな社会問題になるくらい時代の注目を集めるテーマである以上、我とわが身のためにも今後も注意深く、目を離さずに向き合いつつ、楽しいサプライズに出会いたいものです。

2007年1月29日月曜日

本物のサプライズ

平均すれば月に1、2回は東京方面に出掛けております。仕事半分、遊び半分。
今年最初の東京は一昨日から昨日の2日で、今回は1割仕事、9割遊び。

どなたの人生にも恐らく生涯の師と呼べるような方がいらっしゃるかと思いますが、今回は私が公私共々において尊敬している女性経営者の70歳のお誕生日、すなわち古希のお祝い会に出掛けてまいりました。

会場は見事なお庭が評判で結婚式の老舗定番人気スポットの明治記念館。
この日も沢山の花嫁姿に彩られたロビーを通りぬけ、庭園のさざれ石をすぐにまじかで拝むことが出来る奥の宴会場へと向かいました。(我が家から程近い、護王神社さんのさざれ石とはまた随分、趣の異なるさざれ石でした)

オープニングは本日主役のご本人の詩の朗読です。実はこの方、TBSの初代女性キャスターとして長年、アナウンサーもお勤めになっていましたので、話し方も声もそれはさすがと称えたい素晴らしいプロフェッショナル技のご披露。

おそらく200名近い出席者の中には、思わず涙を拭うしぐさも見受けられ、胸に迫る何かを語る言葉、その【言葉を紡ぎ続けて70年】という舞台に掲げられた大看板にふさわしい見事な演出の開演となりました。

主役が恩師と慕う国会議員のパフォーマンスに、有名キャスターの祝辞など沢山のサプライズ企画で華やかながらも年齢層の高さからか程よい温もり溢れる会でした。それにしても1番のサプライズはなんと言っても主役70歳の元気できれいで活き活きとしたその姿ではなかったかとしみじみ脱帽。

そろそろご引退かしら?などという世間のねたみ半分の思惑を鮮やかに一蹴し、これからも頑張ります!と実にさわやかに現役続投宣言をなさった夜でした。

さて、そのご本人から御礼の電話が今朝1番に入り、耳に届く明るく清々しいその声が、受話器の向こうの見事な笑顔をみせてくれるかのような瞬間。
かくありたいと切に願います。

2007年1月28日日曜日

いい言葉はいい人生を作る(著者:斉藤茂太)

タイトル:いい言葉はいい人生を作る
著者:斉藤茂太(故)
初版:2007年1月30日
出版社:成美堂出版(文庫)
524円(税抜)

封筒の宛名書きも実は昨今、新人研修では人気のテーマのひとつです。
人気の背景は当然、実践経験がないので<書けない>という事態を意味しておりますが、そのことに関しては今でもネタにしている凄い実話があります。

それはサラリーマン時代、ある年のある新人に手書きで和封筒の宛名書きを頼んだときの思い出話です。いくつかの関係企業の代表者宛にそれなりの格式でお届けしたい何某かの会のご案内のお便りでした。

宛名リストと封筒を渡して数時間後、投函前には全体を最終点検するつもりでその新人の力作の宛名書きを見て本当にびっくりしました。

なんとわざわざ用意した二重封筒<特に改まった内容を出すときに用いる封筒>の表書きが住所だけで表面をいっぱいに使いきり、辛うじて左端に社名がありましたが、宛先の方の肩書き、ご氏名が裏面にまわって書いてありました。

本人は叱られた意味もわかっていない様子で、『ダメでしょうか?』と真顔で質問しておりましたので、悪ふざけでないことだけは確かなようでした。

宛名書きに自信のない御仁はネットや専門書でしっかり基本スタイルを確認してから挑戦しましょう。文字の大きさやバランスも大切ですが、何より正しく見やすく書いてなければ届けられないという本来の重要な役割もお忘れなく。

わからないことはいくつになっても誰にでもあります。
それは決して恥ずかしいことではありませんが、わからないことをそのままにしておくことは大いに恥ずべきこととあらためて自覚したいものです。

その一方で、もしあのまま郵送していたら、さぞかし話題になったであろうと今になれば惜しい気がするほどの自由な発想の産物ではありました。

2007年1月27日土曜日

メアキセンニン・メクラセンニン

アレコレと悩みながら、何度も下書きをして内容と見た目に精一杯の工夫をしたお便りならば、便箋の折り方ひとつ、さらには封筒への入れ方にも実はこだわりの有無が表れるものと意識したいですね。

あらためて問われると、そんなこと意識したことがないと気付きますか?
それとも気になりつつも誰かに聞くほどの事もなく、なんとなく適当ですか?あるいはきちんと職場で先輩や上司から指導してもらいましたか?

全く持って個人的な体験を申せば、こういう類について会社で教えてもらった記憶はなく、後輩から質問された記憶も一切ありません。
記憶が古すぎて頼りないことこの上なしですが、学校で習ったのでしょうか?

たとえば、白紙の便箋を最後の1枚に加えることも以前は当然でしたが、今では消滅したマナーなのでしょうか?

便箋の折り方は用紙が縦使いの場合は縦書き・横書き共に基本は上下に3つ折りにします。まず下から三分の1を上に向けており、次に上から三分の1を下に向けて折り重ねます。広げればすぐに書き出しの文章が目に入る形です。

これを和封筒に入れる場合は封書の表書きから見て、便箋の書き出し部分が左上、折山が右側にくるように差し入れます。時には便箋の横幅が封筒の縦寸法より長いものがあって、そのままでははみ出す場合があります。その場合は封筒の下の方にあたる部分を寸法に合わせて数センチ折ります。
横書きで横封筒の場合も書き出しが左上、但し折山は下になるように入れます。

封筒のサイズも実に様々ですが、一般的な洋封筒とセットになった便箋の場合はまず、上下に折り次に左右の四つ折りが定番、便箋の四隅が折り重なった部分が上記同様に左下になるよう差し入れます。

そんなことを一切、気にしない人もいれば、そんなことまでしっかり目を向ける人もいます。<目明き千人、盲千人>見ている人はちゃんと見ているから、気付いた以上は手を抜くな!とかつての上司がよく申しておりました。

2007年1月26日金曜日

お便りのリハーサル

正式なビジネスレターはあくまでも基本書式に則ります。このためビジュアル系の感性が問われるお便りの技量を磨きたければ、基本的にはプライベートモードの手書きジャンルの挑戦に邁進するしか手はありません。

昨今は横書きのお便りがラクチンですが、時には縦書きも決めたい!どうせチャレンジするならバランスよくどちらにも手を出してみた方が面白そうです。

市販の便箋は一般的にはB5サイズが主流になりますが、縦使いなのか横使いなのか。更に縦書きなのか、横書きなのかはお便りの目的や用途によって自己流の分類で決めておくのも、その都度迷わずに済む賢いやり方のひとつです。

たとえば、用紙は縦使い・文字も縦書きの場合は人生の先輩や恩師などへの改まった内容にふさわしく、筆ペンなどに挑む場合はこのパターンがピッタリ。同じ縦使いの用紙でも横書きになれば雰囲気はフランクにモードチェンジをして、同年輩の仲間や学生時代の友達など幅広いターゲットが狙えます。

横使いの用紙に縦書きは少しレトロな雰囲気を意識して親戚の伯父さんや伯母さんや祖父母へのご機嫌伺いなどに向いているかもしれません。
この用紙使いで横書きは結構特殊なので、遊び心を発揮したい相手や機会に的を絞って使う醍醐味がありそうです。

便箋の中で文字が占めるスペースは天地左右共に最低1センチ以上を空けた内側にまとめるとまずはバランス良く美しく見えます。その際、文章は1文毎に1行分ほどのスペースをあけてブロック毎に書けば、スッキリ見えます。

また、長い文章は上から下まで成り行きで書いて改行ではなく、意味性と改行後の残りの文章量のバランスに注意します。先方の呼称が下の方にならないようにとか、数字や金額が2行に分かれないように配慮します。

改行を入れて、最大3行までくらいの文章量に収めるのも読みやすさのコツ。長い文章の後にはスカッと短い1行を行間を空けて効かせると粋な感じ。

何事もリハーサルできるのは人間だけのラッキーの種、下書きで大いに工夫を凝らしましょう。

2007年1月25日木曜日

センスが問われるビジュアル系

<お便り上手>を目指すプロセスの中で、内容の充実と共にいささか気を配りたいのが見た目の完成度という課題です。とりわけ、誤字脱字といった両方に跨るような課題で間違わないためには徹底した校正の癖付けが必要です。

基本的にはまず、下書きをする。その段階でわからない漢字や自信のない表現や文字は辞書で調べる。昨今はネットを活用すれば相当、精度を上げられます。

ビジネス文書の場合は発信した担当者が恥をかくだけでは済まされないケースも多く、事前に先輩や上司に必ず内容の了解を取る癖付けも指導徹底したい大きな課題といえます。

<てにをは>と呼ばれる助詞、助動詞の使い方も悪気なく間違っていることも多く、文章の意味がつながらないだけでなく、結果として誤解を生じさせる言い回しになってしまうことがないように注意したいものです。

言った言わないの水掛け論では済まない事態として明らかに手元記録が残る以上、責任を持って念には念を入れて、内容を見直すことは誠意を持って相手に向き合う姿勢の原点と心しておきたいものです。

さて、このあたりまでが内容的な側面での完成度への期待だとすれば、ここから先はビジュアル系の表面的な課題への期待ということになります。

結論的にはかなりの部分で書く側のセンスの有無やこだわり加減に委ねられる課題ではありますが、読み手のほうからすれば何より読みやすいとか、読む気になるという点では案外、おもてなし度が評価されるテーマかもしれません。

便箋1枚あたりの全体バランスを考慮した文章の量や一文の字数、更には改行の仕方。あるいは書き出しの位置関係や漢字とひらがなの意図的使い分けによる視覚的な演出効果へのこだわり。封書の場合には便箋3枚あたりが最も適切な枚数と想定した上での行間の取り方の工夫等。思いのほか課題満載につき、もう少し具体的に明日もこのあたりを探ってまいります。

2007年1月24日水曜日

締めくくりの挨拶

<お便り上手>のための基本の書式の構成を解説する中で<本文>への向き合い方に非常に多くの時間をかけましたが、そろそろ軌道修正の頃合でしょうか。

とりわけ年末年始のタイミングにあって、1年に1度きり!今しかチャンスがないテーマも多々ありましたので、状況的には止むなしというものの、その延長線上の課題にしばし目を留め、手を伸ばし過ぎたきらいもあってようやく、本日、ここに基本書式の<本文>に続く流れの解説に戻らせて頂きます。

さて、<本文>が完了しますと、気分的には「ということで、よろしく!」って感じなのですが、これを基本書式構成で捉えますと、<締めくくり>という段階に入ることになります。ここにもいくつかのパターンがあります。

一般的には相手先企業の発展と共に個人のご活躍に<配慮する気持ち>を表わすものとして【益々のご活躍をお祈り申し上げます】

あるいはご本人やご家族の健康的側面への配慮をもって<気遣い系の挨拶>で「時節柄くれぐれもご自愛くださいませ」というあたりもよく使われます。

また本題がどのようなことであれ、<謙虚な姿勢>を表わす挨拶としては、
【未熟ではございますが、今後ともご指導を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます】という定番フレーズが安心して使える代表格です。
さらに如何なる場合にも使えるものとして<感謝の挨拶>があります。これはそのまま【心から感謝申し上げます】または【深く御礼申し上げます】など。

さらに本文の用件が長い場合は、特に決まり事ではありませんが、手書きで便箋にして3枚以上になるような場合は定番フレーズの【末筆になりましたが】とか【末筆ではございますが】と前置きをします。

反対に便箋2枚がやっと!みたいな文字数の少ないお便りでは、このフレーズは字数稼ぎに見えてしまうだけなので使用不可と意識しておきたいものです。

2007年1月23日火曜日

体験談の価値

おもてなしマインドにあふれた<お便り上手>の技量向上への課題は尽きませんが、盛り込む内容や取り上げる情報の課題として、仮に鮮度が相当、低くても何故か立派に通用し、読み手の気持ちに迫り来る場合があります。

それはご自身が実際に<体験した事実>を語る内容であり、どんな体験談も他には代えがたいクオリティを発揮するものと受け止めております。

最近で申せば、本も映画もTV番組も大ヒットの島田洋七氏の体験談で、非常に頼もしいおばあちゃんが主役の【佐賀のがばいばあちゃん】がまさにコレ。
すでにシリーズ化されているようですが、涙アリ、笑いありの大活劇さながらに、しかも実に人生勉強になるようなお話に誰もが惹きつけられます。

また年明けから速水もこみち君主演で連続ドラマが始まった、リリーフランキー氏の【東京タワー】も母と息子の交流が切なく温かな実話物語です。

さらに岡村社長の阪神大震災・被災記しかり。「ええー、そうだったのか」と改めてその当時の様子に接し、事態の重さ、恐ろしさ、そして先行きの見えない不安さなど、淡々とした語り口の中にひしひしと迫り来るものがあります。

ことほど然様にご自身の体験された話はまさに<事実は小説より奇なり>で、巧みな文章力などは遠く足元にも及ばない迫力を醸し出します。

ご本人が体験して見た事、学んだこと、感じたこと、考えたことは、やはり掛け値なしに人の心に訴え、響くものと心得れば、日々の記憶の補強としての日記の役割にもまたぞろ注目度が高まりそうではありませんか。

滑らかな相互交流を願えばこその<お便り>ならば、それがハガキであれ、封書であれ、メールであっても、ぜひとも相手の気持ちに響く何かを書き添えたいものです。一言でよい。ワンセンテンスでも良い。とりあえず肝心なことは、まずはそうありたい!と願いつつ、ネタの収集に励むべきかと考えます。

2007年1月22日月曜日

情報鮮度とその【出典】

我が家に届く、昨日の朝刊の一面には<あるある大辞典の関テレ謝罪>・納豆ダイエットで捏造・架空データ6ヵ所というショックな見出しが躍っておりました。せっかく毎朝・毎晩、番組の仰せの通りに挑戦してきたのに!と恐らく沢山の方ががっくりこられたことと推察いたします。

報道によれば、この納豆ダイエットは7日放送分でしたが、私個人の手帳の記録によれば、そこから3、4日ほどして、近所のスーパーから納豆が草々に姿を消す傾向が出始め、そのことが新聞紙面を賑わせたのがちょうど1週間後のことだったはず。寒天もそうだったな、とかそういやにがりも同じ運命の舞台にいたなという感慨を持ちつつも、報道の威力に関心していた頃合です。

1月12日にとある企業で商談中、なぜかそこにいたメンバー全員が朝晩納豆ダイエットを実行中と判明し、大笑い。その頃は恐らく京都市内のどこに行っても納豆が入手困難な事態にあったと思われます。

ほとぼりが冷めたら再開しましょう!などと軽く決意を交わして別れましたがこんな事態になるとは夢にも思わず、全くもってお粗末な人騒がせの顛末です。

仕事仲間のひとりは「効果覿面です!」とその威力にかなりご満悦の様子でしたが、これってすなわち、プラシーボ効果(偽薬)なのでしょうか?

それにしてもTV・新聞・雑誌など公共性の高いメディアに対して、露ほどの疑いも持たずに信じ込んでしまう傾向はいったいどこで育まれたのか。
他人事でなく我と我が身のこととして思案の深まる状況です。

その意味では<情報は鮮度>と共に信憑性なり、信頼の裏づけとしての【出典】表記が重要になります。いつどこで、どうやって手にした情報なのか、書物からの引用なのか、映画の台詞なのか、それこそTVで放映されたのか。すべてを正確に記録することは難しくても意識して向き合いたい命題のひとつです。

それなのに、【ナポレオンの朝が苦手説】は何かの研修で聞いた話としか、思い出せませんが、、、トホホ。

2007年1月21日日曜日

ブログではじめる!ノーリスク起業法のすべて<あなたの日記をお金に換える法>(著者:丸山学)

タイトル:ブログではじめる!ノーリスク起業法のすべて<あなたの日記をお金に換える法>
著者:丸山学
初版:平成16年12月24日(平成17年3月7日第12刷発行)
出版社:同文舘出版
1、400円(税抜)

文章力を高める上で、<情報鮮度>は極めて重要な課題のひとつです。

あの偉大なナポレオンが最後の戦いに敗れた最大の原因は情報入手の遅さにあったとされるくらいその鮮度は貴重です。

【巧遅拙速】という言葉はここから生まれたのかもしれませんが、その当時、すでに最高の地位にいたナポレオンはとても朝が苦手で、起こされると機嫌が悪く怒鳴り散らしたそうです。故に如何に緊急かつ重要な情報が飛び込んできても、それが早朝であれば側近、重臣は報告をためらったと言います。
これが致命的な判断の遅延を招き、敗因に直結したと後世に伝わります。

どれほど巧みであっても遅い情報に価値はなく、いかにも稚拙でも速いほうが役に立つという言葉はまさにこの事実を教えてくれます。ビジネスシーンで報告書が重要なのはまさにこのあたりの課題に直結しております。

また<お便り上手>においても、旧聞より最新に興味が湧くのは人の性です。
毎日の新聞、報道番組がとかく新鮮さを競い合うのも、その是非はともかくとして、読む側、見る側がそれを求めているからに他なりません。

となればこそ、時には出張先の市場調査のその現場から即効でレポートを作成するように、どこかにお便りすることも技として身につけてゆきたいものです。

技は基本の繰り返しの中で鍛えられ、自分流になっていきます。
この基本を獲得する上では、<日記>を書くということが実はとても大きな意味を持っていたのではないかと、今更ながら思い至ります。

2007年1月20日土曜日

お便り上手の妙手

<お便り上手>と聞けば、さぞかし達筆で名文、美文をイメージいたしますが、実際にはそれとは違う評価軸で高得点を弾き出す妙手があります。

それは、いわゆる<心を打つ一言>や<心に響く言葉や表現力>の類であり、そこには上手さよりも温かさとか温もりみたいなものが問われます。

個人的な好みで申せば、やはり<フーテンの寅さん>シリーズで国民的俳優の故・渥美清さんのお便りの話は素敵だなーと素直に思います。
寅さんシリーズといえば、毎回の舞台となる全国各地での撮影が思い浮かびますが、渥美さんはその撮影の旅先から毎日、お母さんにお便りを書かれていたそうです。但し文面は、毎日同じ。ハガキいっぱいに<僕は元気です>
なんとも優しい人柄がしみじみと伝わってくる<お便り上手>です。

また、独特の節回しとテンポに江戸っ子気質が漂う、永六輔さんも間違いなく<お便り上手>のお一人です。以前に<読書のすすめ>の中でご紹介した、金平敬之助さんが一連の著書の中でそのエピソードを紹介しておられました。

詳しい内容は失念しましたが、金平さんが永さん宛てに何某かのお願い事があってお便りをしたところ、すぐにハガキで了承の返事が到着。
そのハガキには<どうぞ、どうぞ>とだけ、書いてあったそうです。ただそれだけなのに、どんな名文句も叶わない温もりがそこにはあったという次第。

額に入れて飾っておきたいような美しい文字や趣向を凝らした文面もたしかに<お便り上手>の本領発揮ではありますが、それとは異なる次元で思わず参ってしまうようなこんな鮮やかな<お便り上手>も見逃すわけにはいきません。

取り分けプライベートな世界では、肩の力を抜いて、心を込めて、そんな視点で<お便り上手>を目指してみるのも一興です。

上手か下手か?という評価軸だけで評価しきれない何かが、そこには確かに存在します。スラスラだけじゃなく、ボソボソやモゴモゴと言葉にならないもどかしい想いを素直に書いてみるのも大いに有りではないでしょうか?

2007年1月19日金曜日

写経の如く

社会人になりたての頃の私の文字は我ながら実に子供チックな丸文字で、どう贔屓目に見ても上手いといえる状態ではありませんでした。

今だからこそ、話せますが、就活のための<履歴書>もたしか父親に頼んで書いてもらっていたはずです。しかもその字を当時の面接官から「ご自分の字ですか?」と聞かれて、「はい」と躊躇なく答えておりました。ちょっと考えれば、すぐ露見するような愚かな大嘘がよくもと言えたものだと空恐ろしくなりますが、その無分別こそが若さの象徴であったのかもしれません。

しかし、その頃はそんな自覚もなく、文字だけでなく、文章もレイアウトもかなりお粗末で、これは非常にマズイ!とようやく気付くことが出来たのは入社4年め、宣伝部に異動になり、<お便り上手>の先輩に出会えたおかげです。

この先輩の大人びた草書チックな文字と滑らかで清々しい文章、読みやすいレイアウトや封書の宛名書きのバランスの取り方の妙味はどれもみな、歯軋りするほどうらやましい代物で、眼にする度に唸るしかない憧れでした。
そこでこの先輩に頼み込み、先輩の<便箋ファイル>を譲って頂きました。

この意味がわかりにくいかもしれませんが、当時はパソコンもワープロもなくお便りといえば、手書き。その手書きも会社の便箋の場合は、記録保存からカーボン紙を入れて書きながら複写を作成してゆくスタイルでした。

故に便箋1冊には何件かのお便りの記録が保存されていることになります。

以来、何度もその保存便箋のなぞり書きの丸写し、完全盗作でどれほどの方にお便りしたことでしょう。まるで写経みたいな、なつかしい思い出です。

「上手くなりたい!」という思いがあれば、歳月はそれなりの何かを築いてくれると体験を通して実感しています。大切なのは思うこと。
未来のラッキーのための大切な種は<いつかこうなりたい!>と思うこと。

2007年1月18日木曜日

活きたサンプル

出会いのフォローという以外に、<お便り>がスタートラインになるケースもビジネスでは多く見受けられます。広義では見れば、DMなどもそのひとつ。
一般的にはどなたかのご紹介を受け、ご縁の申し入れにお便りを用います。

<お便り上手>への挑戦は今更ながら、あるいは思い立ったが吉日で始めてみても遅くはありません。仕事と割り切って、営業系に限らず1日1通という目標なども実践的です。よほど苦手でない限りは、何が何でも書く!と決意するだけでも思いのほか有効かも知れません。

もちろん、それなりの社会的キャリアを積みながら筆不精を自認する方も世の中には沢山いらっしゃいます。但し、その場合は各位、別の方法でしっかりとフォローをなさっていますので、油断大敵。観察模倣を意識したいですね。

それにしても近頃はネットを使えば、便利な言い回しを簡単に入手できます。
もちろん書籍を片手に考えたり、職場の上司先輩に慣用モデルを教わりながらお便り上手の腕前を鍛えていくのが常套手段ですが、意外に重宝するのは得意先や仕入先、あるいは協力関係先から頂く、様々な書簡の活用があります。

各部門や、個人宛に頂いたそれらのお便りはその案件に関する機能を完遂した後、破棄せずに<活きたサンプル>として有効活用しようというものです。

たとえば組織変更のご連絡や社屋移転のお知らせ、転勤転属のご挨拶、あるいは新製品のご案内、時にはクレームへの詫び状、ご紹介のお礼状等など。
こうした書簡のうち、なるほど!と思ったものは、回覧破棄ではなく、保存します。出来れば、カテゴリー別のオリジナルファイルを作成しておき、いざ類似テーマの文書作成の折には大いに参考にさせていただくという段取りです。

そもそも当たり障りのない常套句で構成されるビジネスレターもちゃんと眼を通す習慣をつけておくと、段々わずかに気の利いた言い回しや、他とは一味違う文面が見えるようになります。この違いに精通する頃には、当然、当事者の文書表現力もかなり鍛えられているはずです。個人で取り組むもよし。
部門内や総務を中心とした取り組みとして組織的なウエーブを提案するもよし。

2007年1月17日水曜日

記憶より、記録が肝心

<本音の一文>は当然のことながらワンセンテンスに限る!という意味では決してありません。むしろここで伝えたい内容が多ければ、それこそお便りの価値も高まり、書くという技量を鍛える上からも非常に喜ばしい限りです。

何より、そのお便りを受け取った側にしてみれば、ここが最も嬉しい箇所であり、特に何かお世話になったことに対して<お礼>を申し述べる折に、たった1行程度の本音では、感謝の思いは伝わりにくいと心得ておきたいくらいです。

これは世話した側の視点になれば当然の事と言えます。
たとえば、時間を割いた、手間を掛けた、知恵を絞った、頭を下げた、実際にどんな労力を費やしたかにもよりますが、何はともあれ、面倒を見た以上はその価値を最大限に評価して欲しいと考えるのがいくつになっても人情です。

ここのところの人間の気持ちの機微は確かにわかりにくい側面でもあります。

ありがちなパターンとしては「いいのよ、お礼なんて、みずくさいわよ」とか、「こちらが好きで勝手にしたのだから気にしないで」みたいな言葉を掛けていただくとそのまま額面通りに受け止めて、<なしのつぶての対応>が許されるものと悪気なく、勘違いをしてしまいます。

しかし一般的に見て、これが許されるのはやはり個人としては若い内だけのことであり、ビジネス的にはありえない話。すなわち、何事によらず、<なしのつぶて>的対応はメンバー限定、期間限定の特別措置であることをこの際、改めて認識しておきたいものです。

こうして考えてみると、まず何某かのご縁があって後日、そのフォローとしての<お便り>が書かれるというのが普遍的パターンとなります。
となれば、<本音の一文>につながる思いのチャンスはいざ、便箋やハガキに向き合うその時ではなく、出会っているその瞬間に生じるものと思い至ります。

瞬間の思いや感情を記憶する自信がなければ、記録する。
ちょっとしたメモの大切さは、実はこんなところにもつながる課題という次第。

2007年1月16日火曜日

本音の一文

本題に向き合う際に大切なことは<何が言いたいのか>これをまずハッキリさせることになります。それはビジネス、プライベートの両方に共通する課題。

本題においては<何を言いたいお便り>なのかによって肉付けの表現方法は如何様にも異なりますが、基本の骨組みは同じです。故に、ここでは<お礼>のお便りを例に取り上げます。但し、ひと口にお礼といっても理由は多岐に亘ります。そこで何某かの【ご指導を頂いた】場合の<お礼>とします

本題が<ご指導のお礼>となれば、その喜びや感謝、あるいは気付き、発見、学習、習得に加え、ご教示頂いた成果などを出来るだけ素直に表現したいのですが、ビジネスでもプライベートでも本題すらも前半は定型文で整えるほうが無難になります。特に初対面であったり、接触頻度が少ない場合は最適な距離感模索のためのこれが常套手段でもあります。

たとえば、<先日はお忙しい中、貴重なお時間を頂戴し、多くのご指導を賜りましたこと心から有難く深く御礼申し上げます。>と定型文で押さえてから、
その場で自分が本音で感じた感想をせめて1行だけでも文章にします。

<おかげさまで終始、緊張の連続ではありましたが、何事にも真摯に向き合うことの重要性を確信することが出来ました。>
あるいは<わかりやすい体験談などを沢山交えてお話くださいましたので、本当にあっという間の時間でした。>はたまた、
<メモでいっぱいのノートを貴重な宝物として大切にいたします>等。

つまり<お礼>の場合ならば、<何が><どう嬉しかったのか>というような本心の直球メッセージを自分の言葉で書けるかどうかが、お便りの意味と向き合う相手へのもてなし力の質を大幅に左右するポイントといえます。

この核心の<本音の一文>がなければ、前後の定型文と本題の定型文の組み合わせによる、儀礼的お便りとなります。もちろんそれもまた必要ではありますが、知識の補強では為しえない、それこそが鍛えるべき最重要課題です。

2007年1月15日月曜日

お便りの基本書式

お正月気分最後のお楽しみ、<年賀ハガキのお年玉抽選のナンバー>が発表されました。今年こそ何か当たらないかな!とワクワクしつつ、チェックはゆっくり今晩のお愉しみ。それが終われば、やっと正真正銘のお正月仕舞いです。

そこで<おもてなしマインド溢れる、お便り上手>の続きとして、手紙の書式の基本形を整理しておきます。<寒中見舞い>の書き方で取り上げた流れはこの基本からの応用省略バージョンということになります。

基本を押さえておけば応用は自在、自分らしさがきらきら輝くお便り上手のために、土台をきっちり理解しておきましょう。

まず書き出しは定番の<時候の挨拶>から始めます。これはその都度、自力で考えるのではなく在りモノを活用すれば、便利かつ勉強になります。書籍やネットで入手した定番フレーズを電話帳みたいなものにセットして、いつでもすぐ引き出せるようにしておくことが肝心要のポイントです。

続けて先様の<安否確認>ですが、この挨拶も基本はワンパターンで十分。ここまでが基本書式の前段となり、便箋1枚目の半分くらいを使用します。

次が本題ですが、まだいきなり用件には突入せず、一般的には日頃の対人関係に関しての<お礼系・感謝系の挨拶>で社会人らしい体裁を整えます。
「日頃は何かとご高配を賜りまして誠にありがとうございます」というような一文がこれにあたります。

そしてようやく本題に取り掛かります。今回のお便りでいったい何を伝えたいのか、<お礼なのか><お祝いなのか>はたまた<お願い事なのか><相談なのか>あるいは<贈り物なのか>、その主たる<用件>を申し述べます。

ここはいささか、知恵もキャリアも努力も言い回しも問われるところ。特に基本書式の前段がほとんどありものの定番パターンで対処せざるを得ない以上、ここからは少しばかり個性を表出させたい部分になります。
ということで、本題仕様は明日に!

2007年1月14日日曜日

すべては「単純に!」でうまくいく(著者:ローター・J・ザイヴァート、ヴェルナー・ティキ・キュステンマッハー)

タイトル:すべては「単純に!」でうまくいく
著者:ローター・J・ザイヴァート、ヴェルナー・ティキ・キュステンマッハー、訳者:小川捷子
初版:2003年
出版社:飛鳥新社
1、600円(税抜)

そもそもいつ誰にどこで教えてもらったのか、すっかり忘れてしまいましたがあまりにも名言なので、講演やら研修で継続して活用させていただいているネタがいくつかあります。

そのひとつが「恋はなりゆき、結婚ははずみ、せめて仕事は計画的に」というフレーズです。社会人入門編のような勉強会のシーンでは、非常に有効な掴み効果を発揮してくれる重宝ネタの代表選手です。

なるほど言いえて妙の醍醐味に具体的指導を加味すれば、<恋はなりゆき!>で始まる以上、誘う方も思い付きなら、誘われる方も原則、断らない!くらいの乗りが重要というアドバイスへと発展していくことになります。

たしかに個人的な経験からしてみても<恋愛も結婚>もおそらく計画して出来るものではなさそうです。たとえば、「25歳の立春頃に理想の彼と職場の近くの喫茶店で出会い、ふとしたきっかけから大恋愛が始まり、やがて友人知人の応援の末にめでたく結婚!」などという計画は立案段階ですでに相当無理があり、こういうのを計画と呼ぶこと事態に大いに問題がありそうです。

ところが仕事は別です。むしろ計画的に練り上げることが自分の人生を切り開く上で非常に重要なプロセスでもあります。

そんなことを突然思い出したのは、実は昨晩見ていたドラマの中でちょっとトーンの近い名言が台詞として耳に飛び込んできたからです。
「結婚するには3つのアイが必要なんだよ。恋愛、頃合、お見合い」という台詞です。なるほどこれまた仰せの通り!単純明快です。

<人生をすっきり生きるための33の方法>という帯が付いた本日の1冊は、
まさに<単純に!>すなわち、<シンプリファイ>がテーマ。

2007年1月13日土曜日

気楽の本質

哲学の道の南端あたりにある大豊神社に今日、はじめて御参りが出来ました。
ずいぶん以前から、1度訪ねてみたいと思いつつ、やっと本日実現した次第。

大豊神社には狛犬ならぬ<狛ねずみ>がいます。向かって右側に巻物を抱えたねずみ、左には宝玉を抱えたねずみが確かに1番奥の社に鎮座していました。合格祈願にもご利益大のようで真剣な面持ちの受験生らしき若者がひとりで寡黙に狛ねずみの頭を何度もさすっていた姿が印象的でした。

さて、<狛ねずみ>の大豊神社に関心を持ったのは、とある知人から聞いた話がきっかけ。いわく京都には【狛犬ならぬ狛十二支が揃っている】とのこと。

十二支のスタートはねずみ、それが大豊神社にいる!とわかって以来、気になりつつもどこか、お気楽モードの取り組みはついつい先延ばしの成り行き次第。
その結果、興味を持っている割には5年近く経過してようやく辿り着きました。

次は牛なので、これは北野天満宮といささか余裕。最後は今年の干支の猪で、こちらはいくつか掌握済み。問題はどこにあるのかが不明な干支も多い点ですが、ゆっくりと謎解き気分で京都暮らしの地の利に胡坐をかきながら、挑み続けたい課題としてたのしく気楽に悩んでまいります。

まずはそのスタートラインにやっとこさ、到着で目出度い限りです。

出来るならば、様々な事態に対していつもこんなふうに<気楽に>に向き合いたいと願っています。肩の力を抜いて、自然体で力まずに!という感じ。

ちなみに<寛ぐ、気楽にする>という言葉は英語でアットホームとかアットイーズとなります。この<at ease>でない状態は<disease>
すなわち病気ということになります。

日本語で<病気>の反対は?といえば、<元気>となります。よくよく考えてみれば<元気>なればこそ、<寛いだ、気楽な状態>を作り出せるのかもしれません。考え方と言葉と身体、この奥深い関わりにも気楽に向き合い続けます。

2007年1月12日金曜日

密かな愉しみ

寒さのせいか、お正月気分が抜け切らないせいか、近頃は早起きが苦手です。

でもたまに、フト目覚めて、時計を見たら5時55分!だったりすると、朝から急にハイテンションで「よっしゃ!やった」とワクワク気分になります。

これはデジタル時計ならではの醍醐味で、アナログではこうはいきません。

そういえばいつだったか、雑誌の悩みの相談コーナーに似たようなことが全く逆の視点から寄せられていました。内容は「ここのところ、毎朝、同じ時間に眼が覚めます。時計を見ると決まって4:44です。いつもその時間なので、気味が悪いのですが、どこかおかしいのでしょうか?」というものでした。

解答者がどなただったか、忘れましたが、解答内容は鮮明に記憶しています。

いわく、「大丈夫です。どこも悪くありませんから、気にしないでください。
但し、今後、もし眼が覚めて時計を見た時に、6が3つ並んでいたりしたら、その場合は急いで病院に行ってください。」というものでした。

深刻に悩める相談者に対して何ともいい加減、かつ小ばかにしたような、からかいモードの解答ですが、個人的には「なるほど、そりゃそうだ!」と大受けしてしまいました。6時66分が見えるようなら確かに危ない。

どこかのガソリンスタンドのCMの如く、様々な生活シーンの中でデジタル数字が揃う光景を見つける度に嬉しそうに小さくガッツポーズ!を造って喜ぶ方が、絶対にラッキーな体質だと固く信じております。

なんでもないことを悩みに種にするのも、喜びの種にするのも自身の選択次第。

アナログであれば、味わえない感覚をデジタル社会の思いがけないプレゼントとして日常の中で密かな愉しみとして捉えてみませんか。

2007年1月11日木曜日

お箸の使い方

今日、1月11日はたしか鏡開き。お正月に供えた鏡餅を下げて食べる日です。

かちんかちんになったお餅を割って砕いてお善哉にしてもらうのが小さい頃のたのしみでした。今では記憶の中だけの出来事になってしまいましたが、その頃から小豆は絶対、粒アンが美味しい!と思っています。

ところが、なんと最近の若者諸君はこぞって、こしあん派らしいのです。
中には粒アンは気持ち悪いと言う者までいて、味は一緒じゃないか!と思うのですが、一体全体どうなっているのでしょうか。
しかも、どちらが好きかで今風か否かを分別されてはたまったものではありませんが、時代と共に明らかに嗜好性は変化するもののようです。

そういえば、お正月に出会った甥っ子や姪っ子はお寿司の中で大好きなのはサーモンだといっておりました。実はこれも好き嫌いで今風度がわかるテーマらしいのですが、個人的にはサーモンよりはトロ、うに、アナゴが好き。

やはり、若者諸君とは明らかに一線を画すポジションにいるようです。

いずれにしても柔らかいものや、良く噛まなくても良いものばかりが好きなのじゃないの?と思うのはいささか穿った見方でしょうか?

顎のラインがすっきりした若者が多いのは「食べ物をよく噛まないからだ!」とどこかのお医者様がおっしゃっていた記憶があります

健康な身体と咀嚼能力についてはしっかりと意識しておきたい課題のようです。

そういえば、長崎県佐世保市の高校の入学試験で国語や数学に加えて、<お箸の使いかた>をテストするという新聞記事を今朝、見つけました。
それこそ、小豆のような掴みづらいものをしっかりとつまめるかどうかを試されるようです。全国的に見ても初の試みは今後、大いに注目されそうです。

2007年1月10日水曜日

十日恵比寿体験記

今年も我が家にあっては、<都七福神>の先陣となる、西宮、大阪今宮と並んで三大恵比寿と称される祇園の恵比寿神社に昨日、夕方行ってまいりました。

昨年まではサラリーマン稼業のため、どうしても就業後に訪ねることが多く、勢い人出も最高潮のタイミングとなり、それはそれでひとつの醍醐味ではありますが、多すぎてグッタリ疲れる行事の代表選手でもありました。

おかげさまで今年はそんな混雑を避け、夕方とは言えまだ陽のある内に悠然と訪ねることが出来、なんだか、ちょっと幸せ気分。

しかも偶然、十日戎のPRパレードの行進に四条通りで遭遇し、軽快な歌回しに気分を盛り上げていただきながらの実に楽しい道行きとなりました。

さて、いつもとは違って、余裕のある境内で、順番待ちもなく大枚3000円を支払って、恭しく巫女さんから一枝の笹を授与されました。

いつもなら押すな押すなの混雑の中、かつ夜目の中、まるでベルトコンベアースタイルで入手した福笹をろくに見るまもなく、そのまま背中を押されるようにして、縁起物の飾りつけコーナーに移動する段取りになります。

ところが昨日はいささか様子が異なりました。まったく混んでなく、しかも明るい中、手にした笹をふと見ると、葉っぱがすっかり干からびてしわしわ。
かたや青々と繁った元気な笹を手にしている方も多いのになぜ!っと、愕然。

しばし躊躇したのち、神罰が下ったらどうしようかと思いつつ、でも思い切って笹の交換をお願いして見たところ、さきほどの宮司さんはニコリともせず
「たいして変わらないですよ」と呆れ顔。つい今しがた恭しかった巫女さんも目の端が迷惑モードで、眼もあわせず、別の笹を差し出してくれました。

結果、おっしゃる通り、さして代わり映えのしない、干からびモードの笹に平均1個あたり千円の縁起飾りをいくつかつけてもらって、都合1万円弱。
これって不服気分を抱くこと自体が罰当たりなのか、あらためて考え極めたいテーマを頂いたようです。

2007年1月9日火曜日

縁起物日和

今年の干支の猪は昨今では山から降りてきて田畑を荒らしたり、人に危害を加えたりで、いささか良くないイメージが付きまといがちですが、そんな印象を払拭する可愛らしい実物に一昨日、出会ってまいりました。

場所は京都御苑の西、我が家からは徒歩で10分くらいの<護王神社>です。
いつぞやのこのコーナーで<足腰の神様>としてご紹介した記憶がありますが、
それこそ今年の干支、<いのししの護王神社>として知られています。

そこに新春企画としてお目見えしたのは生後10ヶ月の本物の<いのしし>のさくらちゃんとモモちゃん。その様子が新聞で紹介されたのは1月6日のことでした。記事によれば、2匹のいのししは8日まで!現地とのことでしたので、これは何としても実物を拝んでおかなくてはと、急ぎ、駆けつけた次第です。

ご同様の参拝兼見物客も多かったのですが、境内に用意されていたのは思いのほかにイージーな<ふれあいコーナー>で、柵もなければ囲いもなく、実にのどかであけっぴろげな雰囲気の中、まさに触れ合いを実感いたしました。

それにしても、まるでワンちゃんのように<お座り>をして、<お手>も出来る愛らしい姿には脱帽です。観客の皆さんはその姿を携帯でバシャバシャ撮影しておられましたが、今年はなんと言っても主役の年回りだけに、多芸多才な可愛い猪として大いに脚光を浴びそうな気配でした。

そういえば、京都市交通局が発行している市バス・地下鉄共有の<トラフィカ京カード>には何パターンかのデザインがありますが、今ならそのひとつに、護王神社のいのしし像の写真が使われています。我が家にあるのは千円のカードですが、なんとなく縁起物として財布にでも入れておきたい代物です。

さて、縁起物といえば、早や十日戎。ご存知の通り、毎年、物凄い人出なのですが、今日にでも商売繁盛を願って笹買いに行かねば!と朝からそわそわしております。
ということで、本日も初春気分、快晴なり。

2007年1月8日月曜日

祝、成人!

年末年始の生活歳時記にあれこれと注目をした年度切り替えの総集編気分から少しづつ、おもてなしマナー編へのギアチェンジを意識したい頃合です。

本来ならば、おもてなしビジネスモードに突入したい月曜日ですが、今日は成人式で全国的にお休み気分でしょうか。せっかくなので新・成人にお届けするつもりで、<寒中見舞い>の書き方・基本編を整理してみたいと思います。

とは言っても、<寒中見舞い>は季節のお便りなので、特別に堅苦しい決まりごとがあるわけではありません。但し、どなたにお便りするのかという視点で捉えてみれば、プライベートにしてもビジネスにしても概ね、人生の諸先輩がターゲットとなりそうなので、いわゆるスタンダードモデルをなぞっておけば、安心かつ手際よくチャレンジ出来るのでお薦めです。

まずは手始めに親戚の叔父さんや叔母さん宛てに書いてみませんか?
「アイツも大人になったのだな!」と評価されることまちがいなしです。

さて、基本形は<はがき>で、縦使い横使いともに・縦書きならば右端の書き出しが【寒中、お見舞い申し上げます】となります。同様に横書きならば、最上段がこの書き出しとなります。この文字は全体の中で大きめに書きます。

次はハガキのセンター部分を使ってまず、相手の方の<安否>を尋ねます。
文例としては、「本格的な寒さの頃を迎えましたが、皆様お変わりなくお健やかのことと存じます。」という感じでしょうか。

この次に自分の近況を伝えます。たとえば、「おかげさまで私は本日、元気に無事、成人式を迎えることが出来ました。」ここは自分なりに一言を工夫します。

最後に先方の無事を願い、健康への留意を促す定番フレーズで締めくくります。「時節柄、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます」以上、実に簡単!

しかも「拝啓」や「敬具」などの頭語・結語は不要です。メールを届けられないどなたかに、遠く離れた誰かに、心を込めてチャレンジしてみてください。

2007年1月7日日曜日

生き方(著者:稲盛和夫)

タイトル:生き方
著者:稲盛和夫
初版:2004年7月
出版社:サンマーク出版
1、785円(税抜)

雪景色に寒の入りを堪能する中、一昨日、チキンラーメンの生みの親・安藤百福氏がご逝去されました。享年96歳。ご冥福をお祈り申し上げます。

実は安藤百福氏は大のゴルフ好き。好きが講じて、自社グループでゴルフ場を経営されて40年強。京都の宇治市にある日清都カントリークラブです。

不思議なご縁が重なって、そのクラブのメンバーになったのが数年前のこと。
おかげさまで飛躍的にラウンド回数も増え、念願のオフィシャルハンディなんぞも頂き、あとは上達を目指すのみです。

それにはなんと言っても練習とラウンドですが、なんと安藤氏は齢96歳にして週に1,2度のペースでラウンドなさっておられました。たまにお見かけするその姿は装いのダンディさと共に今もしっかりと目に焼きついています。

また、昨年が第5回目となった<実業団レディースゴルフトーナメント>は今や、全国から強豪が競い集う大会ですが、その舞台となるのも同コースです。

この大会の前哨戦となった2001年度の初開催から、毎年連続で出場させて頂いているおかげで、決勝大会の始球式で拝見する安藤氏のオシャレで元気なお姿は常に参加者の注目と話題の的でもありました。

訃報をつづった新聞記事で氏が48歳の時に<チキンラーメンが誕生>したことを知り、思いのほかの遅咲きに驚きつつ、まるでそこが折り返し地点のように同じ年月を生きられたことに人生の妙味を感じずにはいられません。

「どう生きるか」ほぼ同じ時代に生きて<京セラ・KDDI>を創業した実業界のトップがご自身の人生哲学の集大成として綴られた1冊をご紹介します。

2007年1月6日土曜日

年賀状か、寒中見舞いか?

二十四節季で言うところの<小寒>が今年は1月6日、今日になります。

その意味で天気予報はドンピシャリ。今日からは全国的に大荒れの寒波到来となることを昨日のニュースでも連呼していましたね。

つまり暦の上では今日から<寒の入り>となり、<大寒>となる1月20日までが1年の内で最も寒さが厳しい頃といわれます。<小寒>から<大寒>までの間が<寒中、寒の内>と呼ばれ、大寒の最後は2月3日<節分>になります。

そこで今日からは季節のお便りとしての<寒中見舞い>がスタートです。

これは厳寒期に相手の方の健康を願いながら、近況を報告する季節の挨拶状ですが、時期的に見て<年賀状交換>の直後のことなので、一般的には様々な理由で年賀のご挨拶が出来なかった相手にお便りを書くということになります。

喪中・年賀欠礼状をお出しした場合や喪中とは知らずに年賀状を送った場合、あるいは喪中とお知らせできずに年賀状を受け取った場合など、さらには何らかの理由で<松の内>に返礼できなかった場合にも重宝なタイミングです。

考えてみれば、昨日のテーマの<目上の方への返信年賀状>はほんのすこしタイミングを待ち、<小寒>以降に寒中見舞いとしてお届けするのもスマートなご挨拶の方法かもしれません。

いずれにしてもここ数日は年賀状と寒中見舞いのバトンタッチが入り乱れる頃合ですが、これも<松の内>をいつまでと定めるかによって生じる違い。

<松の内>とはすなわち<松飾り>をつけておく期間のことですから、本来は小正月の15日までとなりますが、時流的にはやはり明日まででしょうか。
ちなみに京都でそれを15日としているのは<注連の内>(しめのうち)が
別の漢字で書くと<七五三の内>であって、足し算したら15なるからだと聞いております。<年賀>と書くか、<寒中>と書くかは、この時期限定の言葉の扱い方の醍醐味かもしれません。

2007年1月5日金曜日

返信年賀状の作法

新年のご挨拶周りやその対応が本日の仕事の大半を占めた方もそうでない方も、何はともあれ、一般的な気分としてのお正月はここらあたりが潮時でしょうか。

このタイミングになると知人の一人から毎年、同じことを聞かされます。
いわく「1月7日の朝に七草粥を食べるまでは正月だ!」という台詞です。

一般にいう<松の内>は確かに7日なのですが、京都的には15日までと理解されているところも多く、このあたりの気分のけじめのつけ方は様々です。

さて、あくまでも個人的見解かつ<気分のけじめ>として、この時期にだけ気になっている<お便りの作法>があります。それは返信年賀状の文言です。

元旦に届くものと3日に届くもの。一般的に考えて、このくらいまでが駆け込みとはいえ、昨年のうちにしたためた年賀状となります。

4日の到着分あたりからは、元旦に頂いた賀状への返信も当然、含まれて参ります。さらに本日5日ともなれば、「年賀状は新年早々、元旦に書く」と腹を決めている方からの分以外はおおよそ、返信の年賀状ということになります。

さて、ここですが、この返信の年賀状の定番フレーズ「早々の賀状をありがとうございました」という一文は原則、目上の相手には使うべきではないと考えます。たしかに一見、感謝のメッセージですが、本来の人間関係の構図に照らせば、頂いたから返事を書く!という対応そのものが失礼とも取れます。
その上、悪気なくその事実を文章にしてわざわざ伝えることはありません。

不覚にも出し忘れていた場合は余計な言葉は用いずにきちんと年賀のご挨拶だけをお届けするのが大人の賢いけじめではないかと思います。

昔、その不愉快な気分をけじめとして、きちんと教えてくださった先輩の言葉がいかにラッキーの種であったか。身をもって気付いたのはまだ数年前です。

2007年1月4日木曜日

恐るべし、福袋

昭和30年代から40年代の半ば頃までならば、ようやく本日4日あたりから、近所のお店が開くことになり、何はさておき方々から頂いたお年玉を握り締めておもちゃやさんや本屋さんあたりに駆け込んだものです。

そんなふうにどこもかしこも店が閉まっていた時代の<お正月>はおせち料理がなければ食べるものがなく、買いたくても買うことが出来ない時代でした。
今なら24時間、年中無休のコンビニもまだ出現していなかった頃の話。

今では平日の会社帰りでもゆっくり買い物を楽しめるようになったデパートの閉店時間も当時はたしか夕方6時だったはず。今では考えられない話ですね。

ちなみに各デパートの初夢企画・福袋商戦は年々ヒートアップしておりますが、
我が家は今年初めて、某デパートの当日、申し込み形式のお年玉企画の福袋に参戦いたしました。それなりの人出を予想はしておりましたが、それを遥かに上回る物凄い人出の大賑わいの会場に正直、ビックリしました。

ほとんどの福袋商品が抽選で1名限定にもかかわらず、かつそれなりに高額であるにもかかわらず、なんでこんなに申込者がワンサカいるのか。そこには不況なんて言葉がまったく似つかわしくない光景が繰り広げられていました。

抽選の結果、残念ながら初夢ゲットはなりませんでしたが、いつもならニュース番組で眺めて過ごす現場の凄まじさを実体験できたことが大きな収穫です。

さらにヤングファッションブランドの福袋に出来ていた超長蛇の列は、モノ余りの時代といわれる現状にあって、低迷の歯止め策なしといわれる消費行動への認識がその根幹においてぐらつくぐらいの衝撃的光景でもありました。

ジッとしていても多くの情報が入手できる便利な時代ではありますが、現場に立ち会わなければ気付けない何か、あるいは目に見えない何かが確かにそこに存在していることをズシリと思い知らされた気がします。

現場の目線で、リアルライヴの感覚で、今年も様々なテーマを通して、
<おもてなしマインド>に向き合ってまいります。

2007年1月3日水曜日

三が日の光景

お正月<三が日>の間にはいくつかの決まりごとがありました。
それが絶対的な威力を持っていたのはいつごろまでだったのでしょうか?

今はすっかり景色が変わってしまいましたが、個人的な記憶を手繰ってみますと<三が日>の間は原則、毎朝 大福茶を頂き、続けてお雑煮の食卓でした。
おせち料理もさすがに飽きる3日めまでは、たしかに存在していました。

今でこそ、大福茶の美味しさがしみじみわかるようになりましたが、子供にとってはほんの少しでも間をおいてしまうと、昆布から染み出した味わいがなんとも複雑な口当たりになり、熱いのを我慢して大急ぎで飲み干したものです。

同様に扱いが難しくて困りものだったのはお箸です。柳箸はそれぞれ家族の名前が書かれた箸袋に用意され、京都だけかもしれませんが<三が日>の間はこの箸を洗ってはいけないと言い伝えられていました。

この箸袋に家族の名前と取り箸用の<海山>の文字を書くのは一家の主の大役。墨を磨るのが大変なので、我が家では筆ペンに様変わりしてしまいました。

さて、<三が日>の間、洗ってはいけない柳箸は食事の最後に各自がお茶や白湯などで汚れた箸先をきれいにすすいで箸袋に収めて使っていました。

これは柳箸の一方を使って、神様が食されるため、その縁起の良いものを洗ってはもったいないという考えから言い出されたようですが、一方でお正月くらいは主婦の手を休めるための生活の知恵が生み出した工夫でもあったようです。

ごく当たり前のようにそんな作法で柳橋を扱っていたのは祖父や祖母まで。
両親が一家の長になった頃には衛生観念からか各自が台所で洗って箸袋にしまうようになり、やがて、今ではまとめて洗ってしまう有様です。

ちなみに本来、<三が日>とは元旦だけをさしていたようです。いわく、年の初め、月の初め、日の初め。かくして時代と共に考え方もあり方も変化していく様子をしみじみ眺める新年3日めです。

2007年1月2日火曜日

初夢考察

いつ見た夢を<初夢>と称するのか、元旦の朝、2日の朝、あるいは今晩見る夢なのでしょうか。どうも地域によって諸説分かれるようではありますが、そもそも<初夢>に縁起かつぎの視点を根付かせたのが江戸庶民であったことからすれば、江戸時代の仕事始めだった2日の夜に見る夢のことになるようです。

縁起の良い順に「一富士、二鷹、三茄子」と申しますが、ナンバーワンはいうまでもなく、日本一の山でありこの国を代表する霊験あらたかな富士山のこと。
鷹は実は高みをめざすの「たか」であり、茄子は事を成すの「なす」の意味。 
つまり、「日本一高い富士山のような高みをめざし、それを成し遂げる」と言う縁起を担いでの表現となります。

実は我が家では元旦の夜に見る夢を<初夢>と称しておりましたので、2日の朝こそがちょっとした愉しみの瞬間でした。小さい頃には折り紙でだまし船を折って、それを枕の下に敷いて寝るといい夢が見られると言われ、よく試したのですがついぞ成果がなく、さらにいつの頃からか、枕なしで寝るようになったためチャンスはさらに遠のき、未だに縁起のよい夢を見たことがありません。

つい最近、何かの雑誌でこの枕の下に敷く船の由来を初めて知りました。
それによれば、実は<七福神を乗せた宝船に「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ文句)を書いた絵>を枕の下に敷くというのが本来だとか。

つまり、そうすることで「いい夢を繰り返し見られますように」という願いが込められていたようです。しかも万が一、良くない夢を見たときにはこの船を描いた絵を川に流せば、その夢もなかったことにできたらしく、とても都合の良い代物だったようです。

それが口伝えに伝わる中で、だんだん形を変えて折り紙のだまし船になって我が家には伝わってしまったようです。だから効果がないのだと得心しました。

回文は<永き世の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな>と書きます。
せっかくなので今晩、お試しになりませんか?

2007年1月1日月曜日

お正月の意味

元旦のたのしみと言えば、やはり年賀状。なつかしい便りの数々にご無沙汰ばかりの歳月をかみしめることしばし。中には年賀状だけのご縁という方もいらっしゃいますが、それはそれで年々、しみじみ有難みが深まります。

さて、元旦恒例の初詣から戻ったら、昨日の成果診断の結果を踏まえた計画更新の大仕事です。反省やら期待を再検討した目標を書き記す作業は思いのほか大変です。なぜならば、これが具体的であればあるほど、大晦日の検証が行いやすいため、可能な限り<いつまでに、どのくらい>という数値をからめた書き方をするからです。もちろん最終ゴールは大晦日ですが、期間限定のものにはあえて<いつまでに!>をしっかりと明記します。

たとえば<ダイエットに挑戦して痩せる>と書くだけではなく<体重は何キロ、体脂肪は何%、ウエストは何センチ>というような絞込みまでを行います。
これでようやく大まかな夢のガイドラインが完成です。

最近では<夢を実現するノート>の種類も豊富になり書店などで結構、出回っていますのでそういうものを活用してみると一層、便利かもしれません。
とにかく出来るだけ沢山書く!なぜなら、その数が多ければ多いほどそれが叶う確立も高くなるから。目標は書き出してみないことには話になりません。

たとえばたった今、10分間だけテレビを消していくつ夢が書けるのかを試してみてください。実際にやってみればわかることですが、10分間書き続けることは意外に難しいものです。沢山あるはずの夢や目標がいざ書く!となるとほんの数個だけで手が止まってしまい、何も浮かばなかったりします。

具体的かつ目に見える目標であればこそ、管理も出来れば修正も行えます。

1月が<睦月>という名で呼ばれる意味は人々が仲睦まじく暮らせることを願って!とありますが、<お正月>と呼ぶのは人が心を正すと共に人生の目標の軌道修正を行うための月という意味でもあるそうです。修正の月です!