2010年9月15日水曜日

人がそこにいる意味!キャディさんの場合

一気に秋の到来です。その嬉しさをかみ締めるように、京都の南に位置し、先般、関西オープンの舞台となった名門ゴルフコースに行ってきました。
昨今のゴルフはホームコースを含め、ほとんどセルフプレイですが、こちらは当然、キャディさんつき。お連れ下さったメンバーさんともかなり親しいベテランキャディさんがお世話くださいました。おかげさまでセルフとは異なる醍醐味満喫!と言いたかったのですが。そうはいかないのがおもしろいところでしょうか。
この、キャディさん、実にいい人なのですが、動きが全般的に緩慢かつ、消極的。
ティーショットの行方はしっかり見届けてくれますが、2打め以降のクラブはほとんど持ってきてはくれません。幸い、自分のクラブは自分で何本かを持って移動するクセが身についているため、何ら支障はないものの、時折ふと、疑問がよぎります。
このキャディさんの役割は何なのかと?
強いて申せば、グリーン上の的確なアドバイスは確かにありがたく、スコアの向上には大いにお力添え頂きました。
うーーん、でもそれだけでいいのだろうか。もちろん、バンカーの砂を直したり、打ち終えたクラブを拭いて戻したり、、OBの折に声を張り上げたり、、、ってなことをやってないわけじゃないけれど、さすがにキャディさんがいると違う!とつくづく思えるような瞬間は残念ながら1度も訪れませんでした。
たまにしか伺えない名門コースは当然、料金もお高くて、キャディフィーもお高い。その高いなりの金額に見合うサービスなり、情報や技術の提供がなければ、需要が低下するのは当然の成り行き。
間口の狭さ、敷居の高さが『やっぱり違うな』という格式の差として真に評価されるためには、さらにはキャディという仕事がプロのポジションとして正しく評価されるためにはキャディさんの知識や技やもてなし力とその発揮の仕方が重要なカギを握っているはず。
人がそこに存在するのはそこに人が必要だから!という至極当たり前の意味を真摯に受け止め、実践出来なくなったとき、そこに人は不要という未来が拓けてしまうのは当たり前すぎて悲しい。

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