ここ数年の研修会でメインテーマに関わらず、必ず取り入れている
課題のひとつに<漢字力低下への気付き>があります。
なんでもないような漢字でも、いざとなったら書けない!という事態に
そろそろ危機感を持って、まずはしっかりと自覚しましょう!
という穏やかな提案モードで当初はスタートしましたが、
その背景にあるのは<漢字力低下>がもたらす深刻な事態への懸念です。
そもそも漢字が書けないという事態が、なぜいけないのか?
おそらく書けなくなった最大の理由はパソコンの普及ですが、変換すれば、選択できるため、さして不自由も感じなければ、問題意識もないのが実情です。
ある意味、書けないと自覚すること自体がいたって難しいことかも知れません。
ところが私たちのコミュニケーションをよくよく分解してみると、
お互い様の言葉を頭の中で受け止めるときに、漢字に置き換えて意味を理解するというプロセスがあることに気づきます。
事実、音だけ聞いたのでは意味がわからない言葉が沢山、存在しますね。
そこで前後の文脈から考え、頭の中で適切な漢字に置き換えて理解する。
そんな作業を当たり前のこととして繰り返し行っています。
優しいのか、易しいのかで意味はずい分、異なります。
硬いのか、堅いのか、固いのか、難いのか?これらを平仮名やカタカナで思い浮かべていたのではいったい何が言いたいのかがわからなくなります。
漢字力低下の不安はまさにここに集約されはしないでしょうか?
書けなくても支障なしという解釈はとんでもなく軽率なのかもしれません。
まずはメモ書きひとつもできる限り漢字で書く!ここは実践あるのみです。
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