仲秋の名月が脇役の9月初旬の週末、格調高く横笛コンサートに参加しました。
ここしばらくはその様子が写真紹介もされていますね。
京都流のおかげで、この夏は生まれて初めて宇治の鵜飼いに家族でお邪魔し、
今回は仕事の仲間数名で古の風情溢れる企画を楽しませていただきました。
舞台は我が家の近所の梨木神社さん。このため終了後は我が家で宴会という
段取りもあり、私自身の鑑賞は早めに切り上げて、宴会準備の腹積もりでした。
が、いろいろな状況から途中で席を立てず、最後まで鑑賞。
結果的にはとても有意義で非日常的なひと時を味あわせて頂きました。
さて、横笛の余韻が嬉しい宴たけなわ。その横笛の感想披露の流れとなり、
参加者5名が横笛鑑賞初体験ならではの本音トークが飛び交いました。
あえて念を押す必要も無いことですが、全員が横笛に関する知識もなければ、
体験もなく、つまり造詣ゼロの素人集団。
故に演奏に関する評価など出来る立場ではありませんが、至って素朴な好き嫌い
レベルの感想が見事に全員同じであり、これには誰もがビックリ仰天。
それは上手下手への審判的視点ではなく、ただ耳にした音色が、聞き手の心に
語りかけたであろう何かへの曖昧な感想でしかない分、一層不思議な気分です。
考えてみれば、なんとなくという感想の内側にある、微妙な想いを事細かく
他者と共有化することなど、普段は稀なことではないでしょうか。
しかも、はからずも皆、見事に同じ感想とは、年齢も性別も人生経験も
かなり異なる面々だけに驚きは深まるばかりの夜でした。
人の心が感じる力という曖昧なものが、どうやら決して曖昧ではない
ということをこの夏の合唱コンクールの結果に続けて、またぞろ突き
つけられた気分です。そこにある何かを見極めたくなるのは物思う秋だからでしょうか。
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