2007年11月17日土曜日

書けない未来への懸念

立派な社会人を対象にした様々な研修会でその本題とは異なるものの、
フト、気になってお尋ねすることがいくつかあります。

それらは決して あらかじめどこかのタイミングで問いかけようと
仕込んでいるものではなく、そのときの話の流れや何かの関連でフト気になり、
たまたまちょっとお聞きしてきたものがほとんどでした。

そのうちにだんだん、そんな問いかけの中から、立派な社会人の苦手領域が
見えてくるようになり、この仕事で独立して動くようになってからは
かなり意図的に裏テーマ的に取り上げることも多くなりました。

たとえば、かなりベテランの営業系の方でも<敬語>や<名刺の授受>が
実は苦手で、自信がないという方は案外、多くいらっしゃいます。

あるいは長年、管理職にあっても<叱る>ということがトンとダメという方。

聞き上手が苦手・電話では上手にしゃべれない。人前のスピーチはご免!と
多少の謙遜を含みつつも、誰にも苦手が存在することを微笑ましくも思えます。

しかし、そんな中にあって謙遜なしの本音で、微笑ましくもなんともなく、
近年ダントツの注目株として、問題視すべきが<漢字>と認識しています。
特に<読み書き>で申せば、読めるが<書けない>事態はかなり深刻です。

その漢字力低下の一因は、やはりパソコンでしょうか。画面上で
変換して選択することが出来ても、<書けない>という実態が如実に真相を照らします。

どうやら<キーボードを打つ>ことと<手で文字を書く>ことは、
まったく別の意味と価値をもたらすことにそろそろ真剣に向き合う必要がありそうです。

書かないから書けなくなる。書けないから使わなくなり、やがて使えなくなる。

<書く>という作業の放棄が、何かとてつもなく大切なものを<欠く>ことに
向かっているように感じるのは大袈裟すぎる解釈でしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿