お互いに快適に気分よく暮らすために、家庭でも職場でもご近所でも
しっかりと身につけたい<ほめ言葉>ですが、覚悟を決めて、勢い込んだら
上手くなるわけではなく、そこには地道な実践の積み重ねが問われます。
そこで日頃から、さりげなく<相手の言動>を認める言葉を
声に出して言う訓練を自らの課題に掲げておくという策が効果的です。
これは文字にすれば、どうということのないように思えますが、実際に
挑戦してみればかなり難しい課題であることにすぐに気付けます。
なぜならば、<相手の言動>を認めるためには、相当まわりの人間の言動に
素直な興味、関心を持って<観察>をしなければならないからです。
しかもそれは誰かの言動を批判したり、揚げ足を取るための<監視>ではなく、
やがて褒め言葉の種となる事実への素朴な<観察>を標榜しています。
大好きな誰かのことならいざ知らず、どうでもいい程度の誰かのことを
常時、さりげなく気を抜かず観察することはかなり難易度大のテーマですね。
しかし、ごく日常的なありふれた光景の中で、誰かの何かを声に出して、
言葉として認めるというクセ付けなくして、それを<褒める>という次元に
進化させる手立ては見当たらないようにも思えます。
何かを褒めるということは<認める>ことこそが原点です。
たとえば、エレベーターを使わずに階段利用で健康管理に努めている誰かに
対して、「いつも階段ですね」と声に出して事実を認めることが出発点。
やがて、「いつも階段なんて、すごいですね」と心底、感心していれば、
自然な<ほめ言葉>がそこの生まれることになります。
自分以外の他人に無関心では芽生えない種がそこにあります。
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