いつの頃からか、年を重ねれば、どんどん穏やかになり、めったなことでは
怒らなくなるのだろうと長い間、信じてきました。
それはありとあらゆる物事に対しての思慮分別が深まり、些細なことには動じない懐の深さは経験を重要な糧として育まれるものと思っていたからです。
が、しかし本当のところはどうなのでしょうか?
どうも年齢だけが頼りの綱ではないことをあらためて痛感する週末です。
その理由は日々、こんなにも分別に溢れた穏やかさの獲得を目指しているのに、
それが木っ端微塵に吹き飛ばされるような、実に大人気ない怒り爆発の事態に遭遇し、まだまだと未熟極まりないと思い知らされたからです。情けない。
海より深い反省の傍ら、山より高くあれと願う自身の志に照らしてみれば、
頑として譲れずない厳しさの貫徹にも強い憧れがあるせいかもしれません。
とりわけ、仕事を共にする仲間に対しては良い仕事をしたいという
素朴で純粋な期待がそれを増大させるきらいはたしかに濃厚です。
しかし、完成度の高い仕事を目指す以上、プロセスもまた万全であらねばならず、そこにかける情熱や時間は量ではなく質こそが問われるはずです。
但し、それは決して仕事の出来不出来を問うのではなく、
はたまたその優劣でもなく、もっと根本的な姿勢の質への願いなのです。
それは何であれ、今、与えられた仕事に真剣に向き合う誠実さへの期待です。
しかも、誠実か不誠実かは理屈を超えて伝わるものだからこそ、
断じて見逃すわけにはゆかない代物であり、言葉は説得力を失速させます。
本心の不誠実さを上辺の言葉でごまかせても、そんなことには価値のないことを怒りでしか伝えられない能力の限界。それを言葉にして伝えきれない限界。強い痛みを伴う、この実態把握を言葉の道場の鍛錬課題に心して掲げます。
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