昔、私の頭の中の辞書には『無理』という言葉がよく登場していました。そして初めの頃のそれは一方的に私が受け止める側にいました。若い頃、確かに無茶な夢を見たりもします。いきなりそりゃ、難しいだろうという挑戦にあえて立ち向かうこともあります。燃え上がるような闘志が抑えきれずにという時もあれば、勢いのままに止む無くもあります。そんな時、この言葉はピシャリとよくも悪くもよく効くブレーキであったように思い出されます。
多くの場合、『無理』という言葉が意味するものは『難しいよ!』であったり、『不可能だね!』というニュアンスではありませんか?
何かこれまでとは違うことを目指そうとして志を立てたとき、そりゃ、無理だよ!っとけんもほろろにしたり顔で誰かにダメだしされたり。あるいは新しい仕事のやり方を意気揚々と提案した時、そんなこと無理だよ!と頭から否定されて、一気にやる気がしぼんでしまった記憶はありませんか?言う側の本気度やド真剣度はいまさら計測不能ではありますが、往々にしてさほど深く考えもせずそのときの気分優先で、『無理!』と釘をさしてしまう傾向が人にはあるのではないかという気がし始めたのはさて、いつのことだったのか?
いずれにしてもこの言葉、実はあんまり真に受けてはいけないのじゃないかと年々、確信を深めつつあった、ある日、何の気なしに辞書を引くと『無理』とは『道理に反すること』とありました。ええっ!って思いませんか?
この時ばかりは、言葉は生き物!という表現がピッタンコ! いつの間にか、どうも私、及び我が周辺の方々はどえらい勘違いをしていたんだと気付かされました。その後、紆余曲折をへて、現在の私の辞書における『無理』の意味は以下のように大きく変化しました。
【 無理=手段<成果 】・つまり目指している成果に対して手段が乏しい、あるいは不十分、あるいは準備不足の状態が無理ということ。なので手段を強化すればよいだけのこと。ダメとか出来ないとか、素質がないとかそういうことではないということです。
ついでによく似た言葉として『無駄』の意味は【 無駄=手段>成果 】・つまり目指している成果に対して手段が大袈裟すぎとか、やりすぎとか、もうちょっとシンプルにということと解釈しております。こう考えれば、もし、せっかくの夢を誰かに無理とか無駄と決め付けられても、『了解!』って元気に返事が出来そうではありませんか?言葉に向き合う姿勢の鍛錬も大切です。
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