2006年9月25日月曜日

流れ会釈と静止会釈

美しいお辞儀をちゃっかり獲得してゆくための、効果的な方法のひとつが他者観察になります。お辞儀をしている自分の姿が見えないのと同様に、実はお辞儀をしている相手の姿も案外、見えない。なので見ていない!ということにまずは気付いているかどうか?ここを通過すると途端に視界が変わります。すなわちもっとよく見ないと勉強にはならないという視点の獲得です。ここまで来ると後は比較的、楽な流れになっていくはず。このことはまた近い将来、自己変革のプロセスというテーマで詳しくご提案したいと思いますが、お辞儀動作ひとつも今日からは意識して観察する!という決意を固めてみてください。そうすることで通勤途上の道すがら、行き会うどなたかのお辞儀の形から沢山の発見があるはずです。ちなみに週末、赤い車は沢山、目に飛び込んできましたでしょうか?<この意味が不明の方は一旦、金曜日のラッキーの種まで、すごろくのように戻る!となります>

さて、姿勢全体の美しさとは別にそこに【 思いを込める 】という観点からお辞儀動作を観察してみるとまた違った世界が見えてくることになります。
たとえば、会釈ひとつにもそれは如実に現れます。一般的には朝の挨拶やすれ違い時の挨拶行動に多用される会釈にも実は2つの要領が存在します。
ひとつは【流れ会釈】と言われるもので、歩きながらその動作を止めずに会釈という動きを加える方法です。軽い挨拶のお辞儀としてはこれが最もポピュラーといえるかもしれません。もうひとつは【静止会釈】といわれるもので、今度は相手に対して一旦、動作を止めて、あるいは姿勢を整えてそこから会釈を行うという方法です。歩いていたなら、その足を止め、しっかり足を揃えて、正しい姿勢をとり、そこから会釈をします。あるいは仕事をしている手を止め、行う会釈、さらにはそれが着席ならば、そこからあえて立ち上がって行う会釈でもあったりします。むろん『丁寧なもてなしの思い』が動作の中に漂うのは言わずと知れた後者の静止会釈となります。だからといってそれ一辺倒が望ましい訳でもありません。あわただしい状況によっては流れ会釈のほうがお互いさまに効率的でもあります。会釈ひとつにも思いの丈の表わしようがあるものだと気付けば、見方とともにやり方も大きく変化するものです。

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