世の中、広いようで狭いものです。これ偏に見る側の心のありように起因いたします。随分、昔に作者は不明ですが、小学生の作文として紹介された一文でそのことを強烈に自覚させられました。
『遊んでいるとき、狭いな狭いな運動場。石拾いのとき、広いな広いな運動場』という文章です。どなたの記憶にも同じようなものがありはしませんか?お昼休みや放課後に場所を取り合って遊んだ運動場は、本当にすぐ誰かとぶつかったり、邪魔されて小競り合いになったり、なんでこうも狭いのかと子供心にも首を傾げたくなったものです。ところが月に1度か2度全体朝礼みたいなものが運動場で行われ、校長先生のお話を聞いた後に引き続き全員で石拾いをさせられたときには、なんて広く感じたことでしょう。同じ運動場なのに!
これと同じことがいくつになっても様々な場面で繰り返され、ひとつひとつ世の中の真理に近づいてゆけるのかも知れません。それはともかく、最近では実感として世間は狭い!と痛感しております。おそらく社員の方々に夢を持て!の岡村氏も同じ思いを日々、体感されていることかと思います。とにかく出会いがもたらすものが単純に1対1ではなくなってくるのがその理由のようです。つまり初対面の出会いがあって、アレコレ話してゆくうちに驚くような過去からの接点があったり、知人の誰かがお仲間だったり、それこそ学校が同じだったり、趣味の世界でつながっていたり、、、とその瞬間に一気にまだ見ぬ知り合いが複数で誕生してしまうような経験が年齢とともに確実に増えてまいります。これ、あまり語りかける方がいらっしゃらないので世間に浸透してはいませんが、『人間が年齢を重ねる醍醐味のひとつじゃないか』と受け止めております。
但し、このことは逆から見れば油断大敵!という事態でもあります。つまりある一定以上の年齢を超えたときに、過去の対応やら付き合い方やらが束になって、自分自身が紡いできたつもりの他者との信頼の絆の強度点検に襲い掛かってくるようなものとでも申しましょうか。となるならば、現在のいつ、いかなる時のどんな出会いも決しておろそかにしてはいけない事になります。それがやがて未来に継承される以上当然といえば当然。これを肝に命じて、今週からは出会いの定番動作、お辞儀に取り組んでまいります。敬礼!
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