灯台もと暗しの言葉通り、京都に住んでいるがゆえに環境に胡坐を掻いて、かえってめったに出向かないところが実に沢山あります。
お恥ずかしい話ですが、サラリーマン時代も京都に本社があって、その中で京都通の方に沢山囲まれていたおかげで、さらには人事部勤務のおかげでなんとか人並みに対応が出来ていたものの、そうでなかったらトンチンカンな受け答えをしてしまいそうだったことは枚挙に暇がありません。
たとえば、お土産物のお菓子や食品なども日頃はついついデパートで購入することが可能なため、もっぱらお手軽な調達専門で慣れてしまい、あらためて本店の所在地を問われたり、ご案内することになったりしたら大慌てで、聞きまわること、調べ直すようなことがしばしばありました。
実は昨日、花菖蒲の無料公開で訪ねた平安神宮の神苑にしても、よくよく考えてみれば、10年近く前に会社の仲間とこれまた恒例になっている<紅枝垂れコンサート>の折に夜桜見物で出掛けて以来、とんとご縁が無くて本当にご無沙汰をしておりました。
うす曇の陽射しの中であっても境内の見事な白砂の照り返しのせいで、目がまともにあけていられないような眩しさは平安神宮ならではの体感のひとつとして、遠い記憶の扉がなつかしくノックされた気分でした。
この季節ならではのここから見頃を迎える紫陽花にしても、桔梗にしても名所旧跡が近くに沢山ありながら、まったく持って不届き至極の有様をおかげさまでしみじみ反省しております。言葉を鍛えてゆくためのひとつの大きな源は感動にあり、それを求めれば、美しいもの、今しかないものは一層貴重です。
ちなみに町内にある盧山寺さんはこの冬、節分の鬼さんの行事でもご紹介しましたが、実は桔梗が美しいお庭でも有名です。白砂に点在しての桔梗がほの暗い廊下の先にパッと開ける演出が実に見事な紫式部ゆかりのお寺に休日足を運んでみませんか?おそらく中旬以降が見頃かと思われます。
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