2007年6月22日金曜日

反省の関所

何事によらず、冷静にじっくり観察をしていると、たまたまそうなったのではなく、なるべくしてなったということがはっきりと認識できることがあります。

これをジェームズ・アレンやオグ・マンディーノなどの人生哲学の大家の言葉を拝借して申せば、目の前の結果は原因があればこその必然であり、平たく申せば、なるようにしてそうなった以外の何物でもない!ってことになります。

どれほど地団太を踏んでも自身の蒔いた種に他ならないと言うこと。

たとえば、約束の時間に遅れる人ってかなりの確率でいつも遅れませんか?

何を隠そう、かつての私自身がまさにそのパターンでした。
そして遅れてしまう事情や理由は、いつも驚くほど沢山ありました。

出ようとした瞬間に電話が掛かってきたこともあれば、予定していた時間にバスが来なかったり、タクシーに飛び乗ったのに道が混んでいたり、電車の故障もあれば、待ち合わせ場所の勘違いもありました。

仕事の時には打ち合わせや会議が長引いたせい、いつも必ず、「だからしょうがなかったのよ!」という何かがちゃんとそこにありました。

待たせた相手に「ごめんなさい!」と詫びつつ、その一方では性懲りもなく
繰返した自己正当化のための責任転嫁は今にして思えば百害あって一利なし。

若気の至りの頃ならいざ知らず、いい年をした<言い訳け上手>なんて、
カッコイイはずがなく、気の毒でしかありません。

何かを謝罪しなければならないときは、ここが肝心要の関所。
何がいけなかったのか、しっかりと自らに反省点を見つけることがとても重要です。口先だけの反省ではなく、「この点がいけなかった」と明解に反省できたとき、「反省しています」という言葉にラッキーの種が宿ります。

それが出来ない間は、似たような過ちが何度も繰返されることになります。

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