たとえば電車やバスの席を譲るときに、スッと立ち上がって、穏やかな表情で滑らかに「どうぞ」と言える人って素直に素敵だと思いませんか?
かつてそんな光景に憧れ、見ず知らずの誰かのその姿に背中を押されるようにして<今度は自分も>って気持ちになれたことが何度もあります。
反対に傍目に見ていても実に惜しいのは、照れくささのせいからでしょうか、せっかくの美しい行為を<たまたま>みたいな風情でごまかしてしまうような光景です。まるで逃げるように席を立っちゃうなんてもったいない。
眼もあわせず、一言も無く、立ち上がった背中に向かって、せっかく席を譲ってもらった方は、戸惑うのみです。喉元まで出掛かった感謝の気持ちの一言を思わず切なく飲み込むような所在の無さは実に歯がゆく残念です。
妙に押し付けがましくなく、さりげなく譲るタイミングの難しさを考えたときの気持ちはわからなくないだけに、ちょっとした一言の練習不足の不甲斐無さが惜しまれてならない瞬間です。
そしてそれが大人や子どもを問わず、人としての<公衆マナーを磨く機会>の重大な損失にもなっているのかもしれないと考えれば一層、無念です。
誰かをいたわったり、思いやったりする<心>をきちんと相手にわかるように<言葉と動作>で伝えることはとても大切なことなのに、<大人の話し方>の基本のひとつとして、なぜ私たちはその練習をしないのでしょうか?
ごく当たり前のようにそんな美しい光景が繰り広げられる環境の中で、それはまた誰かの清々しいお手本にきっとなるはずです。
<どうぞ、替わります>や<どうぞ、おかけください>や<次、降りますのでどうぞ>という言い方を淀み無く、気負い無く、さりげなく、さわやかに言うために<実は毎朝、鏡に向かって練習しています!>と胸を張って言える方が絶対カッコイイ!と本気で思っています。
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