2006年11月15日水曜日

原因結果の法則

地方都市の駅前商店街の寂れ具合はいかな素人にも胸にこたえるものがありますが、皆さんのご実家のご近所やお知り合いの様子は如何でしょうか?

かつての商店街のシャッターが閉まったままなので、【シャッター通り】とはいかにも悲しい呼び名がついたものですが、、、長いスパンで見れば、浮き沈みのあるのが世の常で何とか知恵のある再生への手掛り発掘を強く願うばかりです。

持論で申せば、原因結果の法則の為せる技、今日の姿の原因は誰のせいでもなく、良くも悪くも過去のいずれかの時点で自ら蒔いた種の結果となります。

残念ながら『過去と他人は変えられない!』のセオリー通り、こうなったら『未来と自分は変えられる』というポジティブシンキングで邁進するのが得策。

豊かな未来を願うならば、今の自らの行いのひとつひとつを『さてこれは明るい未来のためのどんな種を蒔いているのか?』という客観的なフィルターで吟味する姿勢が不可欠です。取り分け、つい見ず知らずの人ばかりだからと油断しがちな公共マナーが問われる場面はその基礎体力を鍛えるための絶好の機会としみじみ思い至ります。誰のためでもなく、自分のためが出発点です。

それにしても、人は誰しも『誰も見ていないからいいや!』という物差しをどこかにひとつふたつは隠し持っているものです。やがて人間的に成長すればするほど、これを使わなくなるものですが、それは『だれも見ていなくても自分が見ている』ということにハタ!と気づいた証ではないかと考えます。

かといって、たまにしか車の走らないような田舎の道の信号機に頑なにしたがうような律儀さもいかがなものかと思える訳で、それなりの柔軟な使い勝手の余地を残しつつが理想ではありますが、、、。

自分で自分が誇らしくなるような振る舞いこそが、人を育み、街を育み、国を育む流れになり、それが公共マナーの根幹であってほしいと願います。

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