2006年11月25日土曜日

雑巾と蔵金

【おもてなし】のための心と姿勢をまずは環境という視点で点検し、徹底した掃除で整備し、そして磨きをかけてゆくのが<しつらい>の基本でしょうか。

季節の佇まいを反映させるための様々な工夫がそこから生まれ、もてなす側の徹底ともてなされる側の評価が相まって、そこに生活の知恵が育まれた次第。

その伝承は基本的には家庭の躾として培われてきたはずですが、ここ数十年の間にどうも完全にそれが根絶えてしまった観があります。

たとえば、家の中に雑巾(ぞうきん)がありますか?
そしてそれは掃除の対象となる場所別にある程度、分別されていますか?
さらにそれをきちんとしっかり絞ることが出来ますか?
使った後、石鹸で洗って雑巾の汚れを取り除いていますか?
また次に気持ちよく使えるように乾かす場所や方法が決まっていますか?

今年大ヒットしたオールデイズ三丁目の夕日に描かれていた昭和30年代までならどこの家庭でも、あるいはどんな会社でも当たり前にされていたはずの掃除の主役、雑巾の使い方ひとつも継承されていないのが実情です。

そのことにハッキリと向き合えたのは社内研修開発に全力投球していた時代の
1990年代、ある朝、研修会場を参加者と共に掃除していたときに、とんでもない雑巾の絞り方を見咎めた瞬間でした。

確か新人研修だったはずですが、バケツの前にヤンキー座りでかがみこんでいるその新人は両手で拝むような形で雑巾を押さえつけていました。おそらく生まれてこの方1度も雑巾を絞ったことがなければ、当然と思える情景でした。

かくしてビショビショの雑巾でなでるように拭かれた机の上には何本もの筋が埃のように残ることになります。

【 『雑巾』を当て字で書けば『蔵と金』あちら拭く拭く、こちら福福 】と
詠んだのは確か太田蜀山人でしたでしょうか?

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