2006年11月1日水曜日

ささいなことの価値

個性的ロック歌手の第一人者で、すでに還暦を越えられた今も独自の世界に君臨されている内田裕也氏が、昔、米国のホテルに滞在されていた折の話。
当時、世界ヘビー級チャンピオンだったマイクタイソンにホテルの通路で出会ったことがあるそうです。そのとき、さほど広くない客室前の通路で、双方がすれ違うためにマイクタイソンがサッと壁に身を寄せて道を譲ってくれた瞬間、内田氏はタイソンの大ファンになったといいます。
以来、『何があっても俺はタイソンのファン!』とは内田氏の弁。

渡哲也さんも似たようなことをどこかで話されていました。
『初対面のとき、すでに大スターだった石原裕次郎氏が先に席を立って挨拶してくれた、以来、大の裕次郎ファンです。』

こうして眺めてみると、とてつもなく凄いことがあって人は誰かに惹かれるものではなく、むしろ何気ないしぐさみたいなことが、非常に重要な決め手であることに改めて気づきます。そしてそれが人間関係にもたらすものは、もしかしたら、我々の予想を遥かに上回るほど大きいのではないでしょうか。。

たしかに他から見たら、取るに足らないような、ささいなことを許せないのが人情で、だからこそ、ちょっとしたことがとても大切なのかもしれませんね。

あくびひとつも生理現象だからしょうがないだろう!と開き直って正々堂々の無礼より、せめて手で口元を覆ったり、慌てて俯いたりをする仕草を好ましく眺めるのが人の本音です。さらにこれからどんどん寒くなる季節ならではの課題としては風邪を引いたときの公共マナーに照らした配慮が求められますね。
本人にしたら咳くらい、、、でも、他人からすればマスクしてよ!が当たり前。

見ず知らずの誰かは、もしかしたら数分後に知り合うことになる誰かかもしれません。人生、どこでどんな出会いが待っているのかなんて、神成らぬ身にわかるはずもなく、ならばこそ、赤の他人に対しても『袖すり合うも多生の縁』の精神で、気持ち良いマナー、さわやかなしぐさで向き合いたいものです。

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