言葉と向き合うときに、つくづく感じるのは、言葉がなければ思いが相手に伝わらないという事実の重さです。『元気です!』も『今、頑張っています!』も、あるいは『最近、疲れ気味です』という気持ちもそれをドンピシャに表わしてくれる言葉があって初めて相手にもそれを伝えることが可能となります。
遠い昔に、自分の思いがうまく表現できなくていらだった記憶はありませんか?そうじゃない!っと喉元にこだまする思いが、でも言葉にならなくて、ただ押し黙っていた幼い頃のそんな経験はありませんでしたか?
どうしようもないもどかしさの中で、あるいは感激の真っ只中で、学んだばかりの言葉がまるで手品のように自分の思いを言い表してくれる瞬間の心地よさをどうも大人になるにしたがって人は忘れてしまうようです。
良くも悪くも人間関係は言葉によって築かれている!という厳然たる事実に1度はしっかりと向き合いたいものです。
そうすれば『ものは言いようで角が立つ』の言葉通り、どんな言葉をどう使うかで誰かに好かれたり、嫌われたりするのが人間模様と思い至ります。
いずれにしても自分以外の他人と良い関係を築きたいと願うならば、言葉の在庫、すなわちボキャブラリーを増やす以外に手はなく、いくつになってもこの努力を放棄するわけにはいかないようです。加えてその言葉を使いこなすためには正しい敬語の知識とその実践力が当然、求められることになります。
ところが研修などで『敬語は大丈夫ですか?』とお尋ねすると大半の方が堂々と胸を張って『ダメです、苦手です』とおっしゃいます。本来なら俯いて恥ずかしげに言うべきはずが、あっけらかんと言い切れるのは完全放棄の意思なのでしょうか?苦手なら得意になるよう努力するだけ。ペルシャの諺に『今、簡単なこともはじめは難しかった』とあります。ただ、それだけのことです。
0 件のコメント:
コメントを投稿