2007年4月19日木曜日

上手さの意味

とかく<上手に話す能力>と言えば、生まれつきの才能がなければとか、特殊なセンスの問題と錯覚されがちですが、以前にも申し上げた通り<話すは自然、聞くは教養>であって、話すこと自体がさほど難しいわけではありません。

もちろん多少の得手不得手はありますが、大勢の聴衆の前でスピーチするのとは異なり、あくまでも1対1の会話に問われるソレは普通に話が出来れば、十分に上達をめざせるステージに立派に存在しています。

生来の口下手を理由に、電話に出なくても良いのなら話しは別ですが、普通の社会人であればそんなことが許されるはずもなく、どうあがいたって取り組まざるを得ない以上は楽しく割り切って上達を目指す努力に邁進したいものです。

それにつけても誤解されがちな課題を今1度、見つめるならば、わかりやすく話せることが重要なのであって、スラスラと流暢に話せることが求められている訳では決してないというあたりでしょうか。

俗に<立て板に水>というような話し方が電話の場合に求められるはずもなく、言葉のキャッチボールが対面以上に正確に要求される以上は、聞き取りやすく、わかりやすいということが最も重要な課題となります。

そのために<構成力>という話の組み立て方が大切となる訳で、これを練習せずに上手く出来ることの方がむしろ不可解かもしれません。

たしかにその一方で身体の姿勢や呼吸の仕方、あるいは顔の表情など、声の大きさや口の開け方が原因で生じる話し方の課題も絡み合って、事態は一層、複雑に見えてしまいますが、こと構成の不出来さという点においては、単に手間隙を惜しんだ努力不足の結果だけのことではないかと思っております。

声と言葉と話し方が頼りの電話応対にあって、しっかりと話を組み立ててから受話器を取ってかけるという習慣は、面と向かった時の話し方を飛躍的に向上させる秘訣かも知れません!

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