2007年4月25日水曜日

心と姿勢の関係性

何事も継続の目安の最短はやはりよくある<三日坊主>でしょうか。

ごくごく個人的な記憶に照らせば、その筆頭に君臨する課題は<日記>ではなかったかと思い出されます。

たまたま実家の父が毎日、欠かさずに日記を書いていた姿の影響で実に何度もソレに挑戦したものですが、どうしてだか未達成課題のひとつです。

そうは言っても、さすがにこのくらいの人生キャリアを所有してくると継続の根幹に問われるものの存在がようやく見えて参ります。
すなわち解剖医学上は実態の無い<心>というものの有り様の重要性です。

何かに立ち向かう時の<心>の決意度や覚悟度みたいなものが如何ほどであるかによって、最終的な成果はほぼ見えてくるものではないかと思っています。

<心>で思っていることと<身体の姿勢>の関係性については、実は個人的にもビジネス的にも大いに目の離せないテーマとして、昨今の最重要かつ最大関心領域のテーマに急成長しております。

たとえば、<滑らかで感じの良い電話応対>にあっては、それを願い実現したいと思う<心>が数々の技と同時に育まれていなければ、やはりあるところでプツン!と継続が途切れることになりそうです。

それは強いて申せば、誰も見ていなければ急にお行儀が悪くなるよう感じ。

何気ない受話器の扱い方にもそれは見え隠れしそうです。忙しいときにフト気付いたら、肩と首の間に受話器を挟んで応対をしたことはありませんか?

何かを探しながら、パソコンを操作しながら、2本しかない手をフルに使うために受話器はこうして誰かの汗や誰かのファンデーションに塗れてゆくことになります。この姿勢はどんな<心>の表れなのか、しばしご考察を。

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