2006年10月6日金曜日

本音と建前

社会人になって以来、今日まで対人関係において戸惑ったことは山のようにありましたが、取り分け納得がゆかずに、使い分けも下手だったのが、【 本音と建前 】という代物でした。初めてこの言葉を耳にしたときはその意味すらよくわからない状態でした。それから長い歳月が流れて、若かりし頃から比べれば老獪とも言えるほど使いこなしに熟練した感はありますが、それでも未だに本音で物申して何が悪い、なぜ悪い!と内心沸き立つものを抑え切れないときがあります。

いつまでたっても大人になれない未熟さとうなだれる反面、本音がじゃんじゃん言い合えてこそなんぼ!という理想を追い求める気概、半分。『上司の顔色を見ることが仕事ですか?』と食って掛かった世間知らずの若い頃がたまらなくなつかしく愛おしくなるときがあります。そういえば、その頃は会社の言いなりになることこそが、サラリーマンの至上命題として『休まず、遅れず、逆らわず』というフレーズが合言葉のように密かに巷にコダマしておりました。

10年、20年というロングスパンで眺めてみると、時代は大きく変化しました。今では会社の言いなりになる社員など不要とばかりの様変わり。雇用形態も勤務形態も多種多様化して、ひとつきりのものさしでは測りきれないことばかりになりました。そして建前はよいから、本音はどうなんだと迫られる始末。

当然、言い方には配慮せねばなりませんが、歯に衣着せぬはっきりした意見や物言いがむしろ、RJP=リアルスティック・ジョブ・プレビュー<本音採用>として採用現場の主流の座を占めつつあります。接客販売の現場でも終始、ほめ殺し的な対応よりも本音でのやり取りを望む声もしばしば聞かれます。

時代はようやく本音と向き合う季節を迎えようとしているのでしょうか。この機に多くの本音が滑らかに行き交う事を切に願って、ラッキーの種のご提案です。それは誰かの意見を聞く時の姿勢の有り様について。いささか苦言めく気配もありますが、『誰に言われたのか?』ではなく『何を言われたのか?』その内容にこそ耳を傾ける癖付けが急ぎ問われる気がしています。時として5歳の子供から学ぶこともあるはずです。社長が言うから聞く、そんな時代の幕はもうすでに降りているのかもしれません。

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