仕事をしていく上でなくてはならないものは沢山ありますが、中でも重要度の高い【パソコン、携帯電話】あたりは、およそ30年前!には存在しなかった代物だけに、今日の普及浸透ぶりはいささか空恐ろしくもあります。
携帯がなければ仕事に支障をきたすだけでなく、日常生活にも影響しちゃう!という知り合いはいっぱいおられます。取り分けメールのやり取りの便利さは対人関係のコミュニケーションレベルを一気に進化させたのではないかと睨んでおります。但し、それは【狭く、深く】においての成果であり、親しい間柄がより一層、肌理細やかなやり取りで、親密度を飛躍的に向上させつつある点に限られていそうで、そこにえもいわれぬ大きな課題の気配が漂います。
便利であればあるほど不便な事態に突き進んでゆく実態は、先日、携帯を持ち忘れて外出した折に痛感させて頂きました。たとえば、今や携帯は個人の記憶の役割も担ってくれているため、どこかに電話しようとしても番号がまったくわからない!という至って不都合な状況が展開されます。以前なら覚えていたソレを今は完全に携帯任せ!故に携帯水没事故に遭遇された友人知人はしばし社会生活からの抹殺を余儀なくされるということになります。
さて、この携帯電話の公共マナーにおいては多くの方々が眉を顰めてやまない状況であろうと推察いたします。電車やバスの中での車内放送が滑稽に思えるほどの狼藉ぶりは、どういう訳か、老若男女を問わずの光景でもあります。
若者だけならいざ知らず、そこそこの恰幅のどこかの社長と思しき御仁が誰、憚ることなくわめき散らす姿には、なんとかしないとこの国が危ない!という危機感すら感じさせます。大人が大手を振ってやって見せれば、それを子供が真似するのは自然な現象であります。
緊急事態もおありでしょうが、せめて小声で!かつ周囲に配慮している気配を身体の姿勢に漂わせつつ、、、、そんな指導がその内、メニューに加わりそうです
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