世の中には生まれつき何かにつけ器用で、トントンとスムーズにことを為すタイプと、何をするにしても不器用で、大層、時間のかかるタイプがあります。
ある瞬間だけを切り取ってみれば、間違いなく前者がうらやましいのが人情ですが、人生ステージのロングスパンで眺めてみると、一概にそうとも言い切れないのが人生の妙味だったりします。
あらためて周りをゆっくり見渡してみると、なんでも簡単に出来てしまうが故に、幅広く多趣味ではあるものの、どうも全般的に底が浅く、結局すべて中途半端で投げ出してしまうような、器用貧乏的展開も案外、多いものです。
反対に取っ掛かりが下手だからこそ、人一倍コツコツ努力を重ねるうちに他の者には見えない愉しさみたいなものを発見して、さらに精進を重ねるうちにいつしか、先人が見出しえなかった偉業達成などという展開になることも、歴史上の伝記物を持ち出すまでもなく、よく有る話といえます。
そんなことがだんだん、はっきりとわかってくるのが実は加齢の醍醐味のひとつかもしれません。といっても高齢社会の今日にあっては加齢と称せる年代の特定がこれまた、結構難しくもあります。
何かの本で紹介されていた、大徳寺の尾関和尚の講話の中に『五十、六十、花なら蕾、七十、八十、働き盛り、九十になって迎えが来たら百まで待てと追い返せ』とありました。こうなると還暦くらいでは、まだまだひよこ扱いかもしれませんが、どうも年齢を重ねなければわからないことや、見えないことって、沢山有るのではないでしょうか。たとえば、その場の空気が読めたり、他人の顔色がわかるのもある種、年齢と共に鍛えられてゆく能力であって、研修やセミナーに参加して教えてもらったから出来るようになる訳ではなさそうですね。
いつだったか、老獪な人生の達人ともいうべき先輩から、語呂合わせの言葉を
頂きました。その時は『そうかな?』だった感想が、やがて『そうかも』になり、近頃『そうだな』に変わりつつあります。その言葉は『不器用は武器よ!』
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