2006年10月27日金曜日

きれい好きの価値

京都を代表する河原町通り、中でも多くの人出で賑合う三条から四条界隈は中心スポットゆえに公共マナーが問われるメッカでもあります。日頃から環境美化、あるいはその維持継続への商店街の皆々様のご苦労は察するに余りありますが、休日明けなどはさすがに街全体がグッタリして見えるから不思議です。前日の賑わいを物語る道端のゴミがそうした印象の決め手なのでしょうか。

そうした街中で、朝から清掃されている様子を時折、タクシーやバスの車中から拝見していますと、道端のゴミの大半はタバコの吸殻ではないかと思えるのですが、実際はどうなのでしょうか?バス停などでも灰皿が備え付けてあるところと、そうでないところが様々ですが、あればあったで汚いことこの上なし。喫煙マナーを守っておられる愛煙家には申し訳ありませんが、東京千代田区の如く、禁煙都市宣言をすべき!ではと本気で思ったりしております。

さて【割れ窓理論】をご存知でしょうか?道端に放置された乗用車。何日かが過ぎ、ある日、誰かが悪ふざけて、窓を割ってしまう。途端に乗用車はそれまでとは異なり、あっという間に見るも無残に壊されてゆくというストーリー。
つまり、【割れた窓】というあるきっかけが生じたことで、この場合は【破壊行為】というべき、何かが加速度的に形成されることを意味しています。
ニューヨークの地下鉄の落書きを排除するために、徹底して掃除をした結果、地下鉄の犯罪が激減した事実はあまりにも有名ですが、これと同じことを逆から眺めた理論ということになります。

京都の街に古くから続く【門掃き】の習慣は、こうして考えて見ると景観美化とともに門前のきれいさが実は安全安心への眼に見える設計手順と知っていたからこその知恵の伝承なのかもしれません。

毎朝、自社のトイレを素手で掃除し続けて超有名なイエローハットの創業者、鍵山さんを見習うことは無理でも、せめて自らの行為で街を汚さない!会社を汚さない、あらゆる公共スペースにそんなつもりで向き合えれば、お互い様の快適が心地よさを生む善循環の流れに必ず発展してゆきます。
汚いよりきれいが好きなのは、人類の共通点のひとつ。身も心も環境もきれいをめざして、意識してきれい!がラッキーの体質を育みます!

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