2007年1月3日水曜日

三が日の光景

お正月<三が日>の間にはいくつかの決まりごとがありました。
それが絶対的な威力を持っていたのはいつごろまでだったのでしょうか?

今はすっかり景色が変わってしまいましたが、個人的な記憶を手繰ってみますと<三が日>の間は原則、毎朝 大福茶を頂き、続けてお雑煮の食卓でした。
おせち料理もさすがに飽きる3日めまでは、たしかに存在していました。

今でこそ、大福茶の美味しさがしみじみわかるようになりましたが、子供にとってはほんの少しでも間をおいてしまうと、昆布から染み出した味わいがなんとも複雑な口当たりになり、熱いのを我慢して大急ぎで飲み干したものです。

同様に扱いが難しくて困りものだったのはお箸です。柳箸はそれぞれ家族の名前が書かれた箸袋に用意され、京都だけかもしれませんが<三が日>の間はこの箸を洗ってはいけないと言い伝えられていました。

この箸袋に家族の名前と取り箸用の<海山>の文字を書くのは一家の主の大役。墨を磨るのが大変なので、我が家では筆ペンに様変わりしてしまいました。

さて、<三が日>の間、洗ってはいけない柳箸は食事の最後に各自がお茶や白湯などで汚れた箸先をきれいにすすいで箸袋に収めて使っていました。

これは柳箸の一方を使って、神様が食されるため、その縁起の良いものを洗ってはもったいないという考えから言い出されたようですが、一方でお正月くらいは主婦の手を休めるための生活の知恵が生み出した工夫でもあったようです。

ごく当たり前のようにそんな作法で柳橋を扱っていたのは祖父や祖母まで。
両親が一家の長になった頃には衛生観念からか各自が台所で洗って箸袋にしまうようになり、やがて、今ではまとめて洗ってしまう有様です。

ちなみに本来、<三が日>とは元旦だけをさしていたようです。いわく、年の初め、月の初め、日の初め。かくして時代と共に考え方もあり方も変化していく様子をしみじみ眺める新年3日めです。

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