ものの言い方に対して、もう少し抑揚をつけるとか、トーンを上げて!とか言うとたいていの方は『役者じゃないのだから、そんなこと簡単にはできない』とハナから挑戦放棄の姿勢が顔にも身体に明解なオーラとして発散されます。
けれども本当にそうなのでしょうか?
その反応は実は大人も子どもも大差なく似たようなもので、たまたま普段やったことがないことに対しての見事なまでの拒否・拒絶の反応であり、こちらから言わせれば、とんでもなく見当違いの自己能力に対する侮辱でさえあります。
確かに何かの言葉に対して、何の意思も感情も持ち合わせていないときに、それを指示された場合はなかなかに難しいものがあります。
だからこそそれなりのランク以上になれば、それなりに稼げるのが役者さんの醍醐味であり、天性や努力の成果として評価される価値がそこにあります。
その役処になりきることで、涙を流すことが簡単に出来る役者さんはとても沢山いらっしゃいますね。怒るのも笑うのも悲しむのその想いこそが原点です。
つまり、それはそこに存在する意思と感情が反映された結果に過ぎません。
となれば、表現力が工夫できないというのは、そこに自分としての何の意思も感情も持ち合わせていないからだと言うことになりはしませんか?
この肝心要の視点を元に、常にその瞬間の想いの伝え方を鍛えるつもりで<あいづちことば>に向き合ってみれば、言葉の言い方は確実に進化します。
そこで本日は<同情を表現するあいづち言葉>に挑戦をしてみましょう。
<お察しいたします・それは大変ですね・それはお困りですね・それはお気の毒です・何と申し上げてよいものやら・言葉もありません・それはそれは>
気持ちが原点です。ただ言えばよいものではないことを肝に銘じてください。
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