お便りを書く上で<タイミング>と同じくらい大切にしたい課題は字の上手下手や文章構成力の巧みさではなく、そのはがきや手紙を書く姿勢の<丁寧さ>かもしれません。
<丁寧さ>が求められる場面は実は生活の随所に存在します。
たとえばお茶碗など食器を洗うときには丁寧に扱う心構えがなければ、簡単に割れたり傷ついたりします。あるいはお客様にお茶を出す仕草にも<丁寧さ>はしっかり見えています。さらには誰かをお見送りする身体の姿勢にもそれは明らかに存在し、そうしたものの積み重ねの上に人柄があるのかも知れません。
同様に頂いたお便りには宛名書きひとつにも<丁寧さ>という課題がしっかりと評価されるべく目に見える文字とその形として明解に存在しています。
それはたとえば、切手の貼り方ひとつにも如実に見えてくるものです。
貼り方そのものが歪んでいたり、切り取り方が雑なせいでいびつだったり、あるいは逆さまだったり。はじっこが剥がれてたり。のりがはみ出していたり。
そうした細部に垣間見える<丁寧さ>への厳しい点検の視線を知っていればこそ、人はお便りなるものについ尻込みをしてしまうのかもしれません。
そんな些細なことなどどうでもよいじゃないかと思いたい気持ちはわかりますが、如何せん些細なことや枝葉末節が気になるのが人の常だという事実に目を背けることは出来ません。一事が万事と真に気付いていれば、何かを通して身に付くものがあらゆる状況で発揮される力になるのは道理でもあります。
心がこもったお便りを<丁寧>に書く癖付けは偶然身につくものでは在りません。それだけに意識して取り組みながら、実践と継続を強く決意すること。
その結果、身につく<お便り上手>は思いのほかに重宝で有効な武器です。
新しい1年に掲げる目標のひとつにしてみてはいかがでしょうか?
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